ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

台風24号のさなかに

2018年09月30日 20時46分21秒 | 自然

今日はだんじりの試験曳きでした。

来週の本番曳行に備えて
だんじりの調子を見るための
曳行なんですが、
まあ実際は祭りと同様に
曳行を楽しむ日になる。

今年なんかは午前と
午後の曳行を予定していた。
まあ、もうみんな祭り本番並みに
「やりまわし」なんかを
楽しむのである。

けどねえ、今年はちょっと違ったよ。
台風24号が接近しているのだ。

曳行コースに掲げられている
提灯なんかも台風に向けて
みんな外された中での
曳行ということにもなる。
少し寂しいが仕方ないだろう。

まずは、あさイチである。

同時期に開催される忠岡や
海手の八町の試験曳きも、
やって来る台風に備えて
前日から中止になっていた。

でも我々の町は少し違う。
泉州に暴風波浪警報がすでに
出ているというのに、
天候の状況を見て決めよう
という執念深い連中が多いのです。

で、午前8時に各町連絡しあって
決めたのが、午前中の曳行決行
ということでした。

ああ、決行するんやね。
だったら警備担当の我々は
現場へ行かねばならない。

途中から強風が吹き荒れて、
瓦が飛び交う中を
警備になったりしないやろかあ
とか心配しつつ警備に立ちます。

あさイチはいい感じでしたねえ。
暑くもなく、寒くもなく、
各町試験曳き中止になってる中で、
ここは曳行やってるぞということで
結構客も集まりました。

で、結局祭りが始まってから3時間。
とちゅう、決行大粒の雨もパラパラ来ましたが、
雨はあまり長続きせず
無事に終了です。

まあまあみんなこの状況の中で
曳行を楽しんだようです。

12時には各町に向けて帰り、
午後はないのでそこからビールで宴会です。

ふ~サーバーから次ぐ生ビールがうまい。

三時ころまでワイワイ言ってましたが、
ようやくそのころから雨が降り始めました。

さあ、ここからは前回の21号で
修理もままならないまま迎えた
新たな台風です。
みんなまた新たな緊張が始まります。・・・

とはいえ意外に今回はおとなしい台風だ。
先ほどテレビで田辺のあたりに
上陸したというのだが、
前回に比べて風も雨もとても弱い。

こりゃあ、大丈夫やなあ。
こんなんだったら台風もありがたいよなあ。
ではさっそく安心しつつ、
これから来週の歩行の計画を
作成しようかなと思っている。

多分今度は京都に行こうかな。
三十三間堂かはたまた鞍馬か。

秋は始まったばかり、しっかり遊ぶよ~。


台風24号前夜

2018年09月29日 22時53分09秒 | 自然

斑鳩の途中ですが
またまた台風がやって来るようです。
今夜はそんな事前準備のことについて
ちょっと記しておきましょう。

ーーーーーーー

前回の台風21号の時はいろんな面で
影響があったなあ。
我が家の端っこの瓦が10枚ほど飛んだ。

幸い瓦は遠くには飛ばずに、
人に被害を与えることもなく
解体前の隣の家との間に落ちていた。

修理を依頼しているが、
優先順位でなかなか順番が回ってこない。

まあ下が軒先なので雨漏りも
心配ないかとほっておいたのだが、
台風後の大雨時になんと
雨漏りが発生したのだ。



これはほおっておいてはいけないと、
ブルーシートを屋根にかぶせることにした。



以後雨漏りは止まっているが、
今度また台風がやって来るので、
シートが飛ばされないようにと、
補強を図ることにした。

シートの確保のために置いてある
土嚢の数を1.5倍に多くした。

まあこれだけ増やせば大丈夫だろう
と思ったのだが、やはり念を入れて、
ロープを両端に張り、さらに
補強もしたのだ。

シートの上に乗り、ロープを張る作業なんかは
緊張だったなあ。
これで屋根から落ちたりしたら
新聞に載るかもねえ。

「62歳のほぼ無職の男性が無理に
屋根に上って転落。
頭の状態から幸い毛が無く済んだが
気を付けましょう」って
啓発記事になりそうですねえ。

でもまあ、ほんまにむやみに
屋根に上るのはできるだけ避けましょう。

まあ我が家自体の影響は、
使っていないテレビのアンテナが飛んだりしたり、
庭の野菜が被害を受けたりもしたけど、
まあそんなところだった。

でもねえ台風の影響は
