ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

万博ソラードへ2

2018年04月30日 21時14分50秒 | ウォーキング

さあ、昼飯も終わりました。

これからどんどん回りの
人々が定年になってきて、
こんな遊びをしに行こうやと誘うと、
「よし、今日は万博で花見やあ」
とかなるんやろなあ。

しっかり予行演習を
しておかなくてはねえ。

さあ、ではソラードの方に
向いて歩いていきましょう。
森の中をしばらく歩くと、
こんな展望台に出てきました。



ああ、ここがソラードの
入り口の一つですねえ。

階段を登っていきましょう。

ここにソラードの案内がありましたよ。



へえ、この事業は宝くじの
売り上げを利用して
できているんだそうです。

ということは、doironも
投資しているわけですねえ。

このソラードというのは
「空の道」からできた
名前なんだそうです。
では通路に入っていきましょう・・・

あれ?



入り口が蓋されていますよ。
こっちは入れないのかな
とおもって案内を読みますと、

「施設の緊急点検のため全面通行禁止」

と書かれてあるではないですかあ。

ウヒャー、せっかく巨木の上の方を
歩いてみようと思ってたのになあ。

展望台の入り口から眺めてみますと、
樹の合間に張り巡らされた通路と、
遠くに太陽の塔が見えていますねえ。



本来ならこんな感じで
人々が歩いているはずなのになあ。



くっそー、残念です。

せっかく出かけてきたのに、
定休日で美術館が休みだった
みたいな失望感がありましたねえ。

いつまで工事しているのかなあ。
今日の午後には開かないかなあ。
やっぱりゴールデンウイークまでには
オープンするのかなあ
などと打ちひしがれながら、
ゲートの前にたたずむ
doironだったのでした。

でもまあ仕方ないので、
展望台で遠くをしっかり眺めた後、
公園内の「自然観察学習館」の
方へと向かって行きました。



この園内の森に関して
様々な展示物等があるそうです。



園内の植物、昆虫、鳥類なんかが
紹介されていましたねえ。

ちょっと施設内での写真撮影は
しませんでした。

外に出てきて、
さあ太陽の塔はどちらかと
考えたりしたのですが、
まあどうせ中には入れないだろうから、
つまらなさそうなんで
もう引き返すことにしました。

途中こんな満天星ツツジが咲いてたよ。



そして万葉の里なんかには、
大きなカメラを持った人が
いっぱいいます。



望遠レンズをつけている人が
多いので野鳥の撮影かなあ。

そういえば、ほんとにたくさんの
鳴いている鳥や飛んでいる鳥を
見かけましたねえ。



ちょろっと出かけてきた万博でしたが、
ソラードの通行禁止は
やはりショックでしたねえ。
また日にちを変えて
ネット確認したうえ
改めて出かけてくることにしましょう。

帰りは、高速道路ではなく、
中環を通りつつ、
ああ、ここは歩いたところやなあ、
この川はさかのぼったところやなあ
とか確認しつつ帰宅しました。

ちょっと残念なお出かけだったのですが、
まあ次回に備えて掲載しておきましょう。

おしまい


万博ソラードへ1

2018年04月29日 21時02分45秒 | ウォーキング

最近、大阪では2025年の
万博開催に向けていろんな
取り組みをやっているようだ。

そのうちの一つになるんだろうか、
あるいは市民の目を向けさせよう
としているのかよくわからないが、
当時1970年の万博で使われていた
太陽の塔が改装されて
一般公開されているようだ。



