ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

みちのく夫婦旅4

2016年11月30日 22時52分36秒 | 最近の出来事

さきほど四国から帰ってきました。
さあ、明日からお寺の
お絵かきが始まります。
さあ、今度はどんな絵ができますか。
また後日に報告します。

ーーーーーーーーーー

少し具を残して食べ終わった皿を
「チータンタン」に、
と言って店員に渡すと、
煮汁や卵などを投入して
スープとなって戻ってきます。



これがね~あったかくて
おいしかったです。

厨房の女性の愛情が
こもっているという感じでしたね。
ちょっとピリ辛でいただきました。

さて、おなかが大きくなったところで、
ぼちぼち次のスケジュールが
待っています。

駅へとまた歩いて戻りましょう。



次とはいっても
もう宿に向かうことですがね。

さあ、商店街をうろうろしつつ、
北上川も眺めつつ、





駅に戻りました。



本来ならここからJR山田線に乗って
「宮古」に向かう予定でしたが、
今年はねえ、台風がこっちのほうに
上陸したりと大荒れで、
山田線は不通のままでした。

仕方なしにここから
バスで宮古に向かいます。



紅葉を眺めながらいきますかあ

仙台市内を走っているとき
バス経路の横にある
あの思い出の
「石割桜」の姿を見かけました。
なつかしい~

とバスに乗っていたら
なんと途中は雪景色でしたねえ。



う~ん、計画ではここで
紅葉を満喫するはずだったのですが

そうしてバスは約2時間。
途中でこういう場所にも



トイレ休憩で寄りましたが、
お土産を見たりすることは
時間的に無理でしたねえ。

線路復旧の工事現場とかを
眺めながら、バスはようやく
「宮古」の駅前に到着しました。
ああ~やはり沖縄より300km南の
島はとっても温かい~
ってそれは宮古島。



ここはとても寒いところでした。

この駅から宿までは
お迎えのバスが来てくれるのですが、
まだ時間がありそうなので
駅前を見学しておきましょう。



まあたぶんこの後、ここにはもしかしたら
もう生涯来ない確率のほうが高いですしね。
しっかり見ていきましょう。

ここが、明日乗る予定の
三陸鉄道の宮古駅です。



この線路はあの東日本大震災で
大きな被害を受け、
不通となっていたのですが
ようやく今年の4月に
全線が復旧したものです。

そして平成30年をめどに
復旧工事が進められている
JR山田線は復旧後
三陸鉄道に移管されることになっていますので、
そのころには南リアス線、
北リアス線が1本となり
三陸鉄道が運行されるようになるそうです。

宮古の駅にいたAおじさんは、



北リアス線のことや
震災当時のことを
たくさん語ってくれて
お知り合いになりました。



当時、津波はこの駅までは
来なかったようですが、
すぐ近くまではかなりの状態だった
と語ってくれました。

「この北リアス線もあちこちで
被害を受けましたが、
まあもし明日電車に乗られるのだったら
まだあちこち工事中なので
しっかりと頭に刻み込んで帰ってください」

いやあなかなかいいおじさんでした。

そのあと駅前の商店街も歩き回って、
コーヒータイムをした後に
ようやく迎えに来たワンボックスで、
その日の宿である

「陸中宮古K暇村」に入りました。



さあ、ではさっそく風呂に行きましょう。
残念ながらここは温泉ではなかったのですが、
まあ各地を訪ね歩いて到着した体に、
湯はとても優しかったし、
窓から見える緑の多くも
立派な浴場絵になっておりましたな。



風呂も入ってさっぱりしたし、
ではお待ちかねの夕食に向かいましょう。

ここの夕食はバイキングですが、
とくに特別料理を1品
別注できるプランでした。

これがその特別料理。



う~ん。このアワビちゃん、
今は平和に暮らしてますけど
もうじき大暴れするんですねえ。

「あまちゃん、ありがとー」

そしてバイキングでとってきた
他のおかずがこれ。



まあ、ちょっと海辺の味が
こい料理ですが、
ひとつだけ「おお~これは」
という料理がありました。

普段はよく食べているんですよ。
でもここで食べたら抜群の味だったのが

「イカの塩辛」

でした。
いやあ、感激しました。
塩辛でありながら、
生のイカの味もくっきり。
小鉢で3杯も食べてしまいましたね。

それとテーブル真ん中あたりに
わかめと並んでいる黄色いのが

「ホヤ」

です。これもお土産でいただく
ほしものとかと違って、
生の酢の物は癖もなく
とってもうまかったです。

うひゃーと言いながら、
できがったアワビを食べ、
このあたりの名物を
堪能した食事となったのでした。

よしよし、と続く。


みちのく夫婦旅3

2016年11月29日 21時38分02秒 | 最近の出来事

え~東北の話を載せていますが
今日は四国巡礼で愛媛のほうへ来ています。
今回は10寺参り。
さてどんな巡礼になりますか。
詳細は後日。
今日は、東北の続きです。

ーーーーーーーーーー

旅もまだ初日の午前ですが、
目的地の一つ「盛岡」に着きました。



大阪の人たちにとって
「盛岡」といえばやはり
かなり異国の地ですねえ。
ここに行けば何があるのか、
どういう慣行をすればいいのか
よくわかりません。

でもねえdoironは昔、
ここに仕事の出張できたことがあるんです。
若い時でしたから、
たどたどしい出張で、
結局何かを得て仕事に
大いに役立ったという
記憶はあまりありませんが、
まあ精一杯仕事をして帰りました。

