ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

バタバター大晦日

2014年12月31日 20時04分57秒 | 生活

昨日のうどん打ちも含めて
今年もいろんなものを作りました。

ドブロク



ピザ





豆腐



が今年の初挑戦でした。

そして、大晦日の今日
マンネリ気味の歳の瀬を打破すべく
最後の締めくくりに行ったのが

バター作りです。

ジムでバイクを漕いでいるときに
「doironさん、バターは簡単に作れるよ」と
トレーナーの方に教えていただき
挑戦してみることにしたのです。

材料は生クリームのみだとのこと
道具もペットボトルだけでいいという手軽さ。

先日、年末の買い出しに付いて行ったときに
スーパーの食品棚に生クリームがあるのを見て
先のそのアドバイスを思い出したので
さっそく買ってみることにした。

これ



中身を、からのペットボトルにあけ
ただひたすら振り続けると
やがてバターになるという話だ。
バターが品薄で高くなっているということだし
さあ、いっちょやってみましょう。

台所の片隅で



早速振りはじめました。



手ごたえは、最初はシャブシャブしているのですが
だんだん、モソモソになってきます。

そのモソモソになってからが長い。
手首は疲れてくるし
肩まで痛くなってくる
あげくに腰にまで負担が・・・。

振り続けること30分。
あまりに手ごたえがないので
「これで本当にバターができるのだろうか」と
疑問になってきたので
ネットをもう少し詳しく見てみると・・・

「乳化剤の入っている生クリームだと
バターを作るのはほぼ不可能」

とレシピに書いてあるではありませんか

おそるおそる生クリームの
側面に書かれた成分表を見てみると

ガビーン

乳化剤(大豆由来)とある

せっかくこんなに頑張ったのに
無理だとは・・・・・

大ショック。

手に持ったペットボトルを
床に落としそうになったよ~

しかし待てよ。

これまでも困難は乗り越えてきたじゃないか
「ほぼ不可能」ということは
全く望みがないわけではないということだ。

よーし、では不可能を可能にしてやる
と、手首や肩や腰の痛みを我慢して
ふたたび手に力を注ぎ
教えてくれた人の言葉を信じて
振り続けることにした

折れそうになる心を支えながら
がんばったよ

そして、そして
ついにその時はやってきたのです。

モソモソ感もなくなり
ただペットボトルを振り回しているだけの感触だったものが
ある瞬間急に

ガシャガシャガシャとなったではないか。



今までてんでバラバラだった生クリームの分子が
一斉に手をつないで、あっという間に
固まりになったという感じだ。

全く突然に訪れた瞬間であった。
見ると、ボトルの底に
かたまりが沈んでいる。

やったー、バターになったぞ。



初めてバターを見つけた人は
きっとこんな気持ちだったんやろなあ。

途中であきらめずに
振り続けてよかったあ。
人はやはり信じるものです。

できたバターは無塩なので
きっと味はイマイチだろうけど
お正月にクラッカーにでもつけて
いただこうと思っているのです。

************

さて、今年もあと数時間
来年もバターつくり同様
自分を信じて、人を信じて
粘り強く頑張ろうと思います。

今年もみなさん、本当にお世話になりました
来年もよろしくお願いします。

では、よいお年をお迎えください~


年末恒例うどん大会

2014年12月30日 19時06分30秒 | 生活

今年も開催いたしました。
例年と違うのは、大晦日じゃないことやな。
今年は、正月を祝うこともないので
台所がすっきりしているから
一日前倒しでうどんを打った。
その模様を紹介しよう。

衣装を整えてっと。



まずは計量。



あらかじめ用意しておいた中力粉を



350g

また、薄力粉を



150g

毎年コシが強すぎて不出来だったのが
昨年は薄力粉を混ぜることで
なかなかの出来栄えとなったので
それを教訓に、今年はもう少し
薄力粉を増やしてみた。

そして塩は25g



それを225ccの水に溶かして
さあ準備は完了だ。

まずは、粉を均一に混ぜる作業から。
ボウルにいれてダマをつぶしながら
丁寧に混ぜる。

出来上がった、粉を袋に入れて



そこに塩水も投入

軽くまぶして1時間寝かす。



その間にお買い物だ。

帰ってきたころには丁度お目覚めだ。
さあ、ここからメインの脚踏み作業である。

踏んで



捏ねて、また踏んで



約20分かけてこの作業を行うと

おお~、形になってきた。



これをそのまま口を縛って
また1間寝かす。
ワンワンなくグーちゃんに
「シーッ」と言ってるとミセスが
「どうしたん?」と聞くので
「いや、寝かしてるから静かにしないとね」

ミセスはあきれ顔で
数の子の掃除をしていた。

そして、doironも昼食後
うどんと一緒に昼寝をして
さあ、次は伸ばしの作業だ。

うどんを起こして、袋から取り出してみると・・・
ん?やけに固い。
水の量はしっかり測ったし
脚踏みも例年と同じ回数だ。
いつもと違うといえば
薄力粉の比率を上げたことと
踏む際の体重がすこし減ったこと。

しかし後者はあまり影響はないだろう。

薄力粉を増やすと固くなるのかなあ。
その辺はどうもよくわからない。

でもここまで来たら引き返せないので
がんばって伸ばした。



手が痛くなるほど体重をかけて
がんばって、ようやく薄くなったところで
屏風に折りたたみ
次は最終行程の「切る作業」だ。

固そうなので、できるだけ細く切るように努めたが
う~ん。
切っていても、例年になく固い。



どうも今年は失敗くさいなあ。



出来上がったこれを



年越しにいただくのは明日の大みそかとなる。

果たして、出来はいかに?