あいにく予約制なので、
じゃあ今日行って中に入ってみよう、
という具合にはいかない。

今のところは予約も結構埋まっている。

ところが予約したのに、
当日は来られないという
その日キャンセルの人も
またかなりの数出ているそうだ。

いかんよなあ、こんな安易な
予約だと混乱がひどいよなあ。

先に料金徴収とかそんなシステムを
作って置かないと、
太陽の塔なんて好奇心で
見に来るくらいの人が
多いんやとおもうから
簡単に予約をキャンセルするんやろな。

でもまあそんな吹田の万博公園というと、
doironにも思い出の多い場所だ。



万博もそうだし、ここで開催される
マラソン大会なんかも
よくいったところだ。

ハーフマラソンの自己ベスト
1時間23分11秒もここでの
大会で出しているのだ。



その後も万博公園に行ったり、
博物館にもいったりしたしね。

で、そんな太陽の塔を訪ねて
多くの人がいっているという万博公園に、
もしかしたらなにかほかにも
イベントや出店なんかも
出ているかもしれないし、
樹幹近くに遊歩道を作っている
「ソラード(森の空中散歩道)」を
巨木関連の思い出と合わせて
ひさしぶりに歩いてみるか
と思い立ち、プラっといってきたのである。

交通機関は車である。

まずは大阪大学の生協に寄って
お弁当や、大学名入りのメモ用紙



なんかを買って、ソラードに
近い万博西第1駐車場に乗り込みました。



ここから自然文化園西口に向かって
歩いていきます。

あ、なんか注意事項が張られていますねえ。



スズメバチ・・・怖いですねえ。
でもまだ時期じゃないわな。
イラガももう少し後だしね。
でもこの虫は強烈に痛いですねえ。
昔、古いお家を取材するときに、
庭に木が生えていて
これがイラガで満開でした。
あの時は恐怖の取材でしたねえ。

風に乗って体毛が飛んできても
刺さったりしますから
めちゃめちゃ怖かったです。

そしてチャドクガやセアカゴケグモ
なんかはこれからのシーズンです。

ああ、もうすぐ山にも
毛虫がわいてきたりするのかなあ、
気を付けないといけませんね。

そんな案内を見ながら
西口から自然文化園に入っていきます。



緑が多いですねえ。



万博がすんだあとは、
樹が何十万本も植樹されたそうです。

かつての千里山丘陵は
竹林が多かったのですが、
この辺りには60万本もの緑が植えられ、
いまは自立した森づくりのために
様々な取り組みがされているようです。

あ、小さなため池があり
そこにカメラを据えている人が
結構いますねえ。



カワセミでも飛んでくるのかな?

先日ドジ旅で歩いた鶴見緑地の
池のところにもカメラマンが
たくさんいましたねえ。

公園のこういう水路なんかは
結構な撮影スポットに
なったりするんですねえ。

え~っとこの先には花が咲く
広場公園があるようですので、
そちらで昼飯にしますかねえ。



山を越えていきますと
結構広い広場があります。

う~ん、ここは何かの
パビリオンの後だったのかなあ。
芝生広場のところどころに
樹が植えられていますので、
その陰のところに
シートを広げて座りましょう。

きょう買ったお弁当は
こんな適塩サポートの
ちょっと花見弁当風。



コーヒーも沸かしつつ頂きましょう。

景色は遠くに箕面の
山の方が見えてるかなあ。

ここから太陽の塔は
森の陰になっていて
見えませんねえ。

きっとそこの周りの広場なんかは、
ここよりずっと
混雑しているんでしょうねえ。

続く


山麓リボンの道30 須磨離宮

2018年04月28日 21時06分04秒 | ウォーキング

階段をへいこらと登りながら、
後ろを見るときれいですねえ。



それに満開桜が見事に散り始めており、
階段もほんとに桜色です。



え~誰かが掃除でもするんですかねえ。
後が大変なような気がするのですが、
上り坂の途中なので
ほっておいても自然に下へ
流れていくんですかねえ。
でもほんまにこんなに桜が濃いと
排水溝なんかふさいでしまいそうですねえ。

