ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

阪堺電車恵美須町線3

2020年08月31日 20時55分51秒 | ウォーキング

道端に座っているおじさんたちは、
特に何の話をしているわけではなく、
座り込んで酒盛りしながら、
doironの歩きを見守っている雰囲気です。

「おっさん、ひまそうやなあ」

「一杯飲んでくかあ」
なんて言われたら、
「へえへえ」と言ってしまいそうです。

でもおっちゃんの目が
座っているので遠慮かなあ。

そんな深い人だまりを横に見ながら、
終点の商店街まで歩いて行きます。

まあ、いろいろ見どころのある
街道と違って、とっても
別の見どころのある通りでしたね。



座り込んでの酒盛はやめてください、だって。

そこから阪堺線の高架下を抜けて、




今池から今船と歩いて行きます。

地名から見れば、
このあたりも海が近かった
というのがわかりますねえ。



そして今船のところで踏切を渡り、



ここからは阪堺線の西側の道を
歩いて行きます。

ん?

ああこの道は以前に
歩いたことがありますねえ。



ブログをたどったら、
2年前の秋に「濃ゆい大阪」と
名付けて歩いた道ですね。

なるほど確かに濃い道です。

今回はその時と反対方向に
歩いています。
時折、交差点で左側を見ると、
阪堺電車の線路が見えていますねえ。

萩之茶屋に続いて
この辺りは天下茶屋になります。



ここでお茶をいただいた秀吉が
おいしいと認めたことで、
天下の茶屋という名前に
なっています。

どんどん南下してゆきます。



途中こんな地蔵がありましたよ。
ここでも地蔵盆行事中止の
お知らせが張られています。

ああ、結局doironが地元の
地蔵さんのことで書いた紙と
中味がよく似ていますねえ。

まあ今年はそういう張り紙や
事前に回した回覧板などで
トラブルはなかったのですが、
お地蔵さんは何となく
悲しそうでしたねえ。

さて地域は天下茶屋の
中心地区に差しかかります。
ここがその天下茶屋跡ですねえ。



少しだけ整備されています。

画面の左下が現在地で、
恵水の池があり、
今の天神森公園にかけて
池があったとされています。

濃ゆい所ですねえ。

阪堺線はこの近くを
淡々と走っていますが、
ちょっと暑さがどないも行け
きませんね。

住吉大社まで歩こうかと思って、
今回やって来たのですが
なんか体がとけそうです。

今日のところは、
ちょっとここまでにしときましょうか。

南海本線の方に歩いてゆき、
岸里玉出の駅に出ました。



ちょっとコンビニで
休憩してゆきましょう。

高架下の公園で手持ちの水を
たっぷり飲んだ後は、
コンビニの冷たいビールで
体を冷やしましょう。

まあ当初の計画では、
ここから汐見橋線沿いを歩き、
大阪市内を歩いて恵美須町に出て、
そこから恵美須町線沿いを
歩いて帰るというコースなので、
言ってみれば最初の目標達成ですね。

このコースをドジ旅にして
またもう一度歩こうという、
濃ゆい大阪の割には
テーマが少ないかもしれません。

ドジ旅はもっとにぎやかに
華やかに行けたらええかもねえ。

とりあえずは今回の歩きに
もう少しオプションはないか、
もうちょっと考えていきつつ、
今後の課題としてゆきましょう。

とりあえず濃ゆい
恵美須町線の歩きは、
これにて終了です。

 