さて、今夜は楽しい夜警。
公民館に世話人を集めて
いつものだんじり談義に加えて
今年はゴルフ談義にも花が咲きそうだ。
時間は午前2時の見回りまで。

では笑いに行ってきまあす。


年末の光景

2014年12月29日 20時22分06秒 | 最近の出来事

神社の提灯

正月は喪中のため、神社へはお詣りしない。
なぜ、喪中であれば神社へお詣りは出来ないのかなあ。
穢れているとでも?
それとも喪に服しているので
賑やかな場所は控えた方がいいの?

神主に聞いてみると
「そんなしきたりを発信した覚えはないけどなあ」
という。
それでも我が村には
厳然とそのしきたりがある。
どうしても鳥居をくぐるときは
鳥居に白い布を巻けばいいという
救済策までまことしやかに言われている。

先日、散歩に出かけたときのことだ
鳥居をくぐらずに神社の境内を抜けようとしたとき
ちょうど初詣のための飾り付けの真っ最中であった。
鳥居の門松、社務所の幣も取り換える。



そして境内いっぱいに
氏子の名前の入った提灯が
ずらっと掲げられる。
毎年同じ場所に提灯があるかというと
そうではない。
本殿に近いところはやはり
ありがたみも多いような気がするので
場所を番に年々順繰りに替えている。

我が村の神社は7つの村の氏神様なので
境内を7つのブロックに分けて
掲げるというわけだが
通りかかった時にはすでに
我が村の提灯がつけられていた。

見ると、doironの名前もある。



「喪中やけどええの?」と聞くと
「そんなんかまへんよ」
神主はこともなげに答えた。

そうかあ、提灯がいいなら
本人だってええだろう。
おみくじくらいは引きに行ってみようかなと思っている。

百均大混雑

書初め用の半紙や
義母さんに頼まれたレッグウォーマー
などを買いに百均に行った。
ところが車で入ろうとすると
駐車場がいっぱいで行列ができている。
驚くような繁盛やね。

ようやく車を止めて
店に入っていくと
早速知り合いにあった。

「買い物やな」というと
「あのなあ、吸盤で壁につける
フックなんかどこにあるか知らんかな」といきなり聞いてきた。
かなりげんなりしている様子。

「そ、そこまでわしは百均通やないで」と答えたものの
ちょっと面白くなって
「それはそうと、般若心経のCDはどこかな?」と
聞き返してみた。
知り合いは「知らんわ。変なもん買にきたんやなあ」
というので、
「いや、冗談や」と言ってやったら笑っていた。

そしてしばらく店内を歩いていると
また別に知り合いに出会った。
その友達もいろいろ探しているような様子だったので
またいじってやろうと
「何か探してるんか?」と聞くと
「うちの嫁はんしらんか?」と聞いてきた。
どうもはぐれたらしい。
「百均売り場は所狭しと品物が
並べられていて見通しが悪いから
なかなか見つからん」とぼやいていたので
「電話したら」というと「そやな」とさっそく携帯を取り出して
かけてみると、商品棚をひとつ挟んだ通路で
音が鳴っていた。
やってきた彼の嫁はんは旦那の顔を見るなり
「何処行ってんの。探してたんやで」と一喝。

ま、こんな光景は年末でなくても
いつでも見られる光景やけどね。

門松つくり

近所に貸し鉢業を営む家がある。
普段は、植木に水をやったり
鉢の植物を刈りこんだりと
優雅に(実際はしらないけど)
仕事をしているように見えるのだが
年末ばかりは、その作業場が異様に活気づく。

まずはクリスマス。
ツリーにするようなモミの木を
ずらっと並べて手入れをしていたり
鉢植えのシクラメンも大量に仕入れているようだ。
サンタも真っ青の忙しさだろう。

次いで年末
今度は門松づくりで大わらわとなる。
作業場を大きく空けて
長い竹を切りながら作業をしている。
「門松の竹はなあ、切り口が丁度笑っているように
節のところをうまく切らなあかんねん。」



といいながら
電のこから飛ぶ竹のおがくずに
まみれている姿がとても大変そうだ。

村に響く、竹を切る作業音は
年末の村の風物詩になっている。

休日ランナー

年末年始ともなると
さすがに休日の人が多いと見えて
たくさんの人がジョギングをしている。
昨日はチームジダンの練習会と言うことで
年末だし、今年もいろいろとお世話になったので
お礼かたがた途中に迎えに行くべく
doironもジムに車を置いて外ランをした。

無事に観音寺の坂の向こうで出会い
往復8キロ弱をdoironも走ったのだが



なかなか快調であった。
野菜の鍋が続いているおかげで
体重が減ってきたということもきっとあるのだろう。
来年は外ランもやってみようかなと思った。
でも走り過ぎには注意だ。
なにせほとんどが休日なものですからね。