あーだこーだ言いながら、
登っていきますと
ようやく本殿のところに
出てきたようです。



それにしても、
こういうお寺や神社はなぜ
こんな高台にあるんですかねえ。

神戸の街をみおろすように
銅像が立っていました。

ではまた桜に包まれながら下りましょう。



周りは静かな住宅街ですがねえ。
こんなに坂道が多いと
若いうちはいいけど、
年配になったら大変やろなあ。

コースはまたリボン通りに
戻っていきます。

山手の道をしばらく歩いていくと、
ここが修道会の入り口です。
う~ん静かな雰囲気の場所ですねえ。

そして、須磨の中心地である
離宮公園に到着です。



明治時代に建設が始まった離宮。
大正になって完成しました。

しかし、戦争ですべて焼失し、
終戦後神戸市に下賜され
離宮公園となって完成した公園です。

まあ都市公園としては
異例の歴史を持つ公園ですね。

面積82ヘクタールの広大な公園なので、
入園料400円を払って入っても、
ちょっと散策しずらいねえ。

スルーして、さあそれでは
帰りの電車を目指しましょう。

目指すは「山陽月見山駅」です。

離宮公園の前の駐車場には
こんな石碑が立っています。



「武庫離宮」というのは、
須磨離宮の前の名前です。

次回は、この須磨離宮の
駐車場を利用して
車で来ましょうかねえ。

そのときは須磨寺なんかも回り、
須磨浦公園まではいけたらいいなあ。

じつはこの須磨浦公園には、
絶滅危惧種といわれる
日本一乗り心地の悪い
カーレーターというのがあるのです。

琵琶湖のカーレーターが廃止されたので、
もう日本ではここが唯一の
カーレーターとなります。

これがねえ、もういつ止まっても
おかしくないといわれるほど
めちゃめちゃ揺れる
乗り物なんだそうです。

まえから行ってみたかったのですが、
リボン通りの動きに合わせよう
と思っていましたので、
ようやくその希望が叶います。

ウヒャー、ウヒョーとかいいながら
乗ってみたいですねえ。

その時はぜひともご紹介しましょう。



とりあえず今回はここまでです。


山麓リボンの道29 飛松あたり

2018年04月27日 21時22分43秒 | ウォーキング

資料館は有料なのでスルーです。
やっぱりなあ。

では無料の八幡神社の方へ
向かいましょう。



先ほどから山の中腹に
赤い鳥居が見え隠れしていましたから
登りになりますが頑張っていきましょう。



住宅地のこんな階段とも
坂道ともいえるこんな坂道を
ウンこらせと登っていきます。



後ろを振り返るといい眺めですねえ。



こんな階段も頑張って、
頑張ってようやく先ほどから



見えていた赤鳥居に到着。



こんな眺めになりました。



ここには菅原道真公の飛松もあります。





その昔、菅原道真は九州へ行く際に、
ここでゆっくりしたそうです。
そして九州で亡くなった時に、
ここに急に松が飛んできて
生えたという伝説があります。

木の根元に、
「梅は飛び桜は枯るる世の中に
何とて松のつれなかるらむ」
という彼の歌碑があるそうです。

でもここは神社ですよねえ。
先ほどから見ていますが、
狛犬の姿がないですねえ。

見落としたかなあと思っていたら、
鳥居の先にこんなのが・・・



まさかこれが狛犬~。
マジック持ってたらどこかに
「奉納」と書いてあげたのになあ。

さあではここから下っていきましょう。



桜が咲いていて
