ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野街道、佐野よいよい おまけ

2013年05月31日 21時10分13秒 | ウォーキング

熊野街道の泉佐野~山中渓間を歩き終えました。

この街道の多くの部分は
府道30号線と重なっていました。

それは、和泉の井ノ口王子あたりから
そういう傾向になっています。

府道30号線、別名和泉泉南線ですね。

この府道の起点は
熊野街道の起点でもある
天満となっており、
終点が今回カメラの電池が切れた
泉南の岡中交差点となっております。

そのことからもこの府道が
熊野街道と切っても切れない関係であることがわかりますね。

ところで、この府道のことは
doiron近辺の人たちはみんな

「13号線」

と呼びます。

府道としては「30号線」なのになぜでしょう。

もしかしたら、昔は府道13号線と呼ばれていたり、
もっと昔は国道13号線と言われていた時代があったのでしょうか。

ということで、少し調べてみました。

そしたらなんと驚くべきことに、
この府道が「13号線」だった時代は
どこにもないのです。

そう、かつて府道13号線であったり
国道13号線であったことは
一度もないのです。

ではなぜ「13号線」なんでしょうか。

泉州地方を貫くもう一つの大きな道に

「国道26号線」

があります。

昔は、浜寺公園の前を通っていました。
今でいう府道204号堺阪南線ですね。
今は泉州マラソンで走る道です。

これが昭和の終わりころ、
今の26号線(通称:第2阪和)が
南に向かって延びていき、
そちらが開通してからは、
「国道」の称号はそちらに移りました。

したがって、今は第2阪和が国道26号線、
旧国道26号線が府道204号線
となっています。

それでも、地元の人々は府道204号線などとは決して言いません。
堺阪南線という人も少なく、
ほとんどの人が「旧26号線」と言います。

そう、泉州地方の人は26号という呼び名に
とても愛着を持っているわけです。

ということから考えて、
その「26号」の半分である
「13号」を、26号とほぼ並行して
山手を走っている道の
呼び名にしたのではないだろうか。

と冗談半分で考えていたら、
本当にそういう説があるそうです。

堺あたりで見ると
車線数が半分だからとか
道幅が半分くらいしかないからとか、
交通量も半分で総延長も半分
(実際は72キロに対し48キロと半分以上)だから
26の半分で13ということですね。
もし本当にそうだとしたら、
しゃれ好きの大阪人らしい発想ですねえ。

もっとも、そういうことを疑問にも思わず
平気で13号線と話しても
ちゃんと情報が伝わるということの方が、
「まあええやん」の泉州人らしい
といえるのかもしれません。

結局、なぜ13号線なのか、
いまも確定していないようです。

しかし、それはそれで
話が通じるから「まあええやん」ですよね。

よそから引っ越してきて、
府道30号線を「13号線」と
言えるようになることが、
もしかしたら泉州人になるための
第1歩なのかもしれません。


熊野街道、佐野よいよい5

2013年05月30日 21時29分38秒 | ウォーキング

大阪みどりの百選にも選ばれているのが、



「岡中の楠」



遠くの交差点からも見え、



近くの家々の屋根の合間からも見え隠れする巨木です。

幹の周りは12m、
高さは30mと
doironがこれまで見た中でも横綱級のクスノキです。



この楠のところが長岡王子という説がありますが、
岡中神社そのものが



王子というのならまだしも、
樹齢は800年だそうですから、
熊野詣が始まったころにはまだ幼木だったので、
その言い方はおかしいのではと思うのですが・・・。

いずれにしてもその巨木ぶりは
偉大としか言い様のないものでした。
大阪みどりの百選も侮れませんな
また、ほかもたずねてみようかな。

元の街道に戻り、
さらに先に進んでいきます。


振り返ると甍の上にクスノキが・・・

村はずれで金熊寺川を渡ると、



道は緩やかに登っていきます。

いよいよ山中渓に向かい、
この熊野街道大阪の
最初の難所にさしかかっていきます。

和泉鳥取の駅前には大きな鳥居があります。
これはここから1kmほど離れた
熊野街道をゆく人が
波太神社を遥拝するものですが、
この鳥居の根元に

「南無阿弥陀仏」

と書かれた石碑があり、
これが「長岡王子跡」であるとの説もあります。



この手前の池の堤にもよく似た石が
置かれてあるのを見ました。
そんなことも考えたら
感覚的ではありますが、
雰囲気的には岡中神社の方が
それっぽいなとdoironは思っています。

その鳥居のすぐ横に
下流で男里川へと合流していく

「山中川」にかかる

「山中橋」



が府道に架かっています。

この下あたりからが、
熊野街道の中でも屈指の難所

「琵琶ヶ岸懸(びわがけ)」

と呼ばれています。



今は川へ降りてゆく橋のたもとの階段は
地元の水利によって立ち入り禁止とされています。



ほかに入り口があるのかもしれませんが、
基本的には危ないので
入ってはいけないことになっているのでしょう。

この先の地名で「滑下」とか「滑石田」というように
“滑(なめ)”のつく地名が多いことからも、
この「琵琶ヶ岸懸」が
水量が多く、
滑りやすい岩で構成されていたんだ
ということが容易に想像がつきます。





そして琵琶の名前は、
水音が琵琶の音色のように
谷にビンビンとこだましていた音から
つけられたんだという説があるくらい、
このあたりの川の遡行は大変だったようです。

