ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

我が家の食卓にて

2020年07月31日 21時03分48秒 | 生活

我が家の食卓に関するお話を少し。

ーーーーーーー

息子も35歳となり、
孫のお父さんとなると
もう親父の手を離れて
いろんなところで一人前だ。

どちらかといえば遊びまわっている
親父よりは、社会的に見て
ずっと大人なんやねえ。

だから親父によこしてくる
メールなんかも、もう社会を離れて
遊びのメールが多い。

先日、こんなメールをよこしてきた。

カルビーから、各都道府県別の
特徴ある味のポテトチップが
出ており、大阪の
「紅しょうが天味」というのが
うまそうやから送ってくれ
という連絡だ。

息子の所では「野沢菜味」が
出ているそうだ。

さっそくその商品を探して
スーパーやコンビニに行ってみたら、
ありましたよ。
ローソンで。

それがこれ。



ずぼらやの写真が載ってますねえ。
あじは農芸高校慣習とあります。
二つ送ってくれと言われたので、
自分用と合わせて3つ買いました。

店員さんが、村の人なので
きっと今頃は
doironさんは紅ショウガ好きなんやあ」
と噂しているかなあ。

たしかに紅ショウガ天はうまいね。
スーパーでもひと月に
2回くらいは購入するね。
あのずぼらやの写真を
写した新世界でも
紅しょうがの串カツをいただきましたねえ。



このポテトチップも
それなりに紅しょうが天味を
醸し出していましたねえ。



こうして箱に入れ、
隙間に泉州おかきなんかも入れて、
コンビニから送り出しました。



ローソンはゆうパックですね。

知り合いの店員さんも
「ああ、息子さんに送るんやねえ」
と言ってはりました。

「きっとあそこの家は息子さんも
紅しょうがファンなんやあ。
もしかしたら孫もかもねえ」
なんて思っていたんでしょうねえ。


次はふりかけの話です。

最近はふりかけも
いろんな種類があります。

最近出たのでは、こういう
「誘惑のふりかけ」なんてのもあって、
愛用したりしています。



あ、といってもふりかけかけて
ご飯を毎日バクバク
なんてことはありませんよ。
そんなダイエットの敵
みたいなことはしません。

たまーにお弁当にかけていったり、
ミセスが出かけた日の昼食に、
簡単なおかずのほか
こういうのをかけたりしています。

でもねえ、ほんとに好きな
ふりかけは他にあるのです。

もう子どもの時から、
遠足や運動会のお弁当に
かけてくれていたりしたものです。
これがねえ、最近近所の
スーパーに置いていないのです。

仕方なく最近のふりかけなんかを
買ってはいるのですが、
ずっと熱望していたのが
このふりかけです。



このふりかけを久しぶりに行った
スーパーで見かけて3袋
買ってしまいました。

時折、ビールを飲まない日の
晩飯のときなんかには、
これこれ~とか言って
かけたりしています。

まあもう毎日遠足みたいな
もんですからね。


最後は、ジムのトレーナーが
作ったパンです。

コストコに行った時に
こういう味噌汁を買ってきてね
と頼んでいたら、
買ってきてくれたのですが、



その時に自分の手焼きパンを
付けてくれました。

中にドライフルーツの入っている
おいしそうなパンです。



ミセスに
「これ有名なパン屋さんのパンやで」
と言いつつ渡すと



「おお~フルーツが均等に混ざってて
塩気の少ないいいパンやなあ」
とよろこんでいました。

「いや、実はトレーナーさんが
作ったパンやねん」と
ネタを明かしたら
「ウヒャー、なんていう人や」と
しかると同時に
「今言ったことはちゃんと伝えてや」
と念を押されてしまいました。



トレーナーさん、
素敵なパンをありがとうございました。
また頼んどきます。へへ。


とまあこんなんが、
最近話題になった
我が家の食生活にまつわる
三つのお話でした。

 


