ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

平野でひらうの 5

2015年09月30日 21時34分26秒 | ウォーキング

地下鉄の平野の駅から100mほど北を向いて戻っていき、
途中で右折して街の中へと入って行く。

ああ、この飛び出し注意も面白いな。



今度の安全委員会で紹介してあげよう。

やがてこんな散歩道のようなところに出た。



猫も「おっ、変な奴が来た」と振り向いている。



歩いていくと路面にこんな模様が描かれてあった。



そう、ここは電車の軌道敷きの跡だったんだ。

説明書きがあったので読んでみると
奇遇にも先日あべのハルカスの帰りに
乗ったばかりの阪堺電気鉄道の
支線のひとつがここを通っていたのだ。

路線図で言うと、



天王寺からの上町線ではなく
恵美須町から出ている阪堺線の
北から3つ目の駅「今池」から別れ、
上町線の「阿倍野」近くを通り
平野へと続いていた路線だったそうだ。


ここは駅の跡

その名も「南海平野線」。



大正3年から昭和55年まで運行され、
地下鉄の延伸に伴い
廃止となった電車の軌道敷きなのだ。

そういえば、先日ミセスも
「昔は平野へ向かう路線もあったように思う」
と言ってたな。

小さい時の記憶は間違ってはなかったわけだ。

それにしてもこれは偶然の出会いを拾ったな。

ここがどうやら終点のようだ。



ずっとたどれば、ここの他にも
大阪市内にそんな遺構が残っているのかもしれないなあ。

みちびき石に沿って歩くと、



そこからすぐのところが、
平野十三口のひとつ西脇口にある



「西脇口地蔵」。



ここにあった門を出て南へ進むと
住吉から堺方向へと道が続いていたそうだ。

再び平野本通商店街に出て西へ進む。



お、これはまた説得力のある貼り紙だこと。



「とにかく明るい商店街」の真骨頂かもしれない。

商店街を進んでいくとすぐに突き抜けて、



右に曲がって北へと向かう。



道端に駒がまた置いてある。



これは合わせではない
1本の木から作った駒だな。
左側が削れて平らになっている。
よほど無理やりのやり回しをしたか、
あるいは収納してあっただんじりに
はかせてあったのだろう。

その先にあったのが、これ。



藤井寺、柏原への道標だ。

このあたりは、奈良街道や高野街道などの
重要な道が通る地域であったことが、
道標の多さからもよくわかる。

やがて道は「大念仏寺」に差しかかった。



平野郷の古地図にも書かれてある
1127年に開創された融通念仏宗の総本山である。



境内に入って行くと、
正午過ぎという時間が時間だけに
たくさんの参拝客が休憩をしており、
静かな時間が流れていたな。

休憩スペースの横には蓮が植えられてあり、



種が落ちそうになっていたので一個拾ってきたよ。

近所の池にでも放り込んでおいてみようかな。

あ、ここにもマニ車がある。



一度回すとお経を一巻唱えるのと
同じ功徳があるというお得な仕掛けなんだ。

寺を出て、こんな何かいわくのありげに
敷き詰められた
導き石に導かれていくと、



平野十三口のひとつで



もっとも北にあった「馬場口」の地蔵に到着する。



大念仏寺への参拝は
ここの木戸口から入って行ったそうだ。

え~っと、駅が近づくにつれ
またまたいろんな誘惑があるなあ。



それらを振りきり、たどりついた
ここが現代の平野の玄関口である
「JR平野駅」。



ここから再び杭全神社の方へと
戻っていくと、
そこにあったのがこれ。



平野郷の環濠の跡だ。

今も濠がこんな感じで残っている。



すぐ脇に平野川が流れているので、



そこから水をひいていたんだろう。

その証拠に一部がその平野川とつながっており、
水運の発展にも役立ったと書かれてあった。

そんな環濠に沿って歩いていくと、
やがて杭全公園に到着し、



ぐるりと一周回ってきたことになる。

コースはこんな感じ。



7キロ以降はナビを止め忘れていて
残っていたトレースなので無視するように。

旧平野郷の環濠をぐるりとひと巡りし、
名前の由来、人々の熱い想い、数々の旧跡などを
拾い集めた「平野でひらうの」の旅、

ようやく終わりです。


平野でひらうの 4

2015年09月29日 21時17分29秒 | ウォーキング

おかき屋さんからすぐのところに
「樋ノ尻口地蔵」があった。



樋ノ尻口とは、
濠で囲まれた自治都市平野郷の
周りに設けられた十三の門
(「平野十三口」といわれている)
のひとつがあったところ。



そこに地蔵を設けたのは、
郷の人を外の敵から守るためと、
郷から出て行く人に御加護を授けるための
境界地蔵だったんだろう。

かつて真田幸村が
徳川家康がここを通って攻めてくることを想定し、
ここに地雷を仕掛けたそうだ。
思惑ははずれて家康が座をはずした時に
それが爆発し、
全興寺まで地蔵の首が飛んで行った
といういわれのある地蔵なのだ。