ほかにもいろいろあったよ。

まず一つは、今やっている
お仕事の一つ、広報紙の取材なのだが、
頑張って撮った写真が
台風関連記事に押されて
かなり隅っこに追いやられたし、
削られたのもある。

あの真夏の炎天下で撮影した
音楽祭の写真も削られたかあ、
と思っていたらまあそれは
カラーではないけど記事面の方に
掲載されていたので、
若干ホッとしたなあ。

まあ今月号にも掲載は少し残せたかな。

そして影響はもう一つ。
地元の祭りに関してだ。
ひとつは町内に掲示してある
提灯の始末だ。
今回これで2回目の取り外し作業となる。

なかなかリフトを使っての
作業なので、高所作業に加えて
周辺の交通規制なんかも大変だ。

これはこれで何とか終わるのだが、
実はこういう祭りの
ある意味重要なポストである
「だんじり保存会」の会長さんが
急遽入院されることになった。

その後任をといわれたのだが、
これはまあ自治会会計もしている中で、
祭りの花関係や支払い関係を
することはかなりややこしい。

結局保存会全員で手分けしてやろう
ということで、何とか落ち着いたが、
はてさてどうなるものかと、
気持ちの方は落ち着かない。

21号で受けた被害の保険関係の話は
ほぼつきかけたのだが、
そこへ24号の被害なんかが
重なるとまたそんな話が
いちから始まるぞという
心配もそんな落ち着かない
気持ちの上にかぶさって来るし、
神社の氏子総代として神社の飛んだ
材木被害のことについて要望が寄せられ、
次回の総代会で話さないといけないし、
とかなんかややこしいことが
いっぱい重なってくるのだ。

今夜はだんじりの前前夜祭
まあそこそこ酒を飲んで楽しんできたが

はたして24号は我が家、
村のことなどどんな影響を与えるだろうかと、
ちょっとびくびくもしている
台風前夜なのであった。


景色はとっても斑鳩2

2018年09月28日 21時33分35秒 | ウォーキング

カルチャーセンターのかかし達を見ながら、
北の方へと進んでいきます。



中には案山子のメンテのじいちゃんが
座っていたかもしれませんが、
無視しておきましょう。

田んぼの中の地蔵さんもかかし?
というわけではなく、
石の地蔵さんで前には
力石も置かれています。



それとなーく、歴史豊かな地域の地蔵です。

田園地帯が気持ちいですねえ~。
あ、なんとここにはこの夏の歩きで
doironを虜にした真田幸村君がいます。
まっててくれたんですねえ。



そのあと、地図には記載されていない
ような細い道を通って広峰神社に
入っていきます。
こんな道ね。



そしてこれが広峰神社です。



姫路にある有名な広峰神社を
意識して作られた神社です。
いやあ、神々しいほど質素で
静かな神社です。



そしてここには在原業平の
姿見の井戸があります。



え~どこかで聞いた名前の井戸ですねえ。

そう、あの斑鳩町役場の前に
よく似た井戸がありましたねえ。

でもねえ、違うのが彫った人で、
向こうは弘法大師500個目の井戸でしたが、
こちらは何と「聖徳太子」の彫った井戸です。

それにしても業平はあちこちの
井戸に姿を映すオシャレだったんですねえ。

ちなみに、年代を確認しておきますと、
業平から見れば聖徳太子は
250年以上前の人で
弘法大師は45年以上前の人
ということになりますから、
まあ年代的には不思議はないわけですねえ。

そんな井戸を見ながら進んでいきましょう。



さらにこの神社の北側には
「善照寺」というお寺があります。
よく聞くような名前のお寺ですねえ。
浄土真宗のお寺です。

まあこんなお寺はたいていの村にありますね。
お墓も一緒にあったりして、
地域の聖なる場所です。



ここには「冨生の松」という木があります。
福井県の冨生村から水路で
運ばれてきた松だそうです。

また兼六園の松のように
根が上がっており「値上がりの松」
といわれて珍しい松だ
といわれているそうです。

そしてこの松はミツバチと
共生しております。

アインシュタインは予言しましたね。
「ミツバチがいなくなったら、
4年で人類はほろぶだろう」と。

まあ順番から行けば、
まずは受粉できなくなった野菜とかは
育たないでしょうね。
人間が必死で受粉させるかもしれません。
でも収穫量は下がり、野菜を主食とする
肉等の生産も下がるでしょう。

