ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

汗ボト山に風が吹く 1

2015年07月31日 21時25分50秒 | ウォーキング

高校野球が始まったのが
今からちょうど100年前の1915年。

豊中市で行われた
「全国中等学校優勝野球大会」
がその第1回にあたるそうだ。

で、今年は第97回。

回数が合わないのは、やはり戦争で、
昭和17年から昭和20年の間は
開催されていないからだ。

その高校野球100年を迎えた今年は
「怪物の当たり年」と言われている。

その筆頭として騒がれている
早稲田実業の清宮クンは
若干16歳でおっさんの風格さえ備え、
西東京大会の決勝でも、
5点差をひっくり返す素晴らしい活躍をして
甲子園行きの切符をもぎ取った。

彼が出る予選の試合には、
プロ野球の試合よりも多くの観客が
詰め寄せたそうだ。

さすがに高校野球100年。



今年は各地で予選大会から盛り上がっているようだ。

先日ジダンが、
紀三井寺球場で開催される
和歌山県予選を見に行くというので、
一緒に行った。

といっても、doironはただその車に便乗して
山に登るためで、一緒に野球観戦をしたわけではない。

doironが登ったのは、
紀三井寺球場に近い「名草山」。

標高は228.7mと低いが、
和歌山の市街地に単独でそびえている山だから、
遠くからでもよくわかる。
特に泉南の山からもよく見える山で、
その風貌から

「doironの登ってみたいご近所の山ベスト20」

に入る山のひとつだった。

登山口は何カ所かあり、
いろんなコース取りができるようだが、
今回はJRの「紀三井寺駅」で降ろしてもらい、



そこからしばらく街中を歩き
南側からの縦走コースを歩くことにした。

全行程は7キロくらいの山なので、装備は簡単だ。
朝早くに出発したから
昼過ぎには下山できるだろうと見越して、
コンビニでお茶とおにぎりを
それぞれ一つだけ買って持っていくことにした。
それに小さな羊羹も持ってきているので十分だろう。

この日の足下はトレイルランシューズ、



新調したスパッツのデビュー戦でもあります。

そしてリュックもいつものリュッ君ではなく、
トレランリュックと軽装である。

まずは紀三井寺へと向かって
国道42号の歩道を歩き始めた。



左に名草山、右側には義父さんが
生前に目の手術でお世話になった
和歌山県立医大病院がそびえている。



ここが紀三井寺の参道入り口だ。



さすがに西国三十三ヵ所の2番札所だけのことはあって、
門前にはそれらしい食堂や
お土産屋さんがドカドカ軒を連ねている。



熊野古道を歩いている時にも
道標によく名前が刻まれていたお寺だ。

その寺の方に向かって歩いていくと
右手に「運動公園」の入り口が見えてくる。



ここがジダンの向った紀三井寺球場へと続く緑道の入り口だ。



今回の登山コースでもある。入って行こう。

左手に紀三井寺の伽藍が見えている道を歩く。



この緑道では地元の人も結構散歩をされていたなあ。



やがて最初の踏切のところで
緑道をそれて線路を渡ると、



道は狭い旧村の中へとつながっていく。

そんな村の中にあったのが

「若宮八幡神社」。



そこにあった由緒書によると



この神社は一度「浜宮神社」に遷座したそうだが、
村人の要望で再び還座してきたという
数奇な歴史を持っているそうだ。

その日はちょうど夏祭りの日で、



社殿横の社務所に女性たちが
料理を並べている最中だった。
一人に「祭りですか?」と聞くと
「そやしてよ、また来ちゃってよ」なんて応えてくれた。

どことなく嬉しそうなのは祭りだからだろうて。
そんな会話を交したり、
登山の無事を願ってお参りしたdoironなのであった。

そこからいっそう狭くなった道を



さらに南に向いて歩いていくと、
右手に錫杖、左手に宝珠を持った
立派な地蔵尊があらわれた。
いわゆる正統派地蔵尊じゃね。



宝珠は魂が燃え上がった様を表現したものという。
でもこのあたりではもしかしたら
珠ではなくみかんの形をしているかもしれん
と思い確認してみたがよくわからんかったな。

ま、そんなことはないだろう。

おぉ、マンふたには、紀州手鞠が描かれているではないか。



「てんてんてんまり、てんてまり」の歌いだしで有名な
童謡「毬と殿様」に、紀州の殿さまが登場するところから
この図案になったんやろね。

やがて道が少し広くなり、
名草小学校の前に出た。



地図ではこの先で踏切を渡り、
内原神社のところに登山口があるとなっている。

ん?御神楽が聞こえてきたぞ。

ピーヒャラと続く。


祝!40周年

2015年07月30日 21時45分05秒 | 最近の出来事

毎週会議を重ねているエイが今日40周年を迎えた。
そのうちの半分以上は毎週通っていることになる。
それにしても40周年とは長い。
開店当時二十歳だった少年が
もう還暦を迎える長さである。