来年の大河ドラマ「真田幸村」に
このシーンが出てくることを期待したい。

その地蔵の周辺が、境界であることから、
横にある平野公園に





その名残が多く残っている。

これが樋ノ尻門の跡。



そして境界に築いた土塁、



そしてひき臼や手水鉢まで使って
作った石垣もあった。





かつてここに架かっていた橋の柱が、
半ば埋もれながらも残されている。



この日はウィークデイの金曜日。
小さな子ども連れのお母さんたちが訪れ、
高齢者が木陰で休むこの公園で、
こんなにたくさんの歴史の痕跡を拾ったよ。

では、ここらで昼食にしましょう。

今日はこれ。



途中のお店で買った1個60円のコロッケとおにぎり。

超ごちそうでしょ。

そうそう、この公園でしっかり蚊に刺されたわい。

例のしましま白黒の蚊で、
こんなに腫れてしまったよ、



うう、かゆい。

これでまた、感染したらほっつきたくなる
doiron菌が媒介されたかな。

この公園の南側にあるのが
新羅からきた女神を祀る

「赤留比売命(あかるひめのみこと)神社」。



平野周辺には先進文化を持った
この比売をはじめ
渡来系氏族が多く、
地域の開発はこれらの優れた技術に
負うところが大きいといわれている。

耳の神様としても親しまれるとともに、
かつて雨乞いが行われたというこの神社は
杭全神社の境外末社で、
お旅所にもなっている。

その平野公園を出てもう少し南に歩いてみよう。

街並みを抜けて行くと、



交通量の多い府道186号に出るので
そこを右折する。

交差点の目標は平野消防署の建物だ。

その署の横の公園には、
薬師堂から生まれた昔の町名
「野堂」がついている。



さらに西へと広い歩道を進んでいくと、
駅が近づいてくるので
呑み屋さんが続いている。







これは豊中を歩いている時に見つけた
たこ焼き屋さんのチェーン店。



お、店の前にベンチ代わり?
に置いてあるのはだんじりの駒(木のタイヤ)ではないか。



泉州地方のだんじりでは、
米松を使うことが多い。
しかし輪切りの大木が少なくなってきたことから、
経費節減、資源保護のため
最近は小さな輪切りや
減って小さくなった駒の再利用をして、
まわりに木を貼り付けた駒を
用いているところも多い。

