ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

夏の宿題 電プレ 1

2014年07月31日 20時44分18秒 | ウォーキング

さてもう一つの宿題です。

電柱に貼り付けられたプレートに
書かれた地名の謎を解き明かさねばなりません。

さっそく、手始めにその電柱プレート
(以下「電プレ」)とやらをウオッチングすべく、
近所をぶらぶら走ったり歩いたりしてみることにしました。

これがdoiron家に
いちばん近い電柱に貼られてあるもの。



どうやら上が関電の電プレで、
下がNTTの電プレのようです。

ん?でも関電の方が地名が
「チハラ」と隣村の名前になっているぞ。

NTTは正しい表記なんやけど。

もしかしたら、関電の方は
その電気がどこの変電所?からきているか
によるということなのかもしれません。

少し西側の電柱の関電表記はこうなっていました。



おお~「キタソネ」とは、現在の住居表示にはない、
字(あざ)名を使っています。

ではこれはどうでしょうか。



どちらの電プレも「スケジュウ」となっています。

こ、これは一体何の事じゃ?
スケジュウルでもないしなあ
もしかして
「スケベな住職」?
いやいやそんな見た目ジダンのような
怪しいものではなかろう
と、いろいろ推察してみました。

他で「キタソネ」などという字名が使われているぐらいですから、
昔からの地名に由来していることも考えられます。

するとその答えが別の電柱にありました。



その電柱の下のNTTの電プレによりますと、
「スケジュウ」は「助住」のことで、
正しくは「助松住宅」のことを言うようです。

子供の頃、池を埋め立てたところに
建てられた住宅地のことを
たしかそう呼んでいた時期があります。

でもここでまた、疑問がひとつ

上の関電の電プレの
「アサヒホウソウ」とはいったいなんじゃらほい?

う~ん、枚数を重ねて見れば見るほど
混迷の度合いが深まっていきますが、
とりあえず周りの通行人に不審がられながら
撮った写真をもう少し見てみましょう。

これは「マツエキ」とあります。



位置的に見て「松ノ浜駅」ということになるでしょう。

NTTは「曽根」の管内ということですね。

これは、NTTの電プレしか貼られていないので、
電話専用の柱ということですね。



おっと、これはこれまでのものと
上下が逆です。



調べて見ますと、
上にある方がその電柱の所有者
ということのようです。

この場合は、NTT柱に電線をつなげているようです。

あれ?この表示の「逆潮流あり」
とはどういうことでしょうか。



新手の津波情報?

いえいえ、その答えも、
春木川を歩いている時に見つけました。

これ。



そうです、太陽光発電をされている家に
つながっていて、売電をされるときがある場合に
この電プレが貼られるようです。

こうして、見て歩いているうちに、
二枚の電プレから読み取れる情報も増えてきました。

ただ、「アサヒホウソウ」は意味がわかりません。

それと、これもわからない電プレのひとつです。



「北国道」とは一体どういう意味なのか。
そんな街道はこのあたりで聞いたことがありません。

この「北国道」の電プレは
ジダンがいつも通るはずの道にあります。

この場所はわかりますよね。
わからない?
いや~そんなことはない。
絶対わかるはずです。

この電プレの比較的近くです。



見つけてもらいましょう。

そしてきっと彼はその意味について、
考察してくれるでしょう

doironは以上の実態調査の結果と
考察及び取材を踏まえて、
ジダンが河内長野の山中で見かけた
電プレに関する宿題の回答を次回に掲載します。


梅味噌!

