ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

十三から縦走 危うくハリポタに

2015年06月30日 21時38分29秒 | ウォーキング

十三大橋南詰の上流側にはこんな石が立っている。



「淀川」と書かれた横の面には、



少し消えかかって見にくかったのを解読すると
「河口まで7キロ」とある。

へ~まだ7キロあるんや。

ということは瀬田川から始まって
河口まで75キロであるから、
ここまで68キロということか。
淀川完歩のときはここまで来ても
頑張って歩かねば~

上流から下流に向かって左側の岸、
つまり左岸には河口のところに

「淀川距離標0.0キロ」

という標識があるそうだ。

その写真を撮るのはいつになるでしょうかね~。

そして今度は南詰の下流側を見ると、
目についたのが、この「水防碑」。



「災害は忘れた頃にやってくる」
と書かれてある。

どこかで同じような石を見たぞ
と思い記憶をたぐってみると、
大阪の都心を流れる大川沿いにも
同様の石が立っていたのを思い出した。

これ。



「・・忘れた頃に・・」かあ。
てことは・・・

近頃は、日本列島が何となく蠢いている。
昨年の御嶽山以来、口永良部島、
箱根、浅間山など各地の火山が
噴火傾向にあるし地震も多発している。

それにあの未曾有の大惨事
東北の大震災もまだまだ記憶に新しい。

災害が本当に忘れた頃にやってくるというのなら、
忘れてないから
まだ安心と言えなくもないよなあ。
なあんて偏屈なことを考えてしまった。

そんな水防碑の横には、
こんな大きな道標が立っている。
近くで確認してみようと、
堤防にたてられた車止めの二本の鉄パイプの間を
すり抜けようとしたその時だ。

何が起こったのか一瞬わからないほどの
衝撃を「ガイ~ン」とおデコに受けた。

あたりに火花が飛び散り、
しばらくの間、頭の周りを黄色い小鳥が
回っているように見えたぞ。

しばらくして冷静になってよく見ると、
その車止めの直径10cmほどの二本のパイプは、
ちょうどdoironのおでこの辺りの高さで
「コ」の字を左に90度倒したような形になるように
同じ太さのままつながっていたため、
その部分が帽子で目に入らず、
思いっきりおでこをガンッ!
としてしまったのだ。

全くその瞬間があまりに唐突にやってきたため、
落ちてきた隕石が当たったのか、
あるいは水の詰まった2リッターのペットボトルが
どこかから飛んできて頭に当たったのか
と思ったほどであった。