次の地蔵堂王子のところで、
ようやく普通の道に出てきます。

そこに王子があったのは、
難所を越えて
ほっと一息つくところだったのかもしれません。

現代ならなんの負担もなく
すいすいと通れる道がついてるものの、
当時はそういうわけにはいかず、
一つの難所を越えるんだという
強い意志を必要とする経路だったのでしょう。

その地蔵堂王子跡は
山中川を2回渡ったすぐ後に、
住宅地を左折したところの公園に
立札として建てられています。



手作り風のこんな案内板を見つけて
行ってみてください。



そして、いよいよ次が
この街道歩行の最後の王子跡である

「馬目王子」

歩道はあるものの、
車の通行量は結構ありますので
注意して歩行します。






思えば、このあたりはかつて
バイクでよく走りに来たところです。

当時、この道が熊野街道で、
道端にこんな「馬目王子跡」があったなんて、



まったく気づかなかったもんね。

しかしまあかつてはバイクで
結構いろんなところに
行ってるもんだと、最近つくづく思います。

さて今回の旅の目的はこれで終わりです。

後は山中渓からJRで帰宅、
というところですが、
馬目王子の少し手前に
こんなバス停がありました。



阪南市のコミュニティバスです。
これだと1回100円で
尾崎の駅まで乗っていくことができます。

南海電鉄井原里からきた旅を
また南海で帰るには
ちょうどなのではと思い、
時刻表を見ると
あと10分ほどで来ることになっています。

これはナイスです。



もしルネから走りに来た人が
ルネに戻るにはこのバスが最適でしょう。

時刻表を要チェックです。

バスは、住宅街やあぜ道っぽいところの
阪南市のめちゃマニアックなコースを通るので
それも見ものでっせ。

最後は尾崎の駅について
南海電車で帰りました。



歩行時間は5時間。
寄り道を入れて約14キロの旅でした。

熊野街道、佐野よいよいシリーズ本編はこれにて終了。
走るときの参考になったでしょうか。
明日、もういちどだけ「おまけ」をアップ予定です。

これで大阪府内で残るは岸和田~泉佐野間と
和泉~北畠間となりました。

あと3回の歩行旅が必要でしょうね。

気候が良ければ1コースだけでも
夏までにと思っていますが、
梅雨にも入ったし
秋になるかもしれません。

なにせ、気ままに暮らしているdoironです。


熊野街道、佐野よいよい4

2013年05月29日 21時10分53秒 | ウォーキング

ここんとこ歩くときには弁当を持参していましたが、
今回はちょっとお休み。

(実はご飯がなかったんだよう~

それに今回のコースは、
山方面ではなく街中でもあるから
コンビニもあればレストランもあるだろうと思い、
弁当は持参しなくてもよかろうと判断したわけです。

ま、それはそれで荷物も軽くいいんですけどね。

ちょうどお昼過ぎに
砂川の駅前にさしかかったので、
店を探してみたら、
ちょっとこじゃれたカフェがあったので入ってみました。

こんなお店です。



店の中は無断撮影はあきませんね。

店内には平日だから予想どうり年配の客が多く、
しかも山から下りてきたような
高齢者のグループが大きく陣取っています。

もうひと山登ってきたんでしょうねえ。

doironが注文したのはここのスペシャルランチ。



おや~、写真の片隅にビールが・・・小ビンですから

昼間っから歩いて歴史探訪してビール。
これはもう最高ですな。
質素倹約の暮らしではありますが、
たまにはこんな豪華レストランもよかでしょう。

これまでの踏跡を地図で確認し、
これからの予定もチェックしつついただきました。

食事の後は昼寝・・・なわけはなく歩行再開です。

ここでは40分間の休憩となりました。

次に目指すのは「信達王子跡」です。

元の街道に戻って進んで行きます。





鳥居のない「大鳥居」という交差点を越えたら、
右手にこんもりしたところが見えてきます。

それが「後鳥羽院御幸記」や「大阪府全志」にも
記載のある「信達王子跡」です。



石仏がたくさんあり、
資料にはどれが王子跡を示すものなのかはわかっていない
と書かれてありましたが、
ここでは馬頭観音



と地蔵菩薩が特徴的であると書かれてありました。

バイクの練習をしたら気持ちよさそうな、
ジェットコースターの道を行くと、



その先で、大きな交差点に出ます。



と、ここで交差点の写真を撮ろうとしたところで
カメラのバッテリーがなくなってしまいました。
急きょミセスのを借りて持ってくるようになったので、
充電がいささか足りなかったようです。
でもまあ、いまは携帯という便利なものがありますので、
ここからはそれに切り替えて撮影です。

予定も終盤にさしかかってるしね。

交差点の隅っこに、道しるべが3つ建てられてありました。



それに沿って、街道は左にカーブをしていきます。

林昌寺への参道を示すこんな道標を過ぎ、



JRのトンネルの下には、こんなくつろぎ空間が・・・。



地元のお年寄りの休憩所なんでしょう。

doironの村にも、今は亡きM子さんが
いつも座っていた「M子石」や
Kさんがいつも電動車いすで行き来していた
「K路地」などがあります。
そんな感じのスポットなんでしょう。

