ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

クリエイトしています

2015年01月31日 21時17分27秒 | お絵かき

今日で1月も終わります。

早いものでもう一年の12分の1が終わりました。

寒い日が続き、
かの地の人質事件が世間を騒がせている今月。
doironには特筆すべき二つの出来事がありました。

ひとつはスーちゃんの入院で、
今日現在も病院で寝ています。
毎日病院に行ってるものの、
これといった改善の様子も見られず、
まだまだ油断のできない状況が続いています。
このことは、追々書くとして、
今日はもう一つの出来事について書きましょう。

それが、クリエイター審査に受かったことでした。

趣味でやっていた絵が、
仕事にもつながるということもそうですが、
プロに認めてもらえたということが
何よりも励みになって
スーちゃんの件で動きをどうしても制限される中で、
晴れの日はできるだけ動き、
雨降りの日はアトリエにこもっての
原稿書きとお絵かきの日々を過ごしました。

「晴耕雨読」という言葉がありますが、
doironの場合はさしずめ「晴動雨筆」と言ったところでしょうか。

最近の作品を少し見てやってください。

まずは、友達が旅行に行った際に食べた
というハタハタの画像を送ってもらったものからです。



ハタハタ科に属する魚で、
焼くのもよし、
塩漬け発酵させたときにできる
「しょっつる」や
この魚の卵である「ブリコ」を使った料理でも
おなじみの魚です。

doironは普通に焼いたハタハタに
レモンを絞っていただくのが好きですなあ。

言葉は、じっと見ていたら
自然に浮かんできたものです。



たいていはそんな感じで言葉を紡いでいます。

ちょっと、あいだみつO風なのが気になりますが、
素直に浮かんだ言葉です。

そしてこれは、昔、
まだマラソンもせず、
山登りばかりをしていた頃に、
林の縁で撮影した写真を参考に描いた
「やぶこうじ」です。



葉っぱが少ししか残っていない株が、
大きな実を3つもつけているのが面白くて
撮影した記憶があります。

もう30年近く以前のことです。

絵にするにあたっては、
葉っぱの光り具合の表現に苦労しました。

言葉は当時の暗い林の中の光景と、
株の大きさとは不釣り合いなほどの
大きな実をつけている健気さを
思い浮かべた時に出てきた言葉です。



これは、御存じワサビです。



doironがこれまで行った山の中で
野生のものを見つけたことが2回あります。

しかしさすがに野生のを抜くことはせず
そっとしておいたものです。

この絵のモデルは、
青空市場で売ってたもので、
なかなかこういうものは、
手に入れてそれを描いたとしても
あとあと食べるのもなかなかなので、
店の人の目を盗んで
写真を撮ったものです。

言葉は、ちょっと遊び心を入れて、
指名手配のポスターをパロッてみました。



最後に、たい焼きです。



これは買ってきたものです。
そこのタイ焼き屋の親父は、
昔からたい焼き一筋の人です。

なので、作るときの型も古くてすり減って
鯛の形がかなり崩れていたのですが、
そこはそれ、絵空事の言葉どおりに、
想像を入れて形をある程度再現して描いています。

あんこの色にも苦労しました。

言葉は、描いた後食べながら考えましたが、
もうこれしかないという感じです。



とまあ、こんな具合に、
身近なものと向き合い、
ぶつぶつ言いながら描いていますと、
知らず知らずのうちに
自分と向き合ったりしているから
クリエイトは
面白いのです。