その時に盛岡をついで観光していて
たった一つだけ覚えていた
場所がありました。

それが、裁判所関係の施設の
前庭にある石割桜です。


ネットから

大きな石の間から
桜の木が一本生えていて、
それが桜の花を咲かせる
というものでした。

それ以外の観光スポットは
まったく覚えていません。

でもねえ、幾度か命の危機を
乗り越えながら、
この年になるまで生きて
あちこちに遊びに行ってると、
ああ、ここだったらまずは
ここに行けばいいかな
とかいうのにとても敏感になるんだよね。

今回は季節的に紅葉の状況が
見たかったので、
城跡公園へと出かけることにしました。



観光案内所で聞くと
「少し紅葉のピークは過ぎたけど
まだきれいと思いますよ」とのこと。

「そうですか」と答えると、
「関西の人のようですが、
いまは寒いから気を付けてね」
と言ってきます。

なぜかとてもそのことを
強く言われたので、
なぜなのかといいますと、
以前関西の人に
「こんなに寒いんやったら先に言うといてくれ」
と怒られたそうです。

いやあ、そんな関西人もいるんですねえ。

城跡まで何か面白そうなものは
ないかとてくてく歩いていくと、
ふむふむなかなか盛岡も
都会ではないですか。
そしてたどり着いた城跡も、
ちょと高台にあるのですが、
厚着のdoironにはあまり違和感ないですね。

紅葉をバックに撮影会をしましたぜ。





ところで盛岡城は誰のお城でしょうか。

う~ん、あまり思いつきませんねえ。
調べてみたら「南部氏」のお城でした。
そして本丸や城の施設跡を
いろいろ見た後は、



ぼちぼち食事の時間です。

ここまで来たら「そば」かなあ。

わんこそばはやはり名物だし、
と思ったのですが、
駅前には何軒かあったのですが、
このあたりにあまりそばの店屋がありません。

どうもそばなら何とか地域
みたいな配置があるんですかねえ。

よしそれなら事前に図書館で借りた
ガイドブックで見ていて、
名物でちょっと変わったものを
食べに行こうとその店を
探してみることにしました。

城廻の商店街をあちこちのぞいたり、
歩いたりしているうちに、
おお~ありました。


帰りには行列が・・・

ここが「じゃじゃ麺」というのを
食べさせてくれる小さなお店です。

しかし、時刻は11時半。
まだ開いていないようですねえ
とあきらめようとすると、
中から店員さんが出てきて
暖簾を挙げています。

おお~、オープンじゃん。
ではさっそく入ってみましょう。

中は中華料理屋さんですね。
メニューを見ると、
やはり「じゃじゃ麺」というのが
上がっています。



サイズは「大」「中」「小」とありますが、
無難に「中」としました。

結構年配の女性が
カウンターの中でゆるゆると
でも的確に采配を振るっているようです。



そうして出来上がってきたのが、
これ。



つけ麺風のラーメンみたいな感じですね。
そうそう盛岡の三大面というと
「わんこそば」「冷麺」
そしてこの「じゃじゃ麺」らしいのですが、
こんな寒い土地なのに
名物があったかいこってりつゆに入った
麺でないというのは不思議ですね。
麺はラーメンのような
きしめんのような。
味はちょっとあっさり系でしたね。

ただ、このラーメンを食べた
後始末としていただく
「チータンタン」というスープがあります。

これ。



どんなものでしょうか。

ジャジャーンと続く。


みちのく夫婦旅2

2016年11月28日 21時29分47秒 | 最近の出来事

doironたちが乗った飛行機は、
うんうんと蒸気を吐きながら
どんどんと銀河鉄道に
向かっていきました。



途中、窓から外を見ていると
大きな雲海の上に山影が
ひとつ見えてきて、
「あれが富士山やなあ。
僕らはもう天の野原に来たんだ」
というと、
「なんぼ花巻に行くからって、
もう宮沢賢治ぶらんでよろしい」
とミセスに叱られてしまいました。