そしてその先にはこれ。



背後に見える山すそが、
この道標の対象となる「愛宕山」ですね。

時間的に立ち寄るのは難しいので、
いずれも軽く確認だけして過ぎていきます。

あ、いずれもというのは林昌寺と
トンネル下の椅子も座れるかどうかは
確認していないということです、あしからず。

道は村中の入り組んだ路地になっていきます。
人けはないのですが、
歩いているとなんだか見られているような気が・・・。

見上げると、いました、いました。
このブログではおなじみの鍾馗様ですね。



でも、今回はじめてこんな飾り屋根を見ました。



鳥ではありません。
別のを拡大してみますと



これまでの鍾馗様はどれも、
切妻屋根の“妻”の部分や
軒下に掲げられていましたが、
これは屋根の上にいました。

なので遠いため、形がよくわかりません。

これからは街道歩きには双眼鏡も必要かもね。

写真にとって持ち帰り、
拡大してもはっきりしません。

なんか、背中に羽のある天狗のようにも見えます。

で、いろいろ調べてみました。

三州瓦の生産で全国トップを誇る
愛知県高浜市には「鬼みち」という散策路があるそうです。
その道の途中の屋根の上に
「カラス天狗」が飾られているそうです。

カエデのうちわを持ち、
頭には頭襟(ときん)、
背中には羽根があります。

その姿と言い、座っている位置と言い
どうやら、今回見つけたのも
「カラス天狗」ではないでしょうか。

機会があれば再度確かめに行きたいと思いますが、
ちょっと遠いですね。
誰か知っていたら教えてください。

そんな屋根を見上げていると、
屋根と屋根の隙間から、
村の奥にある大きな楠の葉むらが見え隠れしています。
それが諸説ある長岡王子の推定地のひとつである
岡中神社の大クスです。

実は先ほどの岡中の
交差点の写真にも
よく見るとすでに
その大きな樹冠が写っておりました。

近づいてみてその大きさにびっくりしました。

このシリーズ、あと1回続きます。


熊野街道、佐野よいよい3

2013年05月28日 21時32分35秒 | ウォーキング

街道は泉南市から阪南市へと進んでいきますが、
タイトルは今回の始点が泉佐野だった
ということで、そのまま佐野よいよいと続けます。

新家川を渡るとそこには
泉南市の古代史博物館・埋蔵文化センターがあります。



それは、その向かいにある
一岡神社横の海会寺跡と



その出土品の保存のために
建てられた施設のようです。

国の重文級の出土品が
わんさか展示されているそうですが、
今回は時間がないため立ち寄りませんでした。

その先の交差点にも
熊野街道の道しるべが建てられてあります。



しかし、この道しるべも
立てた時は目立ったのでしょうが、
次第に風化して
早晩文字も読めなくなりそうです。

熊野は木の文化のため
遺物が少ないのですが、
せめて現代の道標は
石で残してほしいですね。

その道しるべを左に行くのが街道ですが、
右に曲がってゴルフ場のネットを目指します。

すると300mくらいで
厩戸王子跡に到着します。



普通、厩戸の王子と言えば
聖徳太子を指しますよねえ。

先ほどの海会寺にある伽藍配置が
法隆寺のそれと同じで、
西暦600年ころに
聖徳太子によって建立されたもの
であることがわかっています。

それにちなんで、
この地にある王子を

「厩戸王子」

としたということなのかと
doironも最初は思ったのですが、
どうやら馬戸や馬留の表記が
昔の資料に見られることから、
ここは単純に熊野詣に伴った
馬の厩舎なんかがあったということなのかもしれません。

樫井川を苦労して渡った馬を、
ここでねぎらってあげたということなんでしょうか。

後鳥羽上皇の熊野御幸記では、
籾井王子で芸能を奉納し、
厩戸王子で宿した
と書かれてあります。

馬を休めるところがあっても
不思議ではありません。

「厩戸王子」でいろいろ思いを巡らせてから、
もう一度元の道に戻って、
道はいかにも街道然とした
古い道を進んでいきます。

泉佐野には独自の道標は見られませんでしたが、
泉南市はこんな道標や案内板を作っているようです。



一丘団地をすぎていくと・・・あれ?待てよ。
先ほどの神社は確か
「一岡神社」そしてこのあたりは
「一丘」地区。

微妙に字が違うぞ。

と思ってもう一度神社での写真を見返してみると、
入り口の石碑は「一“丘”神社」で
境内の掲示は「一“岡”神社」になっております。



地図やホームページでは“岡”になっており、
どうやら最近は
後者で表記されているようです。

ま、どちらでもどうぞみたいな、
好きな方を選択してください的な感じですかね。

疑問が解決したところで
(何にも解決してないけど・・・いつまでもかまってられないので・・・)
またテクテク進んでまいります。

そして、厩戸王子から歩いて
15分強で信達宿本陣に到着しました。







本陣というのはたしか前にもありましたねえ。
そう、「おおっ!?、紀州街道」
で登場した泉大津助松にある

「田中本陣」。

江戸時代参勤交代の休憩所や
宿泊所として用いられた場所です。

熊野街道もここでは
紀州街道と同じ道となっています。

紀州の殿様が
参勤交代で立ち寄ったのが本陣で、
ここは「信達宿本陣(したちしゅくほんじん)」
と言われてます。

江戸時代のことですから、
熊野詣の振興にともない
発生したものではありません。

ここで、スタートしてから約3時間経過しています。

ところで、泉南砂川ということで
連想されるのはなんでしょう?

