ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍野に行ったの 1

2017年04月30日 21時27分07秒 | ウォーキング

つい先日龍野に歩きに行ってきました。

どこに歩きに行くか?
これはもうdoironの
今の生活にとって
欠かせない重要な問題なのです。

何をするにしても、
あ、こんなところへ歩きに
行けばいいんじゃないか
と思いついたことは
携帯にメモしたりしてためているし、
いろんな資料やニュースや
小説なんかを読んでいて
行きたいところは
どんどんリストアップして
ポストイットに書き溜めて
デスクの横の壁に貼り付けたりもしています。

まあもちろん北海道だ、沖縄だ
というような遠方ではないよ。

年金暮らし直前のひもじいおじさんが
遊びに行ける範囲というのが前提なのだ。

で、そんなメモもそこへ行けば
中身を消していくように
しているのだが、
一枚だけずっと消せないで
残っているメモがありました。

そのメモに残っている地名が

「龍野」

だったのです。

兵庫県たつの市というと、
おお近隣やんと思うかもしれないが、
実はちょっと時間と
交通費のかかる遠方なのです。

何せ姫路よりまだ向こうで、



泊りで行った初オープンウォーター
トライアスロンの赤穂の少し手前
というところなのだ。



さあ行くぞ、と気合を少し入れないと、
出掛けられないところなのです。

なので、行ったら十分楽しむためには、
事前に軽く勉強をして、
効率よく歩かないといけない
ということになる。

童謡「赤とんぼ」の歌が生まれたところで
醤油工場があって、
古い町並みが残っているところなので、
その辺を中心に歩くのがよさそうです。

JRの歩きパンフレットにも
そんなことが書かれていました。

気持ちのいい春先、
ちょっと遠方のそんな龍野に
出かけてみようと決心して
早朝に出発して
出かけて行ったのでありました。

そうそう、ここは今は

「たつの市」という名前になっています。

2005年に1市3町が合併し、
「龍野市」が「たつの市」になったんですねえ。

まあこのブログでは
使う漢字はその内容から見て、
旧地名の「龍野」を使うことにしましょう。

まずはナビでJRの駅を目指します。

あ、駅名は「竜野」という
漢字を使っていますねえ。

ナビ通りにその「竜野」の駅に着くと・・、

あれ~?

