ハッピーハロウィン
とこんやはこういうんやねえ。
理由は知らんけど
お菓子配ったりするんやねえ
なんでかわからんけど
でもやっぱり遊んでみようかあ。
みなさん、ハッピーハロウィン
とまあそんな感じで
ジムが臨時休みだったdoironは
今夜も晩飯作成に
孤軍奮闘
波乱万丈
戦々恐々で
空前絶後のカレーを作った。
まあ、カレーは作りなれているので
さほど大そうではない。
しかし、ハッピーハロウィンの
カレーにするために
いつもと違う作業を行わなければ
ならなかった。
まずは、かぼちゃの煮物である。
まあ、これはまあミセスに
事前にいろいろ手配されつつ
無事に終了。
余裕がなくて写真撮影無し
カレーにはこれの一部を用いるのだ
そしてもう一つ
ソーセージも爪楊枝で
細かくいじりまわして
飾りを作った。
これらを飾りに使いましょう。
出来上がったカレーを
いつもと違う感じで皿に盛って、
そこに、かぼちゃの切り身を入れる。
そしてさらに
ソーセージで作ったランタン風の
飾りも置いて
色紙で作ったかぼちゃ飾りと
一緒に並べて完成
これがdoironの
「空前絶後のチョーカレー!」
これに先ほどのかぼちゃ面と
並べた後で
ミセスを食台に招いて
「はいこれ」というと
なあんやって感じ
ちょっと、思ってたより
インパクトは少なかったようです。
でも写真を撮ってたので
きっと息子にメールで
きのうかきおこを送ったように
これも送っているんでしょうよ。
明日から11月。
まもなく行われる
ドジ旅日記山行など
予定がいっぱい入っているので
まあなんかよくわからんけど
孝行できたのでよかったハロウィンでした。
え~っと明日はハロウィン
それって何?て聞かれても
よくわからないね。
とりあえずみんな仮装をし
ワイワイと遊ぶ祭りみたいなもの?
もう宗教的な意味も
ほとんどないような遊びとして
日本でも定着しつつあるらしい。
あ~あ、でもねえ
あんな化粧をして
町を歩くなんてことは
doironにはできないなあ。
馬鹿みたい・・・といいつつも
そんなことを言いながら
わちゃわちゃ遊ぶのは
こう見えて嫌いでもない。
おとぼけ風に何をやっても
「ハロウィンだあ~」なんて言いつつ
とぼけたりするのは大好きだあ。
それでは夜のご飯に何かして
ミセスを楽しませてあげることはないかと
いろいろ考えて
今日はハロウィン前日の
晩飯を作ってやるかと
考えたというのが、
まあ普段遊びまくっているdoironの
せめてもの罪滅ぼしだ。
作るのは、自分の食べたいもの
ということで超絶怒涛の
チョー「かきおこ」だ。
お好み焼きの中に
牡蠣がたっぷり入っているやつね。
ではまず買い物に行きましょう。
といっても、足りないものは
牡蠣だけやね
加熱用ですぐに食べるのなら
これが安いよ、という
20%引の札をついたパックを
二つ買った。
よーし、ではこれで調理だ。
健康面をよく考えて
キャベツ多めのかきおことすることを考えた。
う~ん、も一発目から
時間のかかるキャベツきざみだ。
以前タマネギ一個を
刻むのに20分もかかった
波乱万丈の包丁使いである
ぐぐぐと苦労しつつ
とりあえずこれはできた。
後で考えたらきっちり写真を
撮ってなかったなあ。
粉と牡蠣を途中で写した写真の中に
チラッと写っている程度でした。
まずは牡蠣と
味付け用にいれるソーセージを
軽く痛めたところに
粉を敷きます。
そしてそこに、
天かす、ネギ、生姜を入れて
仕上げていきます。
ま、ここに実はイカも入れたかったのですが
そんな余計な事したらあかんよと
誰かに怒られそうなので
今日はこれまでです。
え~焼きあがってきましたよ。
ちょっと焦げるくらいの感じで
皿に入れて焼き上がりです。
これにソースをかけて
そこにマヨネーズを
かぼちゃで作る
ジャック・オー・ランタン風に
マヨネーズを落としていき
これで完成。
ハロウィン前日の
「超絶怒涛のチョーかきおこ」です。
なんかハロウィンの
意味は全く分からんけど
とりあえず
「南無阿弥陀仏」じゃなくて
「トリック・オア・トリート」と
叫びながらいただいたよ。
あ、ちなみにミセスの分は
こんなへんな飾りじゃなかったけどね。
はあ~でもとってもおいしかった。
自転車引き取り時にいただいた
こんなワインにもぴったりでした。
おしまい
長い間、嫁に出していた
doironの初代バイクが