ゴルフ場。そうですねえ、
泉南パブリックなんか行ってみたいですねえ。

たしか砂川国際とかいうところもありましたっけ。

花でいいますと、藤の花が有名ですね。

一本の木に3万五千以上もの花をつけるという

「のだ藤」。

それが、この街道沿いにありましたのだ。



その時はもう花のシーズンも終わってましたが、
咲いている時期だと
大勢の人々でごったがえすそうですのだ。

とまあダジャレなんかを言ってるうちに
お腹もすいてきたところで、
砂川駅前にさしかかりました。

今回は弁当はいれてなかったため、
ちょっとよさそうなカフェに入りました。

どんな食事をしたのか、
ビールは飲んだのか。


次回に続きます。


熊野街道、佐野よいよい2

2013年05月27日 21時38分44秒 | ウォーキング

ぱりぱりとおいしい焼きたてカレーパンと



缶コーヒーで一息ついて、さあ再び出発です。

車もあまり通らない広々とした道を歩いていくと、
学校の手前右側に

「八丁畷地蔵」

があります。



いわれはよくわかっていないそうですが、
泉南砂岩で作られた
約600年前の地蔵が見所です。

ここんところ、泉南の山をほっつき歩くことが多く
前日もお菊山あたりをウロウロしていたdoironが、
そんなときにガレ場などでよく目にしていた岩でできてるんですねえ。
そうそうテレビ取材のあった
熊取の山もそんな感じでした。

ところでなぜ「八丁畷」なのか
それはそこの案内板には書かれていなかったのですが、
「畷(なわて)」はあぜ道、
八丁は約900mの長さを表すことから、
このあたりは今も昔も
広い田畑地だったんでしょうね。



ため池のあるのどかな道を往くと、
大坂夏の陣でこの近くで討死した
「塙団衛門」の墓に出ます。



立派な五輪の塔のお墓で、
地元の人に大切に守られているという雰囲気です。

五輪塔はたいていは供養塔として建てられるもので、
ここでは一番下の四角の長い
長足五輪塔となっているのに注目です。

そこを過ぎると、次は樫井(籾井)王子なんですが、
前もって調べておかないと
全く案内もないし
街道からも見えないから、
見逃してしまいがちです。

実は街道沿いの「いずみモーターズ」という
自動車屋さんの奥の家の庭に
その石碑が建っています。

自動車屋さんの従業員(社長?)に声をかけると
こころよく「どうぞ~」と言ってくださり、
洗車をしていた若者が
とても親切に案内をしてくれました。

家の門を入って、すぐ左に小さな小道があります。



それを通っていくと、そこに
「籾井王子之跡」と書かれた
大きな石碑が建っていました。



この籾井王子跡の石碑はここにありますが、
王子そのものは
今は26号線のそばの
日枝神社に合祀されているそうです。
石碑にも籾井王子と刻まれているので
以後はそう記します。

写真撮影をした後、自動車屋さんに
丁寧にお礼を言って立ち去りました。

道は古い家並みを縫うように続きます。





そうそう、この辺りには
しめ縄をつけたままの家が何軒かありました。
三重県の方には年中しめ縄を
あげている地域があるそうですが
この辺りも何かそういう風習が
あるのかもしれません。
街道を通じて伊勢路の方から伝わってきた
ということではないのでしょうかね。

さて籾井王子から5分くらい歩くと
淡輪六郎兵衛の墓である宝篋印塔があります。



先ほどの塙氏の墓は五輪塔でしたが、
こちらはもう少し造りの凝った宝篋印塔です。

五輪塔と同じく供養塔として建てられるものです。
この淡輪氏も先ほどの塙氏と同じく
大坂夏の陣で討死した人ですが、
一緒に戦っていたのが
これまた前日に行ってたお菊山の
山名になってるお菊の夫であったことには
少々因縁めいたものを感じました。

建てられていた説明書きによると、
この塔は400年ほど前のものであるとのことですが、
どう見てもそんなに古くありません。

で、よく見ると説明書きの下に、
残がいのように残っている
黒ずんだ塔が置かれてありましたので、
どうやらそれが当時のものなんでしょう。

その淡輪氏や先ほどの塙氏の
激戦の後として石碑の残っているのが、
その先の樫井川にかかる
明治大橋のたもとにある



「樫井古戦場跡」

です。



ここの由緒書に出てくる
先の塙氏の討死の様子は
悲惨なものであったことが伺えます。
戦国時代に産まれなくてよかったですねえ。

で、このあと明治大橋を渡り、
また新家川にかかる明治小橋を渡るのですが、
ここでふと疑問を抱きます。

今でこそ橋が架かって
簡単に渡れる川ですが、
小川のような小さな川ではないので、
当時はそれを渡るのは
それほど簡単ではなかったはずです。
時期を選ばないと難しかったと思われます。

地図を見ると、川はこのすぐ下流で合流しています。
合流後の川を渡れば、
1回の渡河で済むのにと思ったら、
よく調べると案の定、
現在このあたりで
街道は消失しているとのこと。
さすれば、この後の
厩戸王子跡の位置が正しいのだとしたら、
そことの位置関係を考えると、
道はもう少し下流側を
通っていたのかもしれなません。

とはいえ、そんな道は今はありませんから、
仕方なく道をつなげるために、
便宜的に明治大橋を渡り、



一岡神社へと下っていきます。

するとこのあたりから、
風の向きやにおい、
空の色が一気に変わるような気がするのは、
気のせいでしょうか。

doironがそう思うのは、
昔、トライアスロンの練習ではバイクで、
萩のための練習ではランで、
このあたりに来たときに、
急に風向きが変わったり、
においが変わったりした記憶が
体に残っているからなのかもしれません。
走る人はその辺を
少し意識してみてください。