ここのもよく見るとそんな合成の駒を
使っているようじゃね。

この道端には自転車屋さん博物館もあるので、
覗いてみようと思ったが、
休みを火・水・木としているにもかかわらず、
金曜日のその日も閉まっていたぞ。



う~ん、このあたりの街の人たちが
主体となって、仕事場を開放するなどして
設けている「まちぐるみ博物館」も、
人の多い土・日がメインになってるのかもしれない。

そのまま進んでいくと、
阪神高速松原線の下にある

地下鉄谷町線平野駅



に到着する。

そこでこんな路面表示が目に入った。



放置自転車を防止するために、
近くにあった小学校の生徒が描いた



ポスターを貼り付けてある。

まあ、これもアイデアだなと思っていたら、
先日地元の駅でも
同様の取り組みをしていた。

子どもの手本とならなくちゃねと思わせながら、
あと1話続く。


平野でひらうの 3

2015年09月28日 21時55分32秒 | ウォーキング

平野郷界隈では、
古い町屋や商店を改造して、
和菓子博物館や自転車博物館など
様々なミニ博物館を
街のあちこちにつくっている。

街の人たちが主体となって
運営している手作り博物館だ。

こんな道を歩いていくと、



それらしい建物があった。



「平野映像資料館」なんだそうだが、
生憎休館中でした。



写真や動画で綴る町屋の風景なんか
見たかったけどなあ。

気を取り直して進もう。
やがて道の行先に
商店街のアーケードが見えてきた。



ここもシャッター商店街かなあと
心配しつつ入って行ったら・・・安心してください。
はやってます。





写真は人の少ない時に
シャッターを押したので、
さみしそうに写ってるが、
けっこう活気のある商店街だった。

がんばって熱心にやってるのが、
あちこちの掲示物からも見てとれた。

これは昔の平野郷の地図。



やはり街に誇りを持っている。

加えて防犯意識も高いと見え、
こんな貼り紙が随所に見られ、





「とにかく明るい商店街」

を目指しているようだ。





ここは「新聞屋さん博物館」。



開いているのかいないのか
よくわからんかったなあ。
新聞屋さんだけに早朝と夕方ですかね。

その横にあったのが、

「全興寺」。

平野が広大な野原だった頃に
ここに薬師堂が建ち、
ここから町が広がっていったということから、
いまも「野堂」の地名が
だんじりの地区名として残っているそうだ。

その後、真田幸村が徳川との争いの中で、
この後訪ねる樋の尻口地蔵のところに
地雷を仕掛け、その爆発によって
地蔵の首がここまで飛んできたとのこと。

今も首地蔵として祀られている。



この全興寺には、
ほかにも面白いものがいろいろある。

マニ車があったり、



水かけ不動、



おさすり地蔵、



おばあちゃんの部屋、



駄菓子屋さん博物館



など見所満載だ。

地獄の窯の音が聞こえる石もある。



真ん中の穴にこんな風に首を突っ込むと、



ぐつぐつという音が聞こえる。
いわゆる水琴窟の一種だろうて。

そして極めつけが、この地獄堂。



中に入ると閻魔さんが正面に座っており、



横には恐ろしい鬼たちもいる。



ドラを叩くと、



おどろおどろしい音楽と共に、
地獄の案内が始まる。

ウソをついた人間、
人を裏切った人間、
悪いことをした人間が落ちる
地獄を映像と共に紹介する仕組みだ。

昔は、聞き分けのない子を
このお堂に入れてお仕置きをしたようだ。

ちなみにdoironはこのお堂の横にあった

「閻魔大王のおさばき装置」

で判定してもらったところ・・・

ドコドコドコドコ、ジャーン。

「極楽行き合格」だあ~。



ここでは極楽行き切符を拾いましたぜ。

って、ええ年こいたおっさんがすることと違うか。

この寺の境内にも道標が立っている。

「右 さやま 高野山 すぐ信貴山道」



「右 天王寺 おおさか すぐ住吉 さかい道」
となかなか詳しい。



この面なんかは
「左 藤井寺 道明寺 大峰山上 
是より一丁東の辻右へ同所 道」
と刻まれている。



これまで数々見てきた道標の中でも
最も親切な道標といえる。

一丁東の辻から右に続く道は、
街道歩きのバイブル

「大阪の街道と道標」によると、

どうも「古市街道」
もしくは「竜田越奈良街道」を指しているように思える。

そんな盛りだくさんの全興寺を出て
東に向かうと、
平野中央本通商店街から



平野東商店会の通りへと入って行く。



商店会の入り口には、
トロ箱を積み上げた
こんな魚屋さんがあったり、



多分美容室だろうと思われるお店、



煮物のうまそうなお店



などが並んでいる。
目を惹いたのが
おかきの量り売りをするこんなお店。



試食させていただいて、



あられと「くれ竹」のおかきをご購入。

今夜はこれをつまみに一杯やっかと喉を鳴らしつつ、続く。


平野でひらうの 2

2015年09月27日 21時25分12秒 | ウォーキング

南に進んでいくと、筆塚があった。



使い古した筆を納めて、
筆使いの上達を祈念するという習わしである。

そういえば、我が家にも
使えなくなった筆や絵筆が眠っている。

一筆入魂で絵や言葉をしたためて、
ちびてしまったり、
毛が不揃いになってしまった筆だ。

そうか、様々な絵や言葉をしたためた筆だから
丁寧に処分してあげないとな。
筆塚は各地にある。
最寄りの塚に持っていってあげよう。

この筆塚は「生駒石」でできているそうだ。
鉄分が多く、サビが風格を出す石だそうだ。

さらに進んでいくと、池があった。



どうも位置的に見て環濠がらみの
池のように思えたので調べてみたら、
神社の南から西をぐるりと囲む濠だったそうだ。

その上に「宇賀神社」のお堂が建っている。



蛇の体で頭が人という「宇賀神」を祀る神社だ。
宇賀神は後に弁財天と習合して、
時に弁財天の頭にちょこんと乗る
という奇妙な姿をしている。

このお堂の中は残念ながら確認できなかった。

その向かいの公園の石垣は濠の名残で、
その上に立っている碑は全く読めなかった。



これも調べたら、ちゃんと名前があって

「鐘辻碑銘」

というそうだ。
荒廃した濠や井路の樋管などを
改修した記念碑だそうだ。
石に刻まれた文字さえ消してしまう長い年月。
ちゃんと記録はされているようだ。

やがて参道が終わり、
通称奈良街道といわれる国道25号に出るところに、
大きな石の鳥居が建っている。



左右には狛犬の姿もある。



ここで狛犬の姿を見て何か気がついたかな
右のこま犬の脚に注目してください。
何か紐のようなものがまるでミサンガのように
巻いてあるでしょ。
普通なら、脚の怪我が治りますように
とか、速く走れるようになりますように
というような祈願の意味もあるのでしょうが
この神社ではもう一つ意味がある。
それは「走人足止め」という祈願だ。

