ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

GW前半トレ

2007年04月30日 23時42分04秒 | トライアスロン
今年のGW前半は
とても天気に恵まれた。
おこなったメインの練習は

バイクロングライド

気温が高く、
いでたちは半袖のバイクジャージに
半ズボンのチャリパンで十分だった。

まず最初に行ったのは
牛滝。
GWとあって、サイクリスト達も
次々下ってくる。
そんな彼らに
挨拶をしながら登っていく。
バイク仲間は
顔は知らなくても
みんな、必ず挨拶を交わす。
なんで、ランナーは愛想が悪いのかな?

休日を楽しむ家族連れなどで
大賑わいのいよやかの郷を過ぎ
大威徳寺に着くと
そこに知りあいがいた。
話をしてたら
その娘の知合いも
徳之島に行くという。
みんながんばってるんやなあ。

「お先に~」と声をかけて下山。
次々に登ってくる車に
気をつけながら、
内畑まで下ったところを左折。
次は相川からほの字を目指す。

この頃から気温はグングン上昇。
「ええ感じやなあ」と思いながら
快調にペダルを回していく。
相川から蕎原までは
道の舗装の状態が悪く、
ハンドルをとられたなあ。

ほの字の里も車でいっぱい!
きっと温泉は時間待ちやろなあ。
こんな時に入浴に
来たくないなと思いながら
すぐに下山。
途中、足の神様といわれている
道陸神社にお参りをしたよ。
日本一周をした
「鈍亀」なる人の
足型が奉ってあるのだ。

また、途中のフィールドアスレチックでは
焼肉の匂いが
黄砂のように湧き上がってましたな。
ここでは何より
子どもの飛び出しにご注意だ。

しばらく下って街中に出たところ、
外環との交差点を左折して
そのまま外環を下る。
そして26号線に入ってからは
どんどん南下して、
つぎの目的地、
山中渓を目指した。
おっと、そうや
このあたりで時刻は
正午過ぎ。
コンビニで、
そばとビールをいただいちゃいました。
ようやく距離は55kmくらい。
山中渓の駅を過ぎ
目指すは
今日最後の登り、
雄の山峠。
ここはロングを始めた頃に
よくきたところでなつかしい。
そんな想い出にまったり浸る間もなく、
登りを渾身の力で
もがいてやった。
足がピクピクしていたなあ。
これくらいの距離で
すこし情けないが
ま、今ならこの辺の出来でしょう。

峠から引き返し
山中渓の駅でしばし休憩。
そこからほぼ一気に
26号線を通って帰宅した。

ほんで帰って風呂に入って

ビックリ!

足と手にくっきり日焼けの跡が・・・
湯船に入ったら
シミましたわい。

山菜ツアーその2

2007年04月25日 23時30分13秒 | 自然

キャンプは、昼飯の用意から始まった。
メニューは野菜たっぷりの塩ラーメンと
持参したおにぎりだ。



こんな具合に、
シェフによって手際よく準備された昼食をいただく。
こんなアウトドアで食べると、
ただでさえどんな料理でもご馳走なのに、
アウトドアシェフ暦20年以上の手による
手作りラーメンは

絶品

極上の味だ。
もちろん、
この時点でビールはすでに始まっている。
食後には、
昨日の登山者に聞いた
「キリシマミズキ」なる植物を探しに
河原を遡行したり、
昼寝をしたり、
焚き火の番をしたりと
めいめい過ごした。
わしは、
持参していた12色の色鉛筆で、
スケッチをした。
所要時間30分のこれが作品。



幼稚な絵ではあるが、
こんな作品でもとても記念になるのだあ。

ネイチャーな写真も何枚か撮影した。
今回は天気が心配だったから、
デジイチは持参していなかったので、
コンパクトデジカメで撮影した。

これはアカガエルの一種かなあ。



そしてこれはシートの上を歩く、
尺取虫。



タチツボスミレもたくさんありました。



それから焚き火の燃料を枯れ木を集めている時に、
こんなのも発見しました。



抜け落ちたのかどうだか分からないけど、
どうやら鹿の角。

う~ん、ここには野生があふれているなあ。
の~~んびりした時間をすごしているうちに、
時刻は4時。
山の夜は早い。
いよいよ今回の山行のメインイベント、
キャンプディナーの始まりだ。
メインディッシュは、
麓の天川村の名水で作った
手作り豆腐を入れた