阪堺電車恵美須町線2

2020年08月30日 21時13分40秒 | ウォーキング

阪堺電車の恵美須町行きは、
意外に混んでいましたね。

信号待ちの間に運転手に
話しかけようと思っても
気が引けるくらいでした。

まあ、天王寺行きから
恵美須町行きへの乗り換えは
「我孫子道」で行うことにしましょう。

住吉大社駅から粉浜に向かうところから、
恵美須町へ向かう阪堺電車の
初乗りになります。

景色なんかを眺めながら
しっかり乗ってゆきましょう。

というのも、帰りはこの線路沿いを
歩くのですから、線路に沿った
道の様子をちゃんと頭に入れて
おく必要があります。

しばらくは、路面上をほかの車と
同じように走ってゆきます。

時折、路上駐車をしている車をよけて、
車が線路内に入ってきそうに
なったりするのですが、
電車にプワ~ンと警笛を
鳴らされていましたね。

車の運転も電車の運行が
優先されるんでしょう。
なんか見ていて、車も運転しにくい
よなあと思ってしまいました。

特に右折時なんかは、
下手に向こうの車線の空きを、
線路をまたいで待ってると、
うしろから電車がやってきたり
しますねえ。

優先順位は?
どこで右折を待つの?
って感じです。

まああまりこういう道は
運転したくないですね。

天神の森神社あたりから
しばらくして、道は線路と
少し離れてゆきます。

帰りの歩きは、その辺を
よく意識して線路を見失わないように
進んでゆかないといけませんね。

聖天坂を過ぎ、北天下茶屋を
過ぎたところくらいは、
歩く道と少し離れて
電車が進んでいきます。

やがて回りが大変にぎやかになり、
新今宮の駅も過ぎたら
終点の恵美須町に到着となります。



おりましょう。



線路の突き当りを見ますと、
おお~これが阪堺線の終点の印ですね。

電車を降りてゆくと、
これが駅の出入り口。



何やらいろいろと張られていますが、



おお恵美須町の駅表示の横に
ひょっこりサンしているのは、
通天閣でした。



あの新世界のシンボル的な存在、
大阪の代表的な景色が
ここから望めます。



そしてここらだと、
あの恐怖ののぞきスペースが
くっきり見えていますねえ。



そんな新世界を横から眺めつつ、
線路沿いの道が続きます。



ドン・キホーテやあべのハルカスの
見渡せる場所に阪堺線の踏切があります。



いやあよくもまあこれだけ広い
交通量の多い道を、
まああんな小さな電車で
遮ったもんですねえ。



そして道は、電車の中から
最後に見ていたように、
この踏切から道の西側を
線路に沿って歩いて行くことになります。



このあたりの住所は萩の茶屋。
住吉街道沿いに萩に花の植わった
茶屋があった頃からの名残の名前ですが、
今は釜ヶ崎・あいりん地区と
呼ばれる日本最大の
日雇い労働者の街の中心地となっている。

さあではその地域に入ってゆきましょう。

このあたりは人が多いですねえ。
大阪市内ですから多くて
当たり前なんですが、
特にこの辺りは道端に
何をするというのでもなく
たたずんで話をしている人が
多いように思います。

しかもマスクをせずに
なんかとっても気楽です。
自由な人が多いですねえ。

町のあちこちには落書きも
いろいろ書かれていて、
人前で覚せい剤をとるなとか、
ハゲ、バカなんかも名前入りで
書かれていたりします。

うう、なんか落書きの次元が違いますねえ。

そして壁にはこんな張り紙もありましたよ。



これなんかはまともな
というか考え方には賛成なんだけど、
微妙にこんな張り紙を
掲示していいのかなあ
なんて考えてしまいましたねえ。



「覚せい剤の売人は、
西成から出ていけ!」だって。

まあなんていうか、
微妙な風俗を醸しだしています。

続く

 


阪堺電車恵美須町線1

2020年08月29日 20時39分45秒 | ウォーキング

汐見橋線沿いを歩いてから、



新世界に向かって歩いて
新今宮方面に向かうというコースを
しばらく前に歩いた。

ああ、何となく大阪の
こてこて感を感じたコースだったな。
そういうコースを歩いたのは、
前回のドジ旅の時に考えた
コースだったからだ。

地図を見ながら、汐見橋線、
阪堺線を歩くのもいいかなあってね。
なのでそれを受けて
汐見橋線沿いを歩き、
その終点から阪堺電車の
恵美須町に歩いて行く
というのをまず体験したわけだ。

これがまあ考えたコースの
半分ということになる。

そして今回は残りの半分で
その阪堺線の線路沿いを
南下して帰っていくという
コースを歩けば、
その時に考えたコースは
完歩となるわけだ。

あ、正式名称は
このタイトルではないですよ。

阪堺電軌阪堺線というのですが、
安孫子道と恵美須町の区間を
こう呼んでタイトル名称にしています。

ではその計画を実行していきましょう。

ただここで一つ問題は、
doironはこの阪堺線で
恵美須町に行くという線に
乗ったことがないということだ。

ドジ旅の時に、ああこんなところに
電車が走っているんやあ
と気づいたくらいですからね。

なので、まずは浜寺公園から
阪堺電車に乗り、
途中で恵比寿町行きに
乗り換えて乗車した後、
その恵美須町から歩いて帰る
というのがいいだろうと
もくろんだのだ。

それは暑さのめちゃめちゃ
厳しい時でしたが、
頑張っていこうと家を出ました。

松ノ浜駅までは、
ミセスが送ってくれました。

家~駅のこの間で
暑さで体力消費もかないまへんから
と頼み込んだのです。

そうして松ノ浜駅から
ミセスに感謝しつつ電車に乗り、
浜寺公園駅で下車します。

あ、電車の運賃は、
たいがいがICOCAで支払いです。

便利ですねえ。

浜寺公園駅で南海本線をおり、
100mほど歩けば、
阪堺線の浜寺駅前駅に出ます。



え~この阪堺線はご存知の通り、
運賃は一定です。
どんなけ乗ろうが、
すぐに降りようが均一の210円です。



浜寺に来ているのは、
天王寺行きですね。

入り口でICOCA
プピッとして乗ってゆきます。

乗車人は席の半分くらいかなあ。
一番前に座りました。



電車は信号なんかでも止まりますね。
そのときに運転手に恵美須町にいくには、
どうすればいいですか?
と聞けば「我孫子道で乗り換えですね」
と教えてくれました。

乗換券は?