ここに紐をくくり、一本を持ち帰って
家出した人の履物に結んでおいたら
必ず居所がわかるか、帰ってくるという
言い伝えられているそうです。

え~っと、あっちこっちほっついて家に帰ったら
まず履物に見慣れない紐がついていないか
確認しておかなくてはね。

木の鳥居から行くたびかの地震による倒壊を経て
今の石の鳥居は明治32年に再建されたものだそうだ。

ここで現代の道路地図を見てみると、
この杭全神社の近くに来るまでは、
ほぼ一直線に伸びてきた国道が
この鳥居前あたりで微妙に湾曲している。

さすがの大阪市の都市計画も、
昔からの町割りや地元の宗教的施設には
勝てなかったんだろうな。

国道を渡ると、そこに古い石の道標が立っている。

これ。



刻まれた文字を見てみると、
「右 大坂」、



「右 ふじいでら 大峰山上 こうや山」とある。



あ、そういえば昨年歩いた
西高野街道に、
大阪狭山の楠町で合流する
「中高野街道」が、
この杭全神社を起点にしていたんだったな。
またまた過去の歩行とつながったあるよ。

さらに別の面には
「すぐ 天王寺 大坂」とも刻まれている。



もちろん「すぐ」は「すぐそこ」の意味ではなく
「まっすぐ」を表している。

そして神社を背にした面に
「當社 熊野権現 祇園宮」とある。



「當社」とあるところから、
この道標は杭全神社の建立なんだろうな。

寛政12年というから西暦1800年、
今から200年以上も前の建立だそうだ。

神社で手に入れた冊子によると、



昔はここから北が神社の境内だったそうだ。

鳥居もここにあったそうだ。

創業が慶応元年のこのお菓子屋さんは



鳥居前の茶店やったんやね。



何やらいわれのありそうな人形が、
店先で通りを眺めておったぞよ。



さて、ここから今回の街歩きは
平野本町通商店街に向かって
導き石の埋まったこんな道を南下していく。



虫籠窓のあるような古い町屋が続く。



それもそのはず、
このあたりは「百年後に誇れるまちなみ」
を目指して、平野郷の住民自らが
まちなみを守るために
「平野郷まちなみ作法 五つの心得」を
約束事として定めている。

家を建て替えるときや修理をするときに、
軒庇、色・素材、デザイン、形態、看板・照明などに
配慮することを申し合わせているのだそうだ。



そういえば、高取山からおりてきたときに、
麓の土佐街道でも、
まちづくりの決め事をしていたな。



近代化を目指してきた都市生活も、
変わっていって、
最近はこんな古い街並みの景観が
見直されてきているようだ。

ここでは自分たちの町にかける
地域の人たちの熱い想いを拾ったなと思いつつ、続く。


平野でひらうの 1

2015年09月26日 21時22分03秒 | ウォーキング

平野へ行ってきた。

と言っても、関東平野や濃尾平野といった
平野(へいや)ではない。

大阪市内の南部にある
「平野(ひらの)区」の、
かつて「平野郷」といわれていた辺りを歩いてきたのだ。

痛風の余波でイマイチ膝の調子が
完ぺきではないので、街歩きだ。

明日は明日の風が吹くが、
痛風だったら風が吹いても痛いので、
ええいままよというわけにはいかない。

山に行ったれと思っても、
明日は明日の痛風が吹くかもしれず、
そうなると下りが苦行となるため
慎重になっているのだ。

せっかくの登山のいい季節なのに
もったいないが、
まあ自分がまいたプリン体なので仕方がない。

山は遠慮するとしても、
こちらは名前からして平坦地であろうと、
自然にこっちに足が向いた
とこういうわけである。

平野郷は、堺と並ぶ自治都市のひとつだった。

信長が上洛して各地に
軍資金の献上を命じたことに対し、
戦も辞さないと強硬に反対していた
同じく自治都市であった堺が、
この平野郷にも共同を申し入れた
という地でもある。