以上が2014年末のdoiron周りの光景


熊野古道 初めての海沿い 5

2014年12月28日 20時50分56秒 | ウォーキング

住宅地を若干登りながら歩いていくと、
そのお寺がありました。

階段を上って、
これが本堂。



このお寺の名前が「海見山観音寺」。

ふむふむなかなか良さげな山号ですねえ。
振り返って後ろを見ると、



確かに海が見えていました。

別名「海見寺」というそうです。
季節が季節なら涼しくてよさそうですね。
この日も広く清潔に保たれた庭に置かれた陽だまりのベンチで、
サーモスに入れてきた暖かいコーヒーと
非常用に持ってきたおにぎりを1個いただきました。

きっと昔の熊野詣の旅人も、
ここで竹の皮に包んだ餅なんかを食べたのでしょう。

さて少しお腹に入ったところで歩行を再開しましょう。

このあたりは、海の間近を歩きます。



道端の水道のところには、こんな看板も。



なぜ、サーファーには世間の人は冷たいのでしょう。

先日行った日本海にも
結構きつい調子でサーファーへの
注意看板が立っていました。

サーファー諸君!マナーは大切にしようぜ。

ふたたび国道に合流したり、



離れたりしながら進みます。



「みらいばし」と書かれた小学校の渡り廊下をくぐり、



しばらく行きますと、変わった建物が見えてきました。



和歌山工専です。

昼休みなのか、学校のまわりには
学生がたむろしていました。

全寮制の制度のある学校ですが、
多感な年ごろの生徒たちには
刺激の少なすぎる地かもしれませんね。

いくら近くに、御首地蔵や仏井戸があるからといって、
喜ぶ生徒は100%いないでしょう。

しかし、そんな変なことに
喜びを感じているdoironは
いそいそとその仏井戸に向かいました。

ここです。



ここは今回楽しみにしてきた史跡のひとつです。

和歌山県の学術調査報告書にも
4ページ以上を裂いて
その井戸について書かれていました。

今回撮った写真がこれ。



残念ながら水が張られていて
仏を確認することができませんでした。

報告書によると井戸はこんな構造になっており、



水が抜けると3体の仏が姿を現すそうです。
資料にはその姿も掲載されていました。



この井戸が上野王子だったことが、
紀伊国名所図会の絵からわかるそうです。

これ。



老人が王子と井戸に掌を合わせているところが描かれています。
王子の位置は変わっても、
当然井戸の位置までは変わらないので、
井戸は結構当時の地理関係を示す
指標になっているんですねえ。

移設された上野王子は
ここから200mほど南に行ったところにあります。

ここ。



そこにあった説明碑には仏井戸にあった王子が
火難にあって江戸時代に移されたとのことです。

「上野王子」の名前は、
八軒家浜から歩いて4番目にあった王子と同じ名前です。

あのあたりを歩いたのは、
ずいぶんと、距離も月日も遠いことのように思えます。

さてこれで今回の旅の目的地は終わりです。

ここから歩いてバス停に少し戻るように向かいましょう。

あ、こんな表示がありました。



国道42号て長いんですねえ。

調べたら470km近くあって、
日本で8番目に長い国道だそうです。

ちなみに一番長い国道は4号で890km近くあります。
ついでに一番短い国道も紹介しておきましょう。
それは、神戸市にある国道174号で、187mしかないそうです。