「湯豆腐」

それに、
同じく手作りのオアゲを焼いたもの、
焚き火で焼いたエリンギとシシャモ。



飲み物も、
ビール、
日本酒、
ウイスキー
がそれぞれ豊富にある。

焚き火を囲んでの宴会。
これで、星が出ていたら最高だったのになあ。
天気が良ければ天の川までくっきり見えるのだ。
月齢
程度の幼い月が
早くも西の山かげに沈もうとしているのが
ぼんやり見えるほかは、
わずかの星が雲間に見えている程度だ。

しかしこんな時でも回りは騒々しい。
鳥の鳴き声、
鹿の悲しげな声、
キツツキ科の鳥が
採餌のためにくちばしで木をつつく
ドラミングの音、
風が樹々の梢を渡る音、
近くの谷を流れる水の音

これらに加えて焚き火の中で
時々はじけて燃える炎の音が加わる。
山のキャンプの何と饒舌なことか(城達也風に)。

かなりお腹もいっぱいになり
お酒も回った9時頃、
ようやく焚き火に石を置いて
テントに潜りこんだ。

おしっこがしたくなって
目が覚めたのが午前1時頃。
テントの外に出ると、
周りは相変わらず騒々しい。
まるでここは、野生の御堂筋やあ
(ヒコマロ風に)
おしっこをしている間も周りが気になる。
こんなところを襲われたら最悪やなあ
と思いながらさっさと用を済ませて再びテントへ。
ウトウトと眠りにつこうかというその時、
テントの外の枕元あたりを
何かがガサッ、ガサッと歩いていく音がした。
それこそ寝たフリで、
寝袋の中で体を硬くして
遠ざかる足音を送った
(この足音の主は
起きてから足跡をチェックしたら、
どうやら鹿のようでした)。
その後夜中に降り始めた雨の音を子守唄に、
空がうっすら明るくなり始めた
午前5時頃まで気持ちよく寝た。

目覚めた時に雨は上がっていたので、
即、
焚き火に着火。

杉の枯葉はどんな時も
景気よく燃え上がってくれるので、
こんな時の最適の着火剤だ。

まずは、朝のコーヒーをたてながら、
みんなが起きてくるのを待つ。
う~ん、リッチなひとときじゃあ。

やがて目覚めてきたシェフも
いきなりハイテンションで朝食を作り始めた。
今朝のメニューは雑炊。
米からご飯を炊き、
昨日の湯豆腐の残りを活用した雑炊作り。
一方、もう一人の板前さんは、
豆腐の味噌汁を作っている。
豚肉でダシをとったらしいから、
半分トン汁かな。
メニューはまだある。
アスパラのベーコン巻き炒め、バター味。
そしてフランスパンが一切れ。

河原に広げたシートの上が、
まるで食べられもせんのに、
欲張って取りすぎた
バイキングのテーブル状態だ。

食後、消化剤を飲んでおきました。

朝食も済ませて、
落ち着いてからテントを撤収。
空はどんよりしているが、
幸い雨はまだ降ってこない。
しかし崩れるのは目に見えている。
熊の件もあるし、
昨日の雨で沢筋はぬかるんでいるだろう。
そこでなにかと危険な登山道を避け、
植林のために敷かれている林道を遡行した。

頂仙岳手前の
名もないピークを登山して帰路についた。
昼飯は
朝にあれだけ食べたので省略。
温泉に入った後に軽く食べて帰ることにした。

熊渡に駐めておいた車に乗って、
温泉に向かった。
目的地は

天川温泉

そこに車をとめて
近くの天川神社を参拝した。
ここは、薪能の舞台が、
神殿に対峙しているという構造で、
芸能関係者らの参拝客が多いらしい。
その舞台がこれ。



どうです、
荘厳な雰囲気でしょ。
芸能人には会わなかったけど、
清らかないい神社でした。
温泉は
小雨にけぶる天ノ川を見下ろす露天風呂が最高でした。

帰りの車中、
うとうと半分居眠りしているうちに
いつの間にか帰阪。
おかげさまで最後の最後まで、
のんびりそしてネジのゆるみっぱなしの
いい週末でしたあ。
また行こうっと。