2014年07月30日 21時11分15秒 | 生活

夏の食材といえば、「鱧」。



先日、義父のお葬式の後、
身内だけで食事に行き
鱧を食べてきました。

クーラーの効いた部屋で
つつく鍋もまた最高です。



義父の思い出話に花が咲き、
とてもいい供養になりました。

夏はよく冷えた水ナスなどもおいしいですねえ。

そんな話を先日ジムでしていたら、
トレーナーの人が
「我が家で夏によく食する自慢の梅味噌があるので持ってきたげる」
といって、こんな入れ物に入れて持ってきてくれました。



なんでも、味噌に砂糖を入れ
梅を漬けこんだものだそうです。



早速いただきました。

先ずはモロキュウではなく、
梅味噌キュウ。



「ちょっと砂糖を入れすぎたかな」と
製作者が言ってたように、
甘みが思ったよりもあります。

でもさっぱりしたキュウリにピッタシでした。

そのあとは、冷奴にかけてみました。



これが絶品。
まるで、冷奴のための味噌って感じ。

え~、痛風持ちの身としましては、
こうして野菜やヘルシーな食事をすることで、
改善もできればなお結構ですな。

ということで、
今度は豆腐作りかなあなどと、
脳味噌を刺激された梅味噌、

とても美味しゅうございました。


2014土用の丑

2014年07月29日 22時06分53秒 | 生活

今日は2014年の7月29日。
火曜日ですが土用です。

で、土用の丑の日に
ウナギをいただくという風習なのですが
この風習には、昔々、
あのエレキテルで有名な
平賀源内がいっちょうかんでいるそうだ。

商売がうまくいかないウナギ屋に
何とかなりませんかと相談された源内が
これを店の前に貼りなさいといって出した紙には
「土用の丑にはうなぎを食すべし」
みたいな文書が書かれていたそうだ。

おかげでそのうなぎ屋は生き返ったとか。

で、今日がその土用の丑ということで
普段ほとんど食べないウナギが
今日はdoironの食卓にも上がった。

これ



まるでウナギの惑星に
朝日が昇るような写真になってしまいました
これを適当な大きさに切って
再度かば焼きのたれで味付けし
ご飯に盛った。



これで、かば焼き丼の出来上がりです。

ん?かば焼き丼ではなくて
うな丼だろうって?

いえいえ、決してうな丼ではありません。

正体は、これ。



オカラで作ったウナギ風かば焼きなんです。
そう、見た目ウナギそっくりの
フェイクうなぎ!