あ、それはまさにdoironのことだ。

この店に通い始めた頃は6、7人であったのが、
引っ越しやら退職やらで一人減り、二人減り、
ついに最近の常連は首Dさんとdoironの二人となった。

これとて、順風満帆に続いているわけではない。
首Dさんが体調を崩された時には、
一人会議を重ねることもよくあった。

その首Dさんも最近はすっかり復活されて、
二人での楽しい会議は
滞りなく進んでいるところである。

それに、近頃は仁Oさん夫婦も
準常連のようにして参加してくれており、
賑やかに過ごせている。

そんなエイに絡んだ経緯を振り返るときには、
自分の人生のあれやこれやも
一緒に思い出してしまうものだ。

この度、40周年を迎えるにあたり、
最後まで一緒にエイに通ってくれていた
和歌山のT本さんも駆けつけてくれることになり、
三人でお祝いの品を送ることにした。

それがこれ。



doironの地元で栽培が盛んな棕櫚竹を調達し、
そこへお祝いの札を手作りしてつけたもの。

持って行ったらエイのママさんが
両手を合わせて感謝してくれて、
こっちも泣きそうになりました。

「まあ、大したもんやないけど
50周年の時には盛大にお祝いさせてもらいます。
生きてたらね」と言っておきました。

今夜の特別料理はこれ



タイの尾頭付き?
あ、尾はないか。
でもこういう魚の料理は絶品なんだここは。

今日は夕方の早い時間からエイに集まり、
久しぶりのメンバーで
タイムスリップしたような楽しい時間でした。

おめでとう、40周年。
そしてありがとう、ぼくらのエイ。


淀川完歩番外編 淀川資料館

2015年07月29日 21時05分23秒 | ウォーキング

仕事も一段落、
しかし歩くには雨模様で今イチ
という「閑中さらに閑あり」の一日に、
今歩いている淀川の勉強をしようということで、
枚方市にある「淀川資料館」に行ってきた。

泉州の人間にとって
北摂の方はほとんど土地鑑がない。
マラソン大会に行ったり
ひどい高速道路渋滞のう回路として抜けるくらいで、
枚方や茨木、摂津などの位置関係は全然わからない。

そのため、ナビに導かれるままに
大阪市内を抜け
車でビューンと行ったわけである。

その資料館は、
国土交通省淀川河川事務所に併設されている。



同事務所の駐車場に車をとめ歩いていくと・・・



これが資料館の入り口です。



あれ?鍵がかかっています。

まさか、休み?と思ったら、
そこに貼られてあった貼り紙によると
無人運営をされているそうで、
入り口でインターホンを押したら
応対してくれて鍵がガチョ~ンと開いた。

そらそうやね、
1日に何人も訪れるようなところではないので、
人を配置して置くなんてできないもんな。
人件費節減で結構だ。

中に入ってまず目に入るのがウナギの水槽。



パイプの中からしっぽの先端
(ん?どこからどこまでが尻尾なんだ?)
だけ出ていたワイ。

そしてその横にあったのが

「淀川両岸一覧」

という今から150年ほど前に描かれた
京都から大阪までの淀川の旅行案内記である。



調べてみたら、
大阪府立図書館にあるとのことなので、
これはまた見に行かなくてはなるまいて。

旅行案内記があるということは、
人の往来が多かったという事。
当時の「三十石舟」やその船客に
軽食を売る「くらわんか船」なんかも展示されていた。



そしてこれがその当時の三十石舟の様子。





30人足らずの客を4人の船頭で運んでいたそうだ。

で、これまで何にも考えていなかったことに
ふと気がついた。

じゃ、そうして川を下ってきた三十石舟を
どのように上流に戻すのでしょうか。

今なら川下りのいかだなんかは
トラックで運んでいるようですが、
当時はそんなものはなかっただろうし。

これがなんと驚き、
船からロープを出して
それを岸から引っ張っていったそうです。

単純に淀川を通って人や物が行き来するんや
と思ってたけどそれは間違いで、
どうやら流れに沿った京→大坂の動きの方が
活発だったんだろう。
それだけ大阪が大消費地
だったということなのかもしれない。