ICOCAはどうすればいいの?

という質問はもう信号が
変わってできなかったので、
これは降りるときに確認しましょう。

石津川を渡り、大道筋で
堺の中心地を進んでいきます。
そして大和川を渡ったところで、
右に電車の広い駐車場が見えてきます。

そこが我孫子道ですねえ。



社内放送で恵美須町に行く人は
ここで乗り換えですと案内が流れます。
でもここで降りると、
210円がパアになってしまうのではと
ちょっぴり不安ですねえ。

運転手に聞いたら
「普通にICOCAを当てて降りてください。
一時間以内に恵美須町行きに
乗車されたら、乗車券が
引き継がれます。」とのこと。

ああ、そうなっているんですねえ。
次の乗り継ぎも確認したら、
10分後だそうなので、
降りて駅の周りをくるくると
歩いてみました。



駅前には大きな商店街がありました。

そして10分後にやって来た
恵美須町行きに乗り換えし、
再び出発です。



ここから住吉駅までの5駅は
天王寺行きと同じ線路を電車が走ります。

ん?でもその間で乗る電車を
間違えたらどうなるんでしょう。
住吉で降りて乗り換えても
運賃は同じように
引き継がれるんでしょうか。

それだったら、我孫子道で必ず
ノリかえないといけない
わけでもないんですね。

う~ん、この辺は運転手に
確認することもできませんでした。
運転の邪魔したらあきませんからね。

続く

 


たかが網戸張替えごときで

2020年08月28日 21時23分29秒 | 仕事

最近、ジムで運動を
しているときのことだ。

あ、運動といっても、
まあこんな身体なんで
幼稚に体を動かしているときだ。

ローラー台で歩いていても、
なんかお尻が痛む。
あ、痔とかじゃなくて
おしりの筋肉の部分が、
なんとなくコリコリしていたりする。

たまに短時間で低速で
かけっこするのだが、
そんな時には今度は
おしりの筋肉がクリクリするのだ。

コリコリとクリクリは

どう違うのかと
いわれてもむつかしいが、
クリクリの方が痛みの部分が
すこし大きいって感じだ。

ああ、もう体の筋肉が
あちこち弱り始めているのかなあ
なんてしみじみと考えていた。

その後、5キロくらいで
ローラー台を離れて、
筋肉をぶるぶる
動かしてくれる
ウルトラ三四郎という機械に乗った。

そしたらさあ、
やっぱりおしりの筋肉が
プルプルふるえるのだ。

ん?こ、これはおかしいぞ。
とおもいつつ、深く考察したら、
ああそうかあと気づいたことがあった。

どうも前日に汗だくで行った
網戸の張替え作業により
そこが披露しているのだ。

なにせ網戸を4枚も
きれいにしたからねえ。
7月には、三枚の網戸を
交換する作業をしているのだが、
この時は大丈夫だったのにねえ。



だいたいこんな網戸なんて
劣化する速さはよく似たもので、
その後4枚くらいも
交換する必要があるな
という感じになっていたので、
さっそくコーナンへ
材料を買いに行って、
張替え作業をすることにしたのだ。

大阪の気温も最高38度
くらいになる真夏日の作業だった。

この作業はおおむね4段階に区別される。

1.網戸の窓からの取り外し。
2.古い網をすべてクリアにする。
3.新しい網を取り付ける。
4.窓への取り付けだ。

専門的には3の作業が
重要なんだろうが、
意外にも他の作業が
結構体力を使ったりする。

まずは窓からの取り外しだ。
古い網戸なんかはもう
かなり劣化が進んでいる。
網戸の下についている
滑って動かすための
プラスチックの部品が
壊れやすいので、
丁寧に外していかないといけない。

網戸にはだいたいねじを
緩めることによって、
上下のローラー間を
一定にするための小さな器具が
付いている。
これによってはずれにくくしているんやね

これがまあ長時間雨風に
あたっている部分なので、
下手に力を入れて回そうとすると、
ねじ山がつぶれてしまうので要注意だ。

サイズのよくあっている
ドライバーを使って
緩めていかねばならない。

これがねえ、2階だと
大変だったりするんだよね。

そして次の作業が網の取り外し。
網はぴんと張って周りを
ゴムチューブで固定されているのだが、
これが古くなると
そのゴムチューブが腐っていて、
つい~っと連続で外れず、
細かい葛になってとれていく
だけだから手間がかかる。

