ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 有田に降りた 1

2014年10月02日 22時09分00秒 | ウォーキング

前回、カメラを忘れたために、
携帯で撮影しつつ、
その携帯もバッテリーが心もとなくなり、
途中で泣く泣く断念した拝ノ峠をこえて
有田に降りていく熊野古道の続きを歩きに行ってきました。

今回でかつて通ったことのある熊野古道の
最後の区間となり、以降は未踏の区間となる
記念すべき歩行なのです。

そして、今回の目的はもう一つありました。

かつて有吉佐和子の小説
「紀ノ川」を読んだ後に
この熊野古道歩きも紀ノ川を越えました。

主人公「花」が生涯眺めつづけた紀ノ川を
和歌山県内で最も長い橋で越え、
川のほとりに座って悠久の時を
思い浮かべながら時間を過ごしました。

合間に舞台となった、慈尊院も行ったし、
六十谷の橋もわたりました。

そして今、彼女がその4年後に上梓した
「有田川」を読みつつ、熊野古道を歩いて



その有田川に向かうというのが
今回のもう一つの目的だったのです。

彼女はこのあとさらにその2年後に、
作品「日高川」を書いています。
その川も熊野古道は横切っていきますので、
当然それも歩きにあわせて読もうと思っています。

熊野古道を縦糸に、
有吉佐和子が書いた三本の川を横糸に
doironの古道歩きは紀州の今と昔を
織り上げていくわけですね。

なあんて、ちょっとカッコよすぎですね。

でも、単に古道を一本つなげて歩くだけでなく、
こうして周りのことも絡めとりながら歩いていくのは、
何とも楽しいことです。

というわけで、前置きが長くなりましたが

「熊野古道 有田に降りた」始まり始まりです。

前回は歩き終えてから
加茂郷の駅にたどり着きましたので、
今回はまたその駅からスタートです。

加茂郷の駅前に車を停めて行こうと
当初は考えていたのですが、
駐車場がなくコミュニティバスの運ちゃんに
「そのへんにとめといたらええよ」といわれ、
かえって不安になってしまいましたので、
前回同様海南の駅に車を停め、
電車に乗って加茂郷まで行き、
そこから進めていくことにしました。

しかし、のっけからハプニングです。

海南の駅では高架になっているホームに
上がっていく階段の途中で、
電車が出てしまいました。

和歌山のこのあたりは「ICOCA」が使えないので、
切符を買わねばなりません。
それがなければ間に合ったのに~
と思いながら、ホームから滑り出ていく電車に、

「待ってくれ~」と叫んでしまいました。



え、こんな小芝居はいらん?

失礼しました。

今回の区間は山越えはあるものの
距離的にはさほどありませんので
実は余裕です。

特急くろしおが向いの線路を通過していくのを



眺めたりしながら次の電車まで
約30分をのんびり過ごしました。

駅のホームも散策しました。

すると名所案内があったので見てみますと、



お、下から二番目に
「紀伊国屋文左衛門船出の地」と書かれてあるではないですか。

前回、熊野古道が加茂川を越える際に渡る
「橘本土橋」が、熊野詣の人達が乗る
船着場であることを書いた時に見つけた
地図上の「船出の地」というのは
これのことだったんですね。

なおさらここに行ってみたくなりましたし、
紀伊国屋文左衛門のことも
また勉強しようという気になりました。

返す返すも昔、学校に行ってる時に、
受験だけをにらんだええ加減な勉強しか
していなかったことを後悔してしまいます。

思わず

「一生勉強一生青春」

あいだみつをのそんな言葉を思い浮かべてしまいました。

と、そうこうしているうちに、
下り線に電車が滑り込んできました。



ようやく乗車しようと、
とまった電車の前で待ってても扉が開きません。

あれ?なんで?どうして?

と思っているとドアの横に「開」と「閉」の
スイッチがあることに気づきました。


これは内側、外側にもボタンがあります。

鋭いですね~。

とっさの機転で「開」を押したら扉が開きました。

なんという推理力でしょう。

もうええか。

しかし、ローカル線のええ勉強になりました。

またしても「一生勉強」を実感しつつ、
電車は今回の出発地である
加茂郷へと向かうのでありました。
まだ歩き始めていないのに一話終わってしまいました。

続く。