最近のジム通いは

2015年01月30日 21時26分54秒 | スポーツ全般

相変わらず、運動は
ジムでのエアロバイクがメインだ。

ほぼ30キロを読書しながら
1時間ちょいで漕いでいる。



時間があれば、毎日の距離を時刻表に当てはめて、
紙上で電車旅行してみるのも面白いかもと、
時々思うものの面倒なので実現していない。

もしやるんなら、仮想「奥の細道」なんかも書いてみたいものだ。

この30キロバイクで
一回のカロリー消費は約400キロカロリー。

それをいつもの発泡酒で摂取するとなると、約4本。

もう何年も続けているから、
それをしてたらそろそろアル中になっているかもしれない。

バイクを漕いだ後はローラー台でランを少々。

気が向いたら8キロほど走る。

ゆっくりだけど、体調によっては
傾斜をつけたりもしている。

そうしてトータル700キロカロリーの消費を
最近は毎日の最低のノルマとして
自分に課している。

そんな運動の時に気をつけないといけないのが

水分補給

特にdoironの場合、脱水は禁物なのである。
河童の頭の皿のようなものである。



あ、そう考えたら河童伝説も、
生きていくのに水分は重要だよ
という教訓を含んでいるのかもしれないなあ。

河童のように水をかぶることはしないが、
運動時にはだいたい500mlのペットで
1.5本分の水分補給を心がけているところなのである。

暖かいジムの中での運動だから、
汗もはんぱなくかく。

バイクを漕ぎ終わったら、
機械にたまる汗もこんな感じ。



これはまあほんの一部だ。

実はそこから流れた汗が床にもたまる。
これ。



写真じゃよくわかりませんが
バイクの下なんかはちょっとした
水たまり状態になっている。

床の一部が変色変形しているのも
もしかしたらdoironの汗のせいかもしれないので、
終わったらきれいにふき取ることにしている。

最近は、トレーナーの人も
バイクが終わると、
拭き取り道具一式を持ってきてくれる。

「そのうちキノコが生えてくるかも」



と言いつつお願いすると
「キノコが生えたら鍋にしましょか」と言うので、
「きっとそれは食べたら体を動かしたくなるキノコにちがいないで」
とかなんとか言いながらも
申し訳ないなあと思いつつお任せしている。

運動が終わってからのお風呂も楽しみの一つだ。

湯船につかると「ふわ~極楽極楽」
と心の中でつぶやいてしまう。

ここのジムはすいているのが
なんと言っても魅力じゃね。

大きなお風呂は足も延ばせるし、
湯の量が多いので
熱量も豊富だからとても温まる。



そして湯船で軽くストレッチをすると、
体中の関節がバラバラになりそうな心地よさがある。

また湯船に首までつかりながら、



「今日描いた絵にどんな言葉を入れようかなあ」
なんて考えていると
ついつい長湯をしてしまうんだよなあ。

毎日決まって夕方の2時間余りを
こうして過ごすことが、
一日の大切なリズムづくりとなっている今日この頃です。


大阪八百八橋を巡った 4

2015年01月29日 21時15分26秒 | ウォーキング

淀屋橋の北詰西、
大阪市役所の道を挟んだ正面には、



ちょっと変わった郵便ポストと



こんな石碑が立っています。



「駅逓司大阪郵便役所跡」

まあいわば現在の中央郵便局的な施設だったんでしょう。

ここに郵便役所を建てたのは明治4年。
その時最初の三日間でポストに預けられた郵便物は
53通だったそうです。
歴史を感じさせますねえ。

ちなみに東京―大阪間の郵便物が届くのは、
当時で約75時間くらいだったといわれています。

土佐堀川の右岸には中之島緑道が設けられています。



そのころからぼちぼち帰宅する
ビジネスマンの姿も見られました。



少し陽は長くなったとはいえ、
まだまだ陽の落ちるのは早いものです。

あたりが暗くなり始め
ビルに灯りが灯り始めました。

この日はストロボを持っていなかったので
暗くなってくると撮影がしんどくなってきます。
先を急ぎましょう。

全長約400mの中之島緑道沿いには
こんなのや、



こんな現代彫刻が



10体ほど置かれてありました。

その緑道の終点、
フェスティバルホールの前に架かるのが、



歩行者専用の

錦橋



ここには、大阪の橋に関する
錦絵のタイルが飾られています。





大阪の橋の博物橋と言ったところでしょうか。

そして次が肥後橋です。



そうです。もうわかりますよね。
その昔、川沿いには
ずらっと各藩の蔵屋敷が建っていました。

この橋の北詰にあったのが
肥後熊本藩の蔵屋敷
なのでこの名前になっています。



ああ、車もライトをつけ始めました。



カメラのISOを1600にあげて、
最後にどうしても撮っておきたいスポットがあります。

さらに土佐堀川を歩いて、
筑前黒田藩の蔵屋敷があった

筑前橋を渡り、



大阪市立科学館の横を抜け、



堂島川の田蓑橋を渡ったところにある



「蛸(たこ)の松」です。



久留米藩と広島藩の蔵屋敷の間にあった松は、
その枝振りが見事で
「蛸の松」と呼ばれていたそうです。

それがこれ。



とりわけ月の夕べや雪の朝には
それはそれは見事だったと絶賛されていたそうです。

もともとは堂島川の左岸にあったものが
こちらに移されてきたのですが、
残念ながら枯死したそうで、
今は二代目の松が植わっています。

しかし二代目とはいえ、
今植わっている松も
当時の錦絵にある松と



よく似た枝振りに見えます。

きっと似た松を探して関係者が
奔走したのではないでしょうか。

そうしてこの堂島川の、
福島浜緑道
(今はネーミングライツで「レッド&ブルーストリート」と言われている)