人々の暮らしを支えてきた淀川は、
また一方で人々の暮らしを脅かしてきた。

明治18年に起こった洪水は
枚方で決壊した水が
大阪市内にまで流れ込み
広大な面積が水に浸かったそうだ。



そんな暴れ川を制御するために、
洗堰、流路の付け替えなどの事業が行われ、
ほぼ今の姿になっているという。

水との戦いの果ての姿というわけやね。

こうして人の暮らしと関わってきた
淀川のもう一つの姿として、
豊かな自然がある。

ここにパネル展示されていた魚だけでも70種あるし、





昆虫類にいたっては1700種以上確認されているそうだ。



中でも「河川氾濫原」や
「わんど」に生息する
「イタセンパラ」は天然記念物に指定され、
淀川自然保護のシンボルになっている。



しかし冬季などに
ひょっとしたら水がなくなるようなところに
どうして生き残れるのか疑問に思うよなあ。

でもここにはちゃんとその答えが
書かれてありました。

イタちゃんは水がなくなる前に
貝に卵を産み付け、
地中に潜った貝の中で生き続けるとのこと。

そして水が出てきたら泳ぎだし、
一気に成長するんだそうだ。

まったく自然はうまくできているもんだ。

そんな勉強をしたあと、
外に出てみるとすぐ横に
淀川の堤防がある。



ああ、確かこのあたりは
トライアスロンチーム対抗の
駅伝があったあたりだ。

あの頃の自分が懐かしい。

そして最近始めた淀川完歩で
やがてここまで歩いてくる自分の姿も想像しつつ、
そんな懐かしい景色の中で



お弁当を広げのんびりと過ごしたのだった。

終り


開眼、納骨、一周忌

2015年07月28日 21時01分49秒 | 生活

親父の亡くなったのが昨年の8月30日。
まもなく11ヵ月が過ぎる。

そして母親が2月に亡くなって
こちらは6ヵ月が過ぎようとしている。

両親とも本骨は一心寺に納骨したが、
胴骨は「こちらは慌てなくていいですから」と
お寺からもアドバイスをいただいており、
二人仲良く並んで仏壇の前に置いたままにしてあった。

そしてやがて来月、
初盆を迎えることになる。

お盆になると、早朝に御先祖様をお墓に迎えに行って、
帰宅してもらうという人並みのお盆を過ごしてもらうためにと、
この度先祖代々のお墓に納骨することにした。

それに先立ち、まず墓を整備した。

この墓は親父が立てたもので
もう50年以上経っている。

そこで、お寺さんに来てもらって
御魂を抜いてもらってから、
従来の墓石を親父の背中を流すように
ごしごしと洗ってやった。

しかし素人の墓洗いでは、
一向にきれいにならない。

削るように磨けばきれいにはなるのだろうが
それではあんまりだ。

結局、墓石の前に線香台を
置いてもらうための整備をお願いしている石屋さんが、
見積金額には入っていないサービスで
一日かけてきれいに洗い、
最後にコーティングまでしてくれた。