周囲をぐるっと2重の濠と土居で囲み、
そこに13の門を設けて
人の出入りを制限し、街を守った。

そんな当時の痕跡を、
平野で拾い集めた
「平野でひらうの」ハジマリ、ハジマリ デス。


平野郷の北の端にある

杭全(くまた)神社

から歩き始めた。

「杭全」とはまた変わった地名だ。
今川の氾濫を制御するために、
打ち続けた杭を全て打ち終わったから
「杭全」なんだとか。

読みが難しく難読地名のひとつ
といわれている。

それはくまった、くまった、杭全神社。

神社の駐車場に車をとめて、
まず神社にお参りをした。



神社で取材をすると、
パンフレットを手に入れたついでに
車を停めおくことの許しもいただいた。

パンフレットにはこの神社のことを

「平野郷惣社」と書いてある。



「惣社」は「総社」と同じで、
この地区の氏神を集めて
合祀している神社であることがわかる。

本殿は3つある。

素戔嗚尊を主祭神としている第一本殿がこれ。



平野郷社縁起に基づき
「牛頭天王」の名前が掲げられていた。

862年創建当時は「祇園社」といわれていたそうだ。

そして第2本殿がこの「熊野三所権現」で、



第3本殿がこの「熊野證誠権現」。



「證誠」とは
「真実であると証明すること」を表し、
熊野信仰の真実を授ける
といったような意味であると思われる。

その三殿を巡ってからぐるりと回っていくと、
「田村社」という社殿もあった。



歴史に名高い征夷大将軍
「坂上田村麿」の霊を祭る社殿だ。

この田村麿の息子、
広野麿が杭全荘を
荘園として賜って創建したのが
この杭全神社。

「平野」という地名は、
全体に平らであることから
ついた名前であるという説と

その「広野」が転訛して
「平野」となった説もあり、
いずれももっともな説である。

境内には巨大なクスノキも立っている。



大阪府の天然記念物にも
指定されており、
樹齢1000年と書かれてあった。

こういう巨木を見ていつも思うのは、
樹木も古木になってくると、
ただならぬ樹形を形成するもんだ。

よく、図鑑なんかには
「クスノキ」の樹形はこんな形
とシルエットが描かれていたりするが、
古木のシルエットは
そんな一般論を凌駕して、
まるで独自の意思があるがごとくの
異形の相を呈していることが多い。

植物も千年も生きると、
人の言葉も理解するのかもしれないと
思ってしまうほど
形が何かを言わんとしているようだ。

地元では「くすのきさん」
と呼ばれているそうだ。

この神社の参道の脇には
こんな石が立っている。



「平野環濠跡」と刻まれている。

この環濠跡については、
またあとで書くことにして、
まずは「杭全」、「平野」の
地名の由来を拾った。

さて次は何を拾うか。

うろきょろと続く。


タイヤ交換

2015年09月25日 22時00分08秒 | 生活

車の走行距離がつい先日
60000キロを超えた。



地球を一周半したことになる。

東北の大震災直後に、
工場生産が止まる直前に造られたものが
かろうじて納車されたという車だから
買って4年半になる。

以前は通勤で、一日36キロ、
一週間で180キロ、
一カ月で1000キロ以上は乗っていたから、
年間12000~13000キロ。

今の走行距離から計算しても、
ほぼ、そのペースで
車を走らせていることになる。

しかし、自宅で仕事をするようになって
もう2年以上になる今、
同じペースで減り続けているということは、
いかに車であちこちで歩いているか
ということを物語っている。

毎日の通勤で距離が増えることはないが、
一度出かけたら長距離を乗ることになり、
その頻度が最近はかなり増えた。

まあ、それくらい重宝している車だから、
メンテナンスは怠りなくやっている。
オイル交換、フィルター交換はもちろん、
タイヤのローテーションや燃料の水抜き、
バッテリーの交換はきっと
マニュアル通りにやっているはずである。

もちろん運転もタイヤを軋ませて走ったりとか、
激しく空回りさせたり、
峠で四輪ドリフトを決めたりなんか
決してしない、おとなしいもんである。

そんなおかげか、タイヤの方も
6万も走っている割には減りが少なく、
最近ようやくスリップラインが
顔を出し始めた程度であった。

ところが先日の点検時に、
スリップラインが出てたら
今度の車検は通りませんよ
と言われてしまった。

まあ、それでも見た目はしっかり溝もあるし、
車検もまだ半年先だから大丈夫だろう
とタカをくくっていたのだ。

そんなある日、
ジムで後部座席に置いた
トレーニングウエアの入ったバッグを、
壁際に停めて狭くなったドアの隙間から
降ろそうとしている時に、
ふと右後輪にキラリンと光るものがあることに気が付いた。

石でも噛んだかなと思ってよく見ると、
なんとその物体はビスの頭だったのだ。



しかも、まだ頭の部分に
十字の溝がくっきりと残っている。

ということは摩耗していないので
刺さったばかりということだ。

しかし空気が抜けている様子はない。

もしかしたら、短いビスなので
貫通していないのかもしれない。
どんな長さだろう。
と思って抜きかけたが思いとどまった。

もしここで抜いて「ブシュー」と
パンクしてしまっては超困る。

とりあえずどんなものか様子を見てみようと、
ジムに入り小二時間余り過ごした後、
確認してみたら様子は変わっていなかった。

では、一度空気圧を測ってみようと、
帰りにスタンドに行くことにした。

先日高速道路を走るので
高めに設定されているはずだ。
測ってみると、異常なしのタイヤが
2.6気圧だったのに対し、
その問題のタイヤは2.0気圧であった。

むむむ、これはじわじわ抜けているようだ。

とりあえず、空気を補充し
家に帰り、明日に手立てをすることにした。

さて、どうするか。

一晩悩んだ挙句、タイヤを交換することにした。
この車にはまだまだ年金をいただくようになるまでは
乗るつもりである。
だとすると10万キロは超えるだろう。
しかしタイヤがそこまで持つとは到底思えない。
どこかで交換が必要だろう。
しからば、今交換しておけば、
次の乗換まではほぼ持つだろう
という計算をし、
じゃどうせならここらで交換しておくか。
と自分を納得させたわけである。