膝をついて、マイナスドライバーを持って
ちびちびやっていくだけなんで
時間がかかって、ひざが
真っ赤になってしまうのだ。

で、ようやくとれたものを片付けて、
掃除機をかけて掃除して
この作業は終わり。
次の張替え作業に入る。

これはまあそれなりの道具もあって、
網の張り加減が均等になるようにして、
取り付けていくのだ。

この脱着、張替え作業が
中腰になることが多いので、
おしりの筋肉に負担を与えるんやね。



そして最後が窓への設置。



ねじをまたまた締めて
やっていくのだが、
この時に注意しないといけないのが、
ねじを締めるときに
油断していると、
ドライバーが滑って
張り替えたばかりの網戸に
突き刺さってしまうという、
悲しい事故が起こるので
注意しないといけない。
もうそうなったら、また張替えだ。

まあこれで作業は完了なのだが、
たかが網戸張替えで
こんなにも筋肉痛になるとは
意外でしたねえ。

丸1日体を動かし続ける
トライアスロンや
2日間も走り続ける
ウルトラマラソンでも
平気だったのに、
練習しないと月日の流れは
容赦なく体をへたれさせてゆくんですなあ。

網戸の張替え筋肉痛を
ジムで和らげるって
考えたらなんか笑ってしまいます。


渡しを渡った私5

2020年08月27日 20時50分30秒 | ウォーキング

落合上渡船を降り、
こんな地蔵さんとか見ながら





少し歩くと、目の前に緑の
固まりが見えてきます。



大正区役所の裏に作られた公園で、
このあたりの環境を整備する計画を
千鳥計画といい、この公園名も
千鳥公園といわれています。

開発をした岡島氏というのが
千林村というところ出身で、
国島の島をとって千鳥と
つけられている地名に基づいています。



それではここに入ってビールを飲んで、
千鳥足になることなどせず、
おとなしい昼食をとることにしましょう。

藤井聡太君はカツカレーか海鮮丼
doironは質素におにぎりの昼食です。

階段を上り、広い公園の片隅にある

木陰のベンチに座ります。
結構な人があちこちに
座っておられますが、
まあここは遠慮せず
ガスコンロを出して
お湯を沸かしながら、
持参してきたおにぎりを出してきます。

お湯は味噌汁ですね。
いつも恒例のカップの「なめこ味噌汁」です。
ああ、豪華じゃないけど、
やっぱりこういう屋外で食べる
ご飯はうまいなあ。

眺めもよくてね、
ここからだと遠くに大阪ドームが
見えたり、ハルカスが見えたりします。

ご飯は食べることに夢中で
残念ながら写真をすっかり
取り忘れてしまいました。

まわりを見ると、
向こうに山が見えていますね。
あれが「昭和山」という名前の山です。

これは登らないといけませんね。
のんびり食事をした後
荷物を片付けて、さっそく登山を
始めてゆくことにしましょう。



公園の道路がその山の下から
らせん状に登っていくように
なっています。

えっちらおっちら登って
行ったところが、昭和山です。



標高は33mです。



なあんや低いやんと
行ってはいけませんよ。
なんとこの山はかつては
大阪市内の最高地点だったそうです。

ちなみに今は花博の関係で
服部緑地が最高地点ですから、
大阪で二番目の地点です。

でもこの山は、なんと地下鉄を
作るのに出てきた土で作った
人工山なので残念ながら
三角点はありませんね。

え~、この辺が御堂筋線かなあ。

またそのうちに破棄物で作った
「平成山」なんてのが
できるかもしれませんねえ。

ここから眺めた景色で
帰り道を検討しておきましょう。



ここに見えている千本松大橋が
目標地ですね。
公園を出てどんどん南下してゆきます。

途中、商店街を通りましたよ。



「サンクス平尾」と
名前がついています。



意外に長い商店街でしたね。
こういう海辺の町の重要な
商店街なんでしょうねえ。
そんなところを抜け、
歩き始めたころに行った
平尾亥開公園に到着です。

もうここからだと、
千本松大橋はすぐですよ。
でも熱いのでねえ、
しっかり水分補給です。

ここにあったコンビニで
アイスコーヒーを買い、
公園しっかり休んで、
さあでは本日の最終目標地点である
千本松大橋に向かいましょう。

大正区の清掃工場を過ぎて
まっすぐ行くと、そのまま
大橋の歩道に入ってゆきます。



まずは登りですねえ、



ぐるぐると歩道を歩いてゆきますと、
おっ、前からランナーが
走ってきますよ。
ああ、いいアップダウンの
練習コースですねえ。



一番上に出たところで
景色を眺めるときれいでしたね。
いまはハルカスが
いいランドマークですねえ。



そして最高地点の所のフェンスには、
鍵がかかっていますねえ。
愛する二人の、愛のカギでしょうか。
むふふ。



あとで調べたらこの橋の高さも
なんと33mで
先ほどの昭和山と同じ高さなんですねえ。
奇遇ですねえ。
何か理由でもあるのかなあ。
伊丹空港の滑走路面とか
そんな高さ制限があるのかなあ。