海を左手にし、
右手にこんな木造の珍しいローソンを眺めながら歩きます。



紀州材の間伐材を使って建てられているそうです。



バスの待ち時間まで、約15分。



まあ、頃合いかな。
上手に歩きました。

そこで携帯GPSも止め、
持参したホットコーヒーを飲みつつ待っていたら・・・
きました。



御坊南海バスです。

これで御坊まで戻ります。

ちょうど学校帰りにあたったようで、
バスは学生たちで混雑していました。
てことは重要な路線なんですね。
安心して次回の上野までの足にさせていただきましょう。

御坊駅に着くとお腹が鳴ったので、
腹ごしらえです。

入ったのがここ。



うう、車じゃなかったら迷わずビールなのに。
うどんの「中」サイズを頼んだら、
なんとうどんの玉2つ分が入っている
とメニューに書かれてあるではないですか。

ふんふん、ちょっぴりうれしいdoironなのでした。

遅い昼食を食べ終えて駐車場に向かい、
最初に書いたように駐車場の管理人に話しかけられながら、
帰宅の途につきました。

これで年内の古道歩きは終わりです。
来年もまた続きを歩きます。

この分なら来年中には熊野に到着しそうです。

しかし到着してもまだ紀伊半島を
ぐるっと回る大辺路がありますが、
まあそれは熊野に着いてから考えましょう。

来年の熊野古道歩きも


熊野古道 初めての海沿い 4

2014年12月27日 23時00分34秒 | ウォーキング

祓井戸観音には、徳本さんの名号碑も建っていました。



本当に精力的に布教活動をされていたんですねえ。
さあ、熊野古道に戻りましょう。



あ、竹やぶに2体並んだお地蔵さんがあります。



仲良く並んで、ご夫婦でしょうか。

「長続きの秘訣は?」と聞いたらきっと
「あまりお互いをじっくり見ないことです」と答えそうです。

とか何とか言ってるうちに、
上野王子が近づいてきました。



あと半分くらいです。

あ、ここにも会社の看板に案内がさり気なく書かれています。



いいですねえ。今度我が家の塀に設置する予定の
自治会掲示板にもぜひ案内を入れるぞ~と決意を新たにしました。

一里塚の近くにも、



道標らしき石がありましたが読めません。



このあたりは潮風がきついのかなあ。
読めない石が多いような気がします。

こうして街道を歩いていると、
石でさえこんな風に朽ちていくのですから、
人間の一生なんてはかないものだなあと思いますね。

その先で案内に沿って
少し道をはずれて国道42号に向かうと、
そこに十三塚があります。



出羽の国、羽黒山の山伏の一行が、
熊野詣の際にこの地で
阿波の国の海賊に襲われ殺害されたことを悼んで
供養したのだと里人に伝えられているそうです。

さぞや無念だったでしょう。

でまた再び古道に戻り歩いていますと、
前から男性が一人何か言いたげにこちらに向かってきます。
さては阿波の国の海賊か
と身構えましたが、
「歩いてるんかあ。清姫はそこやで」
と指さしながら丁寧に教えてくれるではないですか。

いい人でしたあ。

で、その人が教えてくれたのがここ。



「清姫の草履塚」。

安珍を追いかける清姫が
ここにあった松に登り、
遠くを見はるかすと、
逃げていく安珍の姿が見えたので、
ここで草履を脱いで
裸足で追いかけて行ったといういわれがあります。

ふむ~、女の情念恐るべしです。

松は今はありません。

道案内のデザインは変わりません。



ということはここはまだ御坊市です。

御坊市は思ったよりも細長いんですねえ。
「ごぼう」だけに・・・。



このあたり、道のところどころに
水仙を良く見かけますが、
ほとんどまだつぼみです。
日当たりのよさそうなところに少しだけ咲いていました。



あの淡路島の水仙郷のことを思えば
ここはずっと南のはずですから、
年明けの歩行再開時には
きっと道端にたくさん咲いていることでしょう。

あらら、この道に直接書かれた
止まれのパンダはまたユニークですねえ。



脳しんとう起こすぞ!
と突っ込んでしまいそうです。

その先に海産物店が見えてきました。



本来なら昼食によさそうな位置ですが、
またもや路線バスの陰謀です。

あれ?シリーズが違った。

ここにある歌碑だけチェックしてスルーしました。



「あったかい伊勢海老、アワビ山盛り海鮮うどん
でも食べたかったなあ」。
きっとないでしょう。

このあたりはビニールハウスがとても目立ちます。



御坊の特産のひとつに
花き栽培があります。

失礼して開いた扉や
ビニール越しに中を覗いて見ますと、





今はカスミソウやスターチスの栽培が盛んなようでした。

親父の仏壇にミセスがいつも
白い菊をあげてくれています。

分けていただくのがあれば、
あとで車で来ようかなと思って見ていたのですが、
それはないようでした。

うん、この感謝の気持ちが長続きの秘訣かも。

へへ

ビニールハウスの向こうに海がキラキラ光っていました。



旧道と国道の歩道を交互に歩くように進んでいきますと、
こんな道標がありました。



「御首地蔵尊 東へ1丁」とあります。

ああ、もうこれはわかります。
1丁は109mです。
わざわざ熊野古道沿いに案内を出していることだし、
さほど遠くないので寄ることにしましょう。

なんでも首から上の病気に
御利益があるそうです。

「賢くなるかな~」



「髪が生えるかなあ」



「しわがとれるかなあ」



「目が良くなるかなあ」



などと欲張って考えながら
御首地蔵に向かうdoironなのでした。

続く


熊野古道 初めての海沿い 3

2014年12月26日 21時06分56秒 | ウォーキング

上野王子へと続くみちの案内に、
爪書太子堂と書かれてあるのを見つけました。



ちょっと寄り道しましょう。
どうせ寄り道人生ですから。

古道をはずれて、港の方向に向かいました。
これが塩屋港です。



サビキでアジが存分に釣れるそうです。

釣りかあ。

もう少し体が動かなくなってから取り組んでみようかな。
その港の少し奥まったところに
太子堂がありました。



お、二宮尊徳像です。



学校によくある薪を背負った像に比べて、
晩年の姿をしています。
あまり知られていないけど、
彼は「報徳思想」をもって、
農業から藩の財政立て直しをする請負人だったそうです。

分をわきまえて生活し、
その余力を拡大生産につなげよ
というその「報徳思想」が石碑に刻まれていました。

なぜ、ここにあるのかわかりませんでした。

碑台に「奉納」とありますので、
彼に心酔していた村人が建てたのでしょうか。

doironのように余力を持って遊んでいたら叱られそうです。

その奥に本堂があり、



本堂の裏に爪書地蔵があります。



これでもう爪書地蔵は和歌山に入ってから3つ目です。

弘法さんはよほど爪の強い人だったのか、
はたまた落書き魔だったのでしょうか。
う~ん、罰当たりです。

ここの爪書地蔵も信仰心の無い人には見えないそうです。
「きっと見えるだろう」「見えるに決まっている」
とタカをくくって探してみましたが・・・

どこ?み、見えない。

罰当たりなことを言ってたからでしょうか。
水をかけたら浮き出てくると
資料には書かれてありますので、
そこに準備されていた柄杓で
せっせと水もかけてみたのですが見えません。