翌日、早速オートBックスや
タイY館などを回ってみた。
すると、今乗っている車のタイヤは
かなり特殊なサイズのようである。
どの店にも在庫はなかった。

したがって、安売りセールの対象などには
なっていないので、
10万円近くの値段になることがわかった。

これは痛い。

原稿で10万円を稼ごうとすると、
どれだけ書かないといけないか。

ここはもう我が家の大蔵省にお願いするしかない。

結局、店でもらった見積もりを
ディーラーに見せて、
その値段以下で交換してもらうことになった。

おまけにこんなファBリーズもつけてもらえたよん。



そんなすったもんだの挙句に
タイヤが新しくなった。



するとどうだ。

「あれ?こんなにこの車静かだったっけ」
と思うほど乗り心地がよくなったではないか。

タイヤの性能って、けっこう体感するもんなんですね。
今の車で7代目になるけど
あらためて気が付きました。

とにかくまあこれでまた一段とほっつきが
楽しくなるだろうっていうお話でした。


阪堺電車搭乗

2015年09月24日 21時42分53秒 | ウォーキング

あべのハルカスの
地上300mの景色を堪能している。



眼下に見えるのは天王寺駅。



おお~、生駒山の方面に
ヘリが飛んでいる。



同じような高さに見えるが
やっぱり向こうの方が高いんやろな。

生駒全山が見渡せるすばらしい景色だ。



そしてその生駒山から
大和川が通る谷を隔てて
南側に最初にそびえているのが二上山だ。

大阪平野を優しく見下ろす
この神々しいまでの山容はどうだ。



大和平野から見れば、日が沈む方角にあり、
この世とあの世の境目にある
死の山かもしれないが、
こちらから見れば朝日が昇る
神の宿る山なのである。

その形容にふさわしく、
ここあべのハルカスから
360見渡せる山々の
どの山と比べても、
その存在感は際立っている。

あべのハルカスに行くなら
この山が見える日にしなさいと、
ハゲシクお勧めしたい。

こうして展望台を一周し、
最後に素晴らしいものを見せていただきました。

この展望台は60階。



59階にはお土産屋さんなどがあり、
58階にはビアガーデンなどの
フードショップが並んでいる。

ここのビアガーデンは
なかなか良さそう。

展望台入場料と飲み放題と
つまみ3品がついて4800円。

日本一の高さから夜景を見ながら
乾杯したいものだ。

今回は昼間だったので、
パインアメソフトクリームで乾杯したよ。



展望エリアをあとにし、
そろそろお昼となったので
次に向かったのが入場券で
割引のあるこのお店。



う~ん、懐かしいお味だったこと。



さて、次はもう一つの目的
阪堺電車に向かおう。

普通に打つと「半壊電車」に
変換されるのが恐ろしいぞ。
どんな電車やねんと突っ込んでしまいますな。

この電車、駅は路面にあるけれど、
乗車するのは地下からしか
上がって行けません。



全区間均一の210円。

天王寺から終点浜寺公園まで乗るのだから
大変お得だ。

待っていたのは、おあつらえ向きの
2両編成浜寺公園行。



早速乗り込んだ。



ミセスに「なつかしい?」
て聞いたらもう既に目がランランとしていた。

定刻が来て発車。

こんなショッピングモールや



こんな建物の横を通って、



ガタゴトと走り始めた。

展望台から見えていた
「松虫」の辺りから、
住宅街に入って行く。



この電車の各駅が
また古臭い建物で面白い。

特徴的なのは、「姫松」や「住吉」の
駅舎と停留所の中間のような建物に見られる
柱上部の方杖。



柱と梁に渡された木の斜め部材が
丸くなっていたりしてちょっと可愛い。



ミセスの高校が近づいてくるにつれ、
いろんなことを思い出しては
語ってくれたな。

あの頃と周りの建物は
随分変わったけれど、
雰囲気はやはり残っているそうだ。

住吉の辺りに来ると
線路は複雑に入り組んでくる。



というのもこのあたりで
上町線と阪堺線が合流するとともに、
住吉公園に向かう支線もあるからだ。



ゴトゴトとスピードは緩いけど、
生活の中に深く根を下ろしている路線
ていう感じがする。



大和川を過ぎると堺市内に入って行く。



「高須神社」、



「神明町」、「宿院」

といった歴史を感じさせる駅を
ひとつひとつ過ぎてゆく。

あ、通りに立っている石は
「紀州街道」の石のようだ。



そして御陵前から軌道敷きも広くなるからか、



一気にスピードが上がる。

これまでゆっくり進んできたから
怖いほどのスピードだ。

石津川を越えたら



終点の浜寺公園まであとわずか。

30駅目で到着となる。



通ってきたのはこんなコースだった。



全長約14キロ。終点で、
路線図や駅舎を撮影し、
ついでにひと駅分を歩いて、
羽衣駅から帰路についたのでありました。

初秋の一日、
いい家族サービスができたなあ