久しぶりに山の辺の道7

2020年07月30日 20時56分06秒 | ウォーキング

桧原神社の方に近づいていくにつれ、
緑も濃くなってきます。

しばらく山道らしきところを歩くと、
右手に神社が見えてきます。



「三気大神神社」と書かれていました。

この先にある大神神社と
関係あるのかな。
立ち止まって調べてみましたが、
よくわかりません。
帰ってからネットで調べてみますと
大神神社とは関係ないようでした。

「清気、精気、正気」という
三気が絡んでいるようですが、
なんか実態不明でしたねえ。

そこからしばらく行くと、
「三輪の檜原」と万葉集で
歌われたりする桧原神社に到着です。



ここは天照大御神を祀り
「元伊勢」といわれる神社のひとつです。

ここは景色をうまく活用して
配置された神社ですね。



鳥居というか、しめ縄の所には
二上山がまっすぐ
見えるようになっており、



季節によってはその山に沈む
夕日がすごく神々しく
きれいなんだそうです。



そして本殿の前には
三連の鳥居が立っている。

そんなちょっと違った景色が
雰囲気を作っているんやねえ。

先ほどまで山道を
歩いているときには
そんなに人はいなかったけど、
ここには何人かお参りに
来ているようだ。

いずれにしても、古事記や
日本書紀に現れる地名や組織が
この辺には山のように
残っていますねえ。

さあ、山の辺の道の
大神神社まではあと少しです。
頑張っていきましょう。

おなかがすいてきたので
この檜原神社の前にある
お店に入ろうかなあ
と思ったのですが、



今日は大神神社のところで
ソーメンをいただく
予定なので我慢です。



道は神社内の道という
感じになってきました。



石仏や塔が現れてきます。



そして謡曲三輪に出てくる
玄賓の庵も通ってゆきます。





あ、ここには蓮が
たくさんありますねえ。
ちょっと時期が違いましたが、
咲いているのもありました。



そして左に狭井神社があるので
寄っていきましょう。



ここは、三輪山に登る
入り口の神社です。



登山をしようと思っている
人たちもたくさんいましたねえ。

そして神社の左手には、
御神水がこんこんと
湧き出していますねえ。

もうここまで来たら
水分もすぐにとれるので、
ペットボトルを殻にして、
その水をいただいて帰りましょう。

さあもう今回の終点の
大神神社もすぐそこです。
向かいましょう。

ここがその拝殿前です。



今は夏越しの茅の輪が作られていますねえ。
そこに書かれてある通りに
ぐるぐると回ってお祈りします。
今だったら、コロナのこととか、
夏の元気な過ごし方とかを
お祈りしつつまわります。

さあ、これで今回の
山の辺の道の歩きは
終わりです。

途中、纏向を間に挟んで
二回に分けて歩きました。

いい所でしたね。
途中の寄り道とかを
もっとしっかりとったら
あと1回くらい多めに
回れそうな感じでしたね。

まあまた次の機会に
訪れることにしましょう。

さあでは遅い昼食です。

大神神社の鳥居から
出たところで食堂に
入りましょう。

頼んだのはこれ。



まあ電車だったら、
ここにビールなんですがね。
ここまで電車で来るとなると
大変ですからねえ。

まあこの山の辺歩きの後の
ビールも次の機会ということで、
久しぶりの山の辺歩きも終了です。

 


久しぶりに山の辺の道6

2020年07月29日 21時26分47秒 | ウォーキング

これが相撲神社の入り口。



鳥居の奥に力士の石像がありますねえ。



誰を彫ってあるのかわかりませんが、
顔立ちは遠藤や炎鵬
みたいな感じですねえ。

そしてその奥の方に、
どうやら土俵のような
ものがあるのですが、



ビニールシートが架けられています。
このあたりで野見宿禰と
大麻蹴速が相撲を取ったのでしょう。

で、このあたりの地名は
今はなぜか「カタヤケシ」
といわれています。

奇妙な名前ですねえ。
調べてみると「カタヤ」は
相撲をあらわす意味もありますが、
「ケシ」の意味はよくわかりません。
この名前、なんか神秘的な
感じですねえ。

神社の中にはこんな社もありましたし、



野見宿禰の石板もありました。



野見宿禰は出雲の人で
亡くなったのは龍野市。
そこにある墓のところも
行きましたねえ。

ここにこんな風に
刻まれているんですねえ。

ちなみに大麻蹴速は、
義母の墓のある大麻出身です。
この決戦で腰をおられて
死んだというから、
すごい格闘技戦だったのですねえ。

さあではこの神社を出て、
今回ひとつの目標地だった
穴師坐兵主神社に向かいましょう。
結構深い森になってている
参道を進んでいきます。



そしてたどり着きました。
ここが穴師坐兵主神社本殿です。



親父の持ってた写真も
ここを撮影したものでしたね。
それがこれ。



間違いなくここです。



今の写真と比べてみましょう。
ふむふむほとんど変わっては
いないですねえ。

でも、あ
れ?
と思ったところが二か所あります。
ひとつが、むかし本殿の後ろに
うつっていた屋根が
ありませんねえ。
建て替えたんですかねえ。

そしてもう一つ、
向かって右の灯篭の横にあった
太い木がなくなっていますねえ。

現地でその場所を確認してみると、
かすかに雰囲気が残っていましたよ。
台風や災害関係で倒れたんでしょうねえ。

親子二代で長い時を隔てて
訪れたdoiron家の
歴史を感じた写真だったのでした。

では、また同じ道を下って
戻っていきましょう。



途中みえる纏向の地にさよならし、



交差した山の辺の道を左折して
桧原神社の方へと向かいましょう。



山の辺の道に入ってすぐに
観光農園があります。



このあたりはミカンや柿が盛んですが、
歩いていると桃やブドウ
なんかもありますね。



これはカリンのようですねえ。

アジサイの咲く山道、



こんな人形を並べていたり、



こんな石碑が立っていたりと



なかなか味のある道が
続いていきます。



こんな住宅街の道を歩いて行きますと、
歌碑なんかも多く立っています。



これは柿本人麻呂の歌を
武者小路実篤が書いたもの。
なんかもうビッグネームが
多いですねえ。



そこに3の番号と「夜」と
書かれた板がありますね。

これが、万葉歌碑巡りロマンラリー
と名付けられている取り組みです。
文字をつなげていって
言葉にするようなのですが、
なんとこの後見つけた日には
30番なんかの番号が
付いていましたよ。