とりあえず景色をよく見て、
では下っていきましょう。



隣で車で走っている人は
doironの姿を見て
「ここに渡しあるのん知らんおっさんやなあ」
なんて思っているのかな。

ぐるぐる回って西成区の方に入ってゆきます。
ここから駐車場までは、
住宅地をくるくる回って到着。

大正区の渡船を歩いて回った
歩き旅の第一弾は
これにて終了となりますねえ。

第二弾を楽しみに。
お疲れさまでした。

 


渡しを渡った私4

2020年08月26日 21時08分40秒 | ウォーキング

落合下渡船のこの時の乗客も4人でした。
あっという間に対岸の
西成区側に着岸して
みんな降りてゆきます。



この時に乗る客も5人くらいでした。
いやあ、こんな渡船って
利用者いるのかなあ
と思っていたのですが、
結構いるんですねえ。

渡り切ったところが、
先日汐見橋線沿いに
歩いた時の下水処理場です。
住宅もたくさんあったからなあ。

通勤で使うというのもありかなあ。
でも風が強かったり、
気象的に悪いときには
止まるからやっぱり無理かなあ。

雨がきついからといって
簡単に止まったり、
かかしが風に吹かれて困るような
風で運転しませんに
なったりはしないでしょうねえ。

どんな状況で止まるのか、
ちょっとその辺は謎ですね。
とりあえず今日は快適に
わたれたので良かったです。

上陸してちょっと殺風景な道を



歩いていると、右側に
公園が見えてきます。



これが津守の駅前にあった
西成公園の西口ですね。



このあたりには広い歩道もありますが、
あ、これって下水処理場から出てきた
スラッジレンガじゃないですかねえ。

そんな歩道が終わるころ、
地図ではそろそろこのあたりに
落合上渡船がある頃かなあ
と思ったのですが、案内がありませんね。

でも地図からだと絶対この辺だと思い
木津川の方に入っていくと正解でしたね。



ここがその渡船のりばです。
ああ、ここには大阪の渡船の
歴史が書かれて貼ってありましたねえ。



要約しますと、渡船場は
明治のころには29渡船場で
昭和の10年頃には31渡船場
で69隻の船が運航していたようです。
手掻きの船も含めてね。
いやあ、すごい事業やったんですねえ。

それらが橋梁の発達などで減少し、
いまは8か所の渡船で
15隻の船が運航しているそうです。
ああ勉強になりましたねえ。

この渡船場では、船はすぐに向こうの
渡船場からやってきました。



これは写真撮影の時間もあまりないですねえ。
向こう岸で撮影しましょう。

船から景色を見ていると、
少し上流に木津川水門と
いうのがありますねえ。



あの丸い橋を車が渡るんですか?
そんなことはないですねえ。
この水門は大阪の3つあるという
ドーム型の水門です。

 


気象などの影響で大阪湾から
大量の水が流れ込んできたときに、
これを倒すようにして動かすそうです。

ネットで見たらこんな感じ。

 


なんとまあダイナミックな
水門なんやねえ。
でもここで水門とか閉めたら、
渡船のあたりは大水やねえ。
船を逃したりするのかなあ。
とまあそんなことを少し
考えたくらいですぐに着岸です。

「ありがとう」といいつつ、
渡船口の所においてある
鳥の人形の写真を撮ろうとしたときです。



船員さんが
「それよくできているでしょう」
と自慢そうに話すのです。



ああ、こういうのが趣味の人かあ。
向こうにも置かれてあるしなあ
と思ったら「それは鳥除けです。
これを置いたおかげで
カラスも来なくなりました。
フンで手すりとか汚されるんでね」
とのこと。

ああそういう目的で
置いているんですかあ。
ていうことはこれも公費で
買っているのかなあ。

まあこうして人と話をすると、
思わぬ収穫話を聞けていいですねえ。
渡船場と木津川水門と
鳥除けフクロウをバックに
写真を撮っておきました。



文字の写りが悪いなあ。
次回は必ずマジックを
もって来るようにしましょう。

ていうか、あらかじめ
書いてきてたほうがいいかもね。

さあこれで今日の目的の
渡船はすべて乗りました。
あとはここから千本松に歩いて戻って、
千本松大橋を歩いて
渡ればいいですね。

でもとりあえずは
昼食にしましょう。

 


渡しを渡った私3

2020年08月25日 21時27分17秒 | ウォーキング

渡船場であった親切なおっちゃんは
「この辺の船の時刻表は、
どちらかの岸を出発する時間に
なっているんやあ。
だいたい大正区の方に船がいてるので、
そちらを出る時間なんやで」
と説明してくれはります。

ああ、そうかあ。ネットでは、
時間厳守でちょっと遠くから
待って~といっても船は
待ってくれないそうですが、
船溜まりの無い渡船場では
川を渡る1分くらいの
時差はあるんですね。