資料をもう一度じっくり見てみると、
どうみても描かれてあると思われる部分に
新しい小さな地蔵がはめ込まれているではないですか。



まさか爪でこれを浮き彫りにしたのではないでしょう。

描いた石の部分が朽ちてしまったのかもしれませんねえ。

もしそうなら・・・石とはいえ
いずれは崩れてしまうんですねえ、
とあきらめるほかはありません。

脇に建つ「南淵や 壺江が浦の 太子尊 岩の肌まで 利益あらわす」
と彫られた石がむなしいというほかはありません。



信仰心が足りなかったのかも
という疑念も抱いたまま立ち去ることにしました。

熊野古道に戻ると、
「観音山自然公園遊歩道」の案内看板がありました。



確かここには、四国の八十八ヶ所の霊場から
持ち帰った石で造られた石仏が、
八十八ヶ所並んでいるはずです。

行ってみましょう。

軒先をかすめながら歩いていきます。



おお~これが四国の石仏か、



と一瞬思いましたが違うようです。

道案内に沿って歩を進めながら、





こんなきつい坂道も



がしがし登って行きますと、
あの馴染みの夕日百選のモニュメントがありました。



でも周りは樹木だらけで見晴らしがよくないのですが・・・
夕日の木漏れ日が素晴らしいのでしょうか。

いずれにしても夕日までは待てません。

と、山の中を見ると、
祠がずらっと並んでいるではありませんか、
行ってみると、そうです。

これが四国霊場八十八ヶ所の石仏群でした。



見るとこれが51番。



「熊野山石手寺」のものです。

初っ端から「熊野」とは何か因縁があるのですかねえ。

そんな祠が山の中まで続いています。
ひとつひとつ確認していきましたが、
途中でめげてしまいました。
時間もないしね。
それにしても八十八ヶ所とはたくさんあるものだ。

来春、首Dさんの快気祝いを兼ねて、
チャリンコでの八十八ヶ所めぐりを計画しているのですが、
これじゃあ先が思いやられます。

10か所ほど眺めて下山しました。

その山の下にあったのが

「祓井戸観音」。



役行者が掘られた井戸が
この近くの浜辺の方にあるそうです。

そこからこの名前がついていると、
この詳しい案内板に書かれてありました。



これまで、弘法井戸はいくつかありましたが、
役行者の井戸は初めてです。

探してみたいのですが資料もありませんので
パスしました。
あ~あ、バスの時間に支配されると、
この辺の自由さを奪われるのがちょっと残念です。

続く


熊野古道 初めての海沿い 2

2014年12月25日 21時09分39秒 | ウォーキング

日高川沿いの気持ちいい遊歩道の終点が、
この湊歩道橋です。



これを渡ってしばらく42号沿いを進むと
左に入っていく道が現れます。



案内は?っと、
あ、お店の看板にさり気なく書かれてあります。



しかも古道沿いの道には
おもてなしの福助も・・・



それは違うか。

このあたりの国道42号は
まだ御坊までしか高速道路が開通していなかった頃に
何度か通っているはずです。

その頃は国道沿いに細々と
集落が張り付いているだけだと思っていたら、
1本中の熊野古道を歩いてみると、
結構奥まで集落があることにまず驚きました。

こんな古い家が建ち並んでいたり、



わけのわからない貼り紙をしている家があったりして、



多くの人が住んでいることをうかがわせます。

さて、鹽屋王子のある鹽屋王子神社に到着しました。



「鹽」というのは「塩」のことです。
したがって、地図や案内等にも
「塩屋王子」と書かれてあります。

この地域周辺にある遺跡からは
たくさんの製塩土器が見つかったことから
昔は製塩が盛んだったことがわかるそうです。

「地名は歴史のタイムカプセル」といわれるだけあって
全くその通りの名前ですねえ。

ここは王子としては古い歴史を持つそうです。

また、地元の魚屋が伊勢神宮から勧請した
天照大神を祭神としたこの王子は、
その女神像が美しかったことから

「美人王子」

の別称を持っています。
なので、この王子のある神社にお参りすると
美人の子どもが生まれるという民間信仰があるそうです。



境内には玉垣で囲まれた
「御所の芝」もあります。



たしか同じ名前の史跡が、
海南の少し南にある藤代塔下王子のところにもありましたねえ。



熊野御幸の際の後鳥羽院行在所ノ跡
という事であればいわれは同じなのですが、
こちらは大塔の宮熊野落ちの際に、
泊まったといういわれもあり、
明治の中ごろに社殿の左背後の林の中から
今の地に移転したともいわれています。
本当のところはわかりません。

そこは大きな楠が何本も繁る古い神社でした。



神社を出て、少し先に流れている川が

「王子川」、



そしてそこにかかる橋が

「王子橋」でした。



この名前もこれまで何度も出てきました。
一体全国に王子川が何本あって、
王子橋が何本あるのか、
その分布を取ったら面白いかもしれません。
きっと、熊野信仰の何らかの側面が
浮き彫りになるような気がしますが、
まあ、機会があれば取り組んでみましょう。