の入り口に蛸の松を記念して植えられた松
というわけですが、
なんと初代の蛸の松の切り株は
今も大阪教育大に保存されているんだそうです。

さあ、これで見たかったところは全部歩きました。

もうすっかり陽も落ち、
ストロボなしのカメラの撮影ももう限界です。

そこから大阪駅に向かい、
最後に撮影したのが
「北新地」の入り口でした。



写真はありませんが
そこから大阪駅を通り抜け
グランフロントにある好日山荘に向かいました。

目的は先日の熊野古道歩きの時に
強風で不便をしたマップケースの購入です。

幾つかある中から選んだのがこれ。



クルクルと丸めてリュックの肩紐に付けるタイプです。

これだと携行はとても楽そうです。
ただ時間の記入などの記録はできません。
まあそれはカメラの時計を
きちんと合わせておくことで、
後で確認できることですから良しとしておきましょう。



次回から使ってみましょう。

そのお店で友達と落ち合って、
凄い人新年会の会場へ向かいました。

参加者は、ツワモノぞろいの人達ばかりで



とても楽しい時間を過ごし、
歩行とあわせて一日たっぷり楽しんで
帰宅の途についたdoironなのでした。

このシリーズ終わり。


大阪八百八橋を巡った 3

2015年01月28日 21時33分47秒 | ウォーキング

大川が堂島川と土佐堀川に分かれるところの先端
そこは「剣先」と呼ばれ、緑のオブジェがあります。

よく見ると下に「噴水注意」と書いてあります。
「何かなあ」と思って見ていた丁度その時に
水が噴き出してきました。



なるほどこんな風に水が出るのなら、
船も気をつけないとなあ。

それにしても何のための噴水なんでしょうか。
曝気による河川水の浄化が狙いなら
小さすぎるように思うのですが。
帰宅して調べたら、公園のシンボルとして
設置したものらしいです。