雲の上を飛んでいる分には
気候的には何の問題もなさそうですし、
どうやら花巻への着陸態勢に入るようです。

するとさっきまで見えていた
明るい空から、雲の中に突入です。

しばらくすると、
もう飛行機はかなり低いところを
飛んでいるようでした。

うわー、これくらいの高さだったら、
窓から飛び降りられるぞ~
と冗談言ってたらもうすぐに着陸です。

この時遠くを見ると白い雪が
積もっているのがちらりと見えましたね。

ああ~紅葉も見に行こうと思ってきたのに、
こちらはもう雪が降っているんですねえ。

とりあえずまあ何とか無事に
銀河鉄道は花巻空港に到着です。

旅の予定は何もくるっていません。

本当の天上に行くこともなく、
静かでよどみない空気の漂う
花巻空港に着きました。

ただし、飛行機の中で
開けて飲んだお茶の
ペットボトルはどうも
天上へといったようです。



さあ、ここからはJRの
空港駅まで行かねばなりません。
空港を出てバス停を見てみたら、
「花巻空港」駅までバスが出ているようです。







バス、JRを使ってとりあえず
「花巻」駅を目指しました。



たしか、ここにはセロ弾きの
ゴーシュの人形があったはず。
それが聞きたくてここに来たのですが・・・

あれ?ないぞ。

確かこの辺りにスペースが
あったはず。
あ、どうやらそれは「新花巻」でしたか。

仕方ないのであちこち
眺めておきましょう。

これは花巻駅への写真用看板ですね。



あとでふと思ったのですが、
東北方面て、こんな顔出し看板が
多かったような気がします。

おお~、福知山のマラソンの日には
こちらでは駅伝をやってるんですねえ。



タイトルは「絆をつなぐ」ですか。

そして駅の外にはこんな、
帽子とマットをかけた掲示板があります。



うまいことやってますねえ。

この掲示板で説明しているのが
「岩手軽便鉄道」ですね。
今の釜石線のもとになった鉄道ですね。



この軽便鉄道、社長が盛岡銀行頭取で
あの宮沢賢治の母型の祖母も
株主だったそうです。

JRに続いてここでは
そんな軽便鉄道の
勉強もしましたね。

他にも「カエルのベンチ」や



「フクロウのベンチ」もあり、



駅前のモニュメントの中から
宮沢賢治ものぞいているようでした。



さあ、電車のホームに戻りましょう。

そこにはこんな
「花巻鹿(しし)おどり」の
モニュメントがあります。



かつては賢治の小説にも
よく出てきた祭りなんですが、
実際にどんな祭りなのかは
知りませんので
一度見てみたい気がしますねえ。

さて、ここから次の目的地である
盛岡まで電車で向かっていきます。

かなりの駅数があるので、
じっくりと電車からの
景色を眺めつつ生きましょう。



ところがねえ、なぜか
この時間帯電車の中は
学生さんでいっぱいです。

時期的にテストの頃なのかなあ。

いっぱい乗ってるけど
結構みんな本とか読んでいます。

そうそう、そして気が付きました。

この日は遠くに雪が見えるほど
気温が低い状態でしたので、
doironはさっきの鹿踊りの時に
撮影したように超厚着だったのですが、
学生さんたちは薄着で
ズボンの裾からすねは除いている状態です。

うひゃー、雪国の人たちは
寒さに強いんですねえ。
若いだけじゃないでしょう。

結局遠くの景色や、
この地方の人たちの
暮らしぶりなんかを想像しながら、
doironたちの乗った電車(汽車?)は
盛岡へと入っていくわけです。



続く


みちのく夫婦旅1

2016年11月27日 21時04分09秒 | 最近の出来事

東北に旅行に行きました。

以前から震災で動かなくなっていた
三陸鉄道なんかに乗ってみたいなあ
とか言ってたのですが、
4月に全線開通し
落ち着いてきたことだろうから
ようやくそんなことができる旅を
してみようということになって
夫婦二人で出かけたのでした。

みちのく夫婦旅。
いろいろと資料を見ながら
計画を立てました。

結局最終的には飛行機で花巻に行って、
電車を乗り継いで青森まで旅し、
青森空港から帰ってくる
というコースにしました。

大体のコースをそう決めて、
あとは気象の状況や時間の都合、
二人の疲労具合で決めていこう
というものです。

東北には、震災後2回出かけました。

復興はまだまだ先のようやなあ
とか言いながら帰ってきたのですが、
どうなんでしょうか。

今回は、これまで歩いていた
石巻より南側ではなく
北側を旅しました。

あの津波でいえば、
徐々に被害は軽くなっているほうへの移動です。

北リアス線という
全長71キロの電車に乗って
移動していきます。

宿泊は「宮古」と「青森」の
二泊三日です。

これまでだったら、
親をショートステイに預けたり、
犬をホテルに預けたり
とかしながら出かけましたが、
もうそんな必要はありません。

心配なのは用心だけです。

そこはご近所さんと
旅行時の家の見張りを
やりあったりしているので
大丈夫でしょう。

門が開いていたり、
郵便が万一あふれていたりしたら
始末してくれるし、
万一何かあればいけないので
鍵も預けていきます。

新聞だけは止めて出かけたのでした。

初日は朝7時半頃の
伊丹からの飛行機に乗って出発です。

空港近くの駐車場を予約しておいて、
朝6時半のオープンと同時に飛び込んで
駐車し、空港まで
向こうの車で送ってもらいました。

この辺はネットでの予約ですが、
まあ余裕でしたね。

空港に着きますと、
こんな放送をやっています。

東北はちょっと天候が
あれていますので、
花巻便は着陸時に強風が
吹くようであれば
仙台空港もしくはこの伊丹まで
引き返すことがありますので
ご注意くださいという。