もうすぐ厩戸王子です。
そして道は泉佐野市から泉南市に入っていきます。

続く。


熊野街道、佐野よいよい1

2013年05月26日 21時40分43秒 | ウォーキング

熊野街道も和泉と大阪市内を歩き終えましたが、
大阪府内で歩いていない部分もまだまだ残っています。

地図を見ながら次はどこに行こうかと考えていたら、
来月ルネで井原里~山中渓間を走る
街道マラニックをする予定であることを、
kaisanのブログで知りましたので、
何かの足しになればと
doironも前もって歩いてみることにしました。

日にちはお菊山に出かけた翌日の16日。

その週末は山に行くし、
暑さのことを考えたら
早い方がいいだろうと
連チャンで歩くことにしたわけです。

さすがに二日続けて弁当入れるのもどうかだし、
今回はある程度の街なか歩きだから、
どこかお店で食べることにしました。

荷物は山歩きのリュックとは違って、
街道を歩くときの定番ショルダーに
いつもの地図と資料、
それと水とカメラを持って出発です。

この時、新しいカメラは
テレビ出演料を当てにして、
すでに発注済だったのですが、
新色を頼んだので入荷待ちの状態でした。

なので今回は、急遽ミセスのカメラを借りていきました。

街道歩きにデジイチは
さすがに重くてたいそうやからね。

義母さんのお世話が済んだ頃を見計らって出発。

松ノ浜9時前の電車に乗りました。

この春に歩いた紀州街道の佐野までのコースを
右手にしながら、
あの時あんなに時間がかかったのに
電車だとあっという間に井原里へ到着です。



電車を降りて、歩き始めたのは9時26分でした。

その昔、千亀利マラソンでも通った
南海電車下の府道20号線を
山の方を向いて歩くと、
およそ5分で佐野川の交差点。



その少し先を右に行くのが熊野街道です。

最初に目指すのが「佐野王子」。

佐野川橋で府道と合流してから左折し、



しばらく行くと日進小学校があり
その先の鉄塔のところを
斜めに左折します。

その先の道しるべのある四辻を



一旦右に曲がって、
20mも行くと植込みがあり、
その中に佐野王子の石碑が建っています。





今回はこの王子跡を含めて
7つの王子跡をめぐります。

26号線との交差点は
中央分離帯があるので
手前の市役所前交差点を渡ります。

ここにある道しるべは、



とぼけた男性のイラストが看板になっている
メガネのヨシノさんが寄付したようです。

佐野高も過ぎ、しばらく行くと
名前にいわれのありそうな市場町にさしかかり、
交差点に立派な道標を見つけます。

で、その市場の名前の由来はといいますと、
このあたりに今はもう焼失してしまってないのですが、
昔には檀波羅蜜寺という大きな寺があったそうです。

その寺の門前で、
市場が発達し、
毎月2と7の日に市がたったといわれています。

その名残をとどめているのが「市場」
という町名なんだそうです。

では、その檀波羅蜜寺は
どこかに名残をとどめていないのかというと、
これがとどめているのです。

市役所の少し西にある公園が

「ダンバラ公園」

といわれているのがその名残なんです。
地元の人もあまり知らないで
なぜ「ダンバラ」などという変な名前なんだと
思っているんじゃないでしょうか。

訪ねてみて、疑問を持って調べると
いろんなことがわかってくるんですねえ。
毎日何気なく見ている景色の中に
思わぬタイムカプセルが潜んでいたりするもんなんですね。


さて街道に話を戻しますと、
その交差点の立派な道標は、

「市場の道標」

と言われてます。

まず今の道に沿った面には和歌山へ向かうという
「すぐ和歌山道」と書かれています。



そして北側の面には、
浮彫のおちゃめに指をさしている手と
「ふどうみち」という文字があります。



ここで「ふどう」といえば・・・そう犬鳴不動ですね。
犬鳴山を越えて
粉河に至る「粉河街道」へと向かう道です。

そして東側の面には、
不動さんから降りてきた人が
佐野に向かう方角を指して

「右 さのみち」

と書かれてあります。



そして残りの面には道標建立の年月。
「明治三八年三月」とあります。

なかなか立派な道標で、
108年経って今も機能しています。

空連道手前の私設バラ園で目を癒し、



空連道を渡ると、



虫籠窓のある古い家や



土塀のある、いかにも街道っぽい道になり、



先ほどの粉河街道と
阪和自動車道との交差点近く、
つまりここから少し離れた
新旧交通の要衝が交わるところの近くにある

「日根神社」

の御旅所に到着します。



この日根神社は全国でも珍しい
「まくら」の神様で、
毎年5月に「まくら祭り」が行われ、
神様が地区を巡行するのですが、
この御旅所に来たときに
ここで神事を行うんだそうです。

神様が立ち寄るところというのが、
本来の「御旅所」の意味なんです。

南の池公園につきあたったところで
ぐいちに道を曲がると、
道路を隔てたガソリンスタンドの横にコンビニがあります。

そこで、焼きたてのカレーパンを買い
しばし休憩してから、
また歩き始めます。


おいしそうなにおいがしてきたでしょ~

ここまで約1時間半が経過しました。

続く。


夢は大きく、お菊山 おまけ

2013年05月25日 21時25分10秒 | ウォーキング

おまけその1

近場の里山トレッキングを
ちょこちょことするようになって、
図書館や古本屋さんで
そんなコースのことを書いた本を
手に取ることが最近多くなった。



これは前にも紹介した本。
ほかにも、こんな本が古本屋で200円。



そして、これは図書館で借りたもの。



そんなのをつぶさに読んでいると、
面白いことが書いてあった。

滝ノ池周辺はなんと化石スポットとして有名なんだそうだ。

そういえば子供の頃、
学校から鏨を持って掘りに連れて行ってもらったことがあった
のを思い出した。

同級生が貝の見事な化石を見つけたのが
うらやましかったなあ。

そういえば
お菊山の帰りに見かけた崖には
地層がくっきり出ており、
断層の形なんかもよくわかった。
今、話題の活断層もくっきり!?
化石探しには
あんなところを掘ればいいのかなあ。