少しのお役立ちを終え、
この度戻ってきた。
パナソニックのバイクで、
自分の体形に合わせて作ったバイク。
フレームのトップチューブに
名前も印刷されているのです。
ランニングで腰を痛めたときに
思い切って作ったバイクで、
持久力のトレーニングに
使ったやつだ。
このバイクのおかげで、
トライアスロンに目覚めた
記念のバイクである。
考えたら、もう30年はたつなあ。
ほかでも頑張っておいでね、
と嫁に出してた娘が、
里に帰ってきたような
感じでもどってきた。
乗らないでおいてたのなら、
邪魔だったでしょうねえ。
もっと早く引き取りを
言ってあげたらよかったねえ。
車で受け取りに行って、
持ち帰ろうと連絡した時だ、
もう一台パンクして
役に立たなくなったバイクがあるから、
これもdoironさんにひきとってもらいたい
という返事が返ってきた。
え~、今回は旧ロードが
一台帰ってくるのに加えて、
さらにもう一台増えるとなると、
もうこれはdoiron家が
チャリンコ5台に増えて
「どこに置くの」
とミセスの怒りの噴火傾向が
危険度1から危険度3
くらいまで上がりそうだ。
でも持ち主も困っているだろうから、
いじれるだけいじって
乗れるようになれば、
どこか引き取り先を探そう
と思ったので、受け取ることにした。
帰宅してからガレージに
広げてみてみると、
どうもタイヤ、ギア類、チェーン、
スポークなど経費の掛かる部分の
交換が必要だ。
かかる経費を考えたら、
地球環境には申し訳ないが
これはもう処分だなあ
という感じだったな。
パッと見た目はショックの
しっかりついた
マウンテンバイクだったけどなあ。
引き取り時に持ち主には
「処分するかも」と言ってあったように、
残念ながらその通りとなった。
再度持ち主に電話し、
その旨を再び伝え
了承していただき
知り合いの自転車屋さんに持ち込んだ。
若干の引き取り経費は掛かるが、
それはもう仕方ない。
引き取り時にいただいたワインと芋焼酎、
コーヒーで超お釣りが出るってもんだからね。
で、肝心の帰ってきたロードというと、
こちらはショックとかは元気だが
もうワイヤー類はすべて
交換した方がいいだろうな。
錆びたチェーンは以前の
買い置きがあるので、
それと交換ができるだろう。
タイヤは、なんと昔のディ-プリムが
余っているので使えるよ。
無理やりレベルダウンさせたバイクに、
超豪華レース使用のタイヤ
というアンバランス感は
何とも言えないねえ。
いかにも高齢者の
おなぐさみバイクって
感じがただよってるなあ。
気候のいいときは
これでジムに行ったり、
首Dさんとブラブラバイクに
出かけるのにはいいかもね。
引退しているにもかかわらず、
ちょろちょろしているdoironと同じく、
このバイクももう少し
たらたら遊んでもらいましょう。
とりあえずは、メニューを見て注文し、
明石の地ビールをいただきます。
これは明石ブルワリーのビールです。
この土地の少し東にある
江井ヶ嶋酒造の銘柄ですねえ。
そして食べるのが、蛸飯です。
これはすごいでしょ。
ご飯の上に蛸1匹の姿揚げが乗っています。
もう一枚アップで撮るとこんな感じ。
これを頭ごとそのまま加えると、
自分の口からイカの足が
10本出てしまうような感じです。
これは是非とも写真を撮って
衝撃映像をブログにと思ったのですが、
若干周りにお客さんもいますので
さすがに遠慮しておきましょう。
しかし、残念。
こんな映像はちょっとないと思うけどねえ。
pixtaで売れるかもなあ。
まだクリエイターとしての
自覚が足りませんかねえ。
我慢しながら、はさみで切りつつ
じっくりと食べきりました。
ちょっとおなか一杯かなあ。
でもまあ、最初から期待してた食事です。
蛸飯は予想以上にうまかったですねえ。
さあちょっとゆっくりしてから
また歩き始めましょう。
右へ曲がって少し村中の方に入っていきますと、
そこにあったのが「魚住城跡」です。
南北朝時代の城で毛利が
三木城に兵糧を運ぶときに作った城で、
三木城とともに廃城となったといわれています。
まあ、かなり歴史の古い
お城の遺跡もあるんやねえ。
その城跡の近くにある酒の会社が
「江井ヶ嶋酒造」だ。
さっきの蛸飯の時に飲んだビールも
この酒造会社のものでしたねえ。
あの地ビール特有の臭みもなかったし
味はあっさりしていましたね。