張り紙にもそう書かれてありました。



う~ん、仙台までだったら
なんとか旅を続けられるけど
伊丹まで戻ってきたら
こりゃちょっといけませんね。

どうせならホノルル空港に着陸します。

とかだったらいいのになあ。

なんて言いながら外を見ますと、
大阪はまあ普通の天気でした。



まあ、何とかなるだろうと
乗るしかありません。
もしトラブルだったら
まあそれも面白いかもね。

え~空港の手荷物検査施設には
行くさ気が宮沢賢治のふるさとだけに
「とびどぐもたねえでください」
と書いて貼ってあります。
なことはないか

お茶を持っていたのですが、
この検査が面白かったですねえ。
飲みかけなのでふたを
開けてくださいといいます。

え~飲むの~っていったら
「臭いでわかります」とのこと。

ふたを開けると「ハイ」結構です
とすぐに返事がありました。

ふ~ん一瞬でわかるんですねえ。

こんな顔つきの悪いおっさんの
持ってるお茶ですから、
成分分析してほしかったなあ。

もしかして最新鋭の機械に

「これは<なだ万うまみの日本茶>です。
間違いありません」とか
出たら最高なのになあ。

とまあ、手荷物検査も
何事もなく終わり。
ほぼ時間通りに登場です。

ただ、乗り込むのはバスで
運んでもらって空港の中で乗り込みます。

乗ったのは座席が左右4人ずつの
小さなJALの飛行機でしたね。

だから、待合室の状況からみて、
飛行機もガラガラかなあ
と思ったのですが、
乗ってみたら以外にも
ほぼ満員のような感じでした。

見ると小さな子供を連れた女の人や、
杖を突いた爺さんのような
男性も乗ってきます。

花巻に行くからって、
銀河鉄道の夜じゃないんですから。

ふとそんなことを考えつつ、
大阪の空から花巻へと
飛び立ってゆくdoironなのでした。


西国三十三所 明日香の岡寺

2016年11月26日 22時10分46秒 | ウォーキング

天気も良くお出かけ日和の
11月1日にぶらりと三十三所の一つ、
七番札所の岡寺に出かけてきました。



なんかこの頃、お寺関係多いなあ。
まあ、無難だし
納経を集めているということも
あるのでね。

このお寺があるのは「明日香」。

ここんところよく出かけて行ってるところです。
自転車でグルりんと回ったり、
歩いててくてく回ったり、
またある時は談山神社に
向かうドジ旅の出発地点として
歩いたりもしたところですねえ。