決してすすんでウナギを食べる
ことのないdoironでもこれなら
心安らかにいただけます。
食べたら何となく元気になったような・・・

ご馳走様でした~


夏の宿題 轟橋 2

2014年07月28日 21時08分37秒 | ウォーキング

春木川はかつて下水道整備の遅れもあって
環境悪化がひどく、日本一汚いといわれた時期もありました。

それではいかんと多くの人が立ち上がって、
美化活動などを進めるとともに
河川改修、下水道整備を進めて、
最近の環境はかなり改善されています。

歩いていても、鯉や亀がたくさんいましたし、





よく見ると小魚もたくさん泳いでおりました。

魚影が濃いとシラサギ、



アオサギも飛来してきます。



川に雑草がいっぱい生えているので
もっときれいにという声もあるようですが、



川の中州に生える植物も大切な自然です。

そんな都会の中の川を眺めながら歩いていきましょう。

国道26号を過ぎたところの橋は
「森池橋」です。



このあたりは遊歩道が整備されていて、
気持ちよく歩けます。

この先にある中央公園とあわせて、
ジョギングコースとしても利用できそうです。

橋はこのあと

「額橋」



へと続き、中央公園へと入っていきます。

この公園は少し前までよく走りに来ていた公園です。
走っている時は気づかなかったのですが、
こんな一角もあるんですね。



「鹿児島県民ふるさとの森」。

フェニックスが植えられている横には、



桜島の溶岩も置かれてありました。



以前の走っていたコースのすぐ横なのに気がつきませんでした。
歩いているとまた違ったものが見えてくるものです。

さあ、橋に戻りましょう。

「八木橋」



「みどり橋」



が公園に隣接しています。

公園のはずれの「大宮橋」のところには



兵主神社があります。



縁起式内社で祭神の一柱に「菅原道真」がおられます。

先日歩いた天満の天神さんと同じですね。

ちょっと懐かしく思いつつ、
社殿も写真に撮ってさらに下ります。





これが「兵主橋」



そして「下大宮橋」、ときて、



「加守歩道橋」がありました。



これは「加守橋」。



このあたりは昔には掃守郷と言われてましたので
その名残です。

泉州マラソンで渡る「春木橋」を越え、



「六蓮橋」と続き、



今春オジチャリで何度も通った
紀州街道の「永守橋」までやってきました。



このあと春木川は「新春木橋」を経て
海にそそぐのみです。

結局、「轟橋」は上轟橋の下流にはありませんでした。

それはもう下轟橋から容易に想像できていたのですが、
万が一ということもありますし、
最も暑いといわれるこの時期に
炎天下を歩くことで、
またその辺の自信をつけたいということもありました。

でも結局宿題は未解決のまま、
次の探索にゆだねられることになったのでした。

そうそう、こんな発見もありました。

南海電車の春木に向かって歩いている時です。
結構いろんな店が並んでいるなあ
と思いつつ歩いていると、
こんなお店がありました。



そうです、先日の天六東通商店街を
歩いている時に見つけた

「ジョニーのから揚げ」

です。
見ると九州あたりが発祥のようです。

川がずっと流れ続けているように
doiron歩行という人生の流れも
つながっていきます。



ということで、このシリーズは一旦終わりです。


夏の宿題 轟橋 1

2014年07月27日 21時26分44秒 | ウォーキング

ジダンのブログで宿題を二つもらっています。
ひとつは「轟橋」の存在を明らかにすること。

そしてもう一つが電柱に貼られた
プレートの件について調べることです。

前者はもともとdoironが出題したものなんですが、
彼が走り回った挙句見つけられなかったため、
振り戻されたものです。

これらの夏休みの宿題を、クリアすべく、
先日まず手始めに、
その「轟橋」について着手してみました。

とはいえ、熱い毎日が続きます。
山を走って頭のソーラーで充電しつつ
ボケ防止に努めている彼と違い、
精密機器のようなdoironの脳と心臓には
暑さは禁物です。

こまめに分けて取り組んでいくことにしましょう。

その日は、例年並みのタイミングで
近畿が梅雨明けをした「海の日」でした。

そもそもの発端が、
春木川に架かる小栗街道の橋が
小栗判官を乗せた土車が
ゴロゴロと音を轟かせて通ったことから、
轟橋と名付けられている
というところから始まりました。

ところが、その橋が「上轟橋」となっているのです。
「上」が余分です。
ネットで見てみると「上」のついてない「轟橋」の情報は
ほんの少ししかありません。
doironが知る限りでは
「轟橋」から撮ったという写真が
アップされているサイトが一つあるだけです。



その写真をたよりに探そうか
とも思ったのですが、
念のため「上轟橋」から下流をまずチェックしておくことにしました。
「上」とついているのですから、
下流という可能性もあります。