ウヒャー、これは壮大な
作業が必要なようですねえ。
見て見ぬふりをしましょう。

それにこれなんか、
何が書かれてあるのかも
はっきりわかりません。

石に刻んであるので
保存性は高いのでしょうが、
なかなか内容を理解して、
よしよしとうなづいて
通りすぎていくことなど
できるはずもありません。

ええ加減なウォーカーですみません。

道は結構古い家のある集落の中も
通ってゆきます。



そんな村の中を抜けて、
こんな道をVターンして



進んでいきます。



少し山道の中に入ってゆきますね。



このあたりはすこし高台に
なっていますので、



時折見える大和盆地の
景色がとてもきれいです。



「大和は国のまほろば 
たたなづく青垣 
山ごもれる大和し 美わし」

と古事記に歌われている、
奈良盆地の景色ですね。

続く

 


久しぶりに山の辺の道5

2020年07月28日 21時10分04秒 | ウォーキング

さあ、この春の
山の辺の道シリーズの第2弾です。

前回は天理から巻向(まきむく)まで
歩きましたねえ。
なので今回はその続きで、
巻向~大神神社を歩くことになります。

前回は天理に車を置きましたが、
今回は大神神社に車を置き、
電車で巻向まで行って
そこから歩き始めるという形で行います。

なのでまず車では南阪奈道路で
橿原に向かい、そこから
大神神社へ向かうということにしました。

橿原で高速道路を降りて、
耳成山の横を通り、
桜井方面へと走ってゆきます。

前方に大きな鳥居が見えてきましたよ。



この鳥居は高さで言えば
日本で二番目の大鳥居です。

材質は鋼板で、耐用年数は
1300年といわれています。
ちなみに高さが一番目は
熊野本宮大社ですね。

その鳥居をくぐり、
少し走ったところで
駐車場が現れます。
大神神社の駐車場ですねえ。

もちろん駐車料金は無料ですね。

ではここに車をとめて、
JR桜井線の三輪駅から
電車に乗りましょう。



この日の時間はとっても
タイミングよく、ぴったしで
電車がきて、一駅分だけ載って
巻向駅で下車していきます。

さあではここから歩き始めましょう。

まずは穴師坐兵主神社の
一の鳥居を見てゆきます。



今日はまず最初に
山の辺の道から少し離れた
この神社による予定です。
というのも、親父が昔
ここに来ていた頃に、
一緒に来た人がこの神社の
写真を撮ったようです。

親父はカメラを持って
いませんでしたから、
その写真をもらったのでしょう。

今から40年くらい前のものです。

そんな写真と今の状況を
見比べるというのも
一つ面白い取り組みやなあと思い、
持参していきました。

そんな穴師坐兵主神社は
この一の鳥居から
まっすぐ東の方へ山を
上がっていったところにあります。

地面に配置された



こんな案内を見ながら、



田んぼに沿った
道を登ってゆきます。



これが垂仁天皇の営んだ宮
「纏向珠城宮跡」の石碑ですが、



この少し上の所にも
「珠城宮伝承地」という
案内がありました。



まあだいたいこのあたりが
そうなんでしょう。
そしてそこから少し上には
「景行天皇纏向日代宮跡」
の案内もありました。



垂仁天皇と景行天皇の親子は
このあたりを中心に
宮を築いていたんですね。

ここがその伝承地という
案内もありましたよ。

朝日を受け、夕日を受け
村を見渡せるいい所ですねえ。
とってものどかな感じです。



古事記の「カササの岬に
真来通(まきとおり)て 
朝日のたださす国」という言葉が
語源の「纏向」地域というのが
何となくわかりますねえ。

そんな山道をdoiron
こんな風にのんびりと
登ってゆきます。



ここが山の辺の道との交差点です。
ここには右に桧原神社と
案内がありますが、今は
まだ曲がらずにまっすぐ行きます。



そこには相撲神社もある
と書かれていますねえ。



目的の穴師坐兵主神社は
その奥にあります。

どんどん山道を登っていくと、



周りの緑が濃くなって、
こんな相撲取りの写真板がありますよ。



相撲発祥の地と書かれています。
そうこの場所では、
景行天皇の前で野見宿禰と
大麻蹴速が日本最初の
展覧相撲が行われた場所
といわれています。



当時の相撲は蹴ったり
することも可能で、
けり合いとなり、
野見宿禰が勝ったそうです。

どんな相撲やったのかなあ。
足の蹴り合いで勝つって、
ろっ骨を折り、腰を砕いたそうです。

もう格闘技選手権みたいな
感じやったんやろなあ。

この相撲神社には、
実際昭和37年に全幕内力士が
集まったそうだ。

その時の相撲協会の長が双葉山で、
横綱の大鵬、柏戸が
道標入りをおこなったそうだ。

当時の新聞には10万人が
おとずれたと書かれてあるらしい。
そんな歴史のある
相撲神社を少し見てゆきましょう。

続く

 