原因が鉄パイプとわかった瞬間、
恥ずかしさがこみ上げてきたね。

だって、すぐ横の176号を
車がいっぱい走っていたからね。

口笛を吹きながらそっと石碑の影に行き、
携帯の鏡アプリでおでこを確認したら、
赤くなっているだけで傷はなく、
幸い流血の事態は免れたようである。

ああ~、危うくハリーポッターになるところだったわい。



それにしてもこんなにひどくおでこを打ったのは
久しぶりやなあと思ってハタと気がついた。

そうまさに、「災害は忘れた頃にやってきた」のである。
人の言うことは素直に聞くものだ。

落ち着いてから、道標を確認した。

一番上に、東西南北の方角が刻まれている。



道路に面しては「往来安全」と大きく刻まれ、
その下に、向かって右を指す掌の浮彫とともに

「池田四里 伊丹二里半」

と刻まれてある。

台座の石にも、左向きを指す掌と一緒に
「高麗橋 一里」とある。



「高麗橋」とは言うまでもなく、
当時の里程元標、
今で言う道路元標があったところを指している。



そして十三大橋に続いて、
すぐ横を淀川と並行して流れる旧中津川には
十三小橋もかかっている。



小さい橋だが、
橋柱は大橋と同サイズの立派なものだったなあ。

渡り終えたらそこから中津を越え、



梅田へと向かって歩いた。



途中、あの御坊にあった
日本一短い私鉄の紀州鉄道が営むホテルを発見。



房総半島に続いて2軒目の
紀州鉄道のホテルである。

意外なところで旅はつながるもんじゃな。

その後、書店で注文してあった地図を受け取り、
合計7キロ弱の歩行を終えて



無事に帰宅したdoiron。

いやあ、ゴルゴやハリポタも登場して
思ったよりなかなか楽しいプチ歩行でした。

おでこを冷やしつつ終わり。


十三から縦走 ゴルゴ十三

2015年06月29日 21時35分28秒 | ウォーキング

十三のあたりは昔からの道と
新しい道路や高架が複雑に交差しており、
二回曲がったら元の位置に戻るといった
変則的な地理になっている。

そのため、あちこちウロウロしたが
どうももうひとつ地形がよくわからなかった。

とにかく気持ち的に、淀川に架かる十三大橋に向かうことを
頭に描きながら、目に入った繁華街に
突入しては出てくるという歩行を繰り返した。

ここは少し駅から離れてはいるが、
店と店の間の道も広く、
なんとなく新世界に似ていたな。



歓楽街のはずれには、
夜の案内所のようなところもあったが、
中から鋭い目つきでにらまれたので
写真は撮れなかったわん。



きっとあの人はゴルゴ13ではなく

ゴルゴ十三

といわれているのに違いない。

紹介料(そんなのがあるかどうか知らないが)を
払おうとすると、

「ポケットから手を出すときはゆっくりと出すことだな」

とか、

「いい店を紹介してくれてありがとう」
と言いながら握手を求めると、

「俺は利き手を人に預けるほど自信家じゃない」

なんて言われたりしてね。

そんな夜の案内書を横目でちらっと見ながら
十三の街を後にし、北摂の幹線のひとつ、
能勢街道である国道176号
通称「いなろく」を南下していくと、



道の先に梅田のビル群を背景にして
「十三大橋」が見えてきた。

おお~なんとなく山道を歩いていて、
目的の山の姿が見えてきたときのような感じだ。



橋のたもとにその十三大橋の説明板があった。



その説明板にはここにかつて
「渡し」があったと書かれている。

実は、この説明板には書かれていないが、
この渡しこそが「十三」の名の起源となっているのだ。

つまり、ここが淀川の上流から
13番目の渡しであったことから
その地名になったといわれている。

また案内板によると、初めてここに橋を架けた時は
渡るのが有料だったそうだ。
ちなみに人2厘、牛馬5厘だったそうだ。
橋銭をとるという意味では
紀州街道の堺にあった「太陽橋」と同じだが
こっちは規模が違う。

当時の橋の長さは約155m、
その後川の付け替え等で川幅も広がり、
今の大橋は全長約680mと
4倍以上になっている。

あ、もちろん今は無料ね。

中央に市電が走ることも想定されて作られた
今の大橋の姿は、
大規模橋梁としての造形美が有名で、
背景にビル群を従えたその姿は、
まるで大屋敷に通じるらん間のようだ
という人もいる。

数ある大阪の橋の中でも
名橋のひとつである。

橋の北詰にはこんな地蔵もある。



「交通安全地蔵」。

先述の「見返りトミー」君のいた
十三本一商店会が世話人になって
立派な石碑も作られてあった。



石碑には、石に刻まれた

「交通安全地蔵」

の文字が薬師寺の貫主の揮毫であること、
この地蔵建立後20年間事故がないこと
などが書かれてあった。
立派なご利益じゃ。

この日は少々暑かったが、
歩いて橋を渡っていると



川風がとても気持ちよく、



何度も何度も橋の上に立ち止まっては
淀川の景色を眺めていたdoironなのであった。



けどねえ、すぐ上流には阪急電車の橋梁が架かり、
下流側には十三バイパスの通る
新十三大橋が架かっているため、
遠くの方まで見渡すことができないのは残念だったな。

水面を見ていると、水が滔々と流れ、
吸い込まれそうだ。

先月歩いてきた伏見の疏水や
琵琶湖から出たばかりの瀬田川の流れが
ここまで続いているんやね。

この時、来週からいよいよ淀川完歩をはじめようと
あらためて決意した次第でおます。

お、川の中に腰まで水に浸かり
釣りをしている人がいた。



何が釣れるのだろうとしばらく眺めていたが、
見ている間は何も釣れていなかったな。

ようやく渡り終えると、
やはりこれだけの歴史のある大橋のことだけあって、
南詰にもいくつかの石が立っているのが見えた。

どれどれ、と続く。


十三から縦走 しょんべん横丁

2015年06月28日 21時28分17秒 | ウォーキング

2万5千分の1の地形図は
大型書店に売っているとこの前書いたけど、
実はそんなにすんなりと手に入るというわけではない。

数々の案内本に乗っているような
メジャーな山を含む地図なんかは、
品切れになっていることが多いのだ。

案内本の地図では心もとないし、
かといって地元市町村のパンフレットや
山と高原地図にもないとなると、
地形図がやはり頼りになるわけだ。

書店で尋ねると、
随時補充はしているそうだが、
たいてい全域が揃っているわけではない
とのことであった。

ではそんなときはどうするか。

ネットでアマゾンを繰ってみても
手に入らないようだから、
その書店に取り寄せてもらうのがいいようである。

先日も、梅田での用事が色々たまってきたので、
地形図のまとめ買いも含めて
梅田まで電車でのこのこと出かけて行った。

しかし、案の定目的の何カ所かの地形図は
半分ほどしか在庫がない状態だったので
しかたなく取り寄せを依頼して帰ってきたところ、
後日入荷した旨の連絡があり
再び買いに行くことにした。

その時は、他に梅田に用事がある
というわけでもなかったので、
散策と組み合わせてみることにし、
いろいろと検討した結果、
今回散策地に選んだのは「十三」だった。

13日に十三だあ~

関西の人にはわかるだろうけど、
関東圏の人には珍地名じゃろね。

梅田から淀川を渡ったところにある繁華街だ。
イメージ的には上品な北摂の玄関口にあるというのに、
歓楽街のあるこてこてな街といった感がぬぐえない。

かといって怪しげというわけでもなく、
親しみのある胡散臭さや
ディープさ加減を漂わせているように思う。

そんな十三だが、
これまでここは電車で通過することはよくあっても、
下車してじっくり歩いたことがない。
本当にそんなイメージが正しいのか、
それを確かめるべく街歩きをし、
やがて淀川完歩で通過することになるであろう
橋をてくてく越えて梅田に地図を受け取りに行くという
十三から縦走するコース設定で出かけていったのであった。

