ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 香り高き区間 1

2014年10月29日 21時37分39秒 | ウォーキング

さて、これからの熊野古道は
いよいよdoironの未踏の区間になります。

といっても、以前に通ったのは、
大勢で走りながら駆け抜け、
何もじっくり見ていなかったので、
歩行としては未踏に近かったのですがね。

さあ、熊野に向かって一歩ずつ歩を進めていきましょう。

湯浅まで車で行き、電車で引き返して
「紀伊宮原」の駅のホームに降り立ったのが午前9時前。



高い秋の空とどことなくみかんの香りのする
さわやかな風が出迎えてくれました。

早速ナビをセットして、歩行開始です。

今回歩いたのはこんなコース。



全長約9キロの区間です。

駅を出て、有田川に向かいます。

すると民家の軒先にこんな募集広告が・・・



「ミカン採りさん募集」時給1000円~1600円。

お金をいただいてミカン狩りができるんだって。
う~ん、いいじゃないですか。
近かったら働きに行くのになあ。

でも、採るのが甘いミカンとはいえ
仕事は甘くはないわな。

みかん農家はどこも高齢化しているのでしょうか。
広告の最後に書いてあった

「助けて・・」

が切実であることを物語っていますね。

有田川の堤防に上がる道のところに
「札場地蔵」があります。



川が増水したときには、
ここに「本日川止め」の札が掲げられたことから
この名前になっています。

その地蔵の背後に、
立派な宝篋印塔が建っています。



前回紹介した、小説「有田川」のラストシーンで登場する
昭和28年の大水害で亡くなられた人々の
供養のために建てられてあるようです。

ススキやアキノノゲシが秋の香りを感じさせます。



風に揺れる道を堤防上に出ていくと、
国道480号を渡ったところにあるのが天神社。



ここに、紀伊国名所図会に描かれた



「宮原の渡し場」がありました。

歩いたこの日は釣り人が川の中に入って、



あれはアユ釣りかなあ、
竿を出してる姿が見られたほど
流れも穏やかでしたが、



時に凶暴に暴れ狂うようなこの川の渡しは、
もちろん札場地蔵での制止もあったけど、
ちょっとした雨でも増水しただろうから
さぞや大変だったことでしょう。

それを物語るのが当時の船賃。
それは川の水の状況によって
大きく変動したそうです。

平常時は大体2文、
三途の川の渡し賃(6文)より安い値段でしたが、
増水時には10文と跳ね上がったそうです。

熊野御幸の時にここで足止めをくらった上皇たちは
天神社の前で仮宮を設けたそうで、
そこは「お茶屋の芝」といわれているそうです。

痕跡を探してみましたが、見つかりませんでした。

そんな渡し場のところには
今は歩道もある



こんな立派な橋が架かっています。



宮原橋です。

現代の旅人doironは快適に川を越えていきます。
ミカンの香りの中にどことなく
潮の香りも混ざっているような気がします。

振り返ると背後に、
前回下ってきた拝ノ峠のある山々が見渡せました。



渡り終えた南詰をこんな小さな道標を見てすぐに左折し、



道はいにしえの姿を想像させる
大きな楠の脇の堤防を進んでいきます。



例のシンプルすぎる案内も、



なんとなくすんなりと解読できるようになりました。

それに沿って堤防を下り、



国道42号に出たところに、
こんな立派な看板が立っています。



これから国道42号を通るときは、
この看板が熊野古道の目印になりますねえ。

国道を渡ると、またまた例の案内看板です。



もう間違うことはありません。

おっ、これは飛び出し小僧ならぬ、
飛び出しアンパンマンです。



飛び出して交通事故に遭ったら、
アンコが出ちゃうぞ~という警告ですね。
そしてその先には駆け込みショクパンマンが・・・。



アンパンマンのライバル
アンポンタン、じゃなかった
バイキンマンやドキンちゃんも探したけどいなかったなあ。

doiron的にはあのカレーパンマンの
いつもアワワワとなってる口が好きなんですけど。

ま、どうでもいいか。

では、名所旧跡の
香り高い得生寺に到着です。

続く。