網戸を交換、見晴らしいいな

2020年07月27日 20時45分04秒 | 生活

家の窓に設置している網戸が、
ところどころ破れてきた。
まあ劣化の速さはよく似たもので、
ちょっと張替えを戸惑っていると
あちこちで破れが出てくるのだ。

ウヒャー、こんだけ破れたら
ヘラクレスオオカブトも
入って来れるわというほど
ひどい状態になる。

これはもう張り替えないと
いけないだろう。

大豪邸なのだが、
チェックするとだいたい陽の
よく当たるところの劣化が
厳しいようだ。
だいたい今のところ変えなくては
いけないのは三か所ぐらいだから、
それに合わせて材料を買いに行こう。

メジャーで大きさを測り、
それに合う量を買わないといけない。
また取り付けのゴムの長さも
事前に測っておかないとあきませんね。

また我が家の網戸のメッシュは、
7年前に網戸を買ったときの
控えがあるので24メッシュで
あることがわかる。

風を入れたい、とか熱いのは嫌
とかで18メッシュの
網戸を入れることもあるようだが、
これだと目が粗いので
小さめの虫が入ってくるのだ。

我が家の網戸は主に虫除けなので、
24メッシュでいいわけだ。

あとは網をはめ込んだ後に
窓枠に固定するための
ゴムチューブと、
それをはめ込む道具が必要だ。

納戸を探してみると7年前に
100均で購入した器具があったよ。
動きを確認したら行けそうだ。
おそるべし100均である。

では、買い物にコーナンに
向かいましょう。

網戸は、補修用の網を
二巻買いました。
ひと巻じゃ足りないけど
二巻だったら余るって感じですが、
仕方ないですね。
そしてゴムなんですが、
これがねえ長さはわかって
いるのですが、実は太さが
いろいろありました。

ああ、これは測ってないなあ。
でもまあ標準的な網戸ですから、
一番多く並べている太さで
行けるでしょう。
1本200円くらいですから、
とりあえずこれでいいと思って
買っていきましょう。
帰って測ってみると
それでぴったしでした。

さあ、では張替えです。

まずは二階のdoironアトリエの
網戸から始めましょう。
窓際につるしてある風鈴や、
キーホルダーなんかを片付け、
網戸を外しにかかります。

え~っと、ここをこうして、
ああしてっと順調に進みます。
カパッと取れたので
それを中にいれようとすると・・・

ガビーン。

あと5mmぐらいの幅で入りません。
そうです、窓には昔子どもがこの部屋で
二階建てベッドで寝ていたので、
窓から零れ落ちないように
木の桟の棒を入れてあり、



それが邪魔になって
入ってこないのです。

むむ、手を離すと窓から網戸が転落です。
これはどうしたものだ。
いったん道具をとって
桟を外すという手があるのですが、
それもできず、道具箱まで
行けません。

いったん諦めて窓に網戸を
戻そうかと考えたのですが、
いやあきらめてはいけません。
人間、しっかりと夢を
追うことが大切です。

網戸を横にやったり
斜めにしたり
あーだ、こーだしながら、
おっ、この角度だったら
気合で入るのではないかと
気が付いて、うんこらどっこいしょと
力を入れると、
おお~外れました。
やれやれです。

早速この網戸の網を交換しましょう。

手で触ってみると、
ウヒャーあきませんね。
ボロボロと破れます。



これだったら日本細大の蛾、
ヨナグニサンどころか
世界最大の蝶、
アレクサンドラトリバネアゲハ
でも入ってきそうです。

まずは古い網戸のゴムを
外してゆきます。

ああ、もう網戸がボロボロですから、
小さなホコリが山のように出ますねえ。
掃除機でそれらを掃除し、
さあでは新しい網を入れてゆきましょう。

ピンとあまり強い力を
入れすぎてもあきません。
頃合いの力ではり続けているところへ
ゴムをはめ込んでゆきます。

グルリンと一周回ると、
すこしひずみが出ますので、
それは修正します。
まあこの時は少し力を入れてゆきますと、
出来上がりがきれいです。

そうしてできたのがこれ。



これをアトリエに持って行き、
桟の棒を外して無事収納。
いやあなかなかきれいなものです。
大成功です。
竣工式をしないといけませんね。
休憩時の昼飯にビールを
いただいてしまいました。

午後からは、残りの二枚も
無事に終了ですねえ。
新しくなると気持ちがいいものです。

これくらいのことなら、
シルバー人材に登録しておけば
有料で作業できそうですねえ。
普通に頼めば一枚
1500円くらいするのかなあ。

そんなことをへこへこ考えながら、
アトリエで網戸を見ながら
見晴らしいいなあなどと
考えているdoironなのでした。

 