あ、そうそう、
熊の被害について
23日に環境省が発表した内容を
付け加えておきましょう。
これによると、
クマによる人身被害は
昨年が過去最高で
150人が襲われて、
5人が死亡したらしいです。
怖いですね。
でもね、意外にも
死亡人身事故につながった野生動物は
クマじゃないんです。
何だと思います。
ヘビ?
いいえ違います。
トップはスズメバチなんですと。
しかし、
一番怖いのはやっぱりヒトかなあ。


山菜ツアーその1

2007年04月23日 22時37分02秒 | 自然

前日の金曜日午後3時。
これが買出しがあるので
山行を決行するかどうかの判断リミットだ。
その判断の役割がわしに課せられた。
仕事をしているふりをしながら、
インターネットで専門天気図をチェック。
高層天気図の予想図も確認した。
湿域は被っているものの、
激しい上昇気流はなさそう。
前線も南に下がる気配なので、
大きな崩れはないだろうと判断し、
買出し係及びリーダーに

「決行」

のメールを配信した。

開けて土曜日
当日は、朝からうす曇。
午前6時半に予定通りの出発となった。
目的地は天川村。
ミタライ峡に沿って
役場から1~2キロ奥に入ったところから、
林道へと入っていく予定だ。

途中、
車窓から見える植生を確認し、
山菜の状況を見ながら
順調に車を走らせた。
今年はまだ山菜には
少し早いかもしれん
などと考えながらも
やたら目に付く看板が非常に気になった。
北海道の観光ステッカーにあるあの五文字。

「熊出没注意」。

数年前、
今回の目的地の山域で、
登山者が熊の被害に遭った
という報道が脳裏をよぎる。
鈴を持ってくればよかったなあと思いながら、
林道の入り口にたどり着いた。
そこの地名も

「熊渡」。

真新しい「熊出没注意」の看板が
ここにも目立つように掲げられている。
普通なら、
ここから林道をさらに車で走って
できるだけ奥まで行くのだが、
この林道入口に通行止めの鎖がかけられてある。
後でわかったのだが、
その奥で林道の延長工事をしているので、
工事車両の妨げにならないように
通行止めにしているらしいのだ。
仕方がないので、
その「熊渡」に車を駐め、
歩いていくことになった。
歩いて約40分くらいのロスだ。
宴会用の食料やアルコール類をいっぱい担いで、
林道を歩き始めた。

30分くらい歩いただろうか、
前からひとりの登山者が下りてきた。
話を聞くと、
この奥に「キリシマミズキ」という
このあたりではかなり珍しい植物があるので、
それを見に行ってきたとのこと。
このあたりの山のことや、
自然に非常に詳しい人だという印象を受けた。
ひとしきり話をして、
「ではお気をつけて」
と別れ、数メートル下ったところで、
その人が振り向いてこんなことを言った。
「あ、そうそう、
さっきから熊の鳴声が
聞こえていたから気をつけて

自然に詳しそうな人の言葉だから、
説得力があった。
「は、はい」
と答えたものの、
気持ちはかなり動揺した。

ところで
「熊の鳴声」ってどんなんだろう?
漫画なら「ガオー」やなあ、
でも現実には
「グオー」かな。
案外、「キャンキャン」だったりして。
んなわけないか

いつもなら、
山菜を探しながら
必要なら道もそれて
山中に入っていくのだが、
もう山菜どころではない、
全神経は「熊」に注がれた。
今回は山菜は無理やな、
と思いつつ恐る恐る進んでいった。
休憩中も耳を澄まし、
眼は林の中や、
曲がり角の向こうの気配をうかがっていた。
途中、
あたらしい墓碑のような石も置かれてあり、
熊の被害者のものなのかも、
と変な想像もしてしまいましたわい。

やがて林道は途絶え、
山道に入っていく。
熊除けのために
歌でも歌いながら
歩けばよかったなあ。
「ある~日
森の中
クマさんに
出会った」

ってアカンアカン!