と満足しながら、
あべのハルカス&阪堺電車の旅終わり。


あべのハルカス登頂

2015年09月23日 21時22分18秒 | ウォーキング

痛風が出てたんだよね。
場所はまた膝。

ここに出るのはもう2回目だ。

前回は注射一本で即全快だったのだが、
今回はちょっと長引いて
10日ほどかかってしまった。

なのでお誘いのあった山行も
残念ながら参加できなかったんだよね。

それがようやく治ってきたので、
とりあえずは軽い街歩きから再開してみようと、
ミセスと出かけることにした。

行ったのはオープンして一年半、
まだ登ったことのなかった

あべのハルカスだ。

帰りのことを考えて、
南海電車で行くことにした。

というのも今回のハルカス登山には
もう一つ目的があって、
昔ミセスが高校の頃に通学で乗ってた
阪堺電車で天王寺から浜寺公園まで帰ろう
と思っていたのだ。

新今宮で乗り換えて天王寺へ。
早速2階のチケット売り場へと向かった。

そこで買ったチケットがこれ。



ん?色違いなのはどういう事だ。
男と女に分けているのか?
近くにいた案内のおねいさんにきいてみた。
すると、

「まったく意味はございません」

とのこと、なあんや。

で、エレベーター乗り場には
この青いラインに沿って
歩いていってくださいとのこと。



まるで、病院でレントゲン室に向かうみたいやな



とか言いながら、到着したのがここ。



平日だったのですいていると見え、
くねくねと並ぶ待合行列場所に関係なく、
一直線でエレベーター口に向かうことができた。

エレベーターでまずは16階まで登り、
そこで乗り換え60階へと向かう。

エレベーターの箱は天井が
透けて見えるようになっており、
こんなライトがどんどん下りてくる。



上昇気分を盛り上げる仕組みやね。

あっという間に300mまで登った。

エレベーターを降りると、
いきなり目の前に展望フロアが広がっていて
一緒に乗ってきた人たちから歓声が上がる。

フロアに流れる音楽も、
宇宙空間を思わせるような音楽だ。

なかなかいろんな部分で
気分を盛り上げてくれるじゃないか。

では、早速眺めを見てみよう。

まず最初に向かったのが南側。

歩いた熊野街道の痕跡を見てみよう。



あべの筋を目線でたどっていくと、
松虫の辺りで脇道に入っていく街道が見えた。
すぐのところに安倍晴明神社の森も見えている。

さらに南に行くと、
画面では小さいけれど
万代池公園や大和川まで見渡せる。



実際に歩くよりもずっと近くに見えるのは、
この後何度も実感した。

一日かけて歩いた距離さえ、
ひとまたぎくらいに小さく見えるのだ。

熊野街道どころか、
電車でスタートした泉O津のツインタワーでさえ、
ひょこっと歩いて行けそうなほど近いし、
空気が澄んでいれば、
街道が続く和歌山との府県境まで
ひとつの視線の中に入ってしまうだろう。

ここから時計回りに東の方へと目線を移していくと、



日本一低い天保山から
六甲の西端、須磨や明石海峡大橋まで
視線は首を少し動かすだけでつながっていく。



手前に広がる大阪市内には、
建物がまるで密林のように密集している。

大阪ドームがあんなに小さい。



あの巨大な建造物もおもちゃのようだ。

おお~、眼下に天王寺公園が見えてきた。



その横に細長く続く緑の帯は
寺町台地の寺院群。



ああ、ここの七坂も歩いたなあ。

遠くには梅田周辺の巨大ビル群も見えている。



大阪城は、見上げるイメージしかなかったので、
ここから見下ろすときには
よく探さないとわからないくらいだ。

画面中央が四天王寺。



こうして見れば大阪の緑は
公園と神社仏閣がほとんどだ。

遠くには、山と山の間の谷を削って、
京都方面から続く淀川が蛇行して
流れているのがよくわかった。

淀川完歩でまだ歩いていない区間が
ほとんどなので、次に歩くときには
このあべのハルカスを探してみよう。

まだまだ展望台をぐるっと続く。


楽しむ心も変わっていく

2015年09月22日 15時47分01秒 | マラソン

本日、晴天の下
大津川河川敷で
ランニング仲間による
「大津川さわやか三時間走」
が開催されました。

選手の皆さん
そしてスタッフの皆さんお疲れさんでした。

しかしなんですなあ
レース出場から引退して
doironも5年近くも経ちました。

やめた当初、この大会のスタッフに来ると
走っている皆さんが
うらやましくて仕方なかったんですよね。

それがねえ、年々そういう
うらやましさ感は薄れてきましたね。

祭と一緒で
だんじりの前に乗って
「行っけ~」とやってた頃から
裏方に回るようになって
こちらも3年が経ち、みんなが楽しそうに
しているのを見ているだけでいいじゃん。
という気持ちになってきたように
この三時間走をはじめ
マラソン大会そのものを
横から見ることに
抵抗なく素直に楽しめるように
なってきました。