前置きが長くなった。
早速歩きはじめよう。

十三には阪急神戸線と宝塚線と京都線が乗り入れている。



駅を降りて西口に出ると、



工事現場の囲いが目に入る。



そう、この西口を出てすぐのところにある、
通称「しょんべん横丁」が
2014年3月7日早朝に火事になり、


ネットから

今もその焼け跡は更地のままで
工事塀に囲われているのだ。

復興に向けて動いているものの
土地の権利関係がややこしく、
また復興案の意見もなかなかまとまらず
1年以上たっても更地のままになっている。



トラ柵の間から写した写真がこれ。



駅の石垣に立ちション防止の赤い鳥居が見える。



戦後しばらくこの飲み屋街には
トイレがほとんどなく、
駅の石垣に向かって
立ちションをしていた人が多かったため、
こんな名前で呼ばれていたそうだ。

赤い鳥居はその時の名残だろう。

火事の原因はタバコのポイ捨てともいわれている。

けが人、死人の出なかったのが
せめてもの幸いだった。

駅周辺には、このしょんべん横丁の他、
この地下道を挟んで



多くの商店街が今も軒を連ねている。



これらを見て回るだけでも1日たっぷりかかりそうなので、
スナップショットをいくつか紹介だけしておこう。











そんな数々の商店街のひとつ

「十三本一商店街」に「見返りトミー」君がいた。



この十三あたりは昭和20年の大空襲で
焼け野原になったそうだ。
その後「しょんべん横丁」を中心に
復興が進んできたそうだが、
そういった歴史の継承や
今後の十三の発展を願って、
作られたシンボルがこの見返りトミー君。

「トミー」は「十三」のごろあわせなんでしょう、きっと。
そうそうブリュッセルにいる
世界一有名な小便小僧のジュリアン君とは、
親戚になるそうだ。



doironもたまに山で辛抱たまらん時には
親戚になったりするけどね。

それにしても発展の末に
というか発展したがゆえに、
酔客で賑わい、酔っ払いに
ポイ捨てられたタバコで再び
一部が焼け野原になったというのは皮肉なものだ。

そういう歴史もまた継承されていくべきなんだろうな。

コテコテの街というイメージから
脱却を目指しているという印象を強く受けた。

今後のさらなる復興を願いつつ続く。


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 5

2015年06月27日 21時07分58秒 | ウォーキング

5.陰謀はトロイの木馬のようにの巻

結局、今回歩いたのはこんなコース。



おお~、まるで梅雨前線のような
形をしているではないか。

それは二人の戦いが
いかに壮絶であったかを物語っている。

さあ、いずれにしても戦いは終わった。

ビールだビールだごちそうだと、
王将に入った。

この時だ、メニューを見るジダンのまなざしが、
本日もっとも厳しくなったのは。



餃子はとりあえず2人前。



でもなあ、料理は小皿にして
種類を多くするかなあ、
それとも全部大皿でガッツリ行くかなあ。

と山では見られなかった真剣さ。

まあ、とりあえずビールで乾杯じゃね。



結局、大ビンをおかわりして、
結構がっつり食べて
家路に着いた二人なのでした。・・・完 


といきたいところがもう少し続きがある。

ドジ旅も今回で4回目を迎える。
今まで歩いたのは道歩き中心で、
たまに山歩きが加わるコース設定だった。

ところが、今回は山歩き中心のドジ旅だったので、
そういう意味では新しい試みと言えなくもない。

その際、トレイルランナーのジダンにとっては、
舞台設定はいつもと同じでも、
中味はdoironにあわせて
走るのではなく歩くという
変則的な山歩きになって
戸惑う部分があったのだろう。

下山したら風呂へ入ると
何の疑いもなくい思い込んでいたことからも
それはよくわかる。

これも急きょコース変更へと
二人を追い込んだ梅雨前線の陰謀
だったのかもしれない。

しかし、実は陰謀はそれだけではなく、
さらに帰宅後の我々を襲うべく
トロイの木馬のように静かに、
ひそかに二人の中に潜んでいたのだ。

doironの場合、プロローグに書いたように
この日は30数年目の結婚記念日であった。

「か、帰ってきたら食事にでも行こうか」
と機嫌を取りつつ家を出たのは言うまでもない。

ところがだ、戦い後の王将で
大ビンをおかわりしたおかげで
食べ過ぎてしまったのだ。

いくら電車に揺られてごとごと帰ったとはいっても、
そんな短時間で消化しきれるはずもない。

ああ~、そのあとのことはもう語りたくない。

肉を切らせて骨を断つ
みごとな梅雨前線の陰謀に
まんまと引っかかってしまったdoironなのだった。

そしてジダンにも時間差の陰謀は襲いかかった。

歩くのと走るのとでは
使う筋肉がかなり異なる。

歩く場合は、すねの前面の筋肉を
よく使うのである。

歩き始めた頃よく夜中にそこが攣ったものだ。

ジダンは普段山を走っており、
doironと一緒だったため、
こんなに山を「歩く」のは珍しい。

それゆえいつもと違う
すね前面の筋肉をよく使ったものだから、
旅が終わってからも、
かなりその部分に
思わぬ負担がかかっていて、
痛みがなかなかひかんかったそうじゃ。