資料ではこんな田舎では
なかったなあと思ったら、
龍野の歩き旅の場所は
山陽線の「竜野」ではなく、
姫新線の「本竜野」駅でした。



まあ竜野駅周りもまあ
それなりの風情はあるようでしたが、



さすがに本竜野は「本」がついてるだけに
歩き旅にふさわしく
本物っぽくてしかも都会でしたね。

あんなけ事前に調べていたのに、
最初から勘違いをしてしまいましたねえ。

さて、その本竜野。
駅前で駐車場を探したら、
すぐに見つかりました。



この駅には安い駐車場が
隣接しているんですね。

全くの都会じゃこういう取り組みは
難しいでしょうが、
ここくらいの田舎だと
市内観光のためにも
こういう取り組みは
とってもいいものだと思いますねえ。

ではそこに車をとめ、
ナビをセットして歩いていきましょう。

え~っと駅前の地図を見てみますと、
揖保川が流れていますし、
いろんな資料館なんかもあるようです。



間違いないですね。

他にも「新竜野」とか
「元祖竜野」とかあるわけでもなさそうです。

歩き始めて、まず一番最初に
気が付いたのが、
あの醤油会社「ヒガシマル」です。





おお~資料に乗ってた醤油会社が、
本竜野のすぐ駅前に
で~んとそびえているわけですねえ。



ここは淡口しょうゆの会社として有名ですね。



歩いていると工場なんかもあるようです。

まあふつうこんなに大きな
工場があったりすると、
昔だったら結構醤油のにおいのする
町だったんでしょうが、
いまはまったくそんな
においも流れていませんね。

続く


四国巡礼二十三番薬王寺

2017年04月29日 21時06分32秒 | ウォーキング

この海沿いの道はかつて
家族旅行で車で走った道です。
息子はまだ小学校にも
行ってなかったですねえ。

目的地は室戸岬だったのですが、
途中面白そうな海岸を
見つけては車を降り、
ブラブラしていたのを思い出します。

「ああ~この大きな岩のところは降りて歩いたなあ」
とか
「この海岸線でおやつ食べたなあ」
みたいなね。

海沿いのそんな景色の中を
走り続けていきます。
季節は今ちょうど田んぼに
水が入っていく頃ですねえ。



次回来る頃には田植えも
終わっているんやろねえ。

そしてようやく今回最後のお寺となる
23番薬王寺に到着です。

ここのお寺は日和佐の高台にあります。
駐車場を出てお寺に入っていきますと、
まだ花見の痕跡でしょうか、
ぼんぼり提灯が残っていますねえ。



そんな光景の向こうには
日和佐城も見渡せる景色が広がっています。
公的施設として建てられた町立の城で、
土産売り場と博物館になっているそうです。



もし、桜が咲いていたら、
きっとこんな景色になるでしょう
というのを絵にしておきましょう。



とまあ、想像で桜の花を入れたんですが、
ちょっときつかったですねえ。
なんか背景も桜もイマイチ
というよりイマロクくらい良くなかったです。

あ、後ろの山の中に
なにか書かれてありますねえ。
あれが日和佐城です。

それと、その左に海が少し描かれてますねえ。
あの海のあたりはウミガメの産卵地
としても有名なんだそうです。

むかしはそんな海を訪ねて
旅行に来たことがありますねえ。

さあ、では寺の中に入っていきましょう。

ここの本尊は、
そうもうお寺の名前からわかりますね。



「薬師如来」

です。
この薬師如来にはちょっと
伝説が残っています。

むかし火災でこのお寺が焼失した時に、
本尊の薬師如来が
西の空へ飛んで行ったそうです。

で、火災後また新たに本堂を
設けたところ、
西の空からその本尊が飛んできて、
新たな本尊の前に
後ろ向きで立ったそうで、
後ろ向き地蔵として今も
大切に置かれているそうです。

そんな話を聞くと、
わがdoiron家のある村の
お大師さんというお寺を思い出します。

もう20年以上前になるでしょう。
お大師さんは青年団の詰め所として、
祭りの時に使ってました。

それがある祭りの時に
大火事になったのです。

たぶんたばこの不始末なんでしょう。
古い建屋は全壊で
くちゃくちゃになったのですが、
な、なんとお大師さんの
観音様のいる棚だけが燃え残り、
仏像類は一体も損なわれることが
なかったのです。

いやあこの事件は村中の話題となり、
そのあとお大師講に入られる人が
一気に増えたという経過がありました。

何かこんな人々の祈りの籠る
仏像って不思議な力を
持っているんでしょうねえ。

そうそうこの四国の薬王寺には
もう一つ風習があります。

男女の役の数だけの
階段が設けられており、
厄除けを祈る人はその階段一段ずつに
1円玉を置いていくのだそうです。

お参り人の多い時は
階段は一円玉でいっぱいになるそうです。

足でその一円を蹴ってしまうのは
構わないのだそうですが、
決して手で拾ってはいけないそうです。
捨てて行った人の役を
拾い上げるといわれていますから、
こういうシーンをお寺で
見かけた方は注意しましょうね。



ここでもしっかりお参りです。

さあ、これで今回の第10回の
遍路旅も終わりです。
いよいよ最後の徳島県に入りましたねえ。

掛軸もずいぶん納経で
埋まってまいりました。



残りはあと四月、五月2回で
22寺のお参りですねえ。

これで四国は結願します。

始めたときは、先は長いぞ
と思っていたのですが、
よくぞここまで来たものです。

結願したら高野山への
お参りで満願しますね。
頑張りましょう。

10回目、終わりです。


四国巡礼二十四番最御崎寺

2017年04月28日 20時58分40秒 | ウォーキング

室戸岬をめぐる国道は55号線です。
松井秀喜がよく来た国道ですね。
ウソですがーーー

そうそうあの松井が
なぜ背番号55なのかというと
王貞治のシーズン本塁打55本を
上回れという意味でつけられたんですね。

まあ、それはおいといて
海辺を通るこの国道55号から、
かつて車をとめたことのある
室戸岬の駐車場が見えてくるところで
左に曲がって山の上の方へと
上がっていきます。

そこにあるのが第24番最御崎寺です。

このお寺は何と読むかわかりますか?
「さいみさきでら」ではありませんよ
「ほつみさきじ」といいます。
そのいわれは、この岬には
火をともしていたところから
「火つ岬」と言われていたので
この寺号となりました。

ぐるっと眺めのいい道を上がっていきますと、
駐車場に到着です。

そのすぐ横にある遍路センターが
参道への入口です。



土産物屋や宿坊の横を抜けて行きます。



こういうところの宿坊って
どんなところなんでしょうかねえ。

寝室は雑魚寝のように
なっているんですかねえ。

普通そういうところは
同一の趣味の話で
盛り上がりますよねえ。

たとえば、山小屋だったら
「どこどこの山こんなんでよかったよ~」
とかね。

でもこういうお遍路の
宿坊だったらどうなんでしょう。

どこどこのお寺は桜がきれいやろねえとか、
何々寺の地蔵さんは
よく利くよ~とかそんなんでしょうかねえ。
それとも
どこどこの仁王さんは
格好ええなあとか交わすんでしょうか。
う~ん、難しそうですなあ。

宿坊の横を抜けると、
静かな参道に入っていきます。



金剛頂寺が西寺でここは「東寺」です。



建物も多宝塔があったり、
宝物殿などもあります。



ああ本堂が見えてきました。



ここの本尊は虚空蔵菩薩です。
真言は難しいよ。

「のうぼう あきゃしゃ きゃらぱや 
おん ありきゃ まり ぼり そわか」

といいます。
ちゃんと唱えたら活舌にいいそうです
な、ことはないか。

そしてここの絵は、
二重の塔になっている
多宝塔を描いておきましょう。



この絵で苦労したのは
大屋根の下の複雑極まりない
木組みの部分です。

写真を見ながら正確に書くのも
どうかなあって感じですね。
なのでここは全体を暗く塗っといて、
木組みの形をそんなに基本を離れずに、
かつ大雑把にえがくことで
まあまあ雰囲気は表現できたですかねえ。