そうなると人類は食料の奪い合いです。
弱肉強食の核戦争が起こり、
人類はその数を減らしていくでしょう。

やがてそんな世界は人類をも
滅ぼしていくという
こういうストーリーかもしれません。

野菜を大切に、ミツバチなど自然も
大切にしないと
尺度は違っても人類は滅びへと
向かって行くんでしょう。
冨生の松はそんな教えも
内蔵しているのかもしれません。

そしてその松の横には
「雷封じ込めの井戸」があります。



ああ、ここは業平が姿を映した
井戸じゃなかったんですね。
こんな安堵町のような平坦な土地なら
雷は怖かったんでしょう。
だから空にこんな姿を描きつつ、



雷神がここに閉じ込められたんでしょう。
まあ、こちらはミツバチと違って
ちょっとくすっと笑える井戸ですねえ。

近所では和泉市や堺の富木にも
こんな井戸がありましたねえ。

さあ、この辺が今回歩くコースの
最も北側です。
ここから南下していきます。

まずは安堵町役場へ向かって行きます。
途中こんなかかしのある施設もあります。



頑張ってますねえ。
この時通っている道は
太子道といわれています。

以前も大師道は通りましたねえ。
田原本の方を歩いた時ですね。
ネットを見ますと、
この道は明日香と斑鳩をつないだ道。
筋違道ともいわれています。

聖徳太子の死と生をつなぐ道といわれ、
歩く人もいるようです。
今後の歩きの参考にしておきましょう。

続く


景色はとっても斑鳩1

2018年09月27日 21時31分14秒 | ウォーキング

これまで斑鳩はじっくりと
2回歩いてきましたね。

法隆寺や聖徳太子の痕跡などを
眺めながら、水田、田んぼに包まれた
のどかな地域を、じっくりと見てきました。



良い所でしたねえ。
どことなく人々の暮らしが
歴史に支えられている
みたいな感じで好印象でした。

でもねえ、この地域でまだ
回っていない場所があるのです。

それが法隆寺の南側、
特に駅の南側の安堵町あたりです。

今回はこの辺りを訪ねて
歩き回ることにしました。

なかなか斑鳩らしい地域でしたよ。

景色はとっても斑鳩でした。

この辺りには、「町」という自治体が、
斑鳩町をはじめ川西町、三宅町、
上牧町、王子町など多くあります。
あの平成の大合併でもこの辺は
あまり動かなかったんでしょうねえ。

そんな中、今回訪ねる「安堵町」は
斑鳩の南側の町ということになります。

川に面した平らな土地である
「アト」からついた名前だとか、
聖徳太子が太子道を通って
法隆寺に近づいて「安堵」したから
ついた名前だという説がありますが、
いづれの由来もふさわしく、
のんびりしたいい町でした。