南無阿弥陀仏、お地蔵さん

2020年07月26日 22時29分45秒 | 生活

山の辺まわりの途中だけど
ちょっと休憩し、身の回りで
起こった出来事を一つ書きましょう。

これまで地元ではいろんな役をやった。

祭りでは子ども会会長、
青年団会長と続き、
若頭会長、曳行責任者3期、
総括責任者、世話人会長、
地域連合引きの会長、
保存会役員とまあほぼすべての役をした。

そして他にもPTAの副会長2回、
菩提寺の代表世話人、
地元自治会の副会長7期、
同会計3期、神社の氏子代表とまあ、



年齢を重ねるにつれ、
その年齢にあった役が
これでもかと回ってきている。

これだけいろんなことをやっていると、
ああ面倒な仕事はあの人に
まわしとけば何とかしてくれるだろう
と思われているのかも知れないが、
けっしてそんなことはない。
やりたいことも抑えて、
仕方なく心を砕いて
暮らしているわけだ。

でもまあこれだけ多くの役を
やってきたのだから、
もうあとはあまりないという
状況なのかもしれないとも思っていた。

ところが、ある日のことである。
我が家に村の重鎮たちが
突然やってきたのだ。

こ、これは不吉な予感なのである。
ミセスもそう感じたようで、
チャイムの映像を見たとたんに、
これはまた何か役の頼み事だぞ
と予感したようだ。

「うちの村の大統領になってください」
とか
「生き仏になってください」
とかそんなのかなあと言いつつ
家の中に呼びこむと、

「いやあ毎日暑いなあ」と
話しかけてくるのである。

そ、そんな重鎮が世間話を
仕掛けるのかあ。

いやいやあなたらの訪問が
なんかめちゃ熱いんじゃないのか
との言葉がのどに引っかかったなあ。

で、まあそんな話を少し交わした後、
実は今日訪れたのは、
と肝心な話がはじまった。

言い出したのは前々々町会長である。
国の表彰も受けた人である。

「じつはなあ、あんたに村の
地蔵講の会長をやってほしいんやわ」
とのことである。

年に一度、地蔵講の者40人くらいが
集まって「お地蔵さん」といわれる
催しを行うときの責任者である。

「え~、僕よりもっと年上の
人がいるやろ」と反論したのですが、
「いやいや若い者にしてもらおう
と思ってねえ」とのことである。

若いといってももう64歳ですけどね。

体調のこととか、今やっている
いろんな役のこととか、
いろいろと反論の意思は示したのだが
「まあみんなでお願いしようと
思ったんでこうして
寄せてもらったんや、
お願いします」と重鎮たちに
そうして言われてはもう引き下がれない。

まあこんな地蔵さんみたいな
姿かたちですから、
そのうちまわってくると
思っていたのですが、
思いのほか早かったです。
もうしかたないので、
明日から赤いよだれかけを
かけて生きていきます。

と返事しておきました。

地蔵さんは村のはずれにあって、
昔から我が村を守り続けて
くれたものですから、
もちろん敬意もありますよ。



でもねえ神社の氏子代表で
地蔵講会長って神仏混淆の
かたまりみたいなおっさんに
なってしまいました。

とまあそんな事前の打ち合わせが
一週間前に我が家であり、
そして今日開かれた地蔵講総会で
会長に選ばれてしまいました。

ああ、いつも外を歩き回っては
地蔵さん眺めていたからかなあ。
これからは歩いているときに
ほかに地蔵さんにも
「我が村の地蔵講会長です」
と声をかけなくてはいけませんな。

よそのお寺に行っては、
菩提寺の世話人をやりました。
神社に行っては、我が村の
氏子代表ですといわなければなりませんね。

この地蔵の役、前の会長さんは
10年務めたそうです。
ウヒャー、大変ですねえ。
10年も生きてるかなあ。
まあとにかく何年続くかわからんけど、
当面8月23日は大変な
日々になることでしょうね。
夏の計画からは外さないといけません。

あ、今年はコロナのために、
地蔵講はやりませんから
来年からの話ですけどね。
まあこれだけ神仏に
尽くしているのですから、
コロナには感染しないように
よろしくお願いしますよと
心からお祈りして
おくことにしましょうかね。

 


久しぶりに山の辺の道4

2020年07月25日 21時16分08秒 | ウォーキング

崇神天皇は日本の第十代天皇である。

実在した可能性のある
最初の天皇といわれています。

その御陵は日本書紀において
「山邊道上陵
(やまのべのみちうえのみささぎ」
にあると書かれています。
ということは山辺の道は
崇神天皇の陵が作られたときに
すでにあったということだろう。

この記録からも、
この道が日本最古の記録上に
出てきた道なのです。
でもこの天皇が実在している
最初の天皇といってもなあ、
初代の神武天皇の墓も
橿原にあるしなあ。
どうもやはりこの辺は
神話と実在とが混とんと
しているんですねえ。