さすがにプロである。

墓は驚くほどきれいになった。
ありがたいことだ。

そしてその墓に、
先日両親の胴骨を納骨をした。

手順は、まず御魂を抜いた墓に
お寺さんに再度御魂を注入(開眼)してもらい、
そこへ納骨をするという段取りだ。

さらにその後、
一周忌を営むという形で進めることになった。

そしていよいよその納骨の日、
その日は朝から土砂降りの天気であった。

梅雨明け10日は晴れるという言葉と
ミセスの晴れ女ぶりに期待していたのだが、
これでもかと降り続ける雨は止みそうにない。

どうしようと不安を抱きつつ、
お寺や会席を既に予約しているので
日延べはできない。

なので雨に供えて、
大きめのビーチパラソルなんかも用意し、
さらに墓に持っていく焼香台や
御供えを黒い服を着て車に積んでいると、
近所の者が通りかかった。

「どこか葬式なん?」
「いや、今日はうちのお墓の開眼式と
納骨式を墓でやるねん」
というと「雨やのに大変やなあ」と言いつつ去って行った。

その後、準備もあるので
早い目に墓に行き、
あまりの激しい雨で車から降りられず
どうしたものかと
途方に暮れているところに、
先ほどの近所の者から電話があった。

「雨で大変やろ。行けるものを集めたから
今からテントを持っていったるわ」とのこと。

いやあ、ありがたい。

持つべきものは幼馴染である。

普段、身内のように親しく付き合いながら、
人のためにといろんな役割を引き受けているのが
こんなことで一気に報われるものだ。

駆けつけてくれた友達と
土砂降りの中、テントを建てて
ようやく落ち着いた頃に、
タイミングよくお坊さんが到着した。

そして小一時間。

開眼、納骨の儀式は雨にも負ケズ滞りなく終わり、
無事両親は墓におさまった。

両親もまた、今日駆けつけてくれた村の人達の
親と付き合ってきたから、
親子して救われた感じだ。
さぞや墓の中で喜んでいるだろう。

再び土砂降りの中、
片付けに行ったろかという友達を制し
ずぶ濡れになってテントをたたみ、
無事に帰宅。

周りのみんなのお情けに
支えられて生きているdoiron家にふさわしい、
感謝感謝の儀式であった。

そのあと、予約したお店で
心ばかりの会席をいただき、
一周忌も無事に終わった。

さあ次は初盆である。

これもまた、初盆飾りをするとともに、
次々に線香をあげに来る村の人達を
迎える準備が待っている。

これが終われば後は母親の一周忌で、
一連の弔い儀式は一区切りとなる。

やれやれと終わり。


淀川完歩7 鹿跳橋へ

2015年07月27日 21時05分03秒 | ウォーキング

立木観音を後にして、
約800段の階段を下って行った。

まるで今の自分の人生のような下り坂です。
下るだけ下ったら
あとは登りだと思い、
喜々として下っていこう。

そして元の登り始めた位置まで下り、
ここから下流の鹿跳橋(ししとびばし)まで
川沿いに続いている参道を歩いていく。



この橋も、立木観音に関係している。

というのも、弘法大師がここまで来たときに、
山の中で白く輝く霊木を見上げながら
そこへ行くために、
さて川をどうして渡ろうかと思案していると、
一頭の白い鹿がやってきて
大師を背中に乗せて瀬田川を越えたそうだ。

それゆえここに架かる橋が

鹿跳橋

と名付けられているそうだ。

その鹿は観音さんの化身だったともいう。

ふむふむ、
さすれば石山寺で見たアナグマは
紫式部の化身だったのかもしれない。

こんなキノコや



ヤマボウシのある参道を



200mほど進んでいくと、
その橋に到着だ。



相変わらず川は
ハゲシク水しぶきをあげながら流れている。



まるで白い龍が川を泳いでいるようだ。

もし琵琶湖からカヌーで下ってきたら、
このあたりはさぞや難関だろうて。

車道の横に架けられた歩道橋を渡ると、



そこに石が立っている。



国宝の案内をする石と共に、
忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の
菩提寺である浄土寺への案内だ。

ちなみにこのあたりの地名は「大石」といい、
内蔵助の本貫地なのである。

コースを離れて、少し立ち寄っていこう。

ん?野菜の無人直売所の前に
トラがにらみをきかせとら。

これ。



よく見ると、



「さるのおどし」と書かれてあるではないか。



ひゃー猿にバレバレだ。
今どきの賢い猿ならこれくらい読むかもしれませんぜ。

いずれにしても、
このあたりは山深くて猿も出没するようだ。

屋根に鍾馗さんはいないかなあ
と見上げると、変わった飾りのついた家がある。
と思ったら、



スズメバチの巣。



もうもぬけの殻になっているけど
家の人はさぞや驚いたことだろう。

おっと、マンふたに注目です。



かつて琵琶湖でこのマンふたを見つけ、
どうしても意味の分からなかった
動物の絵がこれ。

なんとこれは犬が描かれてあって、
カラーバージョンで見ると
手が赤く塗られているそうだ。

犬の手が赤い、

これを英語に直すと
「ワン、ハンド、レッド」となり、
ジダンのリサーチによると
大津市制100周年を表現しているんだそうだ。
そ、それだったら「レッドドッグハンド」じゃないの?
と細かいことは言いっこなしの
しゃれマンふたなんだそうだ。