今回はそんな地域の
旅のことを書いていきましょう。
まずは車で法隆寺の駅を目指します。

前回ここに来た時に駅前に
有料駐車場がいくつもあるのを
見ていましたから、
そこに車をとめて安堵町を
くるりんと歩くことにしました。

有料道路を利用したら
一時間もかかりません。

駅前の最大料金のある駐車場に
車をとめて、さあ歩き始めましょう。

ナビをスタートさせて、
まずは駅から最初は少し



北側に進んでいきます。



川沿いの道を進んでいきますと、
道は右にすなわち東の方へと
曲がっていきます。

駅から少し離れただけで
もうすっかり田園地帯です。



のんびり歩いていると、
遠くにJR関西線の電車が見えますねえ。



おお、天王寺でよく見かける電車です。
ん?ちょっと待てよ。
そういえばこの辺りのお米は
あまり育ってませんね。



3日前に和歌山に行ったときは、
すでにもう刈り取りだろう
というくらい稲穂が
頭を下げていたのになあ。

ここはまだ稲穂もまっすぐのままです。

地域によって、植える時期とか
気候とかが変わるから、
生育状況も異なるんですねえ。

その先で富雄川にかかる
安富橋を渡っていきます。



ここから斑鳩町から安堵町に
入っていきます。



川を超えるとすぐにJRの線路下を
くぐる道に入っていきます。



その横に看板が立っていますよ。



「近代陶芸の巨匠 富本憲吉生誕地」かな。



下の方は看板んでよく見えません。
調べたら人間国宝らしいのですが、
もともとそういう趣味もないので
初めてみる名前です。

案内とか生家とか色々あるんでしょうね。
勉強しながら歩いていきましょう。

高架下をくぐって、田んぼに咲く
今年最後のひまわりや



トトロみたいな木やなあとか



見ながら進んでいきますと、
前方にこんな巨大な駐車場のある
コンビニが現れます。



どうも歩いている雰囲気では
コンビニとかは少なそうですから、
ここで昼食用のおにぎりでも
買っておきましょう。

で、駐車場の片隅で地図を見ますと、
横にあるのが安堵のカルチャーセンターです。



ということは一本手前を
曲がらないといけなかったんですね。
ついついコンビニの看板に
引き寄せられてしまいました。

では戻りましょうと歩きはじめると
カルチャーセンターの敷地に
たくさんのかかしが飾られています。



これはきっと何かかかしに関する
イベントごとがあるようです。



帰宅後調べてみますと、
先ほどの富本さんの記念館が
廃止になった時に、なにか
町おこしをやろうということで
こういうかかしづくりが
熱心に行われたようです。

そういえば各地に旅行した時にも
こういうイベントはよくありましたねえ。

北陸、兵庫なんかで
見かけたような気がします。

続く


今日は彼岸明け

2018年09月26日 21時07分34秒 | 最近の出来事

二か月ほど前から、
右目の下に小さなこぶができている。

二月間もおおきさは
ほとんど変わらないし、
傷みもむずむず感もないので、
これはまあ脂肪だろう、
大きくなったら絞ってやろう
と放置していたのだ。

ところが歩く友達やジムの人らに、
そんなのはもしかしたら
ヘルペスかも、とか
眼ガン(ガンガン)やあ
とかいわれてさすがに気になってきた。

目の下なので目だつしねえ。

脂肪だとしても何となく
高齢感を漂わせているんだよね。

じゃ、まあ一度医者に行ってみるかと思い、
今朝保険証と診察券を持って
出かけて行ったのだ。

いったのは近所の町病院の皮膚科だ。
少し前に魚の目の治療を
しに行ったところだ。

受付で問診票を書き、
今の時点での待ち時間を聞くと
「そうやねえ、30分くらいかな」
とのことなので、待つことにした。

家が近いので1時間とか言われたら、
いったん帰宅しようと
考えていたのだがね。

小さな病院の待合室で、
旅本とか読みながら待っていると、
ここの病院には近所の人が
いっぱい来ているので
10分に一人くらいの割合で
「どうしたん?」と声がかかるのだ。

そのたびごとに
「右目のオメメの下にできものがねえ」
などと説明するのだが、
まあ高齢者が多いので、
変に誤解されないだろうかと心配だ。
帰ったら村の人の中で、
「doironさんの目は重病だそうだ」
なんてうわさが飛び交ったり
してないやろなあと思ってしまうのだ。

「どうりでいつも目を細めてはるもんねえ」
などといわれたりしてねえ。

せっかくだから
「かわいこちゃんにウインク
しすぎてるらしいよ」などと
いわれた方が罪がないかもねえ。

まあそうして近所のおっちゃん
おばちゃんの目にさらされながら
診察を待つのでした。

しかし30分しても診察室から
呼び出しの声が聞こえてこない。
そのうちに看護師さんが出てきて
「ただいま処理中」
という札がかかるのだ。

あ~ややこしい客が来てるのかな
あと思いつつそれからさらに
30分経った頃に患者の出入りが始まったのだ。
結局一時間待ちである。

「doiron」さんと呼び出され、中に入っていく。

あの~実はこれで・・・と言いかけると

「う~ん、脂肪ですね」。

とのこと。
もっと大きかったらシートの
麻酔をしてレーザーで
切り裂くのですが、
しばらく様子見てくださいとのこと。

「メスなんかで脂肪を出す
というのは無理ですか」
ときくと
「まあ、その必要はまだないと思いますよ」
とのこと。

診察は約一分で終わりました。

まあ、医者が脂肪ですよというので、
心配はなくなったのですが、

でもねえ、その診察で治療費は
何と850円です。
「脂肪ですね」の五文字でですよ。

保険を考えたら、これだけで
2800円かかっていることになります。
一分でこれですから
16万8000円の時給ですよ。
すごいものですねえ。
医者になればよかったなあ。