そしてもうひとつ。

滝道を歩いている時に
地元のトレイルランナーさんに声をかけられて、
あるパンフレットをいただき
doironはそれをポケットに入れておいた。

そのことをこってり忘れて、
梅雨の晴れ間だポカリ飲まなきゃ、
じゃなかった洗濯しなきゃ
と慌ててミセスが
そのまま洗濯機に放り込んでしまったのだ。

そのあとジダンから
あのパンフレットを捨ててなかったら
残しておいてほしいと連絡があったのだが、
そのときはもう後の祭り。

洗濯されて紙くずとなっていたのだった。

これらもまた、やっつけたと思わせておいて、
中に潜みあとからじわっと
時間差攻勢をかける
トロイの木馬のような梅雨前線の陰謀に違いない。

あれから二週間以上経つが、
やっつけたはずの梅雨前線は
依然と日本列島上空に居座り
猛威を振るっている。

なかなかしつこいやつである。

これからも折に触れやつとの戦いは続くだろう。
ま、今回はこれくらいにしといたろ。

ということで以上、
この春のドジ旅日記
ひとまず終わりです。
おつきあいありがとうございました。

こりずに続くこのシリーズ。

次回こそは友ヶ島に上陸するのか、
あるいはまた新たな陰謀が現れるのか。
それとも新たなシリーズとなるのか

乞う、御期待と叫びつつ、

「梅雨前線の陰謀編」終わり。


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 4

2015年06月26日 21時38分58秒 | ウォーキング

4.収束する陰謀との戦いの巻

五月山公園は池田市が管理し、
遊歩道、遊具、ハイキングコースも備わった
五月山の山麓から中腹にかけて広がる
60年以上の歴史を誇る複合公園だ。

標高は315.26m。

その三角点が日の丸展望台のそばにあった。



これ。



では、この日の丸展望台に登ってみよう。



その前に、
おや?ラッパのついたパイプが
地面に刺さっているぞ。

地球の裏側との交信用か

これも特ダネかもしれません。

「陰謀」編の次は「特ダネ」編か。

では一度呼びかけてみましょう。

「ブラジルの人、聞こえますか~」。



す、するとなんと日本語で
「ハイハイ、こちらブラジルで~す」と返ってきた。

むむむ、日本語を話すとは特ダネだ。
こんなところに秘密の通信管があったとは。

しかし、そもそも日本語で呼びかけても
なかなか通じないはず。

と思ったら数メートル向こうでジダンと通じていた。





とまあ、そんなプチコントを終えてから
展望台に向かった二人であった。

グルグル回りつつ到着したてっぺんから
撮ったパノラマ写真がこれ。



う~ん、あまり雰囲気が出てないなあ。
でも、尻尾を撒いて逃げて行く
梅雨前線の雰囲気はとらえただろうか。

では、ウォンバットコースを下りて行こう。



この公園の下部には、
無料の動物園があって
「ウォンバット」や「ワラビ―」、
「アルパカ」などが無料で、
ただで、ロハで、お金を払わず(もういい?)
見れるそうだ。

「無料大好き~」と叫びながら
こんな道や、



こんな橋で戯れつつ下って行くと、



出ました。



トイレです。
出ました、といっても本当に出たわけじゃないよ。
到着したということ。

売店です。



ウォンバットとの御対面の前に
勢いをつけましょうか。

ジダンが拾ったごみを捨てている間に
売店にずかずかと入って行った。
そして発泡酒が250円、ビールが300円、
50円の差ならビールを買うだろうという、
陰謀にも負けず、
発泡酒にしました。







さて、勢いのついたところで動物園に入って行こう。



まず最初に我々を迎えたのは、

「エミュー」。



そして、「アルパカ」



この動物は、防衛・威嚇のために
強烈なにおいのする唾液をはきかけるそうだ。

動物に詳しいジダンのおかげで
そんな陰謀にはまることはない。
そもそも、ふたりとも
「クログロ、ふさふさ」の動物には
近寄らないことにしている。



ウマは噛むそうです。



ウワ~、噛まれました



そしてこれが待望の「ウォンバット」。



思い切り触れ合うジダンなのであった。



違う違う。
これは池田の商店街。

ウォンバットはもともと夜行性の動物なので、
この日は姿を見せてないようだ。



現れたら特ダネです。

え~ん、残念。
きっと今頃は檻の中でこんな格好をして
潜んでいるのだろうて。



そ、それはコンバット。

辺りを暗くして夜かと思わせておきながら
じつはそうではなかったという
梅雨前線の陰謀に負けて
出てきてくれないだろうか。



ホウホウ~とフクロウのまねをしても
ダメなようだ。

仕方がないので、
そこにあったこんな写真を紹介しておこう。



目つきがいいんだか、悪いんだか。

でも可愛いねえ。うちのグーちゃんといい勝負だ。



結局、目的のウォンバットと
遭遇できなかったのは、
今回陰謀に負かされたひとつとなったのであった。

スゴスゴと動物園を後にした。

ここから池田の駅までもう少しである。

商店街を抜けて行くと、



おっ、ポストの上にウォンバット、



駅前にもウォンバット、



挙句にウォンバットの家族までが、



陰謀との戦いに勝って
こうして地球に青空を取り戻した二人を出迎えです。



ここで、向かう風呂屋の検討に入りました。

時間的に見て、
今開いている銭湯に向かうのは遠く、
かといって近くの銭湯はまだ開いていない
という状態でした。

悩ましい状況ではあったのですが、
よくよく考えればいつもガシガシ走っているジダンも
今日はほとんど汗をかいていないので、
着替えさえすれば汗臭いのも、
加齢臭も大丈夫だろう。