さあでは乗り込みです。

船は「はるかぜ号」という
名前のようです。
人が乗るスペースは目測で
幅5m長さ15mくらいかなあ。



この時の乗員は4名でしたね。

一人に頼んで写真を撮って
もらいました。



後ろに見えている巨大煙突は、
大正の清掃工場ですねえ。

昔一度仕事で来たような気がします。

「おお、今大きい魚がいたで」
とさっきのおっちゃんが
横から説明してくれはります。

「海もなあ、昔は魚がいっぱい
いたけどなあ。最近は
少ないような気がするなあ」。

そんな話を聞きながら、
気持ちのいい海風を受けつつ
約1分で対岸に到着です。

「おっちゃんありがとう。
気を付けて」とさよならし、
doironも下船してゆきます。

これで今日の渡船の経験が
ひとつ終了です。
15分に一度船を出す若い船乗りたち。
あ、大体二人で運航してはります。
毎日単純で大変やろなあ。
頑張って腐らず仕事してやあ
と心の中で思いつつ、
渡船場を出てゆきます。



ここが一般道から渡船場に
入ってゆくところですね。

船を降りたdoironは
これを右に曲がって、
大正区の清掃工場の前を
北上してゆきます。



ここには動物の慰霊碑なんかも
あるんですねえ。



そこを過ぎてしばらく行くと、
公園のところに出てゆきます。



ここは「平尾亥開(いびらき)公園」
といいます。

1771年の時に平尾与左衛門という人が
このあたりを開発しました。
それが干支でいう「亥」の年だったので、
こういう地域の名前になり、
それが公園名になっています。

この公園はかつてはペスト患者収容所で、
戦争時には捕虜収容所でもあったそうです。
そんな公園を過ぎて



住工混在の町を歩いて行きますと、



右手に入っていく道が現れます。



これが落合下渡船の乗船口です。



船が止まっていますねえ。



大体この辺の渡船は、
大正区側に船溜まりがあるようです。

こちらは「みどり丸」と
名付けられていますねえ。

少し時間があるので、
またまたスケッチブックに
渡船場の名前を書いて
写真を一枚撮影しておきましょう。



それにしても、気温は
ぐんぐん上がってきます。

渡船場はイケイケだから
クーラーもありませんが、
おっ、うちわが何枚か置かれていますよ。

早速利用しましょう。



これを持ってまたまたタイマー撮影。
それにしてもUSJが近いというのに、
ミッキーマウスはいただけませんな。

で、時間が来たので
またまた乗り込みます。



はっと気が付いたら
写真は船内とか桟橋は
危ないのであかん、見たいに
書かれています。

そうかあ、あかんのかと
ガックシしてたら乗務員から、
「写真は撮ってもいいけど、
他の乗船者の撮影は
配慮してくださいねえ」だって。
ああ、ブロガーの救世主ですね。
気をつけて撮影します。