地学マニアにはよさそうなところである。
でも、最近歴史マニアになってはいるが、
化石にまで遡るつもりはないけどね。

おまけその2

山頂周辺にはササユリが自生しているそうだ。



こんな看板も見かけた。
淡いピンクの大柄な百合の花は、
山の中ではいやがうえにも目立つもんな。

でも街で咲いてたとしても
全然目立たないよ。
もっと派手な花がいっぱいあるもんね。
自然の中にあるからこそ輝くんやろね。

この地域では、
昔ヒメハギやシュンランもよく見かけた記憶がある。

今度時間のある時に、
和泉山脈東部の山の植物の生態について、
ネットで探ってみましょうかね。

おまけその3

今回のトレッキングでは、
前もって調べてはあったものの、
小さな谷が入り組んでいて
地形が読みにくかった。
そんな時に役に立ったのが、
赤い目印だ。
時には赤いビニールテープであったり、
赤いネットを結びつけただけのもあった。



登る人が少ないのと、
イノシシがミミズ採取のため道を掘り返すので、
時々道が消えてしまうところがある。
だいたいの痕跡はたどれるけど、
さっぱりわからなくなるところもある。
そんなときはやはり赤い目印を探してしまう。

色はほかの色でもいいの?って

やっぱり「赤でしょ!」

で、そこでだ。
今回の山でも単独行3人と
二人組1組と下山時に出会ったが、
団塊の世代で時間を持て余して
山に行く人も多いだろう。

時間が余って、余ってという人は、
そんな赤テープ巻き、
もしくは簡単な道案内づくりをしてみてはどうだろうか。

自分の体力維持にはもちろん、
人の役にも立つしいいと思うんやけどね。
完全退職後は何をしようかなあ
と言ってた首Dさんにはとりあえず勧めておきました。
何をしようかな、などと言わず
夢は大きく、たくさん持ちましょうよ~

え、ならお前が案内づくりをやれよって?
う~ん、できるかなあ。
こんな看板やったらつけてもいいなあ。
まったく同感だし。(お菊山にて)


お菊山はこれで終わりです。
明日からは、この翌日に行った、
熊野街道の新シリーズを始めます。


夢は大きく、お菊山 後編

2013年05月24日 21時03分18秒 | ウォーキング

お菊山へと西に向かう稜線は、
軽いアップダウンが続く気持ちいい道だ。



少し前に友達がトレイルランで走ったコースである。
思わずdoironも走りたくなったが、
小さな生き物の存在がそれを阻んだ。
風に揺られてプラプラ動く小さい生き物なので、
なかなか写真にとりにくい。
ようやく何とかわかるかな?程度に
撮れたのがこれ。



赤い矢印の先にぶら下がっているのが

毛虫

暖かくなり始めの今が
ちょうど季節なんだろうね。
こんなのがいくつもいくつもぶら下がっていたよ。
ガードレールにもいっぱいついていた。



まるで、珍百景・・・もういいか。

針のような毛が生えたのもいれば、
尺取虫みたいにうごめくやつらもいる。

今回持ってきた登山用のステッキが大活躍したよ。

それでも、見落として突っ込んでしまうので、
ふと気が付いたら腕のところで這ってたり、
太ももでごそごそしていたりした。

幸い背中に入った奴はおらんかったからよかったものの、
帽子はもう必需品である。
5分に1度くらいの割で
首Dさんと、体の前後を目視で確認し合った。
人があまり来ないコースは
そういうところが困ったもんだ。

それにしても、なぜ毛虫って
あんなにプラーンとぶらさがるのだろう。

葉裏でじっとしてたら
鳥に襲われることもないだろうにねえ。

そんな毛虫に注意を払いながら
ようやくお菊山山頂に到着した。


烈女お菊の石碑があり、少し広くなっている


標高は320mだそうだ


関空方面への眺めは抜群



時刻は12時10分。

歩き始めてからちょうど2時間だった。

ここで昼食となる。

今回もお弁当を入れてきた。
これ。



テーマは、やはりトレッキングだな。
そんなお弁当に加えて
首Dさんが、保冷材の入ったクーラーバッグに
ビールを用意してきてくれたし、
さらに、ガスコンロも持ってきて、
ラーメン(マルチャン正麺)まで炊いてくれた。





ビールがもう少しあれば、
宴会となるところだったぜ。

ところで、この山はなぜ、お菊山なのか。

とそれを書き始めると
長くなるので省略するが、
とにかく秀吉の戸籍上の孫にあたるお菊さんが、
この山で男装して切った髪と鏡を
松の根元に埋めたといういわれがある。

その当時の松は今はもうなくて、
地元の人が植樹したりしているものの、
松くい虫にやられて根付かず、
今回行った時も石碑の横に植え替えられたような
若い松が立っていた。
今はそれが「お菊松」なんだそうだ。