驚きつつ帰宅してから
次は散髪です。

祭りの前ですから短くしに行きましょう。
もうすっかり短いけど、
さらに短くです。

これがねえ3600円。
約一時間でですよ。
まあ犬の散髪よりはやすいのですが、
こういう経費の上下考えたら、
なんか世の中の矛盾を
感じてしまいますねえ。

そうして午後からは雨の中二件の親の墓参り。
まあ今日はそんな彼岸の明けの一日でした。


熊野古道大辺路突入7

2018年09月25日 20時45分10秒 | ウォーキング

このあたり川沿いの寂しい道です。



道路わきのフェンスには
こんな案内がありました。



え~ハビですかあ。

これはツチノコに次ぐ
幻の野生動物ですかあ。

まあ、多分、「マムシ」→「毒蛇」
→連想して「ハブ」→紀州弁で「ハビ」
とこうなったんでしょうねえ。

これが毒蛇ではなく「小鹿」
だったりしたらびっくりですけどねえ。
そりゃ「バービー」でしょう。

あ、町の景色が見えてきましたよ。
あそこに行ったら自販機あるでしょう。
と思いつつ近づいていきますと・・・
ありません。



コンビニもありません。
この辺の人はどんな生活をしているのでしょう。

で、ふと気が付くと小さな食堂がありました。
時刻もそろそろお昼です。
ここで食事でもしながら、
水を浴びるように飲んでやるか
と店に入っていくことにしました。

「すみません。食事できますか」

と聞くと、そうやねえdoironより
15歳くらい上のおじいさんが
「いやあ、家内の体調悪くてなあ、
病院いかなあかんねん。
だからやってないねん」と聞かされました。

そうなんですかあ、それは大変ですねえ
といいつつカウンターの上を見ると
氷の入った冷たそうな水の
ポットが置かれてあるじゃありませんか。

これはお願いしてみましょう。

「あのお、さっきから自販機
探しているけどなくて
その水をすこし分けてくれませんか」

「ああいいよ。」と空のペットに
水をいっぱい入れてくれました。

いやあ、ここでもヤクルトお姉さんや
お店のおじさんに助けられましたねえ。

もう人の世話になってばかりの
doironなのでした。

「お大事に~」とお店を後にしました。

まあ、もう大丈夫でしょう。
もう一時間もあれば終点の駅につくでしょう。

この水があれば完歩ですな。

しばらくいくと、道の向こう側に
何か石が立っています。



それは大ウナギ生息地の案内です。

ああ、あの鹿児島の池田湖の
ところにいましたねえ。
も少し以前ならこの富田川の
中辺路の方にも記載がありましたねえ。

ここも生息地として保護されているようです。

大ウナギのかば焼き食べてみたいなあ。

その棲息案内のすぐ近くに
平間神社がありました。



シンプルな神社でしたね。

ん?これはウナギ塚?