しかもあの有名な建築家
安藤忠雄さんの設計だそうです。
あまり知られてないけど、
お金がかかってるんですねえ。

その噴水の取水口が天神橋の螺旋階段のすぐ横にありました。



下におりて芝生養生中の広場を
横目に進んでいったときに
一台の自動販売機に目が止まりました。

実は最近、行政から自治会に対して
防犯カメラをつけないかという呼びかけが
頻繁にあります。

聞くと補助金等は全くないそうですから話になりません。
そこで、ふと気づいたのが
自治会公民館前にある自動販売機です。

最近の自販機は、
災害時には無料開放される機能があったり、
AEDを備えてある機械があったりします。

自販機自身の防犯にもなるのだから
カメラを備えている自販機も
当然あるはずですから
それを活用できないのかと
思い至ったわけです。

さっそく地元の市役所に行き
そのあたりを調べてほしい
と要請したところでした。

なぜそんなことを思い出したかというと、
そこにあった自販機には
防犯カメラがついていたのです。



どこまでの範囲を写すことができるのかわかりませんが、
少なくとも自販機前の広場くらいは
レンズの視野に入っているはずです。

この写真を持って、
また行政に行ってみようと思いました。

小さな「ばらぞの橋」を渡ると



そこがバラ園です。



しかし今の季節にはまったく花がありません。
造園業者らしき人達が
せっせと手入れをしておりました。

そのバラ園の真上に架かるのが
浪華三大橋の最後のひとつ「難波橋」です。



橋の両詰にライオン像のあることで有名な橋です。



これまでの橋と違うのは、
かなり重厚な作りになっています。
橋の途中にはこんな橋脚があったり、
こんな解説も設置されています。



うんと目立たない橋の下の
ちょっとしたところにも、
凝った彫刻が施されていました。



大阪八百八橋を象徴する橋と言っても
過言ではないでしょう。

ここからコースは大阪の文化・行政の中心地に入ってきます。

東洋陶磁美術館は工事中でした。



これが以前にプロジェクションマッピングを見た



中之島公会堂。



そしてこれが府立中之島図書館で



これが以前仕事でもたまに来ていた大阪市役所です。



クリスマスイルミネーションのあった

「みおつくしプロムナード」



も今はビジネスマンたちが
せわしなく行き交っています。

栴檀木橋を見ながら歩いていると



そんな一角にも
かつての関大阪市長の銅像が立っていたり



「緑の賛歌彫像」があったり、



サンフランシスコとの姉妹提携記念碑があったりしますが、



doironが写真を撮っていると
行き交う皆さんも

「あれ?何を撮ってるんやろ」

みたいな顔で通り過ぎてゆきます。

毎日通っていても意識をしなければ
見えるものも見えないんでしょうねえ。

その先にあるのが「淀屋橋」です。



豪商、淀屋が架けた橋です。

先の浪華三大橋は公儀橋でしたが、
ここは町民が架けた町橋です。
御堂筋が通るこの橋は、
今や大阪の大動脈。

言ってみれば、お上が架けた橋よりも
町橋の方が賑わっているわけで、
大阪の町民にいかに先見性があったか
を思わせる橋ですねえ。

大阪市役所駐車場の名物、
ひげのおじさんは探したけれど見つかりませんでした。

まだ携わっているんでしょうかねえ。

御堂筋を渡って、さてここからしばらくは、
これまであまり通ることのなかった
土佐堀川沿いの道に入っていきます。



続く


大阪八百八橋を巡った 2

2015年01月27日 21時13分13秒 | ウォーキング

この銀橋は正式名は「桜宮橋」と言います。
国道一号が通っている橋です。

ぱっと見た目1本の橋のように見えますが、
実は2本の橋で構成されています。

北側から見たこの橋が「新桜宮橋」



そして南側に架かるのが「桜宮橋」です。



下をくぐる道はこんな感じ。



そのトンネルを出ると、
目の前に造幣局が現れます。



ふと右を見ると、こんなものがありました。



「みゆき橋跡」と書かれています。
はてな?資料にも書かれてないぞ
と思いつつ写真をパチリ。
あとで調べたら、
造幣局へ地金を水運で搬入させる掘割に
架かっていた橋の跡だそうです。

その造幣局には貨幣博物館があります。
入場は無料なんだそうですが、
今回はスルーです。
お金は見飽きましたから・・

この博物館の前の通路が、
春先の花見シーズンに解放されます。
俗にいう「造幣局の通り抜け」ってやつですね。
抜けるのにもあまり興味はありません。

このあたりは桜の季節には
さぞかしライトアップもすごいんでしょうねえ。
照明設備の数が半端ではありませんでした。



さあ、次の橋が見えてきました。

「川崎橋」



北大坂サイクルラインが大川を渡る橋で、
自転車・歩行者専用の橋です。

高い塔からケーブルを張った
その特徴的な姿は桜の景観とあわせて
たびたび映像になっているようで、
「大阪みどりの百選」にも選ばれています。



河川敷から橋の上に出てみると、
橋の向こうに大阪城がちょこんと見えていました。



橋の名前は、かつてこの架橋地点にあった

「川崎渡し」

からつけられているそうです。

大川が南北の流れから
東西の流れへと方向を変えていくそのあたりで、
対岸に日経新聞社とテレビ大阪が見えてきます。
そこが寝屋川との合流点です。



そしてOMMビルが見えてくると、



浪華三大橋のひとつ

「天満橋」

にまもなく到着です。



12本あった公儀橋のひとつで、
北斎の絵も残っています。



この絵は多分天神祭のときの様子でしょう。
橋の欄干につけられた提灯は
今も祭りの時には同様に並べられるようです。

その天満橋をくぐると、



そこに「将秦島粗朶水制」の石碑があります。



これは何かと言いますと。

このあたりの大川の中には
もともと将秦島という島があったそうです。
天満橋はその上にかけられた橋だったのですが、
ここには粗朶水制という
川の流れを制御する仕掛けも施してありました。