名勝はいっぱいありますよ。
石舞台や酒船石、高松塚とかね。
それらも何回か尋ねたことがあります。

でもねえ、今回行く「岡寺」は
じつは初めてのところでした。

明日香の山の中腹にあるお寺ですから、
周辺を散策しつつ
歩いて尋ねていきましょう。

レンタサイクルもある駐車場に
車を止めて、この日は歩いて
出かけていきました。

その駐車場で地図ももらいましたが、
だいたい要所要所に立ってる
道案内でもわかるでしょう。

さあ、それでは歩いていきましょう。

駐車場を出て、



経路を東のほうへととっていきましょう。



朝もやにしっとりと濡れた草を
ズボンのすそをこするように、
こういう狭い散歩道が設けられています。
あ、ベンチなんかもありますよ。



おお~、もういきなり何やら
石像が立っていますが、



これは何かわかりません。
見た目は地蔵さんのようですが、
不明です。

そしてこういうお店に出てきます。



これは、看板一つずつ
特徴のある言葉を並べています。
なかなか個性の強い
おじさんのお店って感じですな。

そしてその店の横にあったのが、
有名な「亀の石」です。



これは何を意味する建造物なのか、
はっきりしたことはまだわかっていません。
所領の四方の境界を表すもの
という説がよく言われているところです。

これにまつわる伝説には
いろいろありますが、
恐ろしいのは今は南東を向いているこの石が
西を向いたときに
大和盆地が泥沼になるという伝説ですねえ。

まあ、もっともこんな大きな石が
向きを変えるほどの地震や
水害なんかがあれば
地形も変わるってなもんですな。

写真を撮っていますと、



おお~亀の前に蛇がいるではないですか。



ここでは亀ににらまれた
蛇なわけですな。

このあたりから見渡す田園風景も
もう秋の風情です。



これは何をするのか知りませんが、
刈り取った田んぼに
もみ殻を敷き詰めていますねえ。



その先の、さらに広いところに出てみると、
遠くに橘寺が見えてきました。



二面石という石があるお寺で、
あの聖徳太子の誕生寺
ともいわれています。



行ってみましょう。

入り口でこんな小さな車の
泊まっているのを見ながら、



入寺料を払って中に入っていきます。

おお~これがその二面石です。



善の顔と悪の顔を
二面もっているらしいのですが、
どっちがどうなのか
むつかしいところであります。

そんなこんなを見ながら
岡寺に向かって進んでいきます。



先ほど橘寺で見かけた小さい車も
走っています。
どうも高齢夫婦者で来ているようですね~。

途中に犬養万葉記念館もありましたので寄り、



日野正平の自転車番組に登場した
岡本寺子安観音にも立ち寄りました。



そしていよいよ三十三所七番霊場の岡寺です。



ここまで結構上りましたね。
息を整えてお参りです。

ろうそく、線香を上げ、
三十三所用に購入した納札も
入れていきます。

そして、納経帳に記帳してもらいます。

5寺目の記帳ですねえ。
いやあ、歩いて周辺を巡りながら
こうして訪ねてくるのも、
なんとなく目的達成感があっていいですね。

できるだけほかのお寺も
こうしたいなあと思います。

帰りはちょっと違った道を通って
駐車場へと戻っていきます。

途中石舞台で、こんな昼食を
食べましたが、



ここには大勢の学生が
グラウンドに集まってます。

校外学習なんですかねえ。
そういえば自分も来たことがありますね。

駐車場まで歩いているときに
学生連中に道を聞かれてしまいました。

飛鳥のマンフタを眺めながら、



往復8キロの飛鳥散策



これにて終了です。


新しい信号、高齢者運転

2016年11月25日 20時54分34秒 | ウォーキング

東北もそうでしたが、
雪の深いところでは
信号機は縦置きだったりします。

ま、これは積雪の重みに
耐えるためのものでしょう。

また大きな交差点にある信号機は、
とても大きいもので
びっくりするようなものがあったりします。
もしあの信号が地面に
置いてあったりして
横に立ったりすると、
身長190cmのdoironよりも
大きいかもしれません。

普段何気なく車に乗って
眺めている信号機ですが、
ちょっと変わっていたりすると
記憶に残りますね。

一時に信号がどんどん変わっていきましたねえ。

LED形式への変更でしたね。
当時は、あ、まだここは変わっていないぞ~
とか言ってましたが。
最近は旧ライト形式のほうが
少なくなっているんでしょう。

まあ技術の進化はすごいものがありますね。

知ってますか?
最近はだんじりのライトも
すっかりLED化してるんですよ。
doironとこのだんじりもそうなっていて、
積み込むバッテリーが
非常に小型化しています。

毎日見ている信号機も
そんな風に変化していってるんですね。

最近は非常に変わった信号機もあるんですよ。

最近見た信号機の中でも、
特に記憶に残っているのが、
普通信号機って丸い「青・黄・赤」の
LEDが三つついてますよねえ。

ところが僕が見たのは丸いライトが
横に4つついたものです。

青信号で曲がってしまったので、
四つ目には何が出るのか
わからないまま行ってしまったから
よくわからないのですが、
あの4つ目には何色が出るのでしょうか。

もしかして、紫の明かりとか。

そんな道交法の改正はなかったですよねえ。
免許を取って以来、
あまり道交法に触れることがないので
そういう改正が可能になった
ということなんでしょうか。

や、たぶん、端っこは
「矢印」だと思うんですけどね。

信号の簡素化なんかにも
役に立っているんでしょう。
でかい信号をつけるとすると
それだけ支柱とかもしっかり
させないといけないしね。

その信号は「イレブンスリー暴走」で
通行止めにしたあの国道26号と
空錬道のあたりにあったと記憶しています。

もう一つの信号が、
遠くからだと信号の色が
見えなくなっている信号機があるのです。

カバーをかけてガードしている
奴じゃないですよ。

また昔の形式で、
ライトが薄くなっているから
というのでもありません。

LEDの信号のようでした。

多分、LEDライトの放出方向を工夫して、
近辺からしか光がわからないように
してあるんでしょう。

あの遠くの信号が青やから
急いでいこうと
飛ばしたりしないようにか、
あるいは信号に注意を払わせて
ちゃんと守らせようと
するためのものなんでしょう。

そういう技術と人間の心理との
組み合わせで、
交通をより安全にするための
新しい措置なんだとおもいます。

じゃあこうなったら、
スピード違反をしている車があったら
顔面が大写しで表示されるとか、
あるいは渋滞に合わせて
交通標識を変動させるとか
そんな仕組みなんかも出てきたりしてね。

いやあ、年を取ると
反応が鈍くなったり
操作を間違えたりと
危ないこともよくあるようなんですが
そういう技術の変化や世の中の動きにも
ついていかなくなりそうで、
高齢者の運転免許の返還は
やっぱりもっと厳しく
したほうがいいかもねと
新しい信号と増え続ける
高齢者事故を見ながら
思ったりしている
交通安全対策委員の
今日この頃なのです。