こういうお寺をはじめ
細かい景色の絵は、
いかに部分部分をうまくごまかすかで
意外に省略が気にならないものですねえ。

まあ、まだどの部分を省略して
描くかなんてすぐには浮かんでこないので、
これからもぼちぼちと
枚数を重ねていって、
身につけていくほかはないんでしょうねえ。

さて、お参りは本堂でしっかりお経をあげ、



次は大師堂にもまいります。



お経をあげる前に、
ここでは今回頑張って書いてきた
写経をまず奉納しておきましょう。



他愛のないことですが、
これだけでも空海に
さらに一歩近づいたような気になりますね。

でもずっとここには行きたかった場所ですから、
しっかりお参りしておきましょう。

いや~、ここに参れて本当によかったです。
ただ単に来ただけではなく、
巡礼してきてここに
たどり着いたわけですから
うれしさもひとしおです。

「般若波羅蜜多~」と力を入れて
お参りしておきました。

そしてこのお寺を出て、
次に行ったのが御蔵洞です。

駐車場を出て5分くらい
バスで走ると到着します。

空海はここでひたすら修業をしたそうです。
どんなところかなあと
思っていたら、岩に大きな
トンネルみたいな穴が
開いているようなところです。

まえに鳥居が置かれていましたね。

でも、いまはそこは落石の恐れがある
として立ち入り禁止になっており、
残念ながらバスから降りることなく
車中観光でした。



でもまあ、見たかったところなので
こういうツアーでも
案内してくれてよかったですな。

さあ、では今回のお遍路で
最後のお寺に向かいます。

次は23番薬王寺です。

このお寺からついに最後の
徳島県に突入ですね。

修行の道場、高知から
発心の道場、徳島へ。

この寺は日和佐の海岸の
近くにあるお寺です。

海沿いをぐいぐいと北上していきましょう。

続く


四国巡礼二十五番津照寺

2017年04月27日 22時10分08秒 | ウォーキング

一艘の船がある突然の嵐に
巻き込まれたときだ。
もうこれは港にも帰れないし、
このまま転覆するしかない
と思った時に、突然現れたある男の人が
急に船の楫をとりはじめたんだそうだ。

そしたら何とか岸までたどり着き
難を逃れたそうだ。
ではあの楫取りをしたやつは誰なんだ
と上陸して去って行こうとする
男の後を追っていくと、
そのひとはこの津照寺に入っていき、
本尊に入っていったそうだ。

あとを追った人間が
本尊に入っていくと、
その本尊にいた地蔵が
海水に濡れてぼとぼとになっていたそうだ。

本尊さんがやってきて
船の楫を撮ってくれたわけですね。
なので、以後この地蔵は
「楫取地蔵」と呼ばれて
信仰を集めたそうだ。



この嵐にあった人というのが、
あの山内一豊だったそうです。

漁民の信仰を集めた話は
もう一つあって、
ここの港が完全に完成するまでには、
じつの多くの人が携わったそうなのだ。
しかし港の入口にある、
でっかい「お釜岩」という
港をふさぐ岩を取り除かないと
港としては完成しないといことがわかり、
それを除かなければ
といろいろとやってみたが
除くことができなかったそうだ。

でかかった岩なんですね。
なのでお釜岩なんですかいね。

そこでゲイバーに通うある技術者が、
じゃなかった
ある大工の技術者が
自分の命と引き換えに
この岩をどけてみると、
やった所、なんとかどけることが
できたのだそうだ。

なのでその人が約束通り自刃したので、
そのお参りをこの寺でやっている
というのもまた信仰を
集めているというお話なんだそうだ。

というわけで、この
25番「津照寺」のお寺の本尊は
楫取地蔵菩薩
まあつまり地蔵菩薩なわけですね。



真言は
「おん かかかび さんまえい そわか」
と唱えましょう。

ここの絵はやはり長い階段と、
その上にある竜宮城のような
鐘楼門にしておきましょう。



やはり階段の絵がかなり面倒だったので、
周りの景色から先に描いてゆき、
最後に階段を描きました。



せっかく書いた景色の絵を
無駄にしたらあかんと、
頑張ってフリーハンドで
描いたのですが、
その辺のちょっとした緊張感が、
まあそれらしく描かしてくれたなあ
と思っています。