じゃなくて、新築記念碑でした。

でもまあ殺風景な川沿いの景色の中では、
ちょっとホッとする景色でしたね。

その先にあったのが「満願寺」



そのお寺の横に酒屋さんが
あったのですが、ここも空いて
おらず自販機もありませんでした。

あそこで無理を言って水をもらって
いて助かりましたねえ。

そこからしばらく行くと
こんな仏像がありました。



魚濫観音と彫られています。



和歌山だから、ではなくて中国の
観音の一つです。

まあでもあまり見ない観音様ですねえ。

横に案内板がありましたが、
よく読めませんでした。

そこからすぐのところに
久しぶりのコンビニがあり、
アイスコーヒーを飲めたときは
幸せでしたねえ。

コーヒー観音も作ってほしいほどです。

さあ、では最後の名所である
「日神社」につきました。



江戸時代後期に再建されたお寺だそうで、
樹齢500年のスギが立派でしたねえ。



その先で、富田川を渡る富田橋が
架かっています。



次回はここから富田坂の方へと
大辺路を進んでいくことになります。

今日はここから「紀伊富田駅」を
目指して帰りましょう。



今日歩いた距離は18キロちょい。
久しぶりに暑い中を頑張った
夏休み歩きになりました。



また途中、アジの干物のことを聞いた
お兄さん、道を聞いたお兄さん、
ヤクルトのお姉さん、水をくれた
おじいさんといろんな人に
お世話になりました。

なんやかんやと助けられて生きていますな。

暑くてリュックサックも
汗が吹いて白くなっていましたよ。

駅でしっかりおいしい水を勝って
たらふく飲んで、ここから田辺へと
戻っていきます。

あれ、駅の絵がおかしいですね。
鹿みたいな女の子の上に
ムカデがはっています。
ちょっと恐ろしいですねえ。



やっと来た電車の中では



ちょっと汗まみれで白くなったリュックで



申し訳ないのですが、
片隅で小さくなって帰りましょう。

大辺路は次の経路が結構山場です。
山の中を通っていくので、
歩き仲間でも誘いますかねえ。

さてこの道で熊野に着くのはいつか。
また頑張っていきましょう。

おしまい。


熊野古道大辺路突入6

2018年09月24日 20時44分25秒 | ウォーキング

最近の話題に押されて
熊野古道の続きが止まっていましたね。
話しをそっちに戻していきましょう。

ーーーーーーー

古道の横にある
厳島神社へは急な階段を登っていきますが、
その斜面にこんな
「保呂真崖五輪塔」が刻まれています。



江戸時代頃の絵らしく、
画面の片隅に
「落人の霊の供養のために造立」
と刻まれているそうです。



ちょっと石板は古くて読み取れませんが、
そういう摩崖仏なんだそうです。

でも保呂っていえば
争い時の服装みたいな意味なんですが、
どうなんでしょうか。
これはこの地方の地名です。

地域の人々の戦い時の服装で
矢内を避けようとする優しさが
地名となり、こういう真崖五輪塔
という形で残っているのかもしれません。



そこから古い階段を
どんどん上がっていきますと、
こんな本殿のところに出てきます。



お参りをして違うコースから
おりていきましょう。

で、この時少し方角を
間違えてしまいました。

降りた道を左折して進んでいきますと、
どうもこの辺りに道標が
ある筈なのですがありません。

しかも何か川のようなところに
出てきました。

これは違うなあと思い、
通りかかった軽四貨物のお兄さんに
道を聞いてみました。

「すみません。実は平間神社の方に
向かって行きたいのですが、
この道でしょうか」と聞くと
「いやあそれやったら・・・」と言いつつ
案内してくれました。

どうも厳島神社をくるりんと
回ってしまっているようです。

「で、平間神社の方へ歩いていくの?」

とあきれ顔で聞かれましたねえ。

「まあ、気を付けて」と仕事の最中なのに
丁寧に応対してくれました。

それにしてもここまでいろんな人に
助けられてきましたね。

闘鶏神社のお兄さん、アユ干物のお兄さん。
そしてここのお兄さん。

いやあ、大辺路ぞいの皆さんは
さりげなく親切です。

では指示通りに道を歩いていきましょう。



するとこんな案内板のところに
出てきました。

ここからしばらくは田んぼの中の道です。

自販機なさそうやなあとか
思いながら歩いていくと、
虫食い岩のところに出てきます。



岩がこんな風に穴だらけです。

これは「タフォニ」といわれる
現象だそうです。
岩の中に塩分を含んだ水が流れ込み、
その塩分が大きくなって
岩から小石とともに落ちてくんだそうです。

ふ~ん、奇妙な現象ですねえ。

「保呂の虫食い岩」と呼ばれており、
そこにはこんな「大日如来堂」も
置かれてあります。



それにしても奇妙なこんな石は、
昔の人は一体だれが削ったんだ
と思ったでしょうね。

さあてもう水がなくなりました。
この先に小学校があるので
そのあたりに自販機があるだろう
と考えて進んでいきますと、
おお、ありました。
ありがたいですねえ、
とお金を入れると落ちてきます。