まさかの驚くべきセンスである。

200周年が楽しみじゃな。

ここが「浄土寺」。



中にずんずん入り、
裏山に登って行くと
あの大石内蔵助五代の祖、
大石良信の墓がある
(向かって右から2基目の五輪塔)。



このお寺の中には、
あの四十七士の位牌も安置されているそうだ。

さて、この大石の里で
もう一か所立ち寄りたいところがある。

それが「佐久奈度神社」。

御鎮座1340有余年の歴史のあるこの神社。



立木観音が開山1200年を迎えたばかりなので、



こちらの方が古い。
瀬田川の急流に沿ってあり、
水の力による「祓え(はらえ)」を
推奨しておかれたものだそうだ。



淀川完歩のウォーカーとしては
是非ともお参りしておきたいところである。

境内から川に舞台が突き出ており、
ここから眺める景色は、
やはり水の流れの力を感じる場所でもある。



さて、淀川完歩はこのあとも
しばらく車道を歩く。

結構気を遣う区間でもあり、
急いで通り過ぎたいところだが
まあ、ここから先に行くと
バスの便も悪くなる。

次回は、電車でやってきて
一気に宇治まで抜けることにして、
今回はここまでにしておいた。



鹿のモニュメントがある
大石小学校近くのバス停から



バスに乗り、来た道を
バスの高い窓から瀬田川を眺めつつ
石山寺まで戻り、
帰路についたdoironなのでした。

二回目の淀川歩き、終わり。


淀川完歩6 立木観音へ

2015年07月26日 21時02分09秒 | ウォーキング

洗堰で瀬田川ぐるり散歩道も終わり、
そこから道は引き続き右岸を行く。

このあたりの瀬田川は
洗堰で水の勢いが弱まったからか、
それとも流れが蛇行するからか、
川岸に水草が茂り、
野鳥が飛び交う穏やかな
湿原のような情景となる。



これは絵に描いたような
湿地で育つタマガヤツリ。



しばらくは川沿いの静かな散歩道を進んでいく。



大阪までずっとこんな道が
続いていればいいのになあ
というような道でござります。



やがてこの南郷温泉にある
2軒の温泉宿のひとつである
この旅館の裏を過ぎたあたりから、



歩道もとぎれとぎれにしかない
という状態になった。



車に注意してこの国道422号を
南に進んでいこう。

ん?道端に石が立ってるぞ。



このあたりでは珍しい。
近づいてみると、
看板や4本ある石に
すべて刻まれてあるのが「立木観音」。



そこから南に1.5kmほどのところにある
お寺を指していて、
ここから山麓を歩く参道があるようだ。

しかし、今回は淀川歩行なので、
その道は選ばず
できるだけ川沿いを歩くことにした。

横を走るダンプなどの
大きな車に怯えながら、
道の端っこをフンフンと歩いていった。



川の向こうには金勝アルプスの
前衛峰がゴツゴツした雰囲気で横たわっている。



あ、コンビニがあった。

多分このコース唯一のコンビニだろう。
寄らなくてはなるまいて。

みると店の中に休憩コーナーもあるではないか。

多分この先食堂なども期待できないだろうから
ここで少し早い昼食にすることにした。

選んだメニューがこれ。



「ひこね丼」は、すじにくのたっぷり入った牛丼。



まいう~だあ。

セブン&アイとサントリーが
コラボして作った飲み物も
お手軽だったにゃ。
歩いているとこれがたまりませんな。

ま、走ってる時もバイクに乗ってる時も
だったけど・・。

あ、バイクはNGか。
ここまでゆったりと静かに流れてきた瀬田川も、
このあたりから川幅が狭くなって
徐々に流れが荒々しくなってくる。

川の表情が変わった。



川の中に岩がゴロゴロし、
奇岩が景勝を作っていく。

これが多分「かえる岩」。



う~んそう見えなくもない。
川の流れが速くなるにつれ、
歩く道のまわりの景色も山っぽくなっていった。
地図で淀川全体を眺めると、
ここらから天瀬ヶ瀬ダムを過ぎて
宇治川になるくらいまでは
渓谷を削るように流れて行く。

歩道もとぎれとぎれの
交通量の多い道であるから、
いわゆる淀川完歩最大の難所となっていくだろう。

歩く格好も派手な姿で、
目立つように歩きたい。

やがて右前方に立木観音の参詣道である
階段が見えてきた。



この立木観音は、
弘法大師が厄年に訪れて霊木を見つけ、
それを立木のまま豪快に観音に彫り上げた
ということに由来するものだ。



厄除け参りの霊場でもある。

看板によると、階段が約800段続くそうだ。



セミが鳴く蒸し暑い中、
一瞬登りをためらったが
せっかくここまで来たのだから
寄っていくかと階段を上り始めた。

すると登り始めてすぐにこんな丁石が立っていた。



これより5丁ということは500m以上あることになる。

ひゃあ~、この急階段を
500m以上登るのかと思ったら
再びめげそうになった。

でもdoironも今年は還暦を控えて
前厄の歳である。

ここは踏ん張って登って行かなくては。

あ、こ、これは立木きくらげですか。



参道横のこんな石を眺めながら



ゆっくりと登って行くと、
こんな不便な山の中だというのに、
けっこう大勢の人が山を下ってきた。

途中、南郷の方から緩やかに
登りながらお参りをする参詣道と合流し、
ようやくたどり着いたところに
立派なお堂があった。



いつもより多めにしっかりお参りし、
こんな無料のお茶どころで休憩していると、



おお~、これが立木にゃんこ。



本人、じゃなかった本猫の登場です。



にゃおーんと続く。


淀川完歩5 南郷温泉へ

2015年07月25日 21時00分15秒 | ウォーキング

え~っと、ほっつきブログが
たまっているので
日常ブログと時系列がぐちゃぐちゃに
なっています。
深く考えないで読んでね。

今回はまだ6月中のほっつきです。

....................................

淀川完歩第2弾となる今回は、
瀬田川右岸を石山寺から下っていった。
前回は左岸を歩いたので、
これで「瀬田川ぐるり散歩道」を
一周することになる。

例によって石山寺の駐車場に車をとめて、
こんな瀬田川リバークルーズの
遊覧船なんぞを眺めながらスタート。



あ、カルガモさんが世をはかなんでいる。



「は、早まるんじゃない」と呼びかけたら、
飛び込んでしまったよ。



あ、泳げるんでした。



さすがに「散歩道」というだけのことはあって、
道はきれいに整備されている。
黄色いきれいな花も咲いて・・・
あ、これが琵琶湖の厄介者のひとつ

「オオバナミズキンバイ」



生態系、人の生命・身体、農林水産業へ
被害を及ぼすもの、
又は及ぼすおそれがあるものの中から
指定される「特定外来生物」の
13種類の植物のひとつ。

折れた茎からも根が出てくるという
強い繁殖力を持ち、
在来種を駆逐している。

熱心に駆除活動が行われているものの、
根絶にまでは至っていない。
河原の植物は流れに乗って
生息域を一気に拡大させていくので、
これからの淀川完歩の中で
注意して観測していきたいと思っている。