当時の松が残っていると思ってきてみたら、
山頂付近にはいっぱい松があるため、
一体どれやねんとなるところである。

そんな山頂に限らず
この山域は秋には松茸山となるくらいだから、
赤松がたくさん自生している。
なのでシーズンには、
立ち入りが厳しく制限されることになる。



今回登ってみて思ったのは、
お菊松に限らず、
そんな多くの松が、
今は松くい虫によって大変な被害を受けているようだってことだ。

こんな立派な松も、すっかり枯れ、



なかには枯死して風雨に耐えられず、
倒木となっている松もあちこちで見られた。



松茸は大事に監視されてきたけど、
まさか松がやられるとは
山主の方もきっと戸惑いを隠せないだろう。

烈女お菊もあの世で悲しんでいるかもね。


昼食を含めて40分間の休憩をし
12時50分から下山を開始した。
山頂から5分で、分岐に出るのでそこを右折。





馬の背を下っていくと、


道はやがて谷へとはいっていく。
雨の時期はちょいとこの道は歩きにくいだろう。

40分ほどで右に立派な池ノ谷橋に出るので右折し、
立派な車道を歩く。
高速の高架道路の手前で
右折道を間違えて20分ほどロスをしたが、
何とか元の新滝ノ池に出たところで



時刻は14時50分。車には15時ちょうどに到着した。

合計4時間50分。
実動約4時間の適度な汗をかきました。

帰りの車の中で、これからもいろんな山に
ちょこちょこ行こうと、
首Dさんと夢を大きく膨らませた
お菊山トレッキング

これにて終わりです。


夢は大きく、お菊山 前編

2013年05月23日 21時28分39秒 | ウォーキング

5月15日。

三年前のこの日は、
ちょうど山のバイクで大転倒をした日だ。

あの時はヘルメットは割れ、
背中を痛め、あちこち傷だらけになった落車であったが、
大きな後遺症もなく
よくあれだけで済んだなと
今になってつくづく思う。

それは、その半年後に出会う、
宝塚での悪夢の前触れだったのかもしれないけどね。

でも、まあすべて何とか乗り切ってきた。
両親4人の介護のために、
神様が生かせてくれてるんでしょう。
と、そんな感慨に浸りつつ、
今は当時思いもしなかった境遇で
介護を続け、それでもそんな日々の中にも
楽しみは逃さないdoironなのであった。



その日には、会社を休んで山に行こう
と言ってくれた首Dさんを案内して、
泉南のお菊山に行ってきた。

この方面に出かけるのは
この春すでに4回目だ。

1回目は殿尾山トレッキング。
2回目は滝ノ池周辺めぐり。
3回目はそのコース横のゴルフ場で悪戦苦闘。
そして今回のお菊山トレッキングだ。

そういえば、昔はトレッキングのことを
山登りって言ったよなあ。
いつから「トレッキング」といいだしたんやろねえ。
登頂にこだわらず、
山の中を歩き回ることを意味する言葉で、
オーストラリアではトランピングともいうそうだ。

要は山の中をほっつき歩くことやね。

親父がショートステイに出かけた午前9時30分に
首Dさんの愛車が迎えに来てくれて出発した。
もうずいぶんと通いなれた道である。
今回のトレッキングでは
新しいことをいくつか試してみた。

ひとつは、最近泉南方面には熊は出ないが、
イノシシがよく現れるらしく、
いきなり遭遇するのは危険なので、
こちらの存在を知らせつつ歩く必要がある。
かといって、カウベルはちょっと耳障りなので、
よほどの時しかつけたくない。
なので、これ。



ジャラジャラと音をたてて踊る
ベリーダンスでミセスが使うこれを装着していった。

というのはウソです。

この画像が面白かったので
載せてみたかっただけだよ~。

本当に試したのが、これ。



伸ばすと~



まだまだ伸びるよ~

以前に買ってあったのですが
実際の山で使ったことがなかったので、
今回が実質初使用である。

これはなかなか良かった。

登りはある程度力を腕に分散できるし、
下りも歩行のタイミングをとりやすい。

どうしても手を使わないといけないような、
岩山部分が多いところには不適だけど、
里山クラスのトレッキングにはぴったりだと思う。

それと、他には、
リュックのショルダー部分に、
ドリンクホルダーと小物入れを工夫してつけてみた。



トレイルランのスタイルをまねてみたのだが、
これもいちいち荷物を降ろさなくていいから
かなり便利であった。

ドリンクホルダーは水分補給を欠かせず、
体が硬くて背中のリュックに刺したドリンクを
簡単に取れないdoironには、
最適の方法だろう。

また小物入れは、
折りたたんだ地図と
筆記具と活動量計を収納してある。
ブログネタの記録には欠かせないアイテムだ。

とまあ、そんないでたちと装備で
いいお天気の中を出発した二人であった。

時刻は、午前10時10分。

首Dさんはこのコースは初めてなので、
新滝ノ池の広々した景色を喜んでいた。

前回一人で歩いたときのコースタイムより
ややゆっくり目のペースである。

一人で歩くときは
どうしてもペースが速くなるからね。

滝ノ池の突き当たりの
いよいよ登山道が始まるところまで
35分をかけて歩いた。



ここから尾根までが
本コース中の最大の急登である。

はあはあと登り終えた首Dさんは、
「たかだか標高300m位の山だからと
侮っていたけど、意外にきついなあ」だって。

きつければきついほど
上に上っているということで、
景色は一気に山から街を見下ろすようなアングルになる。



前回は60分で登った鉄塔までの道を、
今回は70分かけて登った。

ここがその鉄塔の場所。



前回は殿尾山を目指して直進したが、
今回は右折してお菊山を目指す。

ここからは稜線だから
後は楽チンと思っていたのに、
この後、二人は意外な生き物との苦戦を
強いられることになるのであった。

続く。


さあ、来い。夏!