そしてこの崇神天皇陵の
東側に櫛山古墳があります。



いろいろと発掘調査が
行われた古墳らしいです。
山の辺の道はその古墳にも
接するように続いていきます。

この崇神天皇陵は、



別名で行燈山古墳とも
いわれていますねえ。
まるで大王の墓のように
陪冢を持っており、
宮内省は崇神天皇陵と
比定しているようです。

比定って、
物事が特定のものと
同定されない場合
既知の類似の者と
なんらかの意味で
対応関係にあると
判断することです。
ーー三省堂国語辞典ーー

そこから住宅地の中を
くねくねと抜けてゆきますと、



また右手に大きな古墳が
見えてきますねえ。
これが景行天皇陵です。
第12代天皇ですね。



この景行天皇の息子が
ヤマトタケルといわれています。
でもねえ、この辺の天皇は
存在が少しあやふやです。
第11代垂仁天皇は140歳や
150歳くらいまで生きた
といわれているし、
この12代も143歳まで生きて、
息子の一人がヤマトタケルというから、
どことなく伝説に
いろどられていますねえ。

でもまあ宮内省はここを
景行天皇陵とやっぱり比定しているから、
そうしときましょう。

さて、この辺で山の辺の道を
離れていくと、
巻向の駅の方に出ます。



今回はぼちぼちこの辺で
歩き終えることにしましょう。
道を右に外れて、景行天皇陵の
横を下っていくことにします。

途中から住宅地の中に入ってゆき、
駅へと向かいます。
道を外れてもこんな垂仁天皇の
宮跡なんかもありますねえ。



この宮の名前が「纏向(まきむく)珠城宮」で
ここも巻向という名の駅になっています。
この纏向というのが何なのかというと、
古事記の中に
「ここはカラクニ(岳)に向い 
カササの岬に真来通(まきとおり)て 
朝日のたださす国、
夕日のひでる国なり、
ゆえにここはいとよきところ」
とあるからだそうです。

ちょっと変わった「巻向」という
名の駅にも歴史があるんですねえ。

そしてこの地方そのものが
「巻向」という地名になっています。

こんな「穴師坐兵主神社の一の鳥居」
まで来て、左に曲がるとその駅です。



時刻表を見ると電車が来るまで
30分ほどあるようですので、
駅の周りを少し回って
みることにしました。



すると、駅の西側にはいろいろと
掘り起こされて整備されている
場所がありましたねえ。

そして「纏向遺跡」がありましたねえ。



ここは居館域の跡地で、
纏向遺跡の石碑が建てられていました。



このもう少し西の方にも
古墳がいろいろあるのですが、
またこれは別の機会に
歩くことにしましょう。

電車待ちの時間だけじゃ
なかなか状況がよくわかりません。

で、やってきた電車に乗って、
車のある天理へと向かいましょう。

ここが天理駅です。



ここへきて天気が良くなってきましたねえ。
駅前の鏡の模型なんかを見ながら、



天理本通りに入ってゆきます。



平日の昼間ですから
人通りはあまり多くはありません。



でもこんな酒屋があったり、



ラーメン屋さんがあったりしますね。



でもやはり神具なんかの
お店もよくありました。
そういう買い物ならここは
最適でしょうねえ。



商店街をどんどん進んでいきますと、
さすがに天理教の宿舎が
たくさん立っています。
宗教色の濃い町なのではありました。

駐車場に入って、ほっと一息。

ここから来た西名阪自動車道で、
山の辺道の続きはまた来るぞと
考えながら帰宅してゆく
doironなのでした。


久しぶりに山の辺の道3

2020年07月24日 21時21分07秒 | ウォーキング

山の辺の道もこの辺りから
古墳が続きます。
大和古墳群といわれています。



町名は萱生町(かおうちょう)。

古墳の堀や湿地の多い
この地域には萱が映えた
地域が多かったことから
ついた地名です。



ここには衾田陵の案内がありました。

継体天皇の皇后のもので
大和古墳群最大の
前方後円墳なんですが、
気づかずにスルーしてしまいました。



でももう目の前にも古墳があります。
西山塚古墳です。

民家なんかもあったりして、
以前からもう地域の中に
とけこんだ古墳ですねえ。

歩いて行くと灯篭なんかがありますよ。



この先にある五社神社の
ものですかねえ。



ここがその五社神社。

祭神五社から成る神社ですかねえ。
ちょっと案内も少なくて
よくわかりません。

そこをすぎて狭い道を歩いてい行くと、
墓地に出てきます。



まあ古墳も墓地なんですが、
ここは今風の墓地と燈籠山古墳と
合わさっていますねえ。



歩くコースとしては少し珍しい
墓地の中を進みます。



こんな六地蔵があって
右には念仏寺があります。



次々といろんな施設が
つづいてゆきますねえ。



あ、なんか田んぼに
マネキンの人形の首が刺さっていますよ。

あの萩の250kmレースの
恐怖の山の畑を思い出しますねえ。
その後、中山大塚古墳の横を通り、
木に覆われた暗い道を進むと
大和稚宮神社に出ます。



ちょっと境内が広くなっていますねえ。

以前市の主催でここを歩いた時は、
この場所が休憩所でした。
今日は進んでいきますよ。

神社にお参りして公民館横の
石段を下りてゆくと、



石仏がたくさんならんでいます。



この光景ははやはりワクワクしますねえ。
なんか昔からの道を
歩いているような
そんな感じがわいてきます。

そんな石畳道を降りると、
広い田んぼ道に出てゆきます。
ちょうどここも田植えの季節ですねえ。
谷間に田植え作業をする
村の人々の声が流れていて、
優雅な雰囲気です。