それにしてもブラックバスなど
これだけ大きい湖から流れ出す河川ともなると、
特定外来生物も種類が多いんやな。

京滋バイパスをくぐると、
流入河川のひとつ「多羅川」を横切る。



川が流入してくるあたりは、
栄養分があって魚が集まるのだろう。
釣り糸を垂れている人の姿もあった。

またこのあたりには在来種で
地下茎が白く食用にもなるシロネや



近頃あまり見かけなくなったゴキヅルの姿もあって、



少しホッとする。

ゴマダラカミキリなんかも
花とたわむれていたぞ。



このあたりは河原に面して
住宅街が近接している。

なんとここから「瀬田川」は
「セーヌ川」に変わるようです。



ちゃうちゃう。

やがて下流に南郷洗堰が見えてくる。



おお、これは前回大収穫をしたナワシロイチゴではないか。



あのジャムは特別にうまかったので、
今回もちゃっかり収穫だ。

チマチマチマっと。

道は続いて千丈川に架かる
「南郷ほたる橋」にさしかかり、





その橋はこんな疏水も越えていく。



これは関西電力の導水路。

電力会社の導水ということは、
そう発電。

なんとこの疏水、宇治発電所まで通じているとのこと。
造られた年代も「明治」というから、
歴史的には琵琶湖疏水と遜色はない。
いやあ、昔の人は壮大な工事をしてきたんやねえ。

昔はお上のやることだからと、
土地の権利関係や保障とかいった問題も
少なかったんやろねえ。
環境アセスなんてのもなかったやろうし。

洗堰までの川沿いには
素敵な家が並んでいる。



広々とした景色を眺めながら、
さぞや羨ましい日々を送っているんじゃろな。

さてようやく洗堰に到着だ。
前回は書かなかったけど、
実はこの洗堰にも長い歴史がある。

今、水量調節の役割を担っているのは、
昭和36年に完成した洗堰で、
厳密にいえば「瀬田川洗堰」ということになる。

では本当の「南郷洗堰」はというと、
瀬田川洗堰の少し上流にあった。

明治38年に竣工されたこの堰も
今は当時の痕跡だけをとどめて
川の中に残っている。

これが前回撮影したその堰の入り口。



当時、この堰は角材を人力で
沈めたり引き上げたりして開閉していたそうで、
全開に丸一日、全閉に丸二日
かかっていたそうだ。
この時も、けっこう豪快に水が
堰を越えて(洗って)流れ出していた。



洗堰の周辺には、温泉が湧くようだ。
こんな看板も建っている。



この南郷温泉は
新洗堰ができた昭和38年に開湯したというから歴史は浅い。

ただ、ここ南郷は空海、松尾芭蕉とも
所縁のある古い宿場町ではあるようだ。

さあ、ここからは未知の区間だ。
ひとまず宇治に向けて
次の一歩踏み出したところで続く。


土用だ、鰻だ、偽物だ

2015年07月24日 22時35分22秒 | 生活

今日は土用の丑の日・・・

この意味も、どんな日なのかも
これまで散々書いてきました。

立秋前の土用の期間
そのなかの「丑」の日。
ということで今年は8月5日に
もう一度土用の丑が来るそうです。

ま、そんなことはさておき

土用の丑といえばうなぎです。
元々ウナギは生理的に食べられませんでした。
ところが、歳は取ってみるもんですな
最近はほぼ抵抗なく食べられるようになりました。
(あ、「あなご」はまだ未知数です)

しかし皮肉なことに
食べられるようになってから
値段がどんどん上がっていき
今度は経済的に食べるのが
難しくなってきました。

うう

スーパーマルチライター&
クリエイターでも
細々やってますので
ウハウハうなぎが食べられる身分ではありません

今や
「うなぎのぼり」は別の意味に
なりつつありますな。

それでも、土用の丑には
人並みにウナギを食べた気になってみたいと
いうことで
これまでスーパーで
うなぎに似せた
「豆腐のかば焼き」や



「オカラのかば焼き」



なんかを買ってきては
うなぎを食べた気になっていたりしたものです。

そしてついに
そもそも無理に食べなくては
ならないものでもないわけですし
偽物とはいえ
この時期高騰する商品にわざわざ
手を出すことはなかろうという
経済的理由にも鑑み
偽物製品でさえ買うのではなく
自分で作ってみようと考えた次第なのです。

ま、これもクリエイターですか?