小一時間も登ったところで、
致命的なアクシデントが起こった。
一年半くらい前に購入し、
使わずにおいていた

「メイドインチャイナ」

のわしの靴の靴底が、
ガバッとはがれたのだ。
紐などで応急措置をできる状態でもない。
こんな状態。



ここから先の山小屋までは
まだ2時間以上歩き続けないとたどり着かない。
結局、引き返して、
林道の突き当たりのあたりから、
河原に下りてテントを張ることになった。
今回はそこで、
のんびりキャンプをすることにしたのだ。
こんな広い河原。



しかし、この河原も
先ほどの登山者が
熊の鳴声を聞いたといって、
指を指していたあたりなので落ち着かない。
そこで早速、
火さえ焚いていれば大丈夫やろと、
枯れ木を集めて焚き火をすることになった。
しかし火付け用の杉の枯葉を探していると、
砂地には獣の足跡がいっぱい刻まれている。
そういえば耳を澄ますと、
野鳥や鹿や得体の知れない動物の鳴声も
頻繁に聞こえている。
ひとりでうろうろするのは危険かもしれないと、
そそくさと枯葉を集め
キャンプ地にもどる。
回りを見回すと、
河原らしく上流から流されてきたと
思える枯れ木がかなりある。
まあ、これだけあれば
火を絶やすことはなさそうだとひと安心。



こうして楽しく、
緊張感のあるキャンプが始まった。

以下明日以降に続く。


新しい日々

2007年04月19日 23時15分43秒 | 生活
4月の人事異動で
これまでみていた部署に加えて
別の部署の面倒も見なくては
ならなくなった。
仕事の内容も大きく変わった。
これまでうんざりするほど
毎日書いていた原稿も
ぱったり書かなくなったし、
パソコンとにらめっこする時間も
大幅に減った。
しかし、もともとなんでも
自分でやらないと気がすまない人間なので、
人を動かしたり
人の仕事をチェックをするという立場が
苦痛以外のなにものでもない。
春からの新しい日々。
痒いところに手が届いても
かく事が出来ないような、
隔靴掻痒の状態で
日々、悶々と過ごしているのじゃ。
そのうち慣れるかと
思いきや
日々苦痛になるばかりやな。
ブログに向かう気持ちも
萎え気味やし。

それにしても
ようやく体が動くようになってきた
というのに
今度は
気持ちが重たくなるなんて、
人生なかなかままならんもんですな。

今度の週末は
久しぶりの
山菜ツアー。
のんびりしてこようっと。

天気がチト心配ではあるがのう。

弁当の話

2007年04月12日 00時41分47秒 | 生活

以前、
作ってくれた弁当を
うっかり忘れて食べずに帰った時、
かあちゃんの逆鱗に触れ
しばらく弁当を作ってもらえないという
憂き目を見たことがあるが、
最近は、気まぐれにではあるが
たまに弁当を作ってくれている。
すっかり怒りはとけたようだ。
最近もこんな弁当を
入れてくれた。



最近の体重増加や
飲み会の多さを気遣って
弁当は

極小サイズ

職場の誰よりも
大きな弁当を持って行ってる
というカイサンの弁当に比べたら
きっと10分の1くらいの大きさだろう。
職場で広げると
その小ささに
たいていの人が驚く。
「そんなんでもつの?」
大丈夫です。
大食漢の割りに
空腹には強いんです。

ワシがこれまで見た
驚きの弁当ベスト2を紹介しよう。
まず一つ目は
40代後半、独身の人が
持ってきた弁当。
大きな弁当箱に
ご飯が半分入っていて
残り半分に
梅シソにんにくが
ごろごろ詰められただけの弁当。
「これがうまいんやあ」と食べてた人は
残業の時、
近所の焼き肉屋で
4000円ほど
平らげてから仕事をする人で
今で言えば
ミスターメタボリックなおなかをしていた。
しばらくして
病気で入院。
悲しくも
ついに離職されました。