てなわけで、JR阪和線に揺られて
道路に逃げ水のたつ日に
下松の駅に降り立ったのであります。



携帯のナビをセットして、午後1時に出発です。

どうせなら一番暑い時間帯に歩いてみようと思ったのです。
それでどれほどの消耗があるかで
秋まで待てない街歩き、山歩きの
コースの強度選択の目安にするためです。

まずこれが噂の「上轟橋」です。



以前歩いた時に見た落書きは消されず残ったままです。

で、少し上流にも橋が見えましたので、
ついでに寄ってみました。

そこが、

「轟大橋」



ふむふむ、この調子ならすぐに見つかるかも、
と思いながら、さあ、ここから下流へ下っていきましょう。

再び上轟橋に出てから、
JR線路の方に向かいます。

河川敷に沿って歩道が付けられているようです。



線路を越え、
次の橋に出ると、
な、なんとその橋は「下轟橋」でした。



「上」があって「下」があるのなら、
その間の橋でしょうか。

といってもそこにはJRの線路の橋しかありません。

もう一度戻ってその線路の橋の名前を確認しようとしましたが、
鉄橋の銘板がちょうど隠れて見えません。



対岸は民地になっているようだし、
線路をくぐる道も閉鎖されています。

う~ん、ここはひとつこの鉄橋を

「轟橋梁」

ということで、宿題を終わらせましょう・・・

というわけにもいきません。

多分そんな名前ではなくて
「下松橋梁」かなんかだろうと
勝手に判断することにしました。

それにしても「上」があって「下」があったのですから、
この先に望むような回答が待っているとは考えにくいのですが、
まあ、ついでです。

道端をキョロキョロしながら、
ボチボチと歩いて行ってみましょう。

これは「ユウゲショウ」。





午後につやっぽい色の花を開花させるところから
そんな名前があります。



これは「ムクゲ」ですね。
韓国の国花です。

次の橋が「小谷原橋」と「上森池橋」と続き





国道26号をトンネルでくぐります。



26号の橋に銘板はありませんでしたが、
橋げたに貼られたプレートから
「春木川橋」と読み取れます。



なんかどんどん答えから
遠ざかっているように思えますが、
ここまで来たら意地でも歩きつづけましょう。

続く。


コストコ、行っとこ

2014年07月26日 20時51分16秒 | 生活

最近、和泉の丘陵地に大型店舗がいくつか出来つつある。

9月には「ららぽーと」も開店するそうだ。

そこに、6月1日にオープンしたのが、
アメリカに本社があり、
日本でも20店を持つ
会員制倉庫型小売卸売の店舗

「コストコ」

以前からその話があり、
造成から始まり地元調整などを経て
ようやくオープンした。

会員制なので、会員証を持っているか、
持っている人と一緒でしか入店できない仕組みになっている。

5月にオープンに先行して
割引価格で会員になれるというので、
会員証を作りにいった。

そこそこ人が来ており、
写真撮影もあるというので
時間がかかるかと思っていたが、
少し並んだだけでスムーズに作ることができた。

これ。



う~ん、撮影された顔写真が変に歪んだぞ。
それが印刷されてる裏は見せられません。

先日、そろそろオープン当初の混雑は
少し緩和されたとの情報を得たので、
行ってみることにした。

駐車場入り口で待つこと約10分。

混雑時には2時間待ったという情報もあるので、
それに比べればかなりましである。

何とか車を停めて、
入り口で会員証を提示して、

いざ入店。



高い天井、広大な店の中には
商品が山のように積まれている。



そしてそのどれもが、
一つひとつ大量だ。

例えば、飲み物は当然箱買い、
洗濯用の柔軟剤が4リッターボトルであったり、
バターは少なくても3個セット、
タオルは10枚単位であったりする。

カートがまた大きくて横幅があるので、
混雑時には移動が大変だろう。

店内を歩き回って
結局買ったのはこれだけ。



レジ横のフードコートで買ったホットドッグはうまかった。
安くてコーラなどのソーダ類飲み放題は
なかなかうまい仕組みになっていたな。

初めてのコストコを体験し、
外に出るときのレシートチェックや、
フードコートでのカートの扱いなど、
ちょっとしたルールも学んで、
もうすっかりコストコ通の気分である。

大量買いになることを考えたら、
食品も結構あるから
友達が集まってパーティーをするとき
なんかにはぴったりかもね。

また行こうっと。


熊野街道講演会

2014年07月25日 21時38分01秒 | ウォーキング

現在、doironの熊野詣は
暑さのために少し中断しております。

家のことで色々とあったこともあるのですが、
秋になればまた再び進めて行こうと思っています。

もしかしたら熊野に行けば
義父さんにお会いできるかもしれませんしね。

そんな中、先日夜、
南海電車主催で熊野古道に関する
講演会があったので出かけてきました。

電車でポスターを見かけた友達が
申し込んでくれて、参加できることになったのです。

わざわざはがきで申し込むほどのことが
必要なのかと思っていたのですが、
参加してみるとざっと300人くらいは参加していたでしょうか。
その人気ぶりにはびっくりでした。