現役の皆さんは
なかなかそんな気持ちは理解できないでしょうけど
人間、その日、その時の暮らしに
応じて自分の生き方に慣れてくるもんですな。

いやあ、今日はそういう意味から
たっぷり楽しませてもらいました。
一周目の計測はさすがに
もたもたしてしまいましたが・・・
力不足です。

そんな中、今回、役にたったのが

双眼鏡

かなり手前からナンバーを確認できるのがよかったっす。

年々目が悪くなっていきそうだから
今後も有効でしょうね。

次回は動画撮影をすべきだと
痛感しました。

まあ、ともあれ怪我も、事故もなく
無事に終わってよかった、よかった。

さあ、連休済んだら
ちょっぴり仕事をしつつも
街道歩いて、山に行って、
自分の楽しみの世界に没頭しますかね

スポーツの秋やもんね

あ、祭りもあるわ

本日スタッフされた方、選手で走られた方の
これからマラソンシーズンインの
活躍をお祈りしています~


アルコン燃焼実証試験!

2015年09月21日 21時43分06秒 | ウォーキング

先日、天気のよさにほだされて、
光明池に散歩に行きました。

以前ここで開催されていた3時間走を
走ったことがある大きなため池の公園です。

ランのトレーニングでも
バイクのトレーニングでも
走ったことがあります。
さすがにスイムのトレーニングはしていません。

したがって土地鑑はあるわけです。

池の周辺には散歩道が整備されていて、
休日ともなるとたくさんの人が
汗を流しに来ています。

それに公園内には
水道もところどころにあるのを思い出したので、
携帯コンロの燃焼実証試験をしてみようと
散歩がてらに出かけたわけです。

燃料用のポリタンにアルコールを注ぎ込み、



調理用の乾燥食品
「ミネストローネ」を背中に詰めて、
弁当と共に担いでいきました。

気持ちのいい天気の下テクテクと歩き、
歩き終わってから南部の光明池緑地に架かる
橋のたもとで店を広げました。

お弁当はこれ。



うまそうっしょ。

ミネストローネはモンベルで半額買いしたものです。



公園の水飲み場でコッヘルに水を入れ、
さあ、では燃焼実験をしてみましょう。

コンロのゴトクと足を広げ、



バーナー缶にアルコールを注入します。



先日の屋内実験では半分くらいでしたが、
屋外で熱が逃げることも考えて
全体の三分の二くらいとしました。

それをコンロにセットして、
アルコールをチョロチョロとかけて点火です。

今回はチャッカマンではなく、
昔懐かしい「マッチ」を使いました。

最近の子どもはあまり見たことも
擦ったこともないでしょうねえ。

少々風があったので、
マッチの火薬が燃焼しているうちにと
コンロの近くで擦りました。

ボウッ!と音を立ててすぐに着火です。
マッチ、正解です。

この時、コンロの周りを
百均で買ったアルミフードを加工して作った
doiron特製スペシャル軽量優れものフードで覆いました。



このフードの特徴は、
リーズナブル(100円で3つは作れる)、
軽い(10g)、
コンパクトに折りたためる(文庫本サイズ)、
おしゃれ(ミッキーが描かれています)、
そして高さが絶妙
(コッヘルの取っ手で飛ばないように抑えられる)。

とまあ、いいことだらけの特徴を備えていることから

「スペシャル軽量優れもの」

なわけです。

ただ、最後の特徴は
あまりに風が強い時は、
フードが風にあおられるとともに、
コッヘルごと倒してしまう恐れがあります。

そんな場合は、
その辺の石を周りに置いて
固定する必要があるでしょうね。

待つこと10分。

コッヘルのふたを開けてみると、
おお~沸騰しています。

こんなに標高の低い所でも
しっかり沸騰しているのですから、
高山になるほど沸点が下がることを考えると、
実用性は十分のようですな。

さっそくミネストローネを投入。

このアマノフーズの食品も、
野菜がゴロゴロ入っていて
星みっつです。



あまりにうまそうなので、
すぐに味見してしまい、
写真が途中になってしまいました。

ランニングをしていた男性が、
「コーヒーおいしそうやね」と声をかけてきました。

いえいえ、ミネストローネですと反論もせず、
「あげへんよ」と意地悪をいう事もなく、
「へへへ~」と笑っておきました。

もうこれでこのコンロの性能を
しっかり確認できました。

これから気温も下がっていきますので、
山歩きのみならず、
街歩き、街道歩きのお供に連れて行くことにしましょう。

そうそうこれからはこの携帯コンロを
「アルコールコンロ」なので、
略して「アルコン」と略すことにしましょう。

「歩こン」みたいでピッタリでしょ!

P.S.

さて、明日は三時間走。
例によって周回チェックです。
これを読んでて出場される方、
doironのいるテントの前では
飛び切りの笑顔と
ナンバーカードを見せてくださいね~