その王子橋を渡って、
熊野古道は直進していきます。

繰り返しになりますが
本当に国道から少し中に入るだけで、
こんなにも生活臭の漂う集落が続いていきます。



御坊市街からかなり歩いてきたように思うのですが、
案内表示も、マンふたもまだ御坊のものです。



ん?マンふたのデザインに違和感を覚えました。

そうです。中央に配置されている絵が
これまでのものと異なります。

前は、中央にマメ科の植物が描かれていましたが、
ここでは大きな花が一輪描かれています。

何の花だろうと思いながら歩いていると・・・
解決しました。

「ハマボウ」の花でした。



ここ塩屋には日本でも五本の指に入る
ハマボウの大群生地があるそうです。

残念ながら今はその花の季節ではありません。
街角のところどころに見かける
「ハマボウ」の文字が
マンふたの疑問を解決してくれました。

おやおやこれは民家の塀に埋め込まれた地蔵の祠。



なぜかほほえましさを感じました。

このあたりから、道の前方に
大きな煙突がそびえはじめます。



大量に排出されている煙(水蒸気?)が
海からの風で横にたなびいています。

あ、光專寺への案内がありました。



県下屈指の大木であるビャクシンがあるそうです。
行ってみなくてはなりません。

おお~、確かに立派なビャクシンが見えています。



案内板には潮岬の元の宮にあるビャクシンと並んで
県下屈指の・・・とあります。



潮岬かあ、また行ってみましょう。

あ、そうそうたしか有田の浄念寺のそれは
「推定樹齢500年以上」とあったはず。

ここは推定600年と書かれてありました。

そんなビャクシンを見上げながら、
その樹ともう少しお話がしたかったのですが、
まだ古道は今日の予定の半分も来ていません。

引き返すために乗らねばならない
バスの時刻のこともあることだし、
あまりもたもたせずに先に進みましょう。

続く


熊野古道 初めての海沿い 1

2014年12月24日 21時58分42秒 | ウォーキング

さて今回の歩行で、年内の熊野古道歩行は歩きおさめです。

今年は「和歌山に参上」シリーズで
和歌山県に入るところから始まりました。
そしてこれまで紀ノ川を越え、有田川を越え、
そして日高川も越えて、
歩くのにのべ10日間を費やし、
熊野関連ブログも51話書きました。

今回はその2014年熊野古道歩行の締めくくりとして、
前回の続きとなる御坊の南部を歩きました。

それは本年最大の寒波が押し寄せていて、
列島各地が凍りついた日でした。

コンディション悪い~

と一瞬ひるみましたがスケジュールを見て、
この日だと決めていたので、
がんばって今年最高の厚着をして
出かけることにしたのです。

まず、インナーはユニクロの極暖シャツです。
これは首まであって本当に暖かい。

その上にTシャツを重ね着し、
厚手のウインドブレーカー。
厚着とはいえ、歩くのですから
それくらいでいいでしょう。

あ、ネックウォーマーとヘッドウォーマーもつけましたが・・・。



下はランニングタイツの上に
薄手のウインドブレーカーズボンです。

リュッ君には万一のために
カイロも潜んでいます。

さてコースですが、
前回は西御坊まで歩いたので、
今回はそこから南下です。

切目まで一気に歩くのは遠いので、
途中からバスを活用して御坊に引き返す
という計画です。

ネットで時刻表を調べてみると・・・、

う~んなかなか手ごろな時間帯の便が少ない。
仕方なく、帰宅時間も考慮して
今回も寒い中を早朝から車で御坊に向かうことにしました。

駐車場に車を停めて、
出るときに管理人さんが
しげしげとこちらの姿を眺めていました。

案の定、帰ってきたときに

「歩いてきたんかよ~」

と声をかけてきたので、
「熊野古道をなあ」と言うと、
「こんな寒いのにようやるわ~」
とほめられ(あきれられ)ましたな。

と、ここで大変なことに気がつきました。
大事な商売道具のカメラを連れてくるのを忘れたのです。

昨夜充電をし、朝にリュッ君に入れてあげよう
と思っていたのが間違いで、
早い時間の出発でしたから、
バタバタと出かけてきたのが失敗でした。

加茂郷の時と同じパターンです。

全く学習していません。

携帯があるからいいものの、
なかったら大変です。
使い捨てデジタルカメラとか作って、
駅のコンビニででも売ってくれませんかねえ。

救いは、携帯のバッテリーを持ってきていたことでしょうか。

仕方がないので携帯でバシャバシャ撮ることにしましょう。

御坊から今回のスタート地点の西御坊までは、
前回乗った日本一短いローカル線の
「紀州鉄道」に乗って行きました。



運転手は前回と同じ、白髪ロン毛の人でした。

前回と違うのは、
朝ということもあって通勤、病院通い(多分)、
通学の人達が乗っていたこと。

人間観察をしながら
相変わらず、排ガス臭い電車に揺られること約10分。

終点の西御坊に着いて、
さあ歩きはじめましょう。



今回のコースはこんなコース。



大阪の天満橋から歩き始めて、
これまででもっとも海に近いコースを歩くことになります。

これまで峠の上から遠くに見えていた海のすぐ近くを歩くのです。
季節がよければ
昔の旅人も、気持ちよく軽快に歩いたことでしょう。
そうです。今回の場合さぞかし風が強いだろう
ということが予想されます。