ここも運行距離は50mくらいです。
動き出したなあと思ったら、
もうすぐに着岸ですねえ。



船内にある注意書きを
撮影しておきました。



それによると、自転車や車いすや
乳母車とかは行けるようですねえ。
バイクはダメということですね。

動物は盲導犬のみですね。

散歩の人は犬を載せたりは
できないのでしょう。
あ、泥酔者もあかんと書いていますよ。
飲み会の帰りも、
ここではまっすぐ立っていないと
あきませんね。

感染症の所見があるものもあかんようです。

「俺、コロナ」て言ってたら
乗れませんね。

続く


渡しを渡った私2

2020年08月24日 20時54分39秒 | ウォーキング

まあこの木津川の
河口部に近いこの辺りは、
大型船が通るために
なかなか橋が架けられなかったのだが、
こんな車や人が通れる構造物を作り、



高いところに橋げたを作ることが
できるのでようやく昭和48年に
かけられたのが千本松大橋だ。

でもねえ残念ながら、
この橋ができたころから
オイルショックなどで、
こんなに大きな橋をくぐる
大型船の航行がなくなった
というのは皮肉ですね。

浮世絵によると
「千本松大橋」のこの辺りは、
松が何本も植えられていたので
こんな名前になったそうだが、



そんな木津川の風情ある景色は
もう今はすっかりなくなっています。

過去の浮世絵にそんな千本松を
描いた絵が残っている
というのが面白いなあ。

とまあそんな様々な歴史を持つ
この橋の下の無料の渡し船に
乗りましょう。



高さ30m以上の橋げたを
登ってはおりて渡る強大な橋を、
歩道があるとはいえ
渡ることは困難だということで
今でもしっかり渡船運航
されているそうだ。

まずはこの渡船に乗って
大橋を眺めながら向こう岸に
わたることにしようかねえ。

大橋の橋げた方向へ少し上って
すぐのところに、海岸線の方に
向かって船乗り場までの道がある。



この渡船には自転車も無料で
乗ることができるんやね。



なので渡船場にはこんな
通行区分が付いている。



そしてこれが、渡船場の建物。



中にはいろいろはられていますよ。
時刻表もありますね。



朝6時から夜の9時半まで、
基本的には1時間に4本出ています。

え~では記念写真を撮っておきましょう。

今日は100均のスケッチブックを
持ってきて、ここに渡船場の
名前を書いて掲示して映しましょう。

早速渡船場の名前を
書こうと思ったら、
なんと持ってきていたと思った
マジックペンがデオドラントスプレーでした。



ウヒャーなんじゃこりゃと
慌ててバッグの中を見たら
ボールペンがありましたので、
これで記入して写真を一枚撮影。



そしてまだ時間があったので、
水面を眺めてみましたよ。

ずっと以前に渡船に乗って
海を眺めたときには
サヨリが泳いでいた記憶があります。

今はどうでしょう。

水はまあさほど汚いことはないのですが、
まあ泳いだら科学的な味がする程度かな。

そうしているうちに、
自転車に乗った高齢者が
乗客としてやってきました。

自転車で、元気そうな感じです。

「おはようさんです。
いつも渡船に乗ってはるんですか?」
とお聞きすると食いついてきはりました。
ありがたいです。

「ああ、いつも乗ってるんやで」と
常連さん風です。
「海見てはったけど魚いてたか」と
聞いてきはったので
「いやあ、まだ見てないなあ」というと
「わしはなあ、ここでこんな大きなブリ見たで」
と教えてくれはりました。

「この渡しは初めてか?」
「もう何十年も前に乗ったきりやねん。
以前乗った時はサヨリとかいてたなあ」
と説明すると

「ああサヨリのこという人もいるなあ。
まあ魚結構いてるわ。
この上流にも落合の渡しとか
あるから乗ってみ」
「はあい、乗っておきます」というと
「ほかにもなあ、色々渡しがあるでえ。」
といいつつ、ほかの渡しのことを
どんどん説明してくれはりました。

「わしはなあ、一度自転車で
ぐるぐると渡しを回ったんや。
これがその時の写真や」と
カバンの中から出してきて見せてくれました。

ここから見える景色のあそこは
こんなんやったで、
とかそんな説明もしてくれはりましたね。
ああ、とてもいい人に会いました。

とそんな会話をしているうちに
船の来る時間になりましたよ。

向こう岸を見ると船が出発して
こちらに向かってきます。

さあ、では乗船しましょう。

続く


渡しを渡った私1

2020年08月23日 21時20分03秒 | ウォーキング

先日、汐見橋線沿いを歩いた時に
景色と地図を見比べていると、
気になったのが地域の渡し船のことだ。

海辺の埋め立て地で
海に近い川なんかで
エリアが区切られていることが
多い大正区や港区、此花区に
大阪市の無料の渡し船が運航されている。

これがねえ全部で8本あることが
ネットなんかで分かったのだ。

1本は此花区と港区をつないでいる

「天保山渡船」

2016年に乗船し、6月に
そのブログを書きましたねえ。



そして残りの7本は大正区で
運航されています。

大正区の木津川沿いには
4本かかっています。

木津川渡船、千本松渡船、
落合下渡船、落合上渡船。

木津川運河に船町渡船の1本。
大正内港に千歳渡船が1本。
そして尻無川に甚兵衛渡船が
1本となっています。

これらの渡しは、大阪港の繁栄を
企図した大阪市が港湾振興策の
一環として始めたもので、
以前は市の港湾部が所管していましたが、
今は経営は土木部(現建設局)に移され、
現在にいたっています。

これらの渡し船を訪ねつつ
歩いてみたらどうだろうかと、
地図を見ながらいろいろと
検討してみました。

実はもう一つ乗っている
渡船があります。

千本松大橋を渡る船ですが、
このブログを始めるもっと前です。
若くてピチピチだったころに
行ったのですが、何かマラソン大会の
帰り道に寄ってみたって
記憶があるだけであまり
印象がありません。

この渡しに乗って木津川を渡り、
帰りは両岸がメガネのように
ぐるぐる巻きになっている
千本松大橋を歩いて渡る
というコースがいいんでは
ないかと今回考えた。

で、結局はこの千本松を
メインコースにして、
その上流の落合下渡船と
落合上渡船を利用し、
大正区の中心地を歩いて
千本松に戻ってくる
というコースが第一の案だ。

そしてもう一つが、
住之江の平林から木津川渡船、
船町渡船、千歳渡船、
甚兵衛渡船と渡って行き、
弁天町に出るコース。

この2コースで渡船を
すべて使用できるようですね。

まあねえ、無料だからと言って
何度も立て続けに利用するのも
何となく船頭さんに
悪いような気がするので、
こういうコース設定だったら
堂々と利用できていいだろう。

さあそれではまず最初のコースから
行ってみることにしよう。

交通機関は今回は同じ地点に
戻ってくる設定なので、
岸里まで車で行き、
そこから歩いて千本松に
向かうという形にした。

家を出て、ずっと旧国道26号を北上し、
一日駐車料金のあるPが
旧国道26号と汐見橋線との
合流の手前にあったので、
そこに車をとめて出発だ。



地図で見ると千本松大橋に
出てゆく道はこのあたりから
真西に行くのだが、
すこし住宅街の中の道なので
くねくねと進んでいく。



住宅地をブラブラ。
公園内に地蔵さんがありますね。



とりあえずずっと西の方に
阪神高速堺線が見えていますから、

 