丸太を組んでその間に石を入れたものを
流れの中に突き出して水の勢いを弱めるこの方法は
ケレップ水制といわれ、護岸に効果があったそうです。

ふ~ん、そんな取り組みがあることも、
水を制御する「水制」という言葉があることも
ここで初めて知りました。

歩くことは知ることなんですねえ。

淀川三十石舟舟歌碑や



天満の子守唄の碑、



そして天満青物市場が
かつてここにあったことも知りました。



フムフムと脳みそを刺激しながらふと対岸を見ますと、
八軒家浜の燈籠がみえています。



そう、そここそが、今も歩き続けて
現在切目にさしかかっている
熊野古道のスタート地点です。

陸続きなので当然と言えば当然なんですが、
あの峠道や風の強い海沿いの道と
ここがつながっているのかと思うと
感慨もひとしおです。

そんなことを思いつつ、
なおも歩いていくと、



もう一つの浪華三大橋である

「天神橋」



にさしかかります。

昨秋、日本一長い商店街を歩いて
さしかかった橋です。

こんな橋名飾板も懐かしい気がします。



ここから水都大阪の景色を眺めながら
中ほどにあるらせん状の階段を下りて、
コースは大川が土佐堀川と堂島川に
分かれる分岐点にある中之島公園に降りてゆきます。

季節が季節であればバラの花が咲き競う
バラ園がありますが、



どうやら今は養生中のようです。

続く


大阪八百八橋を巡った 1

2015年01月26日 21時31分44秒 | ウォーキング

その日はジダンプロデュースの
「凄い人新年会」が
梅田で行われることになっていました。

そこで、それが始まるまでに
旧淀川沿いの道を歩いてみようと思い、
早い目に家を出て桜ノ宮に向かいました。

歩いたのはこのコース。



JRの桜の宮駅を出発し、
大阪駅を抜けてグランフロントまでの約9キロです。

実はこの4日後に女子マラソンの応援で
このあたりに来ることになっていました。

昨年も応援の前日に
大阪城ホールのコンサートにきていました。
マラソンの前には
何か気持ちがこっちに導かれるのでしょうか。

このコースの見所は何といっても、
かつての大坂の水運を担った川と
それ沿いに点在する様々な旧跡と、
次々に現れる橋々と
大阪文化・経済の中心地も通るという
今昔あわせもつ浪速の景色です。

水都大阪、その姿を追いつつ歩いてみましょう。

桜ノ宮に着いたのは15時10分。



駅の西口を出るとすぐ目の前が旧淀川、
現在は「大川」と呼ばれている川です。

そこに架かる橋を渡ります。
かつて「源発」という中洲があり、
渡しのあったこの場所にかけられているため
「源八橋」と名付けられています。



橋の名前にも歴史がありますねえ。

今の時代、ちょっとドキッとする中洲の名前ですけどね。

その中洲も今はありませんが、
左岸に水の広場というエリアがあります。
これが中洲で区切られていた部分なんでしょうか。

「源八をわたりて梅のあるじかな」

という蕪村の句が残っています。

この橋の中ほどから大阪城が見えます。

ほら、この通り。



この橋を渡り下に降りて、
こんな気持ちのいい広い遊歩道が続く
大川の右岸を南下していきます。



このあたりは駅の名前からもわかるように、
春には見事な桜並木となります。
今はまだつぼみもかたそうでした。



ここが、大阪水上バス「アクアライナー」の
OAP乗船場。



周遊コースで1700円。淀屋橋まで1380円だそうです。

帝国ホテルの目の前だけに、



豪華客船で帝国ホテルの食事をしながら周遊する
グルメ・ミュージック船「ひまわり」号も就航しているそうです。
乗ってみたいような、そうでもないような・・・

その帝国ホテルから続く庭のようなところに
「彫刻の小径」が作られ、



アーティスト達のオブジェが並んでいます。



こんなのやら、



こんなのね。



doironもフリーライター、クリエイターと進んできましたが、
ここにあるのはさすがに
「アーティスト」の作品というだけあって、
凡人の理解を越えた数々のオブジェ群でしたな。