2013年05月22日 21時20分32秒 | 生活

二日続けて最高気温が29℃台となった。
30℃も目前だ。
あっという間に夏が近づいてきた。

これまで、昼は仕事で家を空けていたので、
夏とはいえ電気代がかさむ要素は
家にいる両親のエアコンだけと少なかった。

でもこれからは違う。

出かけない限り家にいるわけだから、
クーラーつけっぱなしだと、
電気代もうなぎ上りだろう。
電気代も上がったしね。

かくなる上は、どこか涼しい場所に
避暑に出かけるか、
家にいるときは
できるだけ自然の風を取り入れて、
クーラーを使わないように
しなければなるまいて。

そのために今年はゴーヤに加えて
朝顔も植えたのだが


手前が朝顔、向こうがゴーヤ

風を通すための網戸が
かなりぼろぼろになってしまっているので、
それをDIYで張り替えることにした。

Doiron 
Iccho 
Yattaroka

の略ではない。

Do 
It 
Yourself 

である。

コーナンに行き材料はそろえた。

山に行ったときに、
遠Dさんのアドバイスしてもらった
網戸張り用の道具も百均でゲットした。



「さあて、やったろか」
と網戸を外しにかかったら、
いきなりつまづいた。

網戸のはずし方がわからないのだ。

対象となる網戸のある窓には、
外に格子がついている。
ということは中から外すのかと思い、
中に回ってみると、
内側のサッシを外さない限り
網戸を外せることはない。

え~、どうなっているの?
メチャメチャ手間やん。
心が折れそうになったが
もう一度外へ行って眺めてみたら、
ふむふむどうやら格子の横の
隙間から網戸を引っ張り出せそうだ
ということがわかった。



ならばと、脚立を持ち出してきて、
万全の態勢で外しにかかったが、
これがまたそう簡単には外れそうにない。

力づくでやればいけるかもしれないが、
ヤワなサッシじゃ曲がってしまいそうだ。

はてさてどうしたものか、
ともう一度つらつら眺めてみると
おや?サッシの上辺のところに
なにやら取り付けてあるネジがあるではないか。



さては・・・とドライバーを持ってきて
このネジをはずしてみた。
ところがこの時、
格子の中にある小さなネジなので、
ゆるめたところで、
コロコロリンとネジが外れて落ちてしまったのだ。

おりしもそこには、
数々の鉢植えがあり、
落ちた場所を見失っては大変だと、
ただでさえ大きい眼をこぼれんばかりに見開いて
落ちていくネジを
行方を目で追った。

よし、あの鉢の中に間違いない
と確認して、拾おうとすると

ななななな、なんと~
(どこかで聞いたな)

鉢の中にはダンゴ虫や
ヤスデがうじゃうじゃいるではあーりませんか。

したがって、そこでまた悪戦苦闘が始まり
かなり時間がたってから
鉢の横の地面に転がっているのに気づいたときは
げっそりしてしまいました。

とまあ、いろいろあったのですが、
そのネジを外すのは正解だったみたいで、
ようやく外した網戸を作業場に持ってくることができました。

ここまで、25分が経過していますって、
街道歩きみたいや。

その網戸を前にして、
まず最初に行うのが古い網はずしです。

ご存じだと思うのですが、
網戸の網というのはサッシの溝に
こんなゴムひもで



押し込んでとめられてあるだけなんです。



したがって溝からゴムを引っ張り出していけば、
網も簡単に外れるという仕組みです。

ところがねえ、
このゴムが長年の風雨にさらされ、
お日さんに照りつけられ
劣化してぼろぼろになっているんですわ。

網戸の網も劣化して破れてくるぐらいだから、
当然といえば当然なんですがね。

なので、ドライバーを使って、
ちびちびと外していくので
これがまた一筋縄、
いや一筋ゴムではいかないわけです。

そうして、ようやく外れた時には
作業開始後15分を経過していました。
だから、街道歩きじゃないって。

溝をブラシでゴシゴシやって掃除をした後、
しばらく天日で干します。
サッシなのであっという間に乾きました。



さ、いよいよ網張作業です。

まず、網をサッシの枠より10cmほど大きく切ります。
それをサッシにあてがい、



コーナー手前からゴムを
網ごと溝の中に押し込んでいきます。





押し込むのには先ほど紹介したこの器具を使います。




コーナーを曲がったら、
その先のコーナーまでゴムを伸ばして仮止めし、
できるだけ網がまっすぐになるように
注意しながら押し込んでいきます。
コーナーに近づいてきたら仮止めをはずし、
きちんととめます。

押し込むゴムはとてもよくできていて、
押し込むごとに程よくねじれて
強度を上げていくように見えます。

それを繰り返して、
元の位置まで一周したら
余分なはみ出した網を
丁寧にカッターで切って終わりです。

一つ目のサッシはかなりいびつな張り方になりましたが、
二つ目からはコツがわかって
結構ピンとうまく張れました。



何事も経験ですねえ。

さあ、これでゴーヤと朝顔も植えたし、
網戸も万全です。
今年の夏は自然の風を
できるだけ取り入れて、
エコな暮らしをしたいなあと思っておる次第です。