もうひとつは
中学校の時に
友達が持ってきていた弁当。
ずい分古い話なのだが、
その弁当を見たときの
衝撃は今も忘れられない。
その時の周りの風景や
その弁当の持ち主の表情までが
しっかり記憶に焼きついている。
どんな弁当かというと
これもご飯が半分入っていて
残りがすべて
粒あんという弁当だった。
甘いものに目がない私でも
さすがにこれは
無理がある。
まるでおはぎのような弁当だ。
あんこの好きなその友人の
念願の弁当だったんだろうな
記憶の中の友の顔は
まるで、宝の箱を
開けてみせてくれているように
満面の笑みをたたえている。

この二つが
これまで見た
驚きの弁当
ベスト2だ。
といっても
第3位はない。
この二つに尽きる。
50年以上生きて
たいていの驚きに出会ったが
これらの弁当を
見たときの驚きは
忘れようとしても
忘れられないものがある。
残りの人生、
この先、どんな
驚きの弁当にあたるか
ひそかに楽しみにしている。

それにしても
なぜ、弁当は

「弁当」

なんだろうか。
語源を調べてみたら
どうやら
「便利な物に該当する」

「便利当」

「便当」

「弁当」
とこう呼ばれるようになったらしい。
何か当たり前の結果で
面白くありませんね。
結果を知るまでは
1.映画の弁士がその役目に当たると
席を離れられなくて、
その場で食事が取れるようになったことが
始まりなのではないか。
2.炭鉱で地中深く
もぐっている人の中で
空気弁の担当の人が
いちいち地上に出なくても
食事が出来るように持ち込んだのがはじまり。
みたいな
歴史と背景のある言葉かと
想像をたくましくしていたのに
いささか拍子抜けでしたな。

昼休みに、弁当をいただきながら
そんなことや先の
驚きの弁当のことを
思い出しながら
ニヤニヤしてたら、
「そんなに弁当作ってもらったんが
うれしいの?」
と聞かれてしまいましたわい。
もちろん

「うん」o(^-^)o

と元気よく
答えておきました。


山菜狩り

2007年04月10日 22時47分50秒 | 自然
花見のメンバーで、
2週間後の週末に山に行くことになった。
場所は大峰山系とだけしか決まっていない。
目的は

山菜狩り。

採りたての山菜を天ぷらなどにして、
焚き火を囲んでパーティをするのだ。
わしはそこそこ山菜の見分けがつくので、
わしが参加するときのスペシャル山行だ。
天気がよければ
降るような星空の下で、
それはそれは贅沢なディナーになるのだよ。
調理はT本さんが担当だ。
普段は、
絶対おさんどんなどしないだろうに、
山に行けば俄然はりきって、
無類のシェフぶりを発揮してくれる。

調理に使う道具、調味料、
料理の仕方ひとつにもこだわりが見られる。
アウトドア雑誌の見本のような、
チタンの食器類、
使いやすく分類された調味料は、
工夫をこらした容器に詰められ、
その種類も豊富だ。
もちろん調理の火加減にもこだわり、
天ぷらは熱い油でカラッと揚げないと気がすまない。

そのうち、コック帽までもって来るんやないだろうか。
当然、食事をひきたたせるアルコール類にもこだわりがある。
ウイスキーの銘柄では、
何がいいとか、
焼酎は黒糖焼酎を好んで飲む。
それくらいアウトドアクッキングの鉄人ぶりなのだ。

ただ、アルコールは
彼のほかにも相当こだわるメンバーもいて、
これまで「森以蔵」
(漢字間違ってるかな)
や「百年の孤独」などを
ネットを通じて手に入れ、
ここで飲まなきゃどこで飲むんだと言わんばかりに、
山では大判振る舞いをしてくれる。