その彫刻の小径を入り口あたりにあるのが

「OAPビル」。



大阪アメニティパークビルの略なんだそうです。
中にはオフィス、レストランもあるそうですが、
「まだ、連れて行ってもらったことありません~」。

そしてここは小径の出口にある
「アートコートギャラリー」。



絵画、彫刻のほか様々なアートが展示されている
入場無料の建物です。

お、行く手にもう次の橋が見えてきました。



さすがに大阪八百八橋と言われるだけあって、
今回の歩行ではこれから先も
次々と橋が出てきますよ。

浪華三大橋と言われる、
天満橋、天神橋、難波橋ももちろんくぐります。

ところで本当に八百八も橋が架かっていたかというと
そんなことはありません。
八百八は数が多いことのたとえです。

実際のところ元禄時代には
大坂の橋は200本くらいだったそうです。

そして、その内「公儀橋」は全部で12本。
他は浪速の人達が自主的に架けた
「町橋」だったんだそうです。

そんな橋の多さが、
川沿いに各藩の蔵屋敷が密集するほど、
三十石舟が行き交っていた
大阪の当時の繁栄を物語っているのですねえ。

今、河川敷は公園として整備をされ
ジョギングする人も多く見受けられましたし、
使いみちの少ない広い土地を活かして、
いろんな石碑なんかも置かれているようです。

これもそのひとつ。



明治18年の淀川大洪水のことを書いた石碑です。

残念なことに、
ついうっかり裏側を写し忘れてしまいました。

反省。

その水防碑を過ぎたらすぐに
桜ノ宮橋、通称「銀橋」と言われるこの橋をくぐっていきます。



さあて橋の向こうはどうなっているのでしょうか。

続く


マラソン応援にて

2015年01月25日 21時17分50秒 | マラソン

今日は大阪国際女子マラソンの
応援ということで
大阪城公園周辺に行ってきました。

この大会にはほぼ毎年
何らかの形で応援に行ってます。
思い起こせば横断幕を作っていったり
手作りプレートをかざして
応援したこともあります。
丁度途中で選手達と対面するような形の
コース設定であるハーフマラソンを
走りながら応援したこともありました。
ああ、雪の降る中の応援もあったっけなあ。

まあ、言ってみれば女性ランナーたちの
晴れ舞台でもあり、
こちらにしてみれば
応援祭りのような大会でもあるわけです。

一緒に応援するジダン達と
森ノ宮の駅で待ち合わせました。



しかし、ちょっと早く着いたので
駅周辺を散策です。
このあたりには、昔々によく
研修で来ていました。
なじみの喫茶店、行きつけの居酒屋も
あったので、それらを探索してみましたが、
残念ながらどのお店も今はなくて、
時の流れを感じましたねえ。
商店街にもこんな名前がついていました。



「太閤さんの城下町」

時の流れといえば
マラソンの方でも感じました。
参加者名簿をマーキングすると
かつては目がチラチラするほど
多くの知り合い選手が走っていたのですが
こちらの方も時の流れで
年々少なくなってきています。
自分が走らなくなったというのもありますが
レベルの高い大会なので
年代の近かった選手たちが
どうしても少なくなってきますからねえ。

合流後は昨年と同じお店で
先ず昼食です。
歳を取ってくると行動が
パターン化しがちですな。



自然にやさしい手動ドア、だって。
たかが手動ドアでなんという傲り。
だったらうちの家も自然に超優しい
おうちじゃないですかい。

おじさんはメニューも昨年と
多分同じチョイスになりました。
これ



カレーうどんの定食です。

一口食べてから
写真を撮っていないことに気づき
パチリとすると同時に
この時同時にdoironの頭をかすめたのは
ミセスが出がけに行ってた言葉です。

「今夜はカレーやからね」

やってしまいました。

おじさんパターン化の法則に見事に
はまってしまいました。

食事は昼時とあってひしめき合って
座りつついただきました。
こんな感じ



う~ん、なかなか本題に入れません。
マラソン応援でしたね。
早送りしましょう。

▽▽

大阪城公園のトイレは改修中です。



あ、もっと早送りしましょう。

▽▽▽

で、結局ガメラが連覇でした。



レース応援後は
王将で餃子をつつきながら
ふたたび生ビールを飲んで帰ってきました。

とまあ、こちらはすっかり楽しんだのですが
選手の皆さんはお疲れ様でした。

doironとジダンの姿が
少しはハゲみになったでしょうか~

皆さんの雄姿をしっかりと
心に刻ませていただき、
明日からまた頑張る日々の
糧にさせていただきます。



ありがとうございました~


夢と思い出をグラスに浮かべて

2015年01月24日 21時01分21秒 | 生活

奄美大島と言えば、これまで2回行った。

いずれも徳之島トライアスロン参加時の
飛行機トランジットとして立ち寄った。

徳之島も奄美大島も海の水はきれいだったなあ。
シュノーケリングで常に底が見えていたっけ。

その奄美大島で作られているお酒が、
黒糖焼酎の「れんと」。

開運酒造という会社が作っている。

その「れんと」を知ったのはエイであった。

若い頃で焼酎の味もよくわからない頃、
いも焼酎は臭いし、麦焼酎は飽きた
ということで、何飲もうかなあと考えていた時に
ママさんが勧めてくれたのが、れんとだった。

当時は、徳之島や宮古島などの
南の島のトライアスロンに出場していたので、
この黒糖焼酎はあの南の島の
夢のような日々を思い出させてくれて、
たちまちツボにはまってしまった。