しかしこの階段も実際上がるのは大変でしたねえ。
doironはまあ何とか
上がっていくかもしれませんが、
高齢者の人なんかは大変でしたね。

交通安全の神様ですが、
道でへたり込んで地蔵さんに
遭遇するやもしれませんな。

さて、ではあと今回は2寺です。

次はいよいよこの四国お遍路に
回り始めたときに、
ずっと行きたかったお寺です。

24番最御崎寺。

室戸岬の先端にあるお寺で、
空海はこのお寺の近くの
御蔵洞で修行をし、
お経を唱える彼の口に
明星が飛び込んだというところだ。

それまで教海と名乗っていた
18歳の青年僧は、
このお堂から見える景色が
空と海だけだったところから
「空海」という名前にした
というところなのだ。

アコウやビロウなどが生い茂る
南国地で彼は目覚めたわけですね。

この室戸岬にはdoironは
一度来たことがあります。
チビもつれて家族三人で
旅行をしに来ました。

その時に泊まったのは、
日和佐で室戸にはついでに
車で行ってみようと思い
来たところです。

長い海岸線をずっと運転し、
何とかやってきたという
印象があります。

もういまから25年前のことです。

そのころは室戸といえば、
浮かんでくるのは「室戸台風」
くらいでしたかね。

岬の先端にお寺があることなど
まったく気にもならなかったし、
空海が修行をしたという
洞の横も通っているはずなのに
記憶が全然ありません。

まあ空海といっても、
字の上手な人くらいの
印象しかなかったしね。

そんな室戸岬ですから、
今回はきちんとその背景を
理解したうえであの昔の時とは違って、
お寺もしっかり訪ねようと
ずっと思っていたわけです。

つづく


四国巡礼二十六番金剛頂寺

2017年04月26日 20時59分58秒 | ウォーキング

さて二日目です。

今日は4寺をまわる予定で出かけます。
まず最初は、26番金剛頂寺です。

24番の最御崎寺が「東寺」と呼ばれ、
この金剛頂寺は「西寺」と言われているそうです。
名前もいいですねえ。
金剛山の頂みたいなお寺ですやん。
大阪人には親近感がわきます。

薬師如来を本尊とする、
寺行き3万3000㎡という
このお寺から打ち始めていきましょう。

海沿いの道を走り、
駐車場につくと、
隅っこに真っ黒けのコンテナが
置かれてあります。
そこが物産販売と喫茶を
兼ねていましたね。

四国お遍路は、いろんなとこで
お接待されたりしますが、
一方で四国の人々をたくさん支えていますね。

だいたいお遍路のお寺なんかには
何人くらい人が集まるのでしょう。
ツアーを見ていますと、
同じ晩数のお寺を打つツアーなんか
月に50近くありますから、
それだけで2000人。

一つの会社でこれですから、
一般の遍路客なんかも入れたら
倍は軽くあるでしょうな。

すると月に4000人余りが
やってくるんですね。
すると、ノートへの納経帳だけで
120万円の収入です。
後、掛軸とかも入れたら、
軽くても月200万円以上の
収入があるやろねえ。
また檀家のお寺まいりなんかも入れると、
お寺にはかなりの金額の
お布施が入ってくるのでしょうねえ。

寺内もきれいに
整備されておりますのもよくわかります。

では、我々も祈りとお布施をしに
そこから階段を上がっていきましょう。

ここは結構急な階段です。



足の悪い人なんかはお参りできないのかなあ。
ちょっとでも若いうちに、
こういうお遍路旅は
来といたほうがいいかもしれませんね。

近頃は険しいお寺に行くたびに、
そんなことを考えてしまいます。

大きなわらじのある山門を
超えていきます。



まあ、だいたいどこのお寺も
こういうわらじは置かれていますねえ。

参道のこういう地蔵なんかを
眺めながら進んでいきますと、



弘法大師の像が現れます。

ああそう考えたら、
どこのお寺にもこういう
弘法大師の僧がいますねえ。
どれもみなしっかりと体格の良い
大師の姿になっていたりします。

さてでは本殿と大師堂で
お参りを進めていきましょう。

ここも静かなお寺です。
絵を何にしましょうか。

事前の調べでは「一粒万倍の窯」が
ここにはあるということなので、
それを絵にしようかと思っていたのですが、
実際に見てみますと
でっかくて錆の浮いた窯なので、
どうも絵にしにくい感じです。