調べた中から、今回は
「ウナギのかば焼き風豆腐料理」を
作ってみることにしたのです。

もちろん、国立競技場と違って
経費はしっかり検討しましたぜ

使った材料は

木綿豆腐1丁(300g)
山芋50g
焼き海苔 1枚
薄力粉小さじ2杯
塩少々
これだけです。

まずは木綿豆腐をすり鉢に入れ



細かくなるまでゴリゴリ摺ります。


そこへ摺った山芋と



薄力粉と塩も混ぜて
さらに摺り摺りしていくと

おお~、すり鉢の中で
豆腐がまるで
白いうなぎのようにとぐろを巻いてきたではないか



かなり粘り気が出てきたところで
焼き海苔一枚を三等分にして
適当な大きさの
クッキングシリコンペーパーの上に敷き



そこへ摺り下ろした豆腐を
盛っていきます。

この時、海苔は皮に見せかけるためのものですから
完全に隠れないようにするとよいでしょう。

そして平らに均したところに
うなぎの模様をつけていきます。

そうしてできたのがこれ。



こういうのが3つできるはずですが
一つは揚げやすいように
半分にしてみました。



これを、約1.5cm位油の入った
大きめのフライパンの中にペーパーごと
投入していきます。



油の温度は180℃~200℃くらいで
いいでしょう。

こんがり色が変わってきたら
裏返してペーパーを取り
さらに同じくらいの時間揚げ続けます。



そうしてできたのがこれ。



市販のタレで十分なので
こんなんを使いました。



お皿に並べてタレを塗って
適度な大きさに切ったら

おお~、なんとかウナギの
かば焼きに見えるではないですか。

断面の白と皮にあたる海苔の黒
そして表面に刻んだ
線刻が何ともいえん味を出しているではないか。

山椒をかけてこんな
かば焼き丼にしてみました。



偽物とはいえ
気分はすっかり土用の丑
金曜の猫、木曜日のタヌキです。

尻尾まで、いや最後のひと切れまで
モグモグいただきました。



まあ、おかげさんで
にせうなぎをいただいて
精力的にはなれませんが
こんな風に
細く長くつかみどころなく
ヌルヌルと生き長らえさせて
いただいてはおるわけです。


ハラハラ動画取材 2

2015年07月23日 21時17分15秒 | 仕事

今回の取材の相手は
4つの自治体の首長である。

したがって取材は四回あり、
その皮切りとなるひとつの仕事が
機械を買った翌日であった。

駐車場で車を降りる前に、
その自治体の基本的なところを
おさらいするとともに、
機械の設定もチェック。

そして段取りというか作戦も確認して、
乗りこんだdoironなのであった。

今回の取材目的は、
最終的には動画をゲットすること。

当然アポは事前にとってあるので
そのことは理解いただいているはずである。

欲しい動画は、
カメラに向かって2~3分話をしていただくというもの。

まずはこちらの意図も十分伝えつつ、
緊張をほぐしていただくためにも
世間話などをしながらペースを作っていく。

インタビューをしつつ、
あらかじめ仕込んだその自治体の取組なんかを
織り交ぜながら、動画の中で話す内容を
自ら確認していってもらったりと気を遣う。

今回の一発目の撮影に当たっては
2,3分の動画をいただくために
1時間近くもお相手をさせていただいた。

そして機は熟したというところで、
てきぱきとビデオをセットしながら

「PRボードはおかなくていいんですか?
あれば置いてもらって結構ですよ」
と指示したり、
立ち会ってる職員に
「携帯はマナーモードにしてくださいね」
とか
「庁内放送のボリュームはゼロにしておいてください」
と、さも慣れたふりで説明をする。

まあ、これらは以前取材される側として
気を付けていたことではある。

「はい。では、ここから鳩が出ます」

ではなく

「最初に私が前説明をしますので、
合図をしたらご自分のプロフィールから話し始めてください。
そして私が1分ごとにカメラの後ろで合図しますので、
二分経過の合図があれば、
まとめにかかってください。
あ、合図のあった時も目線はずっとカメラにお願いします。
では普段の調子ではりきって行きましょう」

なんていいながらも、
機械がちゃんと撮ってくれるのか、
心配で心配で。

スタートの合図つまりキューはdoironが入れます。

なんでもやります。

実はこのキューの出し方も勉強していったのだ。

「3.2.1、キュー」ていうあれね。
まず「3」は親指と人差し指と中指の3本を伸ばします。
そして「2」は親指と人差し指
「1」の時は人差し指を出す。

そしてキューの時はというと・・・

これが悩んだんだ。
手刀で大根を切るように
軽く振り下ろすか、
あるいは親指と人差し指で丸を作って、
ゼロとマルの意味を表して合図するかとかね。

で、結局選んだのが、
ツールドフランスで
個人タイムトライアルのスタートの際に
「GO!」を表すしぐさ。

どんなのかというと、
右手で手刀を作って
てのひらを下に向ける。
そしてそれを自分の胸の辺りで
右にスライドさせるのだ。

え~、わかりにくいやん。

て言わないでくだされ。
一度やってみたかったのじゃ~。

え~っと、そんなひそかな遊びも入れながらも、
撮影は時間が短かったり長かったり、
アクシデントがあったりで
テイク2、テイク3と続き、
結局テイク4でようやく双方満足のいく内容になったようだ。