参加しているのはほとんどが、
元気な高齢者という感じで、



きっと歩いている時に
どこかですれ違ったことがある人もいたんでしょうねえ。

これだけの高齢化社会ですから、
どんな世界にも興味を同じくする人は、
たくさんいるものなんですねえ。

場所は、ミナミのZeppなんば大阪の近くのビルでした。




Zeppなんば大阪

電車を降りて、今年一月に出かけた
今宮戎の方に向かいます。



若い娘が変な服を着てたむろしている歩道を抜け、
100mほど南に歩いていきます。

大阪府立大学の関連のビルのようでした。





講師は、大阪城天守閣館長の北川氏と



講談師の旭堂南陵氏。

北川氏は「熊野街道をめぐる物語と信仰」と題して、
現在の熊野に残る様々な痕跡と、
それを基にした唱導文学について
興味深い話を聞かせてくれました。

また、第2部では旭堂氏の「小栗判官」の講談がありました。

いずれも話の中に、
訪ねたことのある場所も出てきたりして、
頭の中でその光景を思い浮かべながら聴くなどしていたら、
あっという間の2時間でした。

熊野が「紀伊山地の霊場と参詣道」として
ユネスコの世界遺産に登録されて今年で10年。
テレビでも旅番組なんかで
熊野を取り上げた企画が、
いつにもまして頻繁に放映されています。

熊野に詣でることで生まれ変われる、
極楽往生の証が得られる
と信じられて大勢の人々で賑わったのは昔。

こんな講演会が高齢者に大人気となる現代では、
どちらかと言えば生きる証を求めて詣でる人も多いのではと考えると、
趣旨目的は違えど、
いつの世も熊野は人々の目指す聖地であることには変わりないようです。