気持ちのいい道ですねえ。
下りきってさあ進むぞと
思ったらすぐにこんなの寺の
案内があります。



参道を見ると、桜並木の中を
またまた参道が登っていってます。



ウヒャーと思いましたが
桜につられてまたまた登っていきます。



道ももう桜色になっていますねえ。

まあ、今年もいっぱい花見を
しましたがここもまた思い出に残る景色でした。

お寺は高野山真言宗の勝福寺。



こんな本堂の他に



四国八十八箇所のお堂もありました。



あ、この槇の木は見事に
刈り込まれていますねえ。



立派に手入れされているお寺でしたねえ。
さでは先ほどの桜の参道を
下がっていきましょう。



この下には「飛松中学校」があります。



先ほどの八幡神社で出会った
「飛松」に由来しているんやねえ。

この学校の横にはこんな



道標も建っていました。



そこからしばらく行くと
大手公園に出ます。



勝福寺とその背山にあった
南北朝時代の松岡城の正面に
成立した村・大手の名が町名となり、
そこの公園です。

小さな子供がたくさん
遊んでいましたね。

時刻は正午になりますから、
この公園でお昼にしましょう。

公園の少し先にあるローソンで
買い出しをしてきました。



桜も咲いているので
ちょっと花見気分で
お寿司なんかをビールとともに
いただきましょう。



お湯も沸かしてっと。
味噌汁なんかもいいですねえ。
ベンチにだらーんと腰かけて、
子どもたちに遠目でにらまれながら
だらだらと一人で宴会をしましょう。

「変なおっさんが公園で酒飲んでる~」
と噂になる前には引きあげですがね。

ここから東須磨の駅は近いのですが、
せっかくですのでもう少し歩きましょう。

ここは須磨区なんですが、
じゃあなぜこの辺りは
「須磨」と呼ばれる様になったのでしょう。

ついでだからネットでちょっと
由来を調べてみると、
このあたりは現在、平地となっていますが、
奈良時代までは、海岸線が
非常に入りくんだ地形だったそうです。

そんな場所でこの辺りを
平地の「すみ」というところから、
「すみ」がなまって
「すま」になったという説があります。
そしてもう一つは、諏訪(すわ)神社の
「すわ」がなまって「すま」になった
などの説もあるようです。

このあと須磨離宮とか
須磨公園なんかが出てきますから
由来を覚えておきましょう。

さあ、このリボン通りも次の名所に
さしかかってきます。

それが「護国寺」です。



地図ではかなり上の方にあるようですし、
道標の横にはこんな急な
階段が続いて行ってます。

本日三回目の山登りですねえ。

それでは頑張っていきましょう。


山麓リボンの道28 板宿から

2018年04月26日 21時00分40秒 | ウォーキング

さあて、今回もこれまでの
ウォーキングの続きということで、
神戸の山麓リボンの道へと
歩きに行くことにしましょう。

この道は全長45kmといいますが、
何回かに分けて歩くと
駅からの往復距離なんかも入ったり、
車に戻るのに往復あるいた時も
ありましたからもっと距離長く歩きます。

「本山の道」(神戸の東の橋をスタート)、
「六甲の山すそ」(六甲山の下)、
「摩耶山のふもと」(摩耶山の下)、
「布引の道」(滝の道)、
「北野・諏訪山の道」(ヴィーナスブリッジ)、
「烏原への道」(烏原公園)、
「高取山のふもと」(高取山下)と
合計70km以上は歩いてきました。