四国巡礼五十六番泰山寺

2016年11月24日 20時30分26秒 | ウォーキング

え~、ここのお寺もわずかな雨でしたが、
もう納経時には傘を
差した方がいいでしょう。

詣出の白装束が
ゴアテックスでできているなら、
傘はいらないでしょうが、
まあそんな衣装はないでしょう。

いやもしかしたら錦札を持つ
超先達さんクラスなら
もしかしたら持っているかもですねえ。

doironはしっかり傘を着て
お参りしておきました。

そうそうこの寺の近くで、
こういう道案内を見ました。



へんろみち保存協力会の道標です。



山の中の道なんかの草刈りなんかも
積極的に行っているそうで、
さりげなく遍路をしている
我々にはわからないけど、
いろんな面で地元の人たちには
助けられているんでしょうねえ。

さあ、では今回の遍路も
残りは1寺となりました。

雨の中、バスに揺られて
めぐっていきましょう。

目指すのは56番「泰山寺」です。
この寺は、この地域の皮が
よく水害を起こすので
そのための祈願をした
弘法大師の開基といわれています。

確かに、駐車場に車を止めて
ゾロゾロとこのお寺のほうに
向かっていきますと、
りっぱな石垣が見えてきますね、



これが当時空海が地元の人たちを
導いて作ったもので、
この地方の水害その物を
収めていったという
実績があるそうです。



この石垣と寺の様子を
ここでは絵にしておきましょう。



こじんまりしたお寺で、
狭い太子堂では
他の団体さんともぶつかって大変でしたね。



こんな時には読経の順番を変えて、
お参りが重ならないように
しないといけません。
重なったりしたら、
お経がタタでさえ
ややこしいのに
くちゃくちゃになりますよねえ。

残念ながら若い人たちの
グループなんかは気にせず
かぶせてくるのもいますけど、
まあその辺はツアーだったり
するとちゃんとわきまえて
やっているようです。

今回の詣での中で
一番の雨の中でのお参りでした。

ろうそく、線香をつけるのも
なかなか火がつかなくて、

皆さんろうそく台や
線香の周りに固まってましたね。
doironはこんな時のためにと、
バーナー状態で強い風の時でも
いけるというミニライターを購入し

持ってきているので
平気なんですけどね。

何回かのへんろの中で、
いるものなんかも
少しずつそろえてきています。

さあ、最後のお参りを
ちゃんとしていきましょう。

ここまでのお寺のすべての本堂、
太子堂で、やらねばならないことは
すべて行っています。

このまま八十八寺まで
きちんと済ませたいものですね。





さあ、これで今回の9寺の
お参りはすべて終わりました。

あとは雨の中ですが、
バスに揺られて帰っていきましょう。

皆さんの顔もほっとしているようですね。

バスの中で最後に読経を1回
行ってまあこれですべて終了です。

ガイドさんが

「え~、ここから昼食場所に向かいますが、
二時間ほどかかるので
しっかりトイレを済ませておいてください。
そしてもうお遍路も終わりですから、
昼食時には泡の出るものを
いただいてもらってもいいですよ」とのこと。

「ハイハイ。ありがとうございます」

ここで昼食です。



こんなお弁当をいただきました。
首Dさんととりあえず乾杯!
でもねえまた次の休憩所まで
2時間ほどバスなので、
乗車前にはしっかりと絞り出すように
トイレで頑張っておきました。

まあ、この後はたぶん熟睡となるので
大丈夫なんですけどね。

淡路の休憩所で最後の休憩をし、
大阪に着いたのが午後6時くらいかな。

前日に横峰寺に行ってなかったら
9時くらいになるそうですので、
まあなんとか遅刻したけど救われましたね。

額縁もここまでそろいました。



次回は11月末になります。

今度は遅刻しないで
ちゃんといかないとね。

ん~、これも我々の修行の
一つかもしれませんね。

とりあえず、今回はこれでおしまいです。


四国巡礼五十七番栄福寺

2016年11月23日 22時58分37秒 | ウォーキング

仙遊寺は天智天皇の勅願により、
伊予の国主によって
開基されたお寺だそうです。
ある時阿坊仙人が
40年間ここに住んで
寺を整えていったらしいのですが、
この仙人があるとき
突然姿を消してしまったそうです。

仙遊寺という名前は
この仙人の行動による
といわれています。

う~ん、今の時代だったら
老人の突然の行方不明と
騒がれるニュースだったかもね。

バスを降りて、山中の道を
傘をさして上がっていきます。



そんなに強い雨ではないんですが、
まあ後のバス中のことを考えたら、
あまり濡れたくはないですからね。

子安地蔵に迎えられて入っていきます。



それにしてもこの辺りは、
子安信仰が強いですねえ。

また道のわきには
こんなにたくさんの石像が立っています。



ああ、八十八番の大窪寺で見た
石像群を思い出しますねえ。



そして本堂に行きますと、
おお~拝所のあたりの天井には
「千社札」がいっぱい貼られていますねえ。
ここまでのお寺は、
たいていは「千社札おことわり」
の感じでしたがね。
ここはまあそうでもないようです。