ここにきて下山イコール銭湯の法則も
いつもと勝手が違ったようで、
梅雨前線の陰謀の名残なのかもしれない。

結局、駅前広場のウォンバットの家族の前で
軽犯罪法にひっかからん程度に着替えて、
かねてからの計画であった王将に
向かうことにした二人なのであった。

あと一話続く。


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 3

2015年06月25日 21時26分51秒 | ウォーキング

3.梅雨前線の陰謀最後のあがきの巻

ぶつぶつ言いながら到着した山頂には
10人ほどの先客がいた。

とりあえずは、まずはお昼の軽食にしよう。

リュックを下ろしてっと・・・あっ、
背中がやけにべたつくなと思ったら
夏の登山には欠かせない
ファイントラックのサラサラシャツを
着てくるのを忘れてる~。

雨具はどうするか、
足下は抜かるんでいないか
ということに気をとられて、
こってり忘れていたようで、
すでに出発時から梅雨前線の陰謀に
はまっていたわけだ。

く、ぐやじい~。

ジダンだを踏んだ後は、
気を取り直して食事だ。

今日はこれ。



カロリー重視の餅とナッツ菓子。

「山よりだんご」は山友よりのいただき物で、
適度な塩加減が絶妙だった。

そしてジダンはこれ。



二人とも「ナッツ」関連だ。

ややや、これもリターンせよという陰謀か。

ナッツリターン

腹が落ち着いたところで、
山頂広場を探索した。

まずは三角点。



国土地理院の地形図では、
こうなっているにもかかわらず、



ここの三角点名は「松尾山」になっている。



どうも六個山というのは俗称で、
この「松尾山」というのが
この山の正式名のようだ。

箕面市歌にも「松尾山」という名前で登場するそうだ。

横の木についたプレートを見ると、
標高396mと書かれてあるが、



それを正すように「ここは海抜395M」
だってば、とかかれた看板も立っている。



おお~、こ、これは特ダネです。
新聞に載せましょう。

本当は、395.78m。

まあ、引き分けやな。
新聞はボツです。

写真撮影を終えて出発。



ここから池田に向かう道は
案内地図にも記載されていない道を進んでいくことになる。

ところどころにあるこんな小さな案内と
ジダンの記憶をたよりに下って行こう。

おや、行く手に沢がある。



6度目の出場で活躍し、
取りあえずは1位通過し、
さらにベスト8に進出したな。
W杯を連覇するよう祈っておこう、
え?その沢じゃない?

ここは水が流れる「沢」

渡渉があるようだ。

こんなところで
梅雨前線に襲われたらひとたまりもない。
とっとと渡っておこう。

道はやがてゴルフ場の脇につながっていく。



すぐ間近でプレイをしていたな。



doironもこれまで何度も
とんでもない方向へショットを打ちこんだが、
山歩きをしている人に
迷惑をかけてないやろなあ、
とこんな光景を見ると思ってしまいまふ。

このあたりからごみが増え始め、
ビニール袋片手に集めながら歩くジダンは
やや遅れ気味である。



ではdoironも自然の思い出を拾い集めよう。

これはヘビイチゴ。



よく毒があるように思われがちだが、
あまり味がなくて食用に向かないだけで毒はない。

そしてこれはキイチゴ。



こちらはおいしい。
ジャムにもできるよ。

ゴルフ場の動く歩道を見上げ、
ゴルファーdoironの天敵の池も眺めながら、
ポンと出たところが、
五月山緑地霊園の一番上の駐車場であった。



おお~、ここはなんとも眺めのいい霊園だ。



北摂の街並み、遠くに都心のビル群、
さらに遠くに生駒から続く
和泉山脈も見えている。
さぞや夜景もきれいだろうて。
夜は怖いかな?

ここからしばらく車道を歩いていくと、
やがて五月山公園に入って行くことになる。

とその時である、
ポツポツと雨が降り出したではないか。

おお~、初めて梅雨前線自らが
姿を現したようだ。

しかしもう山で道に迷うこともない。
ここまで下りてきての陰謀も
遅きに失したといわざるを得ない。

むふふ、梅雨前線最後のあがきであろう。

一旦、商売道具のカメラを濡らしてはならんと
バッグにしまったりもしたが、
公園の入り口あたりに来て
雨も上がり
再び取り出すこともできた。

さあ、後は公園内を散策し、
最後のお楽しみである
「動物園」の見学と
勝利の宴会が待つのみである。

いそいそと続く。


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 2

2015年06月24日 21時34分47秒 | ウォーキング

その2.山道に潜む陰謀の手先の数々の巻

滝道から山に入って
池田に向かう道は何本もあるし、
一帯はそのどこから山中に入っても
非常に多くの道が入り組んでいて
複雑極まりない状態になっているので、
梅雨前線の陰謀で
知らず知らずのうちに押し戻されるかもしれないから
くれぐれも油断してはならない。