う~ん、ではどうしようかと
頭の片隅に抱きながら
お参りを進めていきますと、
ふと洞の横に

「がん封じの椿御霊木」

というのがありました。
ちょっと普通の仏像ではない、
奇妙な形の木が3本並んでいます。

「ああ、ここの絵はこれやなあ」

と思いながら写真を撮って帰ってきて、
描いた絵がこれ。



う~ん、なかなかのものでした。

お参りを終えて
さあでは帰りましょうと
階段を下っていくと、
途中にあった「接待所」に
大勢の人が集まっています。



「御接待してますよ。
焼き芋があるので
食べて行ってください」

と案内されましので、
よしよしでは寄っていきましょう。

もらった御接待が、これ。



甘くておいしい芋でした。
ああ、そうかあ四国のこちら側は
「さつま芋」もたくさん
とれているんですねえ。

さあ、お腹も膨れたところで
次のお寺である
25番の津照寺へと
向かっていきましょう。

バスですぐのお寺です。
ここがその津照寺の入口ですね。



大きな石が置かれていますねえ。
あれ?寺の名前が違いますよ。

そうここの津照寺は
地元の漁民の信仰があつく、
「津寺」と言われているそうです。

ではなぜ、漁民の信仰が強いのか
それにはこういう話が残っているそうです。

続く


四国巡礼二十七番神峯寺

2017年04月25日 21時38分44秒 | ウォーキング

室戸岬をはさんで移動する
国道55号を南下していきます。

この辺りは海沿いの気持ちのいい道ですね。

この辺は生まれて初めて
走るコースです。
土佐湾を眺めながら、
やたら墓の多い道を走っていきます。

またここは鉄道も走ってます。
土佐くろしお鉄道
ごめん・なはり線ですね。

~クイズ~

いつも謝ってばかりいる駅が
ありますなんて言う駅でしょうか

こたえは
「ごめん」ですねえ。

その駅から始まる鉄道です。
国鉄が開通させようとしていた線が
工事中止で止まっていたのだが、
高知県と沿線の自治体が
大きな株主になって開通させた線だ。

全快は2002年。
大半が高架道路なので
土佐湾の見晴らしがよく、
観光乗車の人も多いそうだ。

その線に沿って道路を進んでいくと
目的の27番神峯寺の
中継地にやってくる。

中継地というのは
観光バスはここまでしか行けない
という地点だ。
そこにはマイクロバスの
タクシーが多く泊まっており、
それに乗り換えることになっている。

この時に、以前からこのツアーで
顔を合わせたことのある人で、
何度か話をする人と
相乗りになったので
いろいろと話を聞いたら、
その人は来月はひとりで
マイカー参りをするんだそうだ。

ツアーの休みと仕事の休みが
合わなかったので、
土日でツアーをするとのこと。

そうやねえ、僕らは年中休みだから、
いつでも行けるけど
働いている人はなかなかそうは
いかないよねえ。

「まあ、つらいけど
桜のきれいな季節に行きますわ」
とのこと。

あ、そうかあ、そういう意味では
いいお参りができるかもねえ。

後日
「もともと方向音痴で、
ナビも古いから苦労しましたが
満開の桜の中、
気持ちよくお参りしてきた」
との連絡がありました。

なんとこの人、来月も
一人周りするそうです。

まあ、いろんな人が
お参りをされているものですな。

マイクロバスは狭い山道を
上がっていきます。

途中すれ違いがあったりすると
大変なので、上と下で
無線でやり取りしつつ
動き回っているようですな。

で、ようやくついた山道を
のぼって行きますと、
この寺はきれいに
整備されていますねえ。

まるで、doiron家の庭のようです。

これも嘘ですがーーー

しかし、桜は全くないのですが
桃の花がきれいです。



もうちょうど満開のようですから、
せっかくなのでここはこれを
絵にしてみることにしました。

桃の花をバックに景色かあ。

難しいなあ。
色の塗り方や塗る順番なんかも難しいです。

ちょっとだけ、別の
練習用スケッチブックで、
あーしようか、こーしようかと
いろいろやったうえで、
描いた絵がこれ。



う~んもう少しきれいに
書きたかったなあ。

またこの辺も今後の
練習課題にいたしましょうか。

さらに階段を上がっていきますと、
ああ~こんな太い木を切るのは
大変だったでしょうねえ。



そしてあちこちに
こういう肖像も置かれている、
きれいなお寺でした。



一生懸命お参りしていきましょう。





さあ、これで本当に初日の
お詣りは終わりです。
また50kmほど戻って、
高知市内の宿に向かいましょう。

意外にやはりこういう都市の周辺は
道が混みますねえ。
渋滞の中ゆっくり走って
6時半くらいにようやく
宿に到着しました。

途中、はりまや橋や高知城の
近くも通ってきて、
時間があれば観光もいいなあ
と思ったのですが、
風呂に入って飯を食ったら
もうなんか出かけることもできずに、
部屋でビールを飲んで
たらたら過ごしてしまいました。

あ、食事はこれ。



ふむふむ、今回は悪くないですねえ。
カツオのたたきもありますし、
結構いろんなメニューが
少しずつそろっていて、
食べごたえがありました。

ツアー終了時のアンケートでは
ほめといてあげましょう。

でもねえせっかく初めての
町に行ったのにねえ。
また四国は別の機会に
観光で訪れようか
というところが増えましたねえ。

続く


四国巡礼二十八番大日寺

2017年04月24日 21時17分38秒 | ウォーキング

首Dさんにとって写経は
生まれて初めてだったそうです。
古い筆ペンだったので炭の出が悪く、
きつく抑えたらジワーと出たりして、
何枚かをダメにしたそうです。

「苦労したよ~」
と言ってはりましたねえ。

まあそれでも頑張って書いたのを
持ってきて納経していくんだ
といってはりました。

もちろんdoironも
写経をしてきております。

前回、空海が中国で
修業をしたのと同じ名前の寺に
一部おさめてきましたね。

今回は室戸岬のお寺に
これをおさめるつもりです。

この写経は「般若波羅蜜多心経」を
書くわけですが、
これがねえ意外に漢字も
微妙に入り組んでいて
難しいんだよねえ。



などと思いながら書いていたら、
簡単な字を書き損ねそうになりました。

これがその写経。



見たらわかりますよねえ。
右から6行目、うえから8つ目の
「中」という漢字が変になりそう
だったのでなぞってみたら、
浮いてしまいましたねえ。

ちょっとおかしなことをしたら、
すぐに目立ってしまうんですねえ、
意外に面白いです。
人生も一緒?