でもそのための準備はしてきました。
寒さに負けずに頑張って行きましょう。

先ずは前回渡った日高川に架かる
「天田橋」に向かって国道42号の歩道を行きました。



そういえば、前回、資料の地図に
「港が一望できる海にかけられた遊歩道」
と書かれてあった場所が気になります。

まさか海の上に一直線に続いていた
あの堤防の上を歩くんじゃないだろうな
と思いつつ、天田橋を渡って道を探ると、



なあんやちゃんと道になっているではありませんか。



安心しつつも寒風吹きすさぶ
日高川堤防沿いの道を歩いていきます。

港が一望でき、とても景色のいい道でした。



早くもこの日の、ベストシーンの登場です。

芦原を飛び回っているのは「ヨシキリ」でしょうか。



波の音やたくさんの鳥の鳴き声に包まれて
キラキラ光る海を見ながら

「寒いけど来てよかった~」

とニヤニヤしながら歩くdoironなのでした。

続く。

P.S.
今夜はイブ。こんなポンコツ親父には
何も関係ありませんが
とりあえず読者の皆さんに

メリークリスマス


2014冬の恵み

2014年12月23日 21時29分54秒 | 自然

今日はdoironのもう一つの誕生日でした。
もうあれから4年。
おまけともいえる人生を
どうにか生きております。

今日は、西宮の甲山
その山麓に散らばっている
四国八十八カ所の霊場を
一日で歩いて回ってきました。
これが宝探しのようで
なかなか楽しい時間でした。

この話は多分年明けになりそうです。
じっくり整えましょう。

では、ゴルフの余韻もさめたことだし
気を取り直して
普段のライフスタイルの話題に戻りましょう。

今回は熊取の永楽ダムの話題です。

そこには春、夏、秋、冬と季節を問わず
出かけます。

登山も楽しめ、ダム湖散策も楽しめます。
以前はこの周辺の山でテレビにも出ました。
少し時間があれば気軽に行けるので
体調を見ながら、思いついたら走りに行ったりもします。

今回も、せっせとトレーニングに出かけました。

現地に行くと、平日と言うのに
いい年をした働き盛り風の
男性たちが結構走っていました。
あ、自分もですね。

街中を平日に走るのは気がひけるでしょうから
適度に奥まったこのあたりは
平日こっそりランナーには絶好の場所かもしれません。

そんなランナーたちに追い抜かれながらも
とことこと進みつつ
今回の目的は

「フユイチゴ狩り」

花や実の少ないこの季節。
それでもしっかり実をつける植物は
赤い実をつけることが多いようです。

センリョウ、マンリョウ、ナンテン、ピラカンサス

葉が落ちて、見通しの良くなるこの季節
さらに目立って
「こんな私を食べて、食べて」と
赤く実るようです。

前述のピラカンサスには毒もあるようです。
しかも青酸系の毒だとか・・・



世間には、面白い人もいて
この実を食べたという人のブログもありました。
なんでも時間がたつにつれ
毒は抜けていくようで
2月のピラカンサスは食べられる!と書いてありました。
チャレンジャーですねえ。

と、ここまで書いて
今回のタイトルですから
doironもそれを食べてみたのかと思いきや
そんなにチャレンジャーではありません。

忘年会で、痛風のことを考えつつ
ビールでさえドキドキしながら飲むほど臆病です。

宝くじでさえ10枚以上は買えないし
書いた記事に対してモニターからいただくはがきに
ハヤブサのように舞い上がったり
日本海溝のように深く落ち込んだりしています。

てことで、今回の冬の恵みは
毎年おなじみ、フユイチゴのみです。



歩いたり、軽くジョグしながら
コース沿いの枯葉に埋もれた株も
目ざとく見つけ
地面に這うように延びている枝を引っ張っていくと
おお~、今年は結構豊作です。
きらきら光る宝石のような実が
鈴なりに顔を現します。

ダム湖めぐりを終えて
駐車場に戻り、ここでも昨年収穫のあったあたりを
探してみると、あるわあるわ。
夢中で採っていると妙齢の女性登山者から
「何採ってはるんですか?」と声がかかりました。

「フユイチゴです」と答えると
「いいですねえ。何に、するんですか?」だって。
「ジャムです」

こんな駐車場のすぐわきに
大量のフユイチゴが残っているというのに
誰も気づかないのかなあと思っていたら
知ってる人は知ってるんですねえ。
そのひとはさらに
「岩脇山の登り口にもたくさんありますよ」
と教えてくれはりました。
ありがたいことです。
よほど、doironが生活に困っているか
物好きな人に見えたんでしょうねえ。
こういう外見が得をすることも
よくあります。へへ
来年は岩脇のほうにでも行ってみましょう。

この場所、今年は、昨年に比べて
生えている範囲もずいぶん広くなっているような気がします。
下草刈りのタイミングが良かったんでしょうかねえ。
いや、やはり今年は
フユイチゴの当たり年なのでしょう。

それほどたくさん実っていたので、
ウハウハと採取しました。
ところがこの実のサイズが小さく
周りにトゲトゲの草が多いこともあって
ちまちま採ることになるので
これだけ集めるのに結構時間がかかりました。