うへ~故障です。
これはたまりません。

他にないかなあと思いましたがないのです。
この辺りの人は自販機を
使わないんでしょうか

その時です。
後ろに飲み物をいっぱい積んだ
ヤクルトお姉さんが「こんにちは~」
とかいいながら追い越していくのです。

ああ、あのお姉さんに言えばよかったなあ。

「500mlペットに入ったヤクルト頂戴」ってね。

でもどんどん遠くに去っていきます。
間に合わなかったかあ、
残念とか思いながら、
こんなかまぼこ工場の庭とかに



自販機ないかなあとか思いつつ
歩ていきますと、その先の会社の前に
ヤクルトの単車が止まっているではないですか。



見ていたら中からお姉さんが出てきます。

ああ、間に合いました。
大辺路の神様のおかげでしょうねえ。

お姉さんに声をかけて、
小さいスポーツドリンクを
二本買いました。

助かりましたよ、お姉さん。

これから阪神の次に
ヤクルトスワローズを応援します
と言っておきました。

道はそこから富田川沿いの
殺風景な道路を通っていきます。



自販機なんか一台もなく、
まだまだのどが渇いているので、
もう富田川に飛び込みたい感じですねえ。

続く


第7回三時間走

2018年09月23日 16時45分51秒 | マラソン

みんなの熱い想いで育ててきた
三時間走大会。
泉大津の大津川の河川敷で
本日開催されました。

三時間でどれだけ走れるか。

人によってはチャレンジの大会であったり
練習の大会であります。
決して競い合う大会じゃないのですが
一人で42キロを走った人も。
暑い中よくぞ頑張りましたねえ。

テントの中で真っ黒になって
日焼けしながら計測しました。

天気はどうだったのか
ゲストの市長は走ったのか

詳細はまあ後日に書いていきましょう。
今日はこれから打ち上げです。


三時間走準備!

2018年09月22日 17時17分45秒 | マラソン

さあて、明日は年に一度の
マラソン大会STAFFの一日です。

doironが用意するのは3つ。

ひとつは我が家にある電波時計です。

何かでいただいて使っておりますが、
明日は外部で活躍してもらいます。
電波の受け位置が変わるよ。
しっかり掲時してね。
三時間走だから、
時間は大切やからね。
doironの走行チェックも頑張るよ。

ふたつめはトイレの設置です。

前日に業者さんにトイレの
設置をしてもらいます。
その立ち合いですね。
それもこんな感じで
無事終了しましたよ。



もう大丈夫。
うちのマラソン大会は
トイレ使い放題ですから。

そして三つ目は、
おZみんに事前にdoiron宅に
来ておいてもらうことです。

大会当日、早朝なんで、
doironの車で一緒に駆け付けますので、
早期に出張しといてもらいます。

市の担当課に行くと、
おお~、ちょうどよかったと
おZみんに出会う前に、
まずは祭り時の写真撮影位置の
相談がはいりました。

今回、記念曳行で紀州街道を
だんじりが通りますので、
その撮影位置の相談です。

「え~っと紀州街道らしく写すには、
ここに道標があるので
それをバックにするか、
あるいは本陣のところで写すか、
あるいは紀州街道の看板のところで
写すかですねえ。
この辺りも昔一里塚があったと
いわれるところですから
いいんですけど、
それはあまり知られていないんでねえ。」
とアドバイス。

市の人は、道標や看板の位置や
街道のことをさぞやよく
覚えている人なんだな
と思ったでしょうねえ。

ウロウロしていますから
その成果ですねん。

そしてさらにねえ、
ここは激しくやりまわしすると思うよ。
doironがブレーキしてたら、
絶対そうさせるもんね。
とまあこちらもまた
田舎のだんじりおじさん風知識を
伝えておきました。

まあそんな撮影相談を終えて、
やっとおZみんと遭遇です。

「やあ、久しぶり~昨年の三時間走依頼やねえ」
と喜びを分かち合いました。

ほなきょうからうちの家においで
と声をかけて連れ出しです。

車に乗せたところで、
ああ雨の時はどうしたらいいかなあ。
雨用の靴も借りとくかと思い、
ちょっと車で待ってもらっておいて
担当課に戻りました。

結局、
「草刈りしてもらってないんで
草深いから雨用の長靴いるよ」
と声をかけ、靴に合わせて
河童もあるので借りてきました。

ああ、これで完璧です。

まあてなわけで21日から
おZみんは我が家に居候です。

doironのお絵かき展の部屋で
寝泊まりしてもらいましょう。

「ああ、君のためにもきれいに
草刈りしてほしかったけどなあ。」
などといいながら、
前々夜祭と前夜祭をすごしましたよ。

これでまあdoironの担当する
準備は完了です。

さあ、時計とトイレとおZみんには
あしたはしっかり頑張ってもらいましょう。


はっけよい、待ったなし

2018年09月21日 21時06分59秒 | スポーツ全般

熊野古道の途中なんですが、
最近ちょっと気になることで
時期のあること、それを書いておきます。

実はdoironの最近のジムの状況なんですが、
これがとても充実しているのです。
自転車も長いと
2時間漕いだりしているしね。
もうこれで距離も50~60キロ近くで、
カロリー消費量も
600キロカロリーあったりします。