そんな写経をおさめたい
と思っている室戸岬のお寺は
もう少し先の24番です。
今回はこのお寺に行くのが
一つの楽しみでしたが、
まあとりあえず29番国分寺を打って、
次の28番大日寺に向かいましょう。

バスツアーなので
移動の楽しみはほとんどありません。
景色見たり本を読んだり
タラ~っと過ごしていきます。

この28番のお寺は、
事前に見ていた資料では、
派手な装飾もない静かな札所
だと書かれてありますね。

駐車場から静かな山道を上がっていきますと、



こんな山門に出ます。
おお~この山門の様子から見ても
静かなお寺という雰囲気が漂いますねえ。

ここではこれを絵にしておきましょう。



しかしねえ、四国をまわっていて
しみじみ感じるのは、
お寺ってどうしてこんな
山の上とかに多いんでしょうねえ。

建てるのに昔は車もなかっただろうから
資材運びに費用がかかるやろうにねえ。

まあ、山岳修行の聖地であった
というのなら仕方ないやろけどねえ。
そうでなければ、
いろんな自然災害から逃れているから、
古い寺社も残っている
ということなんでしょうかねえ。

石門を上がっていきますと、
確かに本殿も大師堂も
静かに置かれてあります。



こういう静かなところで、
みんなで声をあげて
勤行するのはなんか神秘的で
効き目がありそうな気がしますねえ。
本堂と太子堂の前で般若心経を唱えます。

あっ、春ですねえ
「般若波羅蜜多~」と唱えたら
「ほーほけきょ」と
鳥が返してきましたよ。

しかしこの10回目くらいになると、
かなりの人が本を持たずに
お経を唱えてはりますねえ。

doironも般若心経以外は
全部だいたい覚えましたがねえ。

しっかりとお参りをした後には、
先達さんがいろんな説明を
してくれます。

ここはこういうお願いが
いいんですよと言われます。

ここの大日寺は首から上の
病気がいいんだと説明してはりました。

そしてこんな銅像を見ながら、



仏さんの手の組み方なんかも



説明してくれはりましたが、
まあそこまで完全に
覚えておくことはできませんでしたな。

一寺一寺少しずつのことを
覚えていきましょう。

さあ、これで今回の初日の
お参りはここで終わりの予定でしたが、
でも実際にはみんな手際よく
動いたのと、納経もスムーズだったので
時間の余裕ができましたので、
せっかくだから、
明日一番に回る予定だった
27番神峯寺にも行っておこう
ということになりました。

前日に一寺でも余分に回っておくと、
二日目のお参りが早く終わって、
帰宅が早くなりますので
みんな大賛成です。

ただねえ、この日の宿は
高知市内なんです。
なので、今回のように
先の部分のお寺を一寺余分に
回っておくだけで、
バスの走行距離が100kmほど
長くなるんです。

燃料消費量やバスの運ちゃんの
疲労度が違いますが、
ツアーとしては許容範囲内なんですね。

続く


四国巡礼二十九番国分寺

2017年04月23日 21時36分35秒 | ウォーキング

一番最初についたのは、
四国巡礼三十番の善楽寺です。

この三十番は実は平成5年までには
「善楽寺」と「安楽寺」の二カ所があったそうです。
納経帳や掛軸はどうなっていたのかなあ。

しかし平成5年10月1日以降は、
善楽寺が三十番札所で
安楽寺が善楽寺の奥の院
ということになったらしい。

いやあ、お寺どうしいろいろと
論争があったそうなのだが、
まあ一カ所に落ち着いて
お遍路さんたちはホッとしたことでしょう。

本尊は阿弥陀如来なので、
御真言は
「おん あみりた ていぜい からうん」
と唱えましょう。



このお寺の絵については、
いろいろと考えてみたのですが、
なかなかこれというのがなく
立ったままの11面観世音菩薩の
像があるので、それにしようか
と思っていたのですが、