それにここには、
大阪には珍しく野生の猿もいる。



看板には
「食べ物を与えたり、見せたり、近づいてはいけない」
と注意喚起してあるが、
もう一つ大事なことは「目を合わせない」ことだそうだ。

こ、これは目が合ってるのか
合ってないのかわかりにくいdoironの場合、
大変有利なことかもしれないぞ。

かつてジダンは気がついたら、
群れの中に入ってしまい
猿に囲まれる状態になって、
ハーレムを築いた、ではなく
命からがら逃げてきた経験があるそうだ。

そんな陰謀に陥らないためにも
周囲に注意を払いつつ
慎重に進んでいく必要がありそうだ。

こんな道を歩き、



こんな橋を渡ると、



「展望台」と書いた立札があった。

見晴らしがいいなら寄ってみようかと
近づいていくと・・・



森に埋もれていた。

むむむ、これでは樹しか見えないではないか。
あやうく陰謀にはめられるところであった。

おや、これはなんだろう



とよく見ると老眼のおかげで
「山の神」と書かれてあることが判明。

ウロウロ歩きまわっている二人には、
家に居る「山の神」は恐ろしい存在である。

老眼のおかげで助かったわい。

う~ん、ちゃちな陰謀が
小出しに襲いかかって来たぞ。

このあたりは「照葉の森」といって、



昼なお暗く葉が生い茂っているところである。

上空の梅雨前線の姿も
確認できない状態ではないか。

分岐を過ぎると、一気に登りとなる。

うわ~、ついに出たか、大トカゲ!・・・

なあんだ「ヤスデ」でした。



この動物はムカデに似ているが、
毒のある顎を持たない。

腐った葉っぱなんかを食べる
森の掃除屋だそうだ。

しかし日本で最大級の種は
7cmほどの体長だそうだから、
5cm位はあるここのヤスデは
大型の部類に入るだろう。

道にうじゃうじゃいたのもまた、
二人を進ませまいと
梅雨前線が放った陰謀の手先であろう。

分岐、分岐と続いていくが、
ここは「望海の丘」を目指して
進んでいくのが良いとジダンが言う。



しかしなあ、先ほどの展望台のこともあるので
「望海」といっても、
果たして海が見えるのかどうか
怪しいものである。

樹海が見えるだけかもしれないぞ、
と警戒しながら進んでいくと・・・

おお~見えました。

本当の海です。

北摂の街並みの向こうに海が見えている。



わーいわーい。
doironの好きな海だ。

海は広いな、大きいな。
月は登るし日は沈む。・・・って、
まだ沈んでもらっちゃ困ります。

そんな「望海の丘」を後にして、
次に目指すのが「ハート広場」だ。

むひょー、若いカップルたちが
愛を語り合っているのだろうか。
それとも、オジサンモテモテ広場なんだろうか。

歩きながらそんなことを考えてたら、



妄想竹の竹やぶを通過中だと。

このあたりも分岐が続くが、
惑わされてはいけない。

目指すは「ハート広場」だ。



目をハートにしながら進んでいくと、
ほどなく到着。

ここがハート広場だ。・・・



む、無人です。

カップルもギャルもいません。

仕方ないので、
一瞬ジダンと手でハートマークを作って
写真撮影しようかと考えたのだが、
あまりにも無惨な画像になりそうなので、
誰が何と言っても却下だ。

その先にあったのが

「あおぞら展望台」。



さっきとほぼ同じ景色だった。



しかも、「あおぞら」と名がついているにもかかわらず、
見渡す空はどんより曇った灰色の空。

こ、これぞまさしく梅雨前線の陰謀にちがいない。

この先が本日最高標高地点の「六個山」だ。



「六甲山」ではない。
なんでもかつてこの山は
六つの村の入会(いりあい)山であったことから
ついた名前だそうだ。

だったら、「六村山」でいいんちゃうの?

とぶつぶつ言いながら続く。


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 1

2015年06月23日 21時16分08秒 | ウォーキング

その1.陰謀との戦いの始まりの巻

そもそも、旅のきっかけからして
梅雨前線の陰謀によるものであったのだが、
さすがに急な変更だけあって、
まだ陰謀の相手は準備不足。
まさに寝込みを襲うような急襲であったため、
この時点ではまずまずのお天気の中、
集合場所の松ノ浜駅に到着。



この日のいでたちは、
緑の帽子を被ってブルーの袖のTシャツに
紺のショートパンツ、
裾からは緑のタイツが覗いている。

まあ、この年のおっさんにしては
ちょっとハデ目かと思っていたら、
やってきたジダンは、
黄色のタオルを頭に巻き、
オレンジのTシャツに緑の半パン
というワンランク上のハデさ加減。