これ



まあ、これで何とかジャムつくりの材料にはなるでしょう。



さっそく家に帰って、駐車場の脇にあったものだから
犬のおしっこもかかっているかもしれないので
丁寧に洗い、完成したのがこれ。



朝のトーストに
大胆に塗ってみました。



種がプチプチして独特の食感ですが
おいしいですよ~

これが枯葉の落ちた殺風景な林の床から
拾い上げた今年の冬の恵みの物語。


十八箇所巡礼の旅

2014年12月22日 21時01分24秒 | スポーツ全般

行ってきました。
1番ホールから始まって18番ホールに終わる十八箇所巡礼の旅。
それは巡礼の過酷さを物語る寒い日のことでした。

集合場所は、
巡礼の出発にふさわしい神社の境内。
みんなそれぞれの道具を持って、
約束の午前7時半に
思いっきり厚着の装束で続々と集まります。

巡礼先は天理の山の中、
前日の情報では池が凍っている
とのことでしたので、
かなり寒いことが予想されます。

doironの朝の挨拶の後、
総勢12名が車4台に分乗して向かいました。

doironが乗車したのは、
これまでほとんど乗ったことのない
左ハンドルのスポーツタイプの外車。
だから、なんか落ち着かず、
助手席に座った時に
「この自動車ハンドルないで!」
と思わず言ってしまったほどです。

そして運転手、すなわちその車の持ち主は
かなりスピード狂なので、
低い車体で飛ばすこと飛ばすこと。
途中のSAにいた僧正様もあきれておりました。



自慢のレカロシートに
体がめり込みそうになりました。
もうこの時点ですでに修業が始まっています。

そうしてなんとか、
無事に巡礼地にたどり着いた時には、
かなり平衡感覚を揺さぶられ
地に足がつかない状態でした。

さて、巡礼は3組に分かれて行います。

同行4人です。
菅笠をかぶって、
じゃなく毛糸の帽子とネックウォーマーで身を固め、
巡礼の注意書きを読みましょう。



うう、doironには魔の経文ともいうべき言葉が
掲げられています。

そんな巡礼の旅。
まずはdoironの始球式で始まります。



「煙の出るボールを用意しとけよ~」
とか何とか言いながら、
さあ注目の一打です。

頭の中には、円ひろしの
「飛んで、飛んで、飛んで~」
の曲が流れています。

というのも、先日ジムの人から
「変な力が入らないように、
鼻歌を歌いながら打てばいいよ」
とアドバイスをもらっていたので
それを実践したわけですが、
どうも選曲を間違えたようです。

余計に力が入ってバシッと打つはずが、
ドヘッと打ってしまいました。

ボールは70mほど先に
鋭いドライブの弧を描いて落ちていったので、
悔し紛れに「ファー」といってやると、
みんなから「それはいらん」と突っ込まれてしまいました。
厳しい人たちです。

そんな神聖な儀式を済ませて、
さあいよいよ巡礼開始です。

doironは最初の1組目で、
くじをひいたらやはり1番。

始球式に続いて、第1打をトップで打ちます。

一緒に回ったメンバーは、
2人が常時90前後のスコアの持ち主、
もう一人が昔ずっと100を切っていたというツワモノぞろいです。

地元の仲間だから同じ名字の人間が多く、
ややこしくしないために
幹事がいろいろ考えたのだそうですが
「なんで、こんな組にワシを入れるねん」
という話でしょ。
まあ、みんなの足を引っ張らないように
頑張る他はありません。

前日にチェックしてあった注意事項を頭に描き、
「レットイットビー」を口ずさみながら進んでいきました。



やがて5番札所だったでしょうか。
おそらく弘法大師が掘ったのでしょう。
大きな池がティーショットの前に立ちはだかりました。

きっと「阿弥陀池」という名に違いない。

などと考えながら打ちますと、
ボールは狙い通りに凍った池の上を
キュンキュンとはねていきました。

まるでお大師様が伏鐘を叩いているようでした。

「ありがたや、ありがたや」。

きっと仏の御加護があるに違いありません。

そうして午前中は、
メンバーの誰よりも多く合掌をすることができました。

食事後は午後の巡礼です。

昼食でありがたい泡の出る仏水をいただいて、
気分よくスタートです。



doironの場合、
山の陰や草むらの中、樹木の下など
立ち寄り場所が多いため、
ほとんどカートに乗らず
最終手前の17番札所では、
背丈よりも高い番外所、
ではなくバンカーで苦戦をしておりました。

打てども打てども響きません。

見かねた友達がやってきて、
「何番で打ってるの?」
と聞いてきたので
「もちろんサンドやで」といいながら
砂にまみれた杖を見てみると
そこに書いてあったのは、

「苦」にもつながる「9」でした。

どうも杖を間違えていたようです。

とにもかくにも、
他にも苦行はいろいろあったのですが、
書けばキリがありません。

そうしてなんとか全箇所の巡礼を終え、
浄らかになった体でさらに湯浴みをし
鍛えられた心を持って、
かっ飛ばす外車に負けることなく
無事帰宅したdoironなのでした。
これもみんな仏の加護があってこそです。

帰宅後は宿坊「焼肉屋」で朱印帳が集計され、
doironには「ブービー」の称号が与えられました。

本当に実り多きありがたい一日でした。

合掌