そんなシェフやソムリエを相手に
わしも粗末な山菜しか見つけられないと、
申し訳ない。
いきおい、山へいくと、
必死に山菜を探さないといけない。
その時期だと
タラノメ、ウド、アケビの新芽
などが旬を迎えているだろう。
幹にするどいトゲのあるタラノメでも
少々の傷は覚悟で採取せねばなるまい。
今年は高いところにある
獲物を取るための工夫もしてみようと思っている。
ウドは見分けが難しいので、
ギョロギョロと
小さい目を精一杯広げてさがす。
とまあ、こんなことが結構楽しいのだ。

この春の山菜ツアー、
ここ数年は萩往還のために封印していたが、
今年いよいよ復活する。

本来、山菜は探して見つけるのではなく、
山菜のあるところに目が行く、
すなわち向こうからこっちを見つけてくれるものなのだ。
以前は時速60キロで走っている車の中から、
草むらの陰に隠れている山菜の
小さな株でも瞬時に見つけたものだ。
そんなカンを少しでも取り戻そうと、
近頃は朝の通勤読書で植物図鑑を眺めている。

果たして山菜は採れるのか、
天気はどうなのか、
わくわくしながら2週間後を待っているのです。

方言

2007年04月09日 22時44分12秒 | weblog
今日、夕方職場で
地元の友達から携帯がかかってきた。
就業後だったのと、
話の中味がだんじりのことだったので、
思わずヒートアップ。
泉州弁丸出しで話していたら、
それを聞いてた隣の部署の人が驚いていたわい。

わしは泉州で生まれ、
仕事では今、
河内で働いている。
それぞれの地域には、
それぞれ泉州弁、
河内弁があるわけだが、
わしは、
家と職場とできっちり言葉を
使い分けているつもりだ。
それは意識しているわけではなく、
無意識に知らず知らずに
使い分けがおおむねできているという意味だ。

例えば、
「違いますか?」
という言葉は、
家では
「ちゃうけ?」
と言うのだが、
職場では
「ちゃいまっか?」
と言っている。
こんな具合だ。
ときどき、
今日のように職場でテンションが上がると、
思わず泉州弁が出たりするけど、
概ね職場では
河内のおっさんになっている。

大阪市内から嫁いで来たかあちゃんが、
昔、職場と家でのわしの言葉の変貌ぶりに
驚いていたことがある。
(そんなかあちゃんも、
最近は家ではコテコテの泉州弁を話してる。)
これとよく似たことを、
学生の頃も経験した。
学生の頃は金沢で過ごした。
最近の能登半島自身の報道番組の中で、
石川弁をよく聞くようになって、
被災のことを考えると少々不謹慎かもしれないが、
とても懐かしくテレビを見ている。
そんな石川弁は、
語尾を波打たせる
どこか間延びしたような優しい響きのある言葉だ。
4年間住んだだけで、
到底石川人になりきれるわけではないが、
当時はなんとなく
イントネーションの真似事の会話をしていた。
面白かったのは、
わしの言葉には根本的には
大阪弁のイントネーションが含まれているので、
ずっと一緒に遊んでいた向こうの友達の言葉に
卒業時には
どことなく大阪弁が感染していたことだ。
お互い言葉を合わせようとして、
それぞれの方言がギクシャクなっていたな。

そういえば
今は長野県に住んでる息子が、
先日帰ってきた時に、
言葉に標準語なまりがあったのにも驚いたわあ。


今年の花見写真集

2007年04月07日 22時17分21秒 | 最近の出来事
朝起きると、空はどんより。
今にも降りだしそうやなあ、
と思っていたら
ほどなくパラパラし始めた。
昼からは花見やし、
明日は一日仕事。
だから今日はロングをしたかったので
思い切って着替えて
出発した。
目的地は浜寺公園。
iPodを聞きながら
30キロ走の予定だ。

途中、午後の花見場所を
確認してみたら
メンバーの一人が
紐と張り紙で
すでに場所取りを
してあった。
あとで聞いたら、朝の4時に
出かけてきたらしい。
それほど、この
助松公園は花見の
名所で
場所取りが熾烈なのだ。