まあ、負荷が100と軽いので
さほどでもないのですが、
以前に比べて多く漕いでいます。
で、気になることというのはそんな運動の事・・・
というわけではありません。
そんなに自転車をこいでいるのは、
早めにジムに行き相撲をテレビで
見ながら漕いでいるわけです。

なのでこの大相撲場所の時期の
読書はかなり減ります。

でもねえ、相撲取りのあの強烈な
体のあのしなやかさはどうなんでしょう。
飛ぶように土俵下に転がっていっても、
ほとんど故障もなく立ちあがってくる
というあの見事さ。

日頃の鍛錬の様子がよくわかりますねえ。

今場所は、横綱稀勢の里の復活、
御嶽海の頑張り、栃ノ心のカド番
などの見どころも多く合って、
今日までも随分楽しませてもらいました。

優勝は白鵬がするんでしょうが、
手に汗握る取り組みも多く、
自転車のハンドルをグググーっ
と握ってしまいましたね。

そんな中なんですが、
最近あることに気が付きました。
あの取り組み時と一緒に
土俵に立っている行司の事なんです。

ある日、ふと行司の服装に目が行くと、
たいていは家紋とかが
入っていたりするのですが、
中には

「ん?これはなに」

というような模様が入っていたりします。

例えば丸の中に横に二本の線が
はいっているものや、



まるでデジタル模様のように
線の間に“Z”みたいな字が斜めに
走っているもの、そう、ちょうど
心電図の波形のようになっているもの
もあったりするのです。
驚くのはアルファベットの
“D”の文字がいくつも
印刷されたものなんかもあります。



doironが見てる上位陣の取り組みでは、
一人の行司が2番見る(立行司は1番のみ)なんで、
次々といろんな行司が出てくるのです。

で、さっそく調べてみますと、
あの行司の姿にはいろんな
ルールがあるんですねえ。

それらはなんと行司のランクによって、
厳しく分けられているんだそうです。

着物の柄はまあ自由なんですが、
ひもの色にもルールがあります。
服についている菊綴という
模様の色なんかも決まっているんですね。

菊綴なんて知らないでしょう。

なんか小さな菊の紋みたいなのが
あちこちに張り付けられています。

烏帽子、軍配、帯の色など
行司の姿に注目していると
いろんなものにルールがあるようです。

それに十両以前の取り組みの
行司ははだしだけれど、
十両からは足袋を履き、
最後の立行司は草履をはいても
良いとなっているというルールもあるんですよ。

詳しいことはネットなんかでも
かなり詳細に書かれていますので、
注意してみてください。

木村庄之助や式守伊之助などの
トップ2なんかは帯に刀を差しているそうです。
もし取り組みの結果を
さし間違えたら腹を切ります、
というほどの気持ちを表現しているんだそうです。

残念ながら、現在立行司は
セクハラ問題などで不在となっています。
この9月場所の跡に決まるそうです。
これもまた一つの楽しみになりますね。

相撲の力士は厳格な位置づけ社会
だといわれます。
でも力士だけじゃないんですね。
行司にもそんな厳格なランク分けが
されているんですね。

だとしたら、呼び出しにも
そんなランクがあるのかなあ。
時間が来たら力士にタオルを渡す人とか
懸賞の旗を持つ順番、例えば
永谷園をだれが持つとかも
あるのかもしれませんね。

そしてそのランクを決めるのは
日本相撲協会だったりするんですかね。
次々と疑問がわいてきます。

今場所の相撲もあと2日を
残すのみとなりましたが、
取り組みの結果もさることながら、
そんな行司の姿をじっくりと
ルールと合わせて見てみるのも
面白いかもしれませんよ。