これで録れてなかったらシャレにならんぞー
と思いながら冷や汗をおさえつつ
早速再生して確認。

このときも間違って消してしまってはいかんと、
めちゃ気を遣いました。

なにせ前日に買ったばかりの機械なので、
操作に慣れていないからね。

まあ、なんとか録れていたようでひと安心です。

時間をいただいたことのお礼と、
今後のますますの活躍をご期待もうしあげ
その場を去ったのであった。

そしてその足で編集に戻り、
録画した動画をパソコンにコピーして
確認をしてもらってようやくホッと胸をなでおろしたdoironでした。

それにしても手に汗握る取材で、
手にあせもができるんじゃないかと心配したわい。

まあ、これでライター仕事の幅が少し広がり、
マルチライターからスーパーマルチライターになったかな。

今度は遠く離れて暮らす息子に
ビデオレターでも作ってやるか
とひそかに目論んでもいるのです。

よしよしと終わり。


ハラハラ動画取材 1

2015年07月22日 21時15分10秒 | 仕事

仕事で取材に行ったときに、
先方によく驚いたように

「インタビューして記事も書いて、
その上写真まで自分で撮るんですか?」
と言われたりする。

「はあ、まあ小さな新聞ですので何でもやるんです。
記事の作成はもちろん編集もしますし、
場合によっては営業もします」

なんていうと、たいてい「大変ですねえ」と言ってくれる。

まあ、はたから見れば大変なんでしょうが、
大新聞のようにいくつも取材対象を抱えているわけではないので、
そんなふうに全部自分でやった方が、
イメージにあった写真撮影もできるし、
編集もできるからある意味やりやすい
という面もある。

そういう意味で、
取材方針もすべて任せてもらった方が
ある意味創作意欲をかきたてられて
楽しかったりするのだ。

そんなローカルなミニミニ新聞にも
デジタル化の波は押し寄せてきている。

限られた紙面で掲載できる内容は限られてくる。

最近は5大紙でも新聞のデジタル化に力を入れており、
紙の上じゃ見れない内容や写真、
あるいは動画も配信していたりする。

我が編集でもその辺のところは
乗り遅れてはいかんと危機感を感じていたところで、
このたび記事とホームページの連動だけでなく、
QRコードを用いてニュースの映像化
にもつなげて行こうという試みを始めている。

ついては、これまで何でもやっていた
マルチライターなんですが、
このたびは動画撮影もしなくてはならない
ということになりました。

むむ~動画ねえ。

これまでiPhoneの動画撮影機能で
友達のランニングフォームをチェックしたり、
ゴルフのスイングを録画してみたりしたことは
何度かあったけど、
取材仕事の中で
本格的にビデオムービーの機械を使って
動画は撮影したことがない。

かといって「やったことないのでやれません」
じゃマルチライターの名がすたるもんね。

依頼がある以上、
できるだけ応えて行かなくてはならない。

そこで、前からも少なからず興味のあった分野なので、
この際チャレンジしてみることにした。

そのためにも自分の機材は持っておかなくてはと、
動画取材の前日に
慌てて電気屋さんに機械を買いに走ったのだ。

そして買ったのがこれ。



手にいれてからはまず充電。
しかる後に取説を読む。
最近は取説のない機械も多いが
これはある程度添付されていた。
やれやれ。

特に「ビデオを録る」という項目は
何をさておいてもしっかり読んだ。

だって取材は翌日だ。
録画のための基本操作はマスターしておかねばならない。
いざ撮影という時にもたもたしてたら、
信頼を損ないかねないからね。

そして、今回のように
録り直しの許されない動画取材の場合だと、
一撮入魂で気合を入れて録らないといけないから、
機械操作の面で余計な気を遣いたくない
ということもある。

ひととおり、動かし方をマスターした段階で、
次に自分で自分の仕事部屋で
試し撮りをしてみた。

すると・・・

さすがに最近の機種は
露出、ピントとも完ぺきで
その辺の心配はいらないことがわかった。

さすがに日本の技術はすごくてありがたい。

しかし、問題は音声である。

再生してみたら
どうも声が小さくゴニョゴニョしていて聞きづらい。
そこで、取説を見てみると、
なあんや、マイクの設定
なんて項目もちゃんとあるではないか。

マイクに指向性を持たせて、
入力レベルをあげて再度自撮りをしてみた。

おお~、ようやくテイク7で
仕事で使えるレベルにまでなって来たではないか。

前日に機械を買うという
付け焼刃もいいとこのええ加減さで、
あとはぶっつけ本番
気合一発!と取材に臨むことになったのであった。

ハラハラと続く。