あとは、「須磨の道」、「いそかぜの道」、
「坂道と海」、「平磯の波面」、
「あわじのしまかげ」と名付けられた
5つのブロックの歩行です。

だいたい残り三分の一くらいでしょうか。

総合計はきっと100kmは
超えるでしょうねえ。

いろいろとアップダウンも
多かった道ですから、
ここまででも結構歩いた感じはします。

でもあと残りは少し海沿いに
行きますから、平面ぽいです。
最終の明石海峡大橋の少し向こうまで、
頑張って歩いていきましょう。

今回は、前回歩行を終えた
「板宿」からの歩行になります。

これ、なんて読むかわかりますか。

ナビを入れるときに
ちゃんと読み方がわからないと
あきませんよねえ。

「いたやど」と覚えてくださいね~。

さあ、それではここから
「須磨の道」のブロックに
入っていくわけですね。

JRと神戸の地下鉄を乗り継いで
向かって行きましょう。

駅で降りて、さあでは歩行開始です。



前回に下ってきた道を戻っていきます。
とはいえ、もう五か月が経っているので、
もともとあやふやな記憶なんですが、
歩きつつ戻っていきましょう。

ああ、そういえばこの辺は
歩きましたねえ。



あーじゃないこーじゃないと、
かろうじて残っている脳細胞を刺激しつつ、
そうそうこの板宿小学校のところから
リボン通りに入っていくのが
続きの歩きになります。



ああ、この時は桜がきれいですねえ。



たどり着いた小学校も桜が満開です。

この時は、まだ春休みでしたから、
生徒たちには残念。
今年は入学式にも少し咲くのが
早かったみたいですねえ。

その小学校の横には
「滝川中学校・高等学校」があります。
名前で見る限り私立ですねえ。
でもとても歴史は古くて、
学校の周りの塀もこんな感じに
古い感じです。



プロ野球選手も別所毅彦や
青田昇など多く出ていますが、
あの将棋の谷川浩司もここ出身だそうです。

いまや羽生と藤井が将棋界を
にぎわしていますが、
この人も史上最年少21歳で
名人になったとか、
将棋連盟の会長もしたという
将棋界の大物だ。
「高速の寄せ」といわれた将棋は、
まったく素人のdoironでも、
見ていて面白かったという
記憶がありますねえ。

さあでは進んで行きましょう。



コースはこの後、妙法寺川にさしかかり、



そこで「養老橋」を渡る筈だったのですが、
工事中でした。



仕方ないので、桜がいっぱい咲く堤防を
回って歩き、1本下流の橋を
回るという遠回りをすることになりました。

え~「養老」のくせに無理な
遠回りですねえ。

その後右岸をさかのぼって歩き、
かつての養老橋のところに
たどりつきそこを左折をしていきます。



するとこの辺りにこんな
資料館がありましたよ。



テーマは何と「板宿の歴史」だそうです。



都で左遷されて九州へ向かい
菅原道真がこの辺りで
止まることになったのですが、
宿がないので村人が板で家を作り、
そこに泊まったからこの辺りの
地名をこういうんだそうです(諸説あります)。