午後には晴れて
お花見日和となるという
TVの天気予報に期待して
小雨の中を浜寺公園に向かった。

8時過ぎというのに
浜寺公園には
焼肉を楽しもうという人たちが
ゾクゾクと集まり始めている。
そんな中を3周回って
帰り道少し距離を伸ばして
ジャスト30キロ。
脂肪もほどよく燃えただろう。
よっしゃーと気合を入れて
花見場所へ
チャリで向かった。

今日のメンバーは
♂6人

♀2人
まずは、巣作り。



みんな山の愛好家だけあって
手際がすばらしい。
あっという間に
立派なシートの屋根ができた。

場所が出来ると
焼肉の用意をしながら

かんぱ~い



午後1時半に
宴会は始まった。
それぞれ分担しながら
持ち寄った食材が
いいにおいを放ち始める。



アルコールは
ビール、赤ワイン、白ワイン、焼酎
なかでも
先日、セイゾー&たまの披露宴でいただいた
焼酎

さくら咲く


これが、大評判。
水で割るときれいなピンク色に
サーっと色が変わる。
その様子はあたかも
酸性液に
フェノールフタレインを垂らしたような
はたまた
キサントプロテイン反応か
ビューレット反応か
もうええか

とにかく感動的に
色が変わる。



手前が原液、向こうが水割り

桜の花びらを浮かべて
風流にいただきました。

雨は次第に強くなり
4時頃には
土砂降りになった。
見回せば
周りに花見客は一組もいない。
雨に打たれて
落下も盛んだ。
地面はこんな具合



そして傘にも桜模様ができました。


夕方6時過ぎに

撤収

後片付けが大変でした。
ごみと荷物を運ぶE藤さん。



まるで公園を追い立てられた
ホームレスの引越しやあ
(ヒコマロ風に)
と自らおっしゃってました。

このメンバーの花見は
20年くらいの伝統を持っている。
始めた頃は
細かった桜の幹も
すっかり立派になりました。
みんな歳をとるはずですな。
昔は、マラソンや駅伝の話で
盛り上がっていたのですが、
今回は
肛門から入れる
内視鏡の痛さとか
そんな病気にまつわる話で
盛り上がりました。

ま、しかし全体的に
他愛のない話ばかりを
今年も桜は
笑って聞いていましたな。

春がすみ

2007年04月05日 23時39分49秒 | 自然
職場は4階に有ります。
周りに高い建物があまりないので、
そこそこ見晴らしがいい。
リフレッシュルームで
コーヒーを飲みながら外を眺めると、
西方向の堺市方面が見渡せる。
夕焼けのきれいなときに、
何度か職場のカメラを向けたことがある。
ほんで今日はこんな具合でした。



今日はまだましですが、
この景色が、数日前はかなりかすんで見えていました。
タクラマカン砂漠、
ゴビ砂漠、
などの黄土が風に舞いあがり、
偏西風に乗って黄砂が日本に飛んできます。

黄土、黄砂といえば
なんとなくざらざらしたイメージがありますが、
実際に飛んでくるのは
沈降速度の遅い微粒子です。
中でも、10μm以下の粒子は
人の肺に入り込み、
呼吸器に影響を与えるといいますから、
自然現象とはいえ油断はできません。
花粉症の人は、
アレルギー症状が悪化するとも言われてますから
ご用心。
しかし、大陸の奥地、
遠く離れたところで巻き上げられたものが、
こんなにも影響を与える黄砂。
実際に巻き上がっている現場はどんなんかなあ。
息もできないくらいに、
もうもうと煙っているのかな。
是非一度そんな映像を見てみたいなあ。
偏西風に乗ってやってくる、
歓迎されざる春の使者。