そちらへ行けば位置がわかるでしょう。



その阪神高速の高架下をくぐると、
ああ千本松大橋への
道の案内がありますね。

あの通りに進んでいきましょう。

しばらく歩いて行きますと、
新なにわ筋の南津守の交差点に出ます。



ああ、これですね。
地図を見たら千本松大橋に
つながっていく道ですね。



それを西に進んでいきますと、
巨大な千本松大橋が見えてきました。



橋の両端が螺旋上の渦巻き状態で
高さを稼いでいき、
高い所で向こう岸とつながる
橋げたが付いているという
特殊な橋です。

なので、徒歩でこの橋を渡ろうとすれば、
30m以上の坂道をぐるぐる回っていって、
向こう岸でぐるぐると
下っていかないといけないのです。

続く


福井満喫 一乗谷へ2

2020年08月22日 20時56分12秒 | 

一乗谷朝倉遺跡資料館には、
朝倉遺跡の歴史的な案内が
いろいろと掲示されているほか、
発掘の道筋なんかも
詳しく案内されています。



doironがここの奥の
荒島岳に行ったころは
1977年頃から
3年くらいですから
発掘が始まって10年くらい。
そういえば、地域のパンフレットで
そんな発掘の記事も
見たような記憶がうっすらあります。

まあ後で現場に行けば
愕然とするほどよくわかるのですが、
なんともまあ大規模な
発掘・復元作業だったんだ
と思いましたね。

そんなことがいろいろと
紹介されていました。



案内の片隅には、
タモリがやって来たことも
紹介するポスターもありましたねえ。



写真には林田さんも
載せてあげてくださいよ~。

それから、コーナーの一角に
NHK大河ドラマのコーナーもありました。

明智光秀が福井の朝倉城へ
逃げていくというシーンあたりを
最後にドラマは、
コロナのために撮影できずに
いったん休憩していたのですが、
今月末から続きが始まるようですね。

とはいえ、出演者がコロナで
要請になっていたので
またその先どうなるかわかりませんけどね。

さあ、では発掘された遺跡の
方に向かいましょう、
一乗谷川に沿って走ってゆくと、
すこし広々した感じになってゆきます。



ここは東西南側が山に囲まれて、
北側が足羽川という自然の要害で、
朝倉家の城下町になっていました。

100年以上も平和な街が
続いていたんですねえ。

発掘現場には、武家屋敷の跡が
いくつも残っています。



その一か所ごとに井戸が
掘られていたようで、
そんな遺跡発掘現場になっています。
水が豊富だったんでしょうねえ。

そんな住居跡がたくさん続いた後、
武家屋敷の復元跡が出てきます。



この通りなんかは丁寧に
再生されていますねえ。

町の様子は、すこし前に
首藤さんやT本さんらと行った、
知覧の武家屋敷にそっくりです。
土壁の中は再生された武家屋敷です。



トイレなんかも整備されていましたねえ。

川が近いんでこういう排水は
丁寧でしたね。

しばらく歩くと、左に武士でない
人たちの家も出てきます。



そうなんです。
ここは武家も町民も
近接した形で家があったんですねえ。

100年以上の平和な村の様子が、
こんなところからも想像できます。

そしてこの辺りから発掘地を
しばらく歩いてみます。

一乗谷川の橋を渡って、
こんな田舎道を進んでいきます。



朝倉家の住居跡にも入っていくと、



こんな義景公の墓所なんかもありました。



そして庭園は特別名勝になっています。

戦国時代にここで100年以上
平和に暮らした朝倉家を表現した、
立派な遺跡後でした。

さあ、ではもう帰っていきましょう。
帰りは九頭竜ダムの方を回って帰りましょう。



朝倉家の遺跡を出た後は、
足羽川から九頭竜川へと
さかのぼって走ってゆきます。

途中、荒島岳の登山口のある
勝原のあたりも通ります。

この山には、山頂近くから
唯一みえる幻の大滝があったなあ。
道端の山からもどんどん水が
流れてくる水分豊富な山なんです。



手軽に行けるから、また改めて
登ってもいいなあとか思いながら、
道は九頭竜湖に差しかかってゆきます。



昔ここでもトライアスロンが
ありましたねえ。
大会で知り合った関係者の人と
よく手紙でやり取りしたものです。

そんなダムを抜けたら
白山の登山口である
白鳥から郡上八幡の方へと
出てゆきます。

ああ、郡上八幡も一度行って
みたいところですね。

それにしても今年は福井を満喫しました。

あと一か所、雄島にも
いってみたいなあと思いつつ、
とりあえず今回は終わりです。