戦いに向かう二人が放つオーラは、
周囲を圧倒していたといえる。

梅田の横断歩道でもほらこの通り。



平和な世間の中で、二人は
この上なく浮いていたわけである。

阪急電車で箕面に到着した二人を



出迎えてくれたのは、
こんな横断幕と



箕面市のユルキャラ

「滝ノ道ゆずる」クンである。



doironはちょっとあらたまって記念撮影をしたが、



ジダンは何度もこの地を訪れているからか、
彼とため口をききながら靴をはきなおす。



三人の記念撮影でも、
こころなしか緊張するdoironに対して、
余裕のVサインをするジダンなのであった。



駅前に押し寄せている
たくさんの人々に見送られながら、



いよいよ二人は、「梅雨前線の陰謀」と戦うべく、
「東海自然歩道の西の起点」を出発し、



滝道へと向かったのであった。

そうだ、この滝道は
「東海自然歩道」に指定されている。

東京都の明治の森高尾国定公園から、
大阪府の明治の森箕面国定公園まで続く、
総延長1376kmにも及ぶ自然歩道なのである。

この歩道の箕面市部分の足下には、
先ほどのゆずるクンが描かれた
マンふたがある。



おお~、なんと消火栓まで
紅葉が描かれているではないか。



そんな撮影をしながら、
ふと前を見るとジダンがシャッターのおりている
立ち呑み屋の看板を呆然と見上げていた。



「し、閉まっているとは、梅雨前線の陰謀か」
とつぶやいているようにdoironには見えたのだが・・・。

こんな地酒の酒屋や



足湯の誘惑という陰謀にも負けず



進んでいった。

このあたりは、
古くから名勝地として知られており、
doironも子どもの頃に
何度か連れてきてもらったことがある。

「モミジの天ぷら」を食べた記憶もあるぞ。

しかし、お坊っちゃまだった
その頃はよもや大人になって、
陰謀との戦いのために
ここへ再び来ることなど
予想もしなかったものである。

古い道ということで、
気になる「石」もたくさん立っている。





右は
「これより名勝 箕面山」と刻まれ、



こんな小さな自然石の道標は

「右 瀧新道 左 瀧舊(旧)道」
と刻まれている。

どっちを行ってもこの先の大滝に
到着するというわかりやすい安心感をかもしている。

「箕面」とは、一般的に
この道の奥にあるその「大滝」の形が、
籾などのふるいわけに使った
「箕(み)」の「面」に似ているところから
ついた名前だそうだ。

今や人口13万人以上ある
「箕面市」のルーツが滝なんだな。



この石もあちこちでいくつか見た。



「この付近一帯 名勝 箕面山」
と刻まれている。

そうそう石といえば、
滝道の途中にある瀧安寺弁財天にある



「百度石」が面白い。



奉納したのが、
なんとあの女性漫才トリオの
「かしまし娘」である。



なかなか粋なことをしはりますなあ。
戦いの中でも少しホッとする二人なのであった。

その弁財天から少し先にあるのが

「野口英世」像。



数々の病原体を見つけ、
とりわけ「マーズ」じゃなかった



「黄熱病」の陰謀から



人類を救ったといわれるお人である。



その「野口英世」像のあるところから、
きりりとふんどしを締め直して、
どんな陰謀が待ち受けているのか
ワクワクしながら、
いよいよ二人はいよいよ山道に突入して行くのであった。

ずんずんと続く


ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編 プロローグ

2015年06月22日 20時46分22秒 | ウォーキング

さあて、いよいよ始まります。
ジダンブログとのコラボ企画
2015春の「ドジ旅日記」。

これまでのドジ旅で、
柳生一族、



近江商人、



明日香人の陰謀と



壮絶な戦いを繰り広げてきた二人。

第4弾でその戦いの場を
紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島に定め、
計画を進めていたのであったが、
これまでインフルエンザと台風の猛威に2度も阻まれ、
やむなく戦いを延期してきた。

そして今春、満を持してようやく
「いざ戦場へ」とばかりに気合を
入れてきたところなのである。

ところが、またしても二人の戦いを阻むものが現れた。

それは「梅雨前線」。



太平洋高気圧と大陸の気団のせめぎ合いの狭間で、
日本の上空にとどまって雨を降らせる
陰気なやつである。

戦い前日の土曜日、南海上にいすわる
その梅雨前線が不穏な動きを見せ、
天気予報は午前中「雨」となっていた。

その日は渡し船にあわせて
早朝からの移動でもあるので、
前日夜の段階で延期ということにした。

ところが、それが梅雨前線の陰謀であったのだ。

朝、起きてみると、
空の雲はあらけて
青空も顔をのぞかせているではないか。

来る来ると見せかけて
肩透かしを食らわす陰謀なんだ。

青空を見て
「これは晴れるぞ」
と思ったもののもうあとの祭り。

前夜に延期を決め込んでいたので
ゆっくりと起きたために、
もう間に合わないのである。

仕方なくジダンは近所のお山へ、
doironはオジチャリに変更となったのであった。

それにしても、友ヶ島にドジの二人を
近寄らせまいと、
敵は手を変え品を変え、
様々な手段で上陸を拒絶をしてきた。

初めて計画してから
もう一年以上経つというのに、
これはもう、ひとつの陰謀とは思えない。
多分、二人を近寄らせまいとする
友ヶ島に生息している
印度孔雀の陰謀も加わった



陰謀連合なのではないか
という気配もするところである。

とにかくまあそういうことで、
今年の春のドジ旅は中止となるところだったのだ。

しかあし、その後の居酒屋緊急会議で
doironが知り合いの人たちを
箕面に連れて行かねばならないねん
とジダンに相談したところ、
事前に彼が案内をしてくれることになり、
それでは急きょその箕面のお山を
春のドジ旅にしようとなったと
こういういきさつがある。

決行は、doiron家の30数回目の結婚記念日。

おお~、もうこの時点で
陰謀の匂いがプンプンするではないか。

果たして、二人は陰謀に打ち勝つことができたのか。
それとも打ちのめされてスゴスゴと
帰ってきたのか。

第4弾のタイトルは、
これまで「柳生一族」など
ヒト族と戦ってきたが、
初めて大自然を相手に戦うことになる

「ドジ旅日記 梅雨前線の陰謀編」。

本編の公開はいよいよ明日から!