この千社札の愛好家も結構おられるようで、
ネットを見ますと
貼るときのルールも開設されているし、
貼るための専用道具なんかも
あるようです。

これからこの大阪近辺のお寺では
「doiron」なんていう札が
あったりするかもしれませんよ。

まあ、こんな景色なので
ここではこの部分を絵にしておきました。



そして、ここが大師堂です。



狭いからねえ。
こんなところでお経をあげる
ときなんかにはやっぱり
傘が必要となりますね。

でもこの時はたまたま読経時には
雨も上がっており、
ま何とかお参りも無事に
済ませられました。

さあ、これで今回のお寺も
あと残り2寺となりました。
雨がひどくならないうちに
回りたいものです。

次は、57番「栄福寺」です。

ここは嵯峨天皇の勅願により、
弘法大師が開基したお寺
と言われています。

当時、瀬戸内海で海難事故が
起こることが多く、
それを嘆いて海神供養の
護摩を修したところ、
そこに海の底から阿弥陀如来が現れ
それを安置しているといわれています。

う~ん、大師様もここでも
何かしたようですね。
空海に関しては、
司馬遼太郎の「空海の風景」(前・後)
を読んだし、今は夢枕獏の
「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」(全4巻)
というのを読んでいます。

司馬さんは空海の行動を
理論的に分析するものだし、
夢枕さんは空海の行動を
催眠術的な行動で描いているようですね。

いずれにしても空海の行動は
常識を超えたもので、
こういったお寺に残っている話には、
当時彼はどんな仕組みをしたんだろう
といろいろと考えてしまうのです。

山道を上がって、
お寺にはいっていきます。

本堂のお寺にろうそく、線香、
納札、賽銭を挙げているときに
先達さんから説明がありました。

「いま皆さんがおられる本堂の
左横のほうに大きな車いすが
置いてありますね。
これは昭和8年の当時
15歳だった男性がこれに乗って
ここにお参りに来たそうです。
お経をあげて熱心にお参りしたところ、
霊験で歩けるようになったので、
ここにこの車を奉納していったそうです。」

この話もどこまでが本当で
どこまでが作り物なのかは
よくわかりません。

いろいろとやった挙句、
病気が治って歩けるようになったので
ここに奉納しに来たというのが、
まあ本当なんでしょうね。
ここはまあ、この車いすを
絵にしておきましょう。



ここまで車で来て歩けるようになったから、
突然車椅子を奉納して帰る
というのも、ちょっとねえ~
という感じです。

しかしまあ、お寺参りが
そういう病気の回復を進めた
というのならありがたい話ですよねえ。

いいほうに考えて
しっかりお祈りしておきましょう。

続く


四国巡礼五十八番仙遊寺

2016年11月22日 21時17分02秒 | ウォーキング

雨はまだ降っていませんが、
もう今にもポツポツきそうです。
一刻も早くお参りを済ませて、
帰路につかねばなりません。
なので、問題はあの遅刻おじさんたち
二人の扱いですねえ。