奥の方に「梅見地蔵」というのが
座っていました。



からだ中にカビがはえた
古い石像だったので、
ここではこれを描いて
おくことにしました。

首から上の病気に御利益がある
ということで、皆さんに
愛されているようです。

doironも顔の良さは
もう問題ないのですが、
脳梗塞をはじめ脳が弱ってきていることや、
目が疲れやすくなっていること
なんかも含めて描いておきました。

いやあ、石像にカビが生えているのって
書くのんが難しいねえ。

なんかごちゃごちゃになってしまいました。

まあ、仕方ないですねえ。
これも絵の勉強です。
顔の右側面が壊れているのが
ちょっと痛々しかったですけどね。

まっさらな赤い帽子や
前掛けを付けていましたので、
そこはしっかりと描きました。

でも前掛けは影が難しいですねえ。
光もあれば影もあるのを
きちんと描きたいのですが、
全然まだまだ修行が足りません。

さあ、では次のお寺
二十九番国分寺を目指しましょう。

国分寺というのは前も書きましたが、
四国に4寺あります。



讃岐、伊予、土佐、阿波のお寺ですね。

で、この二十九番は
土佐の国分寺ですね。

聖武天皇の時代に各地に建てられたお寺です。

七堂伽藍も整備されていたようです。

ここも長い歴史の中で
寂れたり再興されたり
しながらも今の形で残ってきました。

まあ、今となっては文化財的な
保護価値はあるのでしょうが、
経費をかけて維持していくのは
きっと大変なんでしょうね。

あ、でも四国のお遍路対象であれば
お参りの人も多く、
資金的には楽なのかなあ。

駐車場から山門を超えて
中に入っていきます。
森は結構森閑としており、
本殿へとつながる道は
静かでなかなかのものです。

このシーンを絵にして残しておきましょう。



参道の突き当りにあるのが本堂です。
ここのお寺の人は昔、
土佐日記を記した紀貫之と
深い関係を持ちます。

彼が京都へ行ったりするときには、
いつもこのお寺の住職が
港まで一緒に行って
別れを惜しんだそうです。

土佐日記は土佐の国司であった
紀貫之が京へ帰る際の物語を
虚構を交えて日記風にえがいた作品です。

途中大阪南部も通っており、
阪南から堺にかけての物語もあり
doironの住んでいる泉O津市でも
市内の墓の歴史絵巻にも
その姿が登場しています。

結構冗談や虚構も入った
面白いものだと聞きますが、
果たしてどうなのか。
doironはまだ読んでいません。

この国分寺の本尊は
「千手観音」です。



千の手を持ち、あっちをいじったり、
こっちをくすぐったりしながら
願いをかなえて行ってくれるんですね。

しっかりとお参りしておきましょう。

真言は

「おん ばざら たらま きりく」

そうそう実は首Dさんも
今回は写経をしてきてはります。
頑張って何枚か書いたのを
持ってきたので、
今回おさめて帰ります。

といってはりました。

続く


四国巡礼三十番善楽寺

2017年04月22日 22時13分37秒 | ウォーキング

早いもので、四国にお遍路で
向かうのももう10回目となる。

ツアーのバスはいつも
同じ場所から出発する。
難波だったらなんばパークスのあたり、
天王寺だったらてんしばの横だったりする。
そんな場所に行くと、
例えば四国お遍路2回目の方
とか
逆回り3回目の方とか
声をかけて受付をしてくれるのだ。

最初の頃は逆回り7回目の方
とか呼ばれたりしているのを見ていると、
ウヒャ―大変だなあとか思っていたのに、
もうdoiron達も今回は

「逆回り10回目の方」

と呼ばれたりするわけだ。

いやいやここまで頑張って
きたんだよとちょっと偉そうに
受付を受けたりするわけだ。

とまあ、そんな風に四国に行ってるのだが、
昔の友達に久しぶりあったりしたときに
「いま、四国お遍路に行ってるねん」
というと、
「へー、なんかお願い事とか反省とかあるん?」
と聞かれたりする。

「いやあ、そんなたいそうなものはないんやけど、
まあ納札の裏面にはいつも
同じ普通のお願い事を書いたりしているよ。
中身は言えんけど」と返したりするのだ。

反省といえば、死ぬほどあるのだが
すぐに忘れることにしているしね。

中には切実なお願い事を
している人も多いんだろうね。

一緒に回っている首Dさんも
大きな願い事をされているんでしょうねえ。
近頃はそのお願い事も
よく聞いているんだと
喜んではりますがね。

でもまあ、何事もなく四国に行ったり、
山のぼったり、街歩いたりと
淡々と遊べていることそのものが、
doironにとっては、
おかげでいい日々が来ているんでしょう。

前日からはまず準備です。

四国に行く前には写経も
しないといけませんし、
納札に名前を入れたり、
線香、ろうそく、賽銭の用意も
しないといけません。

納札はお寺の数✖2枚
線香はお寺の数✖3✖2本
ろうそくはお寺の数✖2本
賽銭はお寺の数✖2✖賽銭の量円

最低これだけは必ずいります。
足りずがあればしっかり補充です。

あ、回る予定のお寺の本尊も
すべて押さえ、本尊の真言も
用意していきましょう。
これは首Dさんにも一覧を渡します。

あ、カメラ電池の充電も
しっかりしておかないとね。

さらにdoironの場合は、
図書館で借りた四国お遍路の資料で、
お寺ごとの見どころも
押さえておかねばなりません。

このお寺には変わった地蔵があるんや
とか、誰かの墓があるなあとかね。

それぞれのお寺の特徴を生かした
絵を描くために写真を撮るときの
参考にしないといけませんからね。

なのでもう前日からその準備で
いろいろと忙しく動き回ります。

さて今回のバスの出発地は、
天王寺でした。
なんばスタートは混んでいるからねえ、
と天王寺にしたのだが、
こちらも最近は便数を減らして
満員の状態が続いているようだ。

ということは、途中まで回って
辞めた人なんかもいるのかなあ。

便数が減るってどうなんやろねえ。
ま、とにかくそんな状態なので
次回はなんばにしています。

てんしばの横にある観光バスの
駐車場に行くと、受付の人がいました。
聞いてみると、まあなんと
今回の天王寺便も満員であるとのことである。

仕方ないですね、頑張っていきましょう。

天王寺を出るとすぐに
今日の説明が始まり、
先達さんの紹介、朝のお遍路などが
始まりますので、
どの道を通っているのか
まだ今になってもよくわかりません。

まあとにかく明石海峡大橋を
目指してバスは走っていくのです。



今回のお寺は、
四国巡礼三十番の善楽寺から始まります。



ここはまだ高知県です。
明石海峡大橋を渡り、
大鳴門橋もわたって
徳島自動車道の吉野川サービスエリアで
昼食をとってから、
高知自動車道にのって
そのお寺を目指していきます。