最近は特に大陸内地の
乱開発で砂漠化が進んでいるから
黄砂の量も増えたらしいけど、
昔からいう
「春がすみ」の正体は
黄砂だったのかもしれないなあ。

芭蕉がうたった

「春なれや 名もなき山の 朝がすみ」

一茶もうたった

「京見えて 脛をもむ也 春がすみ」

う~ん、いずれも
春の新緑に覆われ
ところどころに
花色を散りばめた
里山の景色が浮かびますなあ。

しかし、最近は
「春がすみ」ときいて
黄砂のほかに
花粉も思い浮かべて
鼻がムズムズする人も多いんやろなあ。

あ~、世間は春やなあ。
春は眠いな。


パンクした

2007年04月02日 23時10分39秒 | 最近の出来事
先日、パンクした。
バイクではなく自動車。
愛車の「愛しす」クンだ。
近所のセルフのガソリンスタンドに
ガソリンを入れに行ったとき、
空気圧でも見るかと車をぐるッと見回すと、
左後輪が異常に空気圧が減っている。
これはいかんと、
係りの人を呼びに店内に。
すると誰もいない。
さすがにセルフだ。
見回すと
レジの奥に従業員用らしき扉があるので、
入ってみようとすると、
レジの脇にある鏡張りの扉が開いて
急に従業員がでてきて、
慌てて私を制止しようとする。
まるで、

「そのレジに近づくな!」

といわんばかりの雰囲気だ。
そういえば、
そのときの自分の風体は、
帽子にサングラスといささか怪しかった。
しかもその迫力に少し驚いて、
「あ、あの、タイヤの空気圧が」
と、少し上ずった声で言ったものだから、
ますます怪しく思われたかもしれない。
それにしても、
その従業員は
こんなところに部屋があったのか
と思うようなところから出てきた。
あとでよく見てみると、
四方鏡張りで
中から、客の観察ができるようになっているみたいだ。
「セルフ」と銘打っているので、
一見従業員居ない風を装って、
客の自立を促しているんやろな。
それにしても、
セルフでガソリンを入れるときは、
誰もいないと思って
お尻をぼりぼりかいたり、
鼻をほじほじ、
二人でいちゃいちゃなんかは
やめたほうがいいですぜ。
ま、そんなことはさておき、
タイヤの話を続けよう。
その従業員は、
まだ警戒心を解かないまま、
私の後についてきた。
そして、
左後輪の状態を見たとたん、
こちらの意図が事務所荒らしではなく、
本当に相談に来たのがわかったようで、

「ああ、これはパンクですね~。確認しましょうか」

と急に親切になった
パンクといわれて、
ええー、どうしようという戸惑いより、
誤解が解けた安心感が先にたったのは
我ながら情けなかったなあ。
しかしあれで、
単に空気圧が少し低いだけだったら、
疑惑をもたれたまま、
帰り際にプレートナンバーを控えられたりしたかもしれない。
それくらい、
従業員は敵対心もあらわに出現したのだ。
建物に隣接しているピットに
車を入れて確認してもらうと、
タイヤの溝にかなり大きな断面の
鉄の棒のようなものが刺さっていた。
従業員は、
ゲージのようなものを持ってきて、
これより太いものが刺さっている場合は
修理できませんと説明をし、
スペアタイヤに交換しないといけないという。
しかし、
それだといずれタイヤを交換しないといけない。
そのセルフスタンドは
タイヤ販売のブースもかなり派手に設けていたので、
「新しいタイヤにしたらいくらする?」
とおそるおそる聞いてみたら、はじいてくれた。
作業費込みで

15000円。

若干高い気もするが、
今話題の有名メーカーのスポンジ入りタイヤだ。
一本だけ入れ替えても
静かになるとは思えんが、
今すぐ1本だけ替えれるのは
このタイヤだけというので、お願いした。
作業が終わるのを待ってる間に、
考えていたら、
パンクの原因に思い当たった。

その数日前、
道路を走っていて、
何もないところで
小さな段差を越えたような感触があって、
その後、
少しタイヤの音が大きくなったような気がしたことがある。
自動車専用道だったので停められず、
しばらく様子を見ながら走っていたが、
特にその後の異常は感じられず、
そのままになっていた。
車を運転しているみなさん、
パンクには注意しましょうね。
そして
くれぐれも
セルフスタンドでは
御油断召されるな。