柿本人麻呂の歌碑があり、



その前にわずかなスペースですが
休憩できるように板がひかれて
テーブルがあります。



ああ、いいですねえ。
座ってお茶を飲みながら
ゆっくりしましょう。



なんかねえ、風がふわふわながれて
ここには時間が沈殿しています。

そんな風の中には、
昔の人々の歌う声も
混ざっているような感じがします。
ゆっくり休憩して、
さてここからは次々現れる
こんな道標に沿って、
長岳寺の方に向かって
あるいていきましょう。



その途中にトレイルセンター
があるはずです。

こんな石畳の道が山の辺の道
なんですねえ。



こんな石仏も道の横に立っています。



そしてたどり着いたのが、
トレイルセンターだ。



ここには山の辺の道の草花や自然の姿、
史跡の案内も展示されています。
またちょっとこじゃれた食堂もあり、
おおぜいの人々が
ランチをされていました。
doironもここで

軽くご飯にしましょう。



お湯を沸かして味噌汁と
おにぎり2個です。
なんてことはない昼食なんですが、
こんなところで食べたらごちそうですねえ。

このトレイルセンターから
下りてゆけば柳本の駅に出るのですが、
もう少し今日は進んでいきましょう。
すこし下には黒塚古墳展示館があります。



このあたりのマンホールの
ふたのデザインの
元となった三角縁神獣鏡が
展示されていたりするのですが、
まあもう少しで崇神天皇や
景行天皇の陵を通りますし、
親父がここへ来た時に
撮影していた神社に、
次回行きやすいように
そのふもとくらいまで
今日は歩いておくことにしましょう。

では荷物を片付けて、
あと一息歩こうと出発です。

食べたぶん荷物は軽くなりますが、
おなかが重くなりますねえ。

体への負担を少なくするために、
ゆっくりゆっくりと
こんな道を登り、
崇神天皇陵の横に出てゆきます。

 



続く

 