まあ、、資料館には地名の由来なんかを
示すものがあったりするのかなあ。
でも入館料いるしなあ。

続く


淀川完歩49 長柄橋まで

2018年04月25日 21時19分18秒 | ウォーキング

野球グランドの横、
外野の一番端っこに



ベンチがあったので
そこで昼食をとることにした。

今日のメニューは
おにぎり2個とナメコの味噌汁。





わーいわーいと
湯を沸かせて、準備です。

場所は外野の端っこなんですが、
たまに20m以内くらいの
エリアにボールが飛んできます。

飯だ飯だあと喜んでいるだけでなく、
周りにもちょこっと注意しないと
いけませんね。

ベンチに腰かけて柔らかい風を
受けながら、青空見上げて
おにぎりなんて贅沢でしょう。



ビールがあればさらにいいのですが、
この日は買い忘れてました。
残念。

少し離れた鉄橋の上を
JRが走って行きます。

あ、サンダーバードも
走って行きましたねえ。



今度電車からまた眺めてみましょう。

食後になんとコーヒーまで飲んで、
豊かな時間を味わいましたとさ。



さあ、ではまた歩いていきましょう。

さて、今日は次の歩きの時の
乗り換えと今日の用事を
考えて間もなくさしかかる
長柄橋までとしておきましょう。

この橋は歴史の長い橋です。

あの清少納言が枕草子の中で
「橋は長柄の橋」といったほど
古いものです。
日本後記の中でも
「使いを遣わして摂津国の長柄橋を造る」
とあるそうです。

また、1100年頃の文人は
この橋を作るときにできた
鉋屑を珍重していたそうだ。

まあほんとに歴史の古い橋なんです。

この橋を通ったことを
頭に入れて、今年の花見に
行ったら友人の奥さんが
この橋周辺の生まれなんだ
といってて驚いたこともありましたねえ。



僕らくらいの年代になりますと、
奥さんもまあ半世紀以上前の
生まれだから、かつての橋と
雰囲気はだいぶ違うんでしょうねえ。

そんな橋のところに近づいて来ますと、
右岸には柴島の水道記念館も
見えてきます。



そしてさあ橋です。

あれ?この橋はちょっと
変わった形の橋ですねえ。

橋の途中で道が二股になってて、
北向いてまっすぐ進めば十三方面へ、
左の小さな橋梁に入っていけば
北上していくような形をしています。

道が立体交差している橋なんですね。

こんな立体の橋をくぐるのは
初めてですねえ。

橋詰には大阪府の標柱が立っており、



また前の古い橋の橋ちゅうも
残っています。



そして今の橋のたもとには
古今集に歌われた大阪市作成の
碑がはめ込まれているんですねえ。



結構、橋って歴史施設なんですねえ。

さあ、では淀川歩きは
今回はここまでです。

ここから柴島の駅まで歩いていきましょう。

そうそう、長柄橋のたもとには
こんな小さな神社があります。



この辺りは昔、浜町といってたそうで、



この辺りの多くの人の住居地でしたが、
柴島浄水場が多くの反対を
乗り切って建てられたそうで、
当時の行政の動きの中で、
きっとこの
「現龍大神、現龍大明神、太郎助大神」には、
石碑に名前を載せています。
公的施設にしては珍しいでしょ。



「柴島浄水場一同」。

いろんな地元との思いの
やり取りがあったのでしょうねえ。

そこから線路沿いの
工事現場だらけの寂しい道を



北上していくと、
柴島の駅があります。



今回はここで終点です。



歩いた距離は6キロちょいと
短めでしたが、ああ、また今年も
こういう気候のええ時に
この辺も楽しく歩くぞー
と気持ちを新たにした歩きでした。



次回はこの柴島まで電車で着て、
また淀川右岸を上流に向かって
歩いて行きましょう。

淀川大橋を超え、
JR貨物線の赤川鉄橋も過ぎて、
対岸に淀川のワンド群を眺めながら、
城北大橋へと向かって行きます。

そして最終は少なくとも
豊里大橋までいこうかな。

右岸は左岸と違ってこの辺から
先はどんなふうになっているかわからない。
行けるところまで歩いて
行けたらなあと最近は思っている。


淀川完歩48 十三から

2018年04月24日 21時11分31秒 | ウォーキング

一昨年淀川を完歩した後、
今度は河口から右岸を
さかのぼるように歩いています。

前回歩いたのは昨年の5月。
福から十三まで歩き、
そして今回歩いたのは3月と、
約10ヵ月ぶりの淀川へと
出かけたのでありました。

春先のこの川辺は花とかが
多くていいですねえ。

それに河川敷で遊んでいる人たちも、
気候の気持ちよさを
満喫して楽しんでいるような気がします。

この日は電車でまず十三へと向かい、
てくてくと歩き始めました。

桜もぼちぼち咲き始めるかな
という頃ですな。
それでは花見もかねて
歩くことにしましょう。

ゆっくり出たので10時半頃に
十三に到着です。
歩く用意をして、
まずは商店街の中を進んでいきます。



ここの商店街はやはりにぎやかですねえ。
やっぱり駅を使用する人が
多いからかねえ。
十三やから言うてなかなか
観光に来る人って少ないやろしなあ。
周辺の町の人口の多さに
支えられているんやろなあ。