くせのない味、ほのかに香る黒糖の香りが
あの夢の世界に意識の底の方で誘ってくれていたのだ。

エイは毎週行くのでそんなに深酒はしない。
ゲストの無い時はたいてい生ビール中を1杯と
焼酎お湯割り1杯程度で満足して帰ってくる。

そのビール後の焼酎がずっとれんとだったのだ。

ところが、5年くらい前だろうか、
エイの取引している酒屋さんが
れんとを取り扱わなくなったらしく、
ぷっつりと入荷が途絶えてしまった。

れんとには心の栄養ももらっていたのに
残念というほかはない。

で、焼酎をやめたかというとそんなことはない。
それでも焼酎お湯割りは飲み続け、
においにもずいぶん慣れたところから、
麦から次第にいもへと移行しつつある
今日この頃なのである。

先日、近所の酒屋に出かけたときに、
懐かしいれんとを見かけたので、
迷わず買ってしまった。



青いビンがとてもきれいでしょ。
このれんとというお酒は、
発酵、蒸留後アルコール度数調整のために、
天然水を加えさらに三か月寝かせて
アルコールと水の分子をなじませている。

その際に、タンク全体にクラシック音楽を元にした
振動を与えているそうだ。
いわゆる「音響熟成」と名付けている。

こうすると味がまろやかになるのだそうだ。

加えて、doironの天敵であるプリン体はゼロ、
糖質もゼロという。



夜のチューハイを控えつつ、
カロリー消費のノルマを課してバイクを漕ぎ、
ローラーを走るという涙ぐましい
ダイエットに取り組んでいる身としては
ありがたいのひと言である。