途中バスの中から桜の状況を
見つつ行ったのですが、
残念ながら3月末のこのころは、
まだ一本も咲いてないようでした。

SAにあったソメイヨシノじゃないのは
咲いていましたけどね。



春浅い四国ご遍路10回目が
いよいよ始まります。

続く


鍋谷越えも今は 後編

2017年04月21日 21時36分33秒 | 最近の出来事

四国から帰ってきました。
とりあえず、鍋谷越えの
後編を載せておきます~

ーーーーーーー

一番目の逢野トンネルを超えました。

車が結構走っていますねえ。
でもこうしてトンネル越えを
車が移動していくということは、
あの鍋谷に向かっていく山道は
車も通らず、トレイルランナーと
バイカーの天国になるんじゃないでしょうか。

一時そんな同様のことがあった
水越峠にもよく行ったものです。

トンネルを出ると、
ああ旧道と新道が交わっていたりしますね。

ところどころで道が重なるんですね。
そしてこの先で、二つ目のトンネルである

「父鬼トンネル」



に入っていきます。

このトンネルからは歩行者や自転車、
原付バイクは通行禁止だそうです。
なので、開通前の3月25日に行われた
開通記念ウォークが



一般人が歩ける唯一の機会だったそうです。

ああ~知っていたら行ったのになあ。

実際にトンネルを通ってみると、
歩けるのは横にある
小さな歩道だけのようでしたね。



このトンネルの長さはよくわかりません。
道路と合わせて父鬼バイパス4.5km
と記載されていますが、
トンネルの長さは記載されていません。

銘板とか張ってあるんでしたねえ。

今回はきっちりチェックしませんでした。
車をとめるところも少なかったんでね。

ただウォークの案内には
約3キロのトンネルを
往復と書いてありますので、
それくらいなんでしょう。
でも走ってみたら
3キロはないなあ
という感じでしたね。

さてここを出ると、
道は山の中を走り、
この区間最長となる
鍋谷トンネルへと
向かっていきます。



このトンネルも歩行者、自転車、
原付バイクは走行不可です。

管理用歩道は父鬼トンネルよりは広く、
また南側にはちょっと高めのところに
設けられています。



まあこんなところを歩いている奴は
おらんやろなあというパトカーが
さっきも走っていましたね。

まあ、こういう空気の悪そうなトンネルで、
トラックがゴーッとごう音を立てて
やってくる長いトンネルを
歩いたりバイクで走ったりする人は
いないでしょうがねえ。

この鍋谷トンネルはこの区間内で
最も長いトンネルになります。

銘板のところに車が来ていない頃に
近づいて写真を撮ってきました。



全長は3,697mで、
トンネル内には非常時の
転回所なんかも3カ所
設けられていましたね。



この真ん中過ぎのあたりが
鍋谷峠の下なんでしょうねえ。

山を自転車でググイ~と駆け上がって、
この峠名の銘板にたどり着いた時は、



ちょっと達成感がありましたね。

で、このトンネルを抜けたあたりは
もう和歌山県になります。

ちょっと車をとめられる
ところがあったので、
降りてみると旧道が見えていました。



ああ~そういえば、
この峠を越えて降りてくる道は
こんな感じでしたねえ。

登りのゆっくりスピードに反して、
この辺は飛ばしまくって
いたような気がします。

で、この新しい道も、
もうこれでトンネルも終わりか
と思ったら、まだありました。

四郷第一トンネルと
書かれてあります。



これはまあ短いトンネルでしたが
四郷第二トンネルと続きになっていましたね。



この辺りは、自転車、歩行者も
通行可ですね。

さすがに歩道も少し広い感じでした。

おお~この辺まで来ると
山の景色もきれいですねえ、
中腹に家があったりして
何となく気持ちいいです。



自転車の乗ってる頃には
全然築かなかった感じですね。

もう少し下っていきますと、
新しく

「道の駅 くしがきの里」

というのができています。



駐車場の片隅に、
鍋谷トンネルが開通した時の
「貫通石」も飾られてましたよ。



地域の野菜に加えて、



手作りパンのお店もありましたね。



さっそく購入しておきました。

おいしいんやけどねえ、
ちょっと値段がdoironには
高級すぎるかなあ。

でもまあ施設も新しいし、
気持ちのいい施設ですねえ。

こうして鍋谷を今回は楽に
超えることができました。

前よりも15分以上は
時間が縮まったということですが、
精神的にもかなり楽になりましたね。

紀の川や金剛山も近くなりますし
いいんじゃないですか。

doironはこの後、
紀ノ川沿いを今後のウォークのための
調査にも使いました。





興味のある方、一度、時間のある時にでも
新しい鍋谷越えを楽しんで
みてください。

終わり