ここでは工場見学もできるそうだが
今回はパスしておこう。
予約制かなあ。
道はずっと海辺の海岸線に沿って
続いていますが、あ、ななんと
こんな日の海で泳いでいる人がいるぞ。
まあ、寒くも暑くもない
気候のいい時だけれど、
泳ぐとはすごいなあと思っていたら、
ななんと上がってきたのは
白人の男性です。
もともと外国人は体温が高い
といい、いつまでも半ズボン
半そでだったりしますが、
それにしても泳いでいるとは驚きでしたね。
やがて道は狭い道から
ちょっと広くなってきました。
魚住漁港に入っていきますね。
ぼちぼち海辺の道も終わりかなあ
と思ってきたころに、
本日4番目の住吉神社に出てきます。
本当はこの神社がこの辺では
一番大きな住吉神社です。
こういう万葉歌碑なんかも
飾られていますし、
大きな山門もそびえています。
社殿がこれで、この辺り一帯が
大きな公園になっているようで、
公園のあちこちに高齢者のグループや
子ども連れのお母さんの集団なんかが
集まているようですね。
その先で道は瀬戸川という川に出て、
海辺の道はようやく終点です。
海沿いを約6キロくらいを歩いてきましたね。
では瀬戸川を右に曲がって
魚住の駅を目指しましょう。
ほんとはこの辺りから見る夕焼けは
とてもきれいなんだそうです。
和歌山だったらきっと夕陽百選に
なっているんでしょうねえ。
残念ながら残業はやめときましょう。
川が海にそそぐあたりには
鳥がたくさんいますねえ。
魚が多いのかな。
広い道に出たら右折しコースは
まっすぐと魚住駅に向かって行きます。
途中、ため池群を抜け、
こんな中の親水公園を抜けたら、
もう魚住駅に到着です。
あ、と思った時には
通り過ぎてて撮影できなかったけど、
この時なんと黄色い新幹線
「ドクターイエロー」
が通過していきましたよ。
ああ、おしいことをしました。
もっと早くに気が付いていれば
撮影できたのになあ。
あ~しかし気持ちのいい一日でした。
歩いたのは9キロちょいですが
海風に吹かれ
柔らかいお日様を浴びた
一日やったね。
ここからは電車で一直線に
家に向かいます。
途中、電車のつり広告とか見たら、
阪神高速神戸線が10月1日から
工事のようですねえ。
車は混むんやろなあ。
しばらくはあまり車で近寄らないように
しないとね~とか思いつつ、
のんびり電車で昼寝もしつつ帰った
江井島なぎさ海道。
これにておしまい。
碑のところに出ましたが、
ちょうどその碑の前で
携帯をいじっているおっさんがいました。
う~ん、ちょっと写真が取れないぞ
と困りましたが、まあここは厚かましく
「すみませんなあ、写真を撮るので
少しだけ場所開けてもらえませんかなあ」
と頼むと不機嫌そうに移動していきはりました。
「いやあ、偉いすんません」
と丁寧にお礼を言っておきましたぜ。
その碑がこれです。
ちょうど碑の真ん中の石には
「江井島」の案内が書かれています。
あ、そうそう「江井島」は
じつは「えいがしま」と読みます。
その由来には二つあるそうです。
ひとつは映画に出たから・・・ではなく
ここに「エイ」二号店があったわけでもありません。
昔この辺りに来た堺市の家原寺で生まれた
行基菩薩がここの海に来た
2匹のエイを外海に返すために
酒を飲まして追い払ったところから
「えいが島」と呼んだのでこの名前になった
という説と、
もう一つはこの辺りが「西灘の寺水」
といってええ水のわく井戸が
あったところから
「ええ水」から「江井島」となった
という説もあります。
「西灘の寺水」はその後この辺りの
酒業を発展させました。
まあいずれにしても「酒」の
関連する話ですねえ。
このあたりが「西灘」と呼ばれて、
酒屋さんが増えたところらしい由来です。
でもここで明石と海というと
思い出す事故もまた2つありますねえ。
ひとつがここからもう少し東の
「大蔵海岸」で花火大会が行われた年に、
駅前の歩道橋で11人が圧死した
という事故と、同じ年の
13年7月に同じく大蔵海岸で
女子が一人砂浜に埋め込まれる
という事故もありました。
大勢の人々、海という自然が
引き起こした事故と、
その時の明石市役所はきっと
大変だったでしょうねえ。
なので、ここにはそういう事故を
教訓として、砂浜異常時の
連絡をしてくださいという
張り紙がしてあります。
そしてそんな碑のところから
少し先の西側