いい文章が書けた日や、
思い通りの絵が描けた日には
自分へのご褒美として飲むのも悪くないな。

グラスにこれからの夢や
いろんな思い出も浮かべつつね。


作ってミソ

2015年01月23日 20時55分34秒 | 生活

昨年から計画していた味噌作りにようやく着手した。

クックパッドやいろんな人のネットには、
一度手作り味噌を食べると、
市販の味噌は食べられなくなる
というほどおいしいと書かれてある。

夕食にはビールとみそ汁が欠かせないdoironにとって、
これは試してみなくてはなるまいて。

ドブロクづくりを勧めてくれた
マラソンカメラマンのTさんも作っているそうだし、
腕まくりして頑張ってみた。

材料は和泉の山の方まで買いに行き
大豆、米麹を用意。

先ずは大豆500g。

これを前日から水につけておく。



水を吸ってかなり膨れるので
大きめの容器を用意しなくてはならない。

それを、味噌作りの朝からコトコトとストーブで煮込んだ。
みそ職人の朝は早い。



そういえば昔はこうしてスーちゃんが
豆の煮込みを作ってくれていたなあ。

ずっと昔は練炭火鉢で炊いていた記憶もある。



そんな時は家中に美味しそうな
においが漂っていたもんだ。

今回はこの段階での味付けはないので
ほのかに豆の香りが漂う程度。

それでもグーが「な、何事?」という感じで
落ち着きがない。
鼻をクンクンさせながら、
ストーブの前を行ったり来たりしていた。

豆が指で簡単につぶれるくらいになったらOKだ。

煮汁はまだ使うので捨てないでおこう。

煮た豆を大きな容器に明け、
ミキサーとすりこ木棒でつぶしていく。

つぶしてると何となくアンコっぽい香りがしてくるよ。

豆の原型がなくなるまで
根気よくグチュグチュとつぶしたら
豆の準備はこれでOK。



と簡単に書きましたが、
実際はミキサーの調子が悪く



ほとんどをすりこ木でつぶしたので、
生クリームでバターを作る時ほどではないけど、
軽く筋肉痛になります。

う~ん、台所は戦場だあ。

次に豆と同じ量の米麹500gを
先ほどの豆の煮汁に一旦つけて
軽く水気を切ったものに、



塩300gを投入しよく混ぜる。



混ざったらそれをつぶした豆に投入し、
よくかき混ぜて、



金属の容器ではない大きめのタッパに移して
ガーゼ、板、石の順番で重しをかけて、
仕込みは終わり。

あとは麹さんにお任せとなる。
麹にお任せ・・・
麹に丸投げということで、
味噌の名前は「マルコメ味噌」に対抗して

「マルナゲ味噌」。



この寒の時期に漬け込んで
土用の丑の日に御開帳となる。

う~ん楽しみだあ。


熊野古道 強風の中を 5

2015年01月22日 21時09分48秒 | ウォーキング

切目王子でホルトの木をデザインしたスタンプを押してから、



さあ駅の方に向かいましょう。

お、山の中にこんな格納庫がありました。



馬でも入っているのでしょうか?へへ

緑の濃い
しっとりとした街道を歩き、



切目の町に降りていきました。



「切目(きりめ)」とは、
潮の流れが内海と外洋との切れ目に
あるところからつけられた名であるともいわれています。

そうそう、このあたりに最後の見所である

「亀の地蔵さん」

があるはずと下っていくと、

あれ~?ありません。

おかしいなと思って、
今来た方を振り返ってみますと、
目の前に看板がありました。



南下する人には見えない案内ですねえ。
注意しましょう。

案内に沿って入っていきますと、



ありました。
これが亀の地蔵さんです。



ユニークな名前ですが
いわれも面白いのです。
ある日、この街の漁師が
死にかかっていた亀を助けたところ、
その亀が教えてくれた方法で
自分の病が治ったのだそうです。

では亀はどのようにして
治療法を教えたのでしょうか。

「首をすくめなさい」
とか
「甲羅干しをしなさい」
とかでしょうか。
そこのところがとても気になるのですが、
霊験あらたかな地蔵だそうで信じましょう。

信じる者は救われるはずです。

さあ、これで今回の見所は
漏らさずチェックできました。

切目川に



架かる切目橋を渡り、



駅に到着です。



電車の時刻表を見ると、
これが一時間に1本しかありません。
車を停めてある御坊に向かう
次の電車までまだ40分あります。

さあ、どうしようと思って駅前を見渡しますと・・・
おや?変なものがぶら下がっています。
見に行きましょう。



これはなんだと思いつつ写真を撮っていると
人のよさそうな店の女性が出てきました。

「これはなんですか?」
と聞くと
「うつぼを干してるんやよ」だって。

よかったら中に入ってお茶でも飲んでいきと
勧められましたので甘えることにしました。

そこは、田舎によくある
まさに「よろずや」。

海産物、野菜、お菓子、お米、日用品もあります。

中に入って熊野古道を歩いていることを説明すると、
いろんなことを話してくれました。

「で、御主人は何の仕事してるん?」
と聞かれたので、
フリーライター、クリエイターと
横文字で答えてもわかってくれそうにないので
「いやあ自営業やねん」と言っておきました。

そしたら
「いやあ、その笑顔で何の商売してるんか知らんけど、
さぞかし客がようさん来るんやろなあ」と言われました。

「そうやねん。買ってくれた人には
いつもより多めに笑うねん」
と応えようと思いましたが、
それは言えませんでしたな。

「いいえ、店じゃなくて書く仕事してるんや」
「え~、隠し事はあかんなあ」
と変な会話が続きます。

「要は新聞書いたり、絵を描いたりしてるねん」
でようやくわかってくれたようです。

お茶とまんじゅうをいただきながら



話の合間に、手持ちの地図を見てみると、
切目駅前のお店のことが乗っていて、
そこに店の女主人のことが
写真入りで書かれてありました。

その顔と、今目の前にいる顔がよく似ています。
名前も書かれてあったので

「もしや稲田OOさん?」

とその名前を聞くと
「そうです」とのこと。

地図の片隅にはその人の
「熊野古道を語る」というミニコラムも
載っているではありませんか。

たまたま入ったお店でいい人に出会いました。

次の歩行のために
「このへんにコインパーキングはある?」
て聞くと、「駅前にとめといたらええねん。
なんやったらうちの駐車場にとめといてもええよ」
とまで言ってくれるではありませんか。

ありがたいお話です。

それからその女性の身の上話まで聞かされ、
おかげで電車が来るまで



退屈せずに過ごすことができました。

稲田商店



のおかあさんありがとうございました。

強風に耐え、寒さに耐えて歩いてきたこの区間。
御坊に帰ってきたときには、
自転車置き場の自転車が
ことごとく倒れているほどでした。



次回は切目から南部(みなべ)に向かうことになりますが、
どうせなら梅の花の頃がいいなあと思っています。

虹のかかる帰りの高速道路上の
写真を紹介しながら



このシリーズ終り