そんな商店街の出口付近には
「見返りトミー君」がいます。
トラ狂のおとん、
お笑い好きのおかんの子どもだそうです。



それにしてもこのトミー君、
見るたびに着ている衣装が違いますねえ。
きっと世話好きな人が
何人もいるのでしょうねえ。

商店街を出ると、そこに
国道176号が通っています。
それを南の方へと進んでいきます。



堤防の高さに向かって軽く登っていくと、
おおあの淀川にかかる
十三大橋が見えてきました。



かつてこの橋の姿は、
大阪のモダンさを紹介する
絵葉書なんかに使われたそうだ。



これが大阪市の橋の案内板、



これが大阪府の
「大阪池田線(国道176号)」の案内板、



そしてこれがこの辺り一帯を指す
国の案内板。



え~様々な団体がこの橋の
造営にかかわっていたんですねえ。

道路の高架下のトンネルなんかを



くぐりながら、では淀川公園の
河川敷の道へと入っていきましょう。



地図ではこの辺りは

「十三摘み草園」



になっていますが、
ちょっと荒れていますねえ。
季節がまだ早いのかなあ。
それなりに整備されて
いるんでしょうかねえ。

この日は河原に桜でもあれば、
今年最初の昼食を食べる
プチ花見をここですればいいなあ
と思っていたのですが、
このあたりは河川敷に桜はないですねえ。



では一度堤防の上に上がってみますか。



そしたら、川とは反対側の堤防下に
桜がずっと植わっていますよ。
降りて行ってみると、
おお~咲き始めです。



今年もこんな桜の季節が
もう目の前に来ていますねえ。

さすがにこちらの堤防下は、
横で車もビュンビュン走っているし、
こちらで昼食はやめておきましょう。

さあ、ではまた堤防の上に
上がっていきましょう。



こんな水防倉庫や河口から
8キロの石標もあります。



あ、地面に書いてあるのは
右岸で河原から8キロの
あんないですねえ。



整理しておきますよ。
川の「右岸」というのは、
加工の方を向いて右に
見える方をいうんですねえ。

しばらくあるいて、
ちょっと西中島の方へ歩いていきましょう。



案内コースに名所が
書かれてあるので確認に行くためです。

北向いて住宅街を歩いていきますと、
やがて阪急京都線に突き当たります。
そこにあったのが、
高校野球の宿舎です。



おお~ここは
「T邦高校」が宿舎にしてるんですねえ。
頑張ってね~といっておきましたが、
この二日後にH巻東高校に
惜敗しましたねえ。

でもこういうところで
宿舎なんかを見ていますと、
やはり結果は気になるもんですな。

まあ高校野球に関しちゃ
名門校なので夏も出てきて、
優勝して十三で打ち上げしてほしいですねえ。
へへ。

結局、資料に書かれてあった
名所は見つからず、
しかたなくまた堤防へと戻ってきました。

このあたり河川敷では
あちこちで野球や
サッカーをしています。

そんな場所でどこか
昼食場所を探しましょう。

続く


もうすぐ、ばあちゃん

2018年04月23日 23時41分08秒 | 最近の出来事

今回の長野行きは、
ミセスの軽自動車で行きました。

別に普通乗用車でもよかったのですが、
まあたまにはこういう状況で、
ミセスにもおばあちゃんになる前に
頑張って運転してもらうのも
いいかもしれません。

あ、普通の方はミセスは
運転しませんからね。

それに、長野行きの前日はdoironは
近所の友達の家で遅くまで
遊んでいたから、午前5時前の
スタートはちょっと辛かったから
都合はよかったのです。

今回は運転を交替しながら
長野を往復してきました。

帰り道には、あちこちと寄ってきたのですが、
まあそれはまた別の日に
報告出来たら致しましょう。

運転は半分だったけど、
横に乗っていても
結構疲れた長野行きでした。

では、今日はおやすみ~


もうすぐ、じいちゃん

2018年04月22日 22時45分23秒 | 最近の出来事

今日は長野県に来ています。この夏doironにも初孫が生まれるので、息子夫婦のところに来て、娘のお腹をチョンチョンしに来ました。いやあ、どんな顔で生まれてくるかなあ。doironそっくりでベッカムみたいな顔かなあ(残念ながらまだ男女不明ですが)。そんな息子らの子供に、今回はベビーカーとチャイルドシートを買ってあげるべくやってきたのです。こんな長野の上田でも子供用品の店はしっかりありますねえ。形、色、値段とまあ、ほぼ彼らの希望はかなえられたかなあ。明日は、あちこちプラプラしながら帰ります。