主演  ジダン&doiron 
出演  箕面の皆さん ゴルファーの皆さん、
     アルパカ、ウォンバット、箕面の猿他 
特別ゲスト 滝ノ道ゆずる、野口英世 
ロケ日 平成27年6月6日 

それは大阪が梅雨入りをした
三日後の出来事であった。



 ブーー(幕が開く音)と続く。


墓参りだけにボチボチと 2

2015年06月21日 21時14分59秒 | ウォーキング

のどかな道を歩いていると、



急に華やかな場所に出る。

そこが道の駅

「ふたかみパーク當麻」。



こんなに静かな山里なのに、
ここの駐車場は驚くほどの車であふれている。



最近、道を歩いていると、
こういうスポットはいつも盛況だ。
国土交通省に登録される
道の駅が日本にできてもう20年以上になる。

今や全国に1000ヶ所以上あるそうだ。

中には風呂のある施設もあって、
キャンピングカー、もしくは
ちょっと大きめのワンボックスがあれば
全国「道の駅めぐり」で
簡単に旅行ができるよなあ。
盛況なのもわかる気がする。

いつか道の駅を転々と移動しながら
そこを起点に周辺を歩き回るような
ほっつき旅行を是非してみたいものじゃて。

名物「菊いもコロッケ」で



小腹を満たして出発だ。

すぐさま次の集落にさしかかる。

集落の入り口近くには、
こんな地蔵があった。



鬼瓦の立派な地蔵堂と
マップに書かれてあったが確かにね。



そのすぐのところに、
杉玉が派手にぶら下がっている
こんな造り酒屋がある。



酒の名前は「透泉」。



なんでも、選挙の「当選」祝いに
よく使われるそうだ。

そうかあ、ならdoironのドブロクも
「豪角」とか「丹上」とかがいいかもなあ。

別に使う予定はないけど・・・。

このあたりからは、
二上山がよく見え



大和三山も見渡せた。



今年歩いた葛城古道とも雰囲気が似ている。

ここから山の方に向かって登って行くと、



傘堂がある。



一本柱の変わった形をしており、
左甚五郎の作とも伝えられているそうだ。

里へ下って行き、次は石光寺を目指す。



ここは別名「染寺」ともいわれ、
蓮の茎から取り出した繊維で
曼荼羅を織った中将姫ゆかりのお寺だ。

境内には、その蓮糸を染めたといわれる
井戸が残っている。



その中将姫のお墓が、
ここから当麻寺に向かう途中にあった。



大きな墓地の片隅に、ひっそりとあった。

そこから「右 たいまじ」と刻まれた
こんな道標に沿って歩いていくと、



当麻寺の黒門に到着。



歩き始めてここまで約二時間であった。

ミセスの脚も何とかもったようだ。

ここからだと墓は境内を横切ったところにある。
もともとここはお寺の墓である。
なので、洋風の墓を希望していた
義兄さんにお寺から
「できればあまり目立たないようなものを・・・」
と希望されていたのだが、
近づいていくと、
黒い石がかなり目立っていたなあ。

まあ、これからはこういうお墓も
増えてくるだろうから、
慣れておいてもらおう。

墓は、敷地全面に石を張ってあるので、
雑草の心配はない。

ただ、今回初めて気づいたのが、
黒いお墓だと黒い車と同じように
蜘蛛の巣やほこりが結構目立つ。

墓掃除の小さな箒なんかも持ってきていたけど、
これからは墓掃除用のタオルも
持ってくる必要がありそうだ。

花を添え、線香とロウソクをあげて、
今日の歩行を報告しつつお参りをした。

さて次はどのコースでお参りをしよう。

今回は北側から歩いてきたから、
次回は南の葛城古道の延長を歩いてみようか。

そしていずれ、二上山経由で
墓参りをとこっそり企んでいるのであった。

門前の食堂で昼食を摂り、
さあ、あとは当麻寺の駅に向かって1キロほど歩くだけだ。



途中、こんな塚があった。



日本最初の相撲取り
「當麻蹴速」の塚である。

野見宿禰と日本で初めての相撲を取り、
負けて死んでしまったが、
今もこうして塚に眠り、
山の辺の道の近辺にある相撲神社に
神として祀られている。

その前には自然石の道標があり、



先日行った壺阪寺への案内文字も刻まれていた。

こうして当麻寺の駅に到着し、



7キロ強の墓参り旅は終わった。



ミセスもなかなか楽しかったと言っておりました。
義父さんのいい供養にもなったことでしょう。

合掌して終わり。

P.S.

明日からいよいよ今年初の完全コラボ企画の
ドジ旅日記が始まります。
ジダンブログ「やっぱりトレイルランが好き!」
とあわせて