他の乗客を待たせるばかりの
行動を何とかしないといけません。

で、そこで登場したのが
この時計です。



バスを降りる我々にこれを突き付けてきます。
「ま、問題はあの二人にちゃんと
見せとけばいいんや」と
言わんばかりに笑顔で
時計をもって添乗員が語り掛けてきます。

「はいはい。わかりましたから」

といいつつ二人が降り立ったのが
59番「国分寺」です。

おや?この名前のお寺は
八十番にもありましたね。

ここが愛媛の国分寺で、
八十番が香川の国分寺です。

ということは、高知、徳島にも
国分寺があるわけですね。
そう、二十九番、十五番が国分寺です。

寺名は一緒でも山号で区別しています。

国分寺は聖武天皇が
国分寺建設の詔勅を出して
作られていったもの。

ここの国分寺は薬師如来を本尊に
行基が開基したといわれています。

実際、当時の愛媛の国分寺は
今の寺より100mほど
南に作られていたそうです。

そこに今もある礎石なんかは、
国指定の史跡となっています。

そんな礎石の状況からみて、
昔は7重の塔があったようですね。
さぞや立派なお寺だったのでしょう。

今回はそれらを見ることはできませんでした。

遅刻を覚悟して
慌てて100mを走っていく
そんなバカチンなことができるほどの
余裕は、もう今回の我々には
ありませんでしたね。うう~残念。

なので札所のお寺に静かに参りましょう。
そこは、ひっそりと
静かに佇むお寺でした。

え~っと、まだ雨は行けそうですね。
傘なしで頑張っていきましょう。

境内を進んでいきますと、
薬師如来(これは本尊ではありませんよ)
が出迎えです。



この本堂と太子堂で



それぞれいつも通りに読経を済ませました。
この時に雨に降られるのが
嫌なんですよね。
じっとしてるし、
お経は濡れるし大変なんです。

まあ無事に済ませて帰ろうとすると、
先達さんがここの見どころを
説明してくれます。



写真の真ん中に立っているのが、
「握手修行大使」で、
願ういごとを言って
握手するとかなえてくれるそうです。

そして紺色の壺が
「薬師如来の薬坪」。

体の悪いところを
癒してくれるというものです。
ああ~これはいいですね。
doironも、頭、心臓と
しっかりお願いしときました。



首藤さんもしっかり
握手されていましたので、
ここはその風景を
絵にしておきましょう。



「守護のため 立ててあがむる 国分寺 
いよいよ恵む 薬師なりけり」と
このお寺の御詠歌もありがたいことです。

我々二人も四国では
こういう恵みをしっかりといただいて、
遅刻しない人間に・・・
じゃなかった健康な人間に
なりたいものです。

さてこの寺の出口のところには、
歩き遍路の小さな道が
案内されていました。



こんな道を歩いてめぐって
詣でをすればまた一段と
素晴らしいのでしょうねえ。

そしてこの神社の入り口近くには
有名なタオルやさんがある
と書かれていたので、
ちょろっと1枚買ってやれ
と思っていたのに、
休みだったのは残念でした。



時間が早かったのかなあ。





こんなタオルで
お寺巡りもしたかったなあ。

まあ、そんなこんなで
今回はちゃんと時刻通りに
バスに戻ってきた二人でした。

さあ、次は58番「仙遊寺」に向かいましょう。

今朝のテレビの天気予報では、
愛媛県地方はもう雨が
振り出してもいい時刻です。

確かにゆっくり歩いているときには、
髪の毛に少し水滴のような
雨粒があたり始めていたようです。
その辺は人より敏感なんです。

次の仙遊寺くらいからは、
ちゃんと持参している傘を持って、
寺内に入っていかなくては
という感じになってまいりました。

続く


明日は久しぶりに福知山に行きます。
第1回大会からずっと出ていた
思い出の大会です。
メンバーを見るとたくさんの人が
走られるようで、応援を楽しみに
行ってまいります~


カレンダー2017完成

2016年11月21日 21時22分04秒 | 生活

四国詣のことを掲載していますが、
今日はちょっと休憩。
絵がなかなか時間がかかります。

今日は、昨日行われた
doiron家の両親の
三回忌のことや
とりかかっていたカレンダーの
完成のことなどを書きましょう。

この昨日の三回忌は
親戚への通知やお寺さんの予約
などがあるので、
かなり以前から予定を入れてありました。

が、しかし前日に
泉O津12町祭りの打ち上げがあり、
飲んでヘロヘロになって
帰ってきましたので、
翌日の法事は大変でしたね。

読経時に眠り込んでしまいそうだったよ。

二人は5か月間の違いでなくなったので、
二人分の三回忌を一回で行いました。

もう三回忌なんですね。
早いもんやね、
あっという間に2年が経過したんです。
この間にdoironも病気になりましたが、
くっつけてdoironの一周忌も
なんてことにならなくて
よかったですな。

お寺さんも一番偉い方が来てくれて、
長~いお経と懇切丁寧、
doironには似つかわしくない説教で
もうランニングハイならぬ
「お経、説教ハイ状態」で
半ば意識不明の状態でした。

今回この日に向けて、
用意していたのが、
両親の写真のデータ化でした。

写真一枚一枚をスキャナで落として、
データを作り
それを法事後にずっと
テレビで流してやりました。

ああ、あんな所に行ったのは
聞いてたなあ、とか
みんなの話題は尽きずに
鑑賞できましたね。

そうして墓参りなどすべての行事を終えて、
夕刻あたりになって
やっと次第に元気が出てきました。

ジムも休みだし、
このあいた状態のときに絵を
一枚仕上げておきましょう
と取り掛かったのです。

せっせ、せっせと
大体構図の決まっていた
四国の一枚をかきあげて完成。

こういう絵は描き上げて
しまわないとなかなか
印象が定まりません。

書いてる途中で、

お、これは面白い絵になりそうや
とわかってきたりすると、
これがなかなか楽しいよ。

自分の筆先から現れてくる絵に、
このごろちょっと感激したりしています。
安上がりでよろしいな。

そしてこの絵の完成で、
ちょっと勢いがついたのか、
その後と翌日、つまり本日は、
まえから取り掛かっていた

「カレンダーづくり」に

ガツンと取り組んでみました。

昨年よりも工夫したものを、
そして見ていて軽く明るく
楽しいものを、という感触で
作り上げてきたものです。

それを最後に日付のチェックや
印刷の不具合さなども見極めて、
ようやく本日完成品が
少しだけ出来上がりました。

中身はまだ秘密ですが、
表面だけ紹介しましょう。



絵は、doiron家近辺の公園の絵です。
紙は、白、アイボリー、
桃色、うぐいす色の紙で4種類
作ってみたのですが、
どの色がいいかなあ。

ま、需要に合わせて
4パターン作成ということに
しときましょう。

ここには予定が書けるので
トイレの壁にぴったしでしょう。
手に入れた人は活用してくださいね。

そして、いる人またメールで言ってくださいね。

こうして、まあ例年の作業を
順調に終えてきました。
あとは、セーフコミュニティの
映画作り、東北、熊野、
そして先日いったドジ旅の
友が島ブログ、あと二回の四国詣、
例年数ある忘年会等が待っています。
もちろん日々の遊びもね。

なんか、贅沢なことながら
社会を引退しても
何やらバタバタ忙しい年の暮れですわ。