久しぶりに山の辺の道2

2020年07月23日 20時53分42秒 | ウォーキング

内山永久寺は鳥羽天皇の
勅願により創建された寺で、
西の日光といわれていたそうだ。



しかし明治の神仏分離令により
破壊されて、いまは略奪などの
難を逃れた宝物と、
この山の辺に道に残る本堂池が
当時の栄華を語るのみだそうだ。



道はこのあたりは舗装をしてあったり、



未舗装だったりする。





一方で柿畑があったり、
農業もよく行われている
場所だったりもする。

内山永久寺の野菜なんかも
植えられていた地域で、
地名は今も「園原」だったりするらしい。



道端にはこんな「あわもち」を
売ってるお店もあったりします。





まあまだ朝ですし、
おっさん一人であわもちを
食べているというのも変なので、
スルーして歩いてゆきましょう。

次の目的地は「夜都伎神社」です。

もともとここには夜都伎神社と
春日神社があったのですが、
春日神社一社に統一し、
名前を夜都伎神社にした
という複雑な経歴を持つ神社です。

以前きたときの記憶はないなあ。
どんなところだったかなあ
と考えつつ進んでいきます。



道端にはざくろの花が
咲いていますねえ。
そして遠くには二上山が、
大阪とは違って標高の高い
雄岳が右に見えて
存在していますねえ。



車が通れる広い道路を
少し移動して、道標に沿って
くねくねと進んでゆきます。



田んぼには水が入って、
ちょうど今が田植えの季節ですねえ。



作業している人たちも
こんにちわと
あいさつをしてくれます。



う~ん、なんかミズスマシとか
いそうな田ですねえ。
そんな田んぼ道の一角に
鳥居が見えてきました。
これが夜都伎神社です。

この鳥居は奈良の春日大社若宮から
江戸時代に来た鳥居だそうです。
そうなんです。
この山の辺の道の北の端にある
春日大社とゆかりのある
神社なんですね。

これがその鳥居で、



参道を通って入っていくと



これが拝殿と社殿で



本殿は拝殿の後ろにあるかたちです。
参拝してゆきましょう。

さあてここからは旧村の中を
歩いて行ったり、





こんな生産者直売所の横を
通ったりしながら進んでいきます。



広い田んぼと遠くの葛城、
二上、生駒の景色がいいですねえ。
歩いていてものんびり感を
しっかり感じます。



こんな藤棚もあって、
休憩できるように
なっていたりしますよ。



まあ歩いている人たちへの
細かい配慮をところどころで
感じますね。

初心者には歩きの楽しさを
のんびり味わわせて
くれる道ですね。



広い車道に出たところで、
山の辺の道はまっすぐなんですが、
ちょっと左に車道を
入っていったところに

「竹ノ内環濠集落」

があるので寄っていきましょう。



村の入り口のところに
差しかかると、左に
公園があり環濠集落の
案内も立っています。

環濠集落は村の人々が自衛のために、
村の周りに堀をめぐらせて
外敵を減らしたんだそうです。

でもこれまで郡山方面でも
見かけたように、平地の村で
よく見かけましたねえ。
こんな産地の集落には
珍しいようです。

これが、公園の奥の方に
残っている環濠で、
今は灌漑とかに使われたり
しているのかな。



この公園にはしっかりした
トイレもありますので、
ここで休憩してゆきましょう。

座ってお茶を飲み、
すこし持ってきたおやつを
つつきます。

自販機なんかも近くに
あるのですが、
ああこんなところにビールとかも
あればいいのになあ
と思うのはあきませんかねえ。

少し休憩したら、出発です。
車道を少し下って、
この案内のところから
ビニールハウスの横の道を
入ってゆきましょう。

歴史ある道というのに、
何か田舎の村の
なんてことはないあぜ道
って感じですねえ。



で、このビニールハウス、
何を作っているのかなあ
と思ってみてみれば、
イチゴのようでしたねえ。



景色のいい山の辺の道の横で
作ったイチゴ。
ヤマノベイチゴって名前を
付けてほしいなあ。

続く

 


久しぶりに山の辺の道1

2020年07月22日 21時18分30秒 | ウォーキング

山辺の道に行きました。
ここを歩くのは
もう7年ぶりくらいでしょうか。

でも最近はその途中にある
三輪山には登ってきましたね。
大神神社の御神体の山。
ちょうど一年半くらい前でした。

で、その山辺道はというと、
天理から、いやもっと広域に言えば
奈良市内から天理を経て
桜井に続くという、
記録上からは日本最古の道なのです。

日本書紀に天皇陵の位置を示すのに、
この道が使われているというのが
最古の道の記録です。

全長は約26キロ。

でもまあ主に天理から桜井までの
16キロくらいが、歩く人に
親しまれているという道です。

たくさんの人がここを歩きましたねえ。

ウォーカーの聖地のような道です。

実は親父もこの道によく出かけていました。
知り合いの車に乗せてもらって、
たびたび行ってたのを思い出します。
そんな時に撮影した写真なんかも、
今も我が家にあるのです。

そしてこの道も、
もちろんdoironも通っており、
ブログにも描いたりもしています。

親子二代でお世話になった道ですね。
今回はそんな道を再び
歩いてみようと思い立ち、
出かけていくことにしました。

目標は天理から桜井です。

最近はねえ歩きに行くと
ここも行ってみよう、
あっちにも寄ってみようと、
あちこちウロウロしたりしながら歩くので、
目標達成のためには、
長い距離を歩くことになります。
なので結局二回に分けて
歩くことになりました。

では今シーズン一回目の
山の辺歩きです。

まずは車で天理の石上神宮に
向かいましょう。

「天理」と言えば西名阪ですね。
阪和道で松原まで行って
西名阪に入ってゆきます。
途中、法隆寺ICなども通る
古代色豊かな地域を抜けてゆきます。

郡山を越えた後、天理で降りて
国道169号を南下してゆくのです。



天理の市内に入ると
でかい建物が増えてきますねえ。

石上神宮の交通案内に沿って、
すこし東向いて走り、
駐車場に入ってゆきます。

さすがに古くてネームバリューの
ある神宮です。
駐車場はきっちりと整備されています。
車をとめて、さあそれでは
石上神宮の方に入ってゆきましょう。



山の辺の道もこの神社の
境内を通っているのです。



この神社で気になるのは、
この社宝で国宝でもある七支刀ですね。



1本の剣から6本の
枝分かれした刃が出ています。

武器という能力ではなく、
儀式的な感じで使われる刀です。
持ってる人の権力をあらわすみたいなね。

謎が多くて、いろんな小説なんかにも
登場します。
一度見てみたいですねえ。

それと、この寺で有名なのは
「わたか」といわれる魚です。



ここの池にいるという絶滅危惧種です。
とまあそんな具合に
神宮そのものも好奇心を
ひかせるところなんですねえ
でも今日は山の辺の道ですから
意識をそちらに向けてゆきましょう。

鳥居をくぐって進んでいきますと、
左に本殿がありますので



そこへお参りして、
南側の鶏が多数うろつく
広場の方に向かって行きましょう。

そこが山の辺の道への
入り口になっています。



道を進んでいくと、
歌碑がいっぱい立っていますねえ。
誰がなんて書いたのって感じですねえ。



そういえば昔、このあたりで
ギンリョウソウを育てていたのになあ。
今はちょっと見当たらなかったですねえ。

さてコースはというと
こんな道標や案内板に





導かれて進んでいくことになります。

さすがにウォーカーの聖地です。
道を間違えそうなところには
必ず立っていますねえ。

芭蕉の句碑もありましたよ。



「内山やとざましらずの花ざかり」

ここにあったといわれる
内山永久寺を訪れたときに
読んだ句だそうです。

ああ、芭蕉もここを歩いたのですねえ。

続く