日本一長い商店街 その5

2014年07月24日 20時20分29秒 | ウォーキング

さあ、それでは大阪天満宮に入っていきましょう。



菅原道真の死後、
彼の怨念は雷神となって
清涼殿に雷を落としたといわれ、
天神信仰が始まったと言われています。

創建後このあたり一帯は

「天神の森」

と言われるようになり、
その名残が「南森町」という地名に残っているとのことです。

後の世になって、
彼が学問に秀でていたことから
学問の神様とも崇められるようになり、
今日に至っています。

だから、ここの天満宮の境内に
掲げられた絵馬の数は半端ないです。



ほとんどが合格祈願なんでしょう。

これが拝殿。



大勢の大阪人の心のよりどころというだけありますね。
何となく祈りがしみこんでいるような風情でした。

またこんな梅の紋が入った鬼瓦には、



天神さんへの親しみが
どことなく塗り込められているような気がします。

天満宮の別名に「天神社」というのがあります。

街道を歩いている時も各地で見かけましたが、
これには「天津神」を祀っているものもあり、
すべてが菅原道真とは関係があるわけではないそうです。

これからは、街道歩きでも
そのことを念頭に歩こうと思っています。

大門と言われる表門がこれ。



天井にある干支の絵を彫った方位盤が
鮮やかな色彩を放っています。



境内では、現在、喪中であるため
詣でることはせず、
神様に気づかれないように
こっそりと歩いて回るにとどめておきました。

大門の東側にある老舗料亭「相生楼」の門前には、
川端康成生誕の地碑がありますので
そこも訪ねました。



残りの天神橋筋1丁目の商店街を抜け、



さらに南下しますと、
大川に架かる「天神橋」に出ます。



橋の上に掲げられていた橋銘碑が
北詰に置かれてありました。



そこから大川に降りると河川敷公園です。



下流の天満橋まで大川沿いを歩きますと、



まもなく行われる天神祭の準備を
各所で見かけました。

これは提灯を建てるための支柱でしょうか。



縄で固定されているところが、
面白かったな。

ここから眺めると、
対岸に熊野街道の起点である
「八軒家」浜が見渡せます。



天神祭を見て、
熊野に出発した旅人もいたんでしょうねえ。

頭の中に往時のにぎわいを描きつつ、
このシリーズも終わりです。

明日は天神祭のクライマックス、船渡御。

出かけて行かれるのもいいですし、
テレビ大阪で中継されるのを見るのもいいでしょう。

いずれにしても、
今年はちょっと違った視線で
天神祭りを見ることができれば、
このブログを書いた甲斐もあるってもんです。


日本一長い商店街の日本一長いブログ?終わり


日本一長い商店街 その4

2014年07月23日 21時33分59秒 | ウォーキング

そうそう、扇町公園から商店街に戻る途中、
こんな寺に立ち寄りました。



ここには「大塩平八郎」の墓があります。



庶民の苦境を見かねて、
謀反を起こしたこの旗本は、
今もなお大阪の人たちに慕われているそうです。

歴史を調べると、たしかに庶民の味方で、
非業の死を遂げたといわれています。

合掌しておきました。

さて、再び商店街です。

天神橋筋2丁目商店街の入口(出口?)には、
御迎え人形が飾られています。



では、お迎え人形とは何か?

それを書く前に、
天神祭の概略を紹介しておきましょう。

京都の祇園祭、東京の神田祭とあわせて
日本の三大祭りの一つである天神祭と言えば、
今は大阪の夏の風物詩ともいえる
奉納花火が真っ先に思い浮かびますが、
もちろんそれだけではありません。

神事として行う、様々な一連の儀式を総称して
天神祭と言います。

大阪のこの天神祭が始まったのは、
今から千年以上も前の西暦951年。

大阪天満宮が創祀された翌々年と言われています。

祭りの始まりは社の近くから
神鉾を流すところから始まります。
その神鉾が流れ着いたところが、
その年のお旅所となり、
そこへ船で行くことを「船渡御」といい、
その船渡御が始まる船着場まで
陸路を行くことを「陸渡御」といいます。

今はそうして神鉾を流すのは形だけの神事で、
お旅所がどこになるかわからない
といったことはもちろんありません。

陸渡御、船渡御、ともに
事前にコースが決まっており、
そのコースを絢爛豪華な行列が練ります。

昔は船でやってくる天神さんをお迎えするために
各地域でその時話題の
人形(秀吉、関羽、金太郎など様々です)を作り、
お迎えしたというのが
「御迎え人形」の始まりでした。