和泉砂川狸次郎5

2018年04月21日 20時56分33秒 | ウォーキング

おおきな、仁王さんのいる山門から





下に降りていきます。



どうやらdoiron狸次郎が
入っていったのは裏門だったようです。



階段を下りて行った辺りは、
さすがに古い家が多かったですねえ。



村中をくねくねと歩いていきますと、



おお~ここで熊野古道に
再度でてまいりました。

この交差点には常夜灯がありますねえ。



これは昔からの常夜灯で、
伊勢参りの人々の旅の安全を
思って建てられたものと、
熊野古道と信長道の交差点に
建てられたものがあります。



信長道とは雑賀との闘いに向けて、
信長が気づいたという軍用道です。

調べてみると、長慶寺から
孝子越街道の鳥取の庄辺りまで
つながっている道だとのこと。



ああ。
これでまた歩きたい道が
見つかりましたねえ。
そのうちに探して
歩きに行ってみましょう。

この場所からだと、
信達宿本陣跡が近いですねえ。
すこし北向いて歩いていくと、
ありました。ここがそうです。



最初ここに来た当時は、
こんな街歩きを始めて間もない頃
でしたから本陣についても
勉強しましたねえ。
いやあ、あの頃は若かったなあ、
もう57歳くらいでしたけど・・・

さてではもう一度常夜灯のところに戻って、
信長道を歩いていきましょう。
その先に目的地である
市場稲荷神社があるからです。



変わった名前ですねえ。

なぜでしょう、というかこの地域の
名前が泉南市信達市場という名前なのです。
そういえば、近くの泉佐野にも
「市場」という地名がありました。

あの地名は、昔そこにあった
お寺で大きな市場が
開催されたからという
由来を持っていました。

ではこの信達市場はどうかといいますと、
よく似ているんですねえ。
平安時代から熊野詣が盛んで
この辺りには江戸時代から
年末年始の市場で賑わったそうです。

そして、その当時から「市場村」と呼ばれ、
それが今の地名になっており、
そこの「市場」にある稲荷なので
こんな名前になっています。



そういえば、四国八十八箇所に
通っている頃に、一人でお参りしていた女性が
ここの信達市場の出身だ
といってはりましたねえ。

で、その神社の石板になんと
その人のちょっと変わった名字が、
いくつか出ていました。



ああ、やっぱりこの辺の地の
人やったんやとわかりましたねえ。

そういえばdoiron近所の神社にも
doironの名字がいっぱい
出現しているもんなあ。
本人の石もあるけど。

ここは豊穣を祈願するお稲荷さんなので、
doironも年金が減らないように
祈っておきましょう、へへ。

その神社を出てから、
さらに信長道を行くのではなく、
今回はとりあえず熊野古道の方に
戻っていきましょう。



さあもう歩きは残り少なです。
もう少し歩いたら、和泉砂川からの
交差点に出てきますよ。

でもその前に、一つ見どころがあります。
それが、こんなに藤の花が咲く
「野田藤」の見どころがあるのです。

そこが、ここ。



いやあ、まだ花は咲いていませんねえ。

そこにあった説明版によると、
四月中旬以降になるそうです。



ああ、今年はぜひ見に行きたいなあ
と思いつつ、そこを出て、
すぐのところにこんな場所に出ました。



「泉南石綿の碑」と書かれてあります。
何も考えなかったら
「ああ、ここはこういう植物の碑かあ」
と考えたかもしれません。

しかしこれはそんな簡単なものではなく、
石綿=アスベストが住民被害を
与えたという裁判の結果が
出たことを参考に記した
碑なんだそうです。



地方の田舎ののんびりした
地域の底にはこんな悲しい
出来事が横たわっていたんですねえ。

和泉砂川をぶらぶら歩きつつ、
ああ今日もいっぱい
いろんなことを学んだなあ
とおもいつつ帰宅したdoironなのでした。

歩いたのはこんな感じ。



合計約7.7キロの狸次郎風の
楽しいお散歩でしたあ。

終わり。