昔は50体を超えたといわれる人形も、
今は16体だけが残り、
大阪府の有形民俗文化財に登録されています。

天二商店街には、
お迎え口にその人形のレプリカが飾られています。

その数8体。





祭りの間は、市内各地に「お迎え人形」が飾られます。
今年は、天満宮と帝国ホテルなどに展示されるそうです。

これでちょっと天神祭の見所も増えたでしょうか。

天二商店街には、
天満宮への参道がつながっています。



お、その手前に行列ができています。



名物のコロッケ店でした。
これは食べなくてはと並んでいると、
しばらくして、某テレビ局の
マスコミ取材も始まりました。



そのコロッケがこれ。



早速立ち食いをしてみると・・・
う~ん、これだったらジムの近くの
肉屋さんのコロッケの方がおいしいかもしれません。

その店の前にあるのが、
一銭焼きのお店です。



これもまた買ってみました。



先のキャベツ焼きと違って、
粉が多く食べごたえはありました。

さあ、天満宮へ入っていきましょう。

まず目に入るのが、
2006年に実に61年ぶりに復活した
落語の定席「天満天神繁昌亭」です。



以前、御堂筋を歩いた時に立ち寄った坐摩神社で、
戦争で被災するまで行われていた
落語の寄席を継承してできたものです。

ああ、ここでも歴史の点と点がつながりました。

その繁昌亭からさらに東に入ったところに、
星合いの池があります。



この池に架かる星合橋は
別名「愛嬌橋」とも呼ばれ、



ここで出会った男女は結ばれる
といわれています。

まあ、昔の「ひっかけ橋」ともいうべきところだったのですかね。

この星合池のそばに
星合茶寮というお店があり、



ここのうどんが、麺に縦の切り目が入っていて、

「すべらんうどん」として受験生には人気だそうです。

こりゃ食べねばと思っていたのですが、
あいにくの定休日でした。

ぐすん

では、気を取り直していよいよ天満宮に入りましょう。

続く


日本一長い商店街 その3

2014年07月22日 21時00分13秒 | ウォーキング

天神橋筋商店街と
阪神高速守口線が交差するところには
川もないのに、橋の欄干が残されています。



この橋は

「夫婦(めおと)橋」

昔、ここには天満堀川という
運河が流れていたそうです。
その堀川も環境悪化のため
埋め立てられ、今やこの橋の親柱や
欄干だけが残っているんだそうです。

これがその親柱です。



と、そんな史跡を眺めていたら
その視線の先に、木々の緑が目に入ってきました。

そう、そこは都会のオアシス「扇町公園」でした。

行ってみましょう。

商店街もアーケードのおかげで、
日陰とクーラーで快適なんですが、
やはりこういう緑も必要ですよね。



あちこちの木陰でご老人が昼寝をしておりました。

面白いモニュメントがあったので
写真を撮ろうとしたら、
その下に何やら物体があります。

近づいてみると、若い女性が昼寝をしておりました。
あられもない姿だったので
写真は遠慮しときましたが、
一体どんな生活をしているのかねえ。

この公園の印象はこの建物に支配されています。



いつもおなじみ、
テレビの8チャンネルはここから飛んできてます。
そう、ハチエモンの関西テレビです。

また、この公園には扇町プールもあります。



ミセスは昔水泳選手でした。
大阪市内で生まれ育ったので、
青天のこのプールで
ビール瓶のように日焼けするまで、
散々練習をしたそうです。
今はなみはやドームなどもあって
そちらがメインのようですが、
当時はここでの練習が盛んだったそうです。

当時の飛び込み台が、
公園の片隅にモニュメントとして残されていました。

これ。



よく見ると、
「なるほどこんな形だったように記憶している」
とミセスは申しておりました。

ベンチに腰かけて水分補給をして
また商店街へと戻ります。

今度は天三商店街です。



お~っと、あんなところに杉玉があります。



酒屋の二階で、風格を漂わせている様子は、
doironの杉玉とは全然違って立派です。

doironの杉玉はこんな感じです。



しょぼーい。

この商店街もやはり、
天神さんとの共生を色濃く出しています。



提灯に「恩輝」という文字が書かれてあります。
天神祭が近づくと町ごとに
いろんな文字の書かれた提灯をあげます。
それが、とってもわかりにくいのだそうです。

例えば
「敬義」、「衿胤」、「聖庿」、「示錫」などもあるそうです。

儒教の経典などからの言葉で、
しかも篆書や隷書で書かれてあるから
読みにくいことこの上ないのです。

そのようにわかりにくいことには
実は意味があって、
提灯に書かれた文字について
店の人に尋ねることで
コミュニケーションが生まれることを
目論んでのことなのだそうです。

どの言葉も意味も分かりませんでしたが、
ただひとつだけわかる標記がありました。

それが「影向」です。

このブログの読者の方なら
何度か見かけられていると思います。

あと、この商店街で目をひくのが、
アーケードにぶら下がっている鳥居ですね。



神額部分にその鳥居の色が書かれてあります。





萌黄、桔梗は知ってましたが、
真朱は初めてです。

それにしても、各商店街が
本当に趣向を凝らしていて、
次は何だろうとついつい先を
歩きたくなるように仕組んであるんですね。

ここでは「駐輪をなくす社会実験」と称して



関西大学主体で休憩所を設けたりしています。



商店街という商売の形態の中にも、
いろんな考察が内在しているんですねえ。

ちなみに、天神橋筋商店街1丁目、2丁目、3丁目部分は
朝10時から夜8時まで
自転車は押して通行しなければならない
との決まり事もあるそうです。



人出の多い店街ならではの措置で、
安全に買い物をするためには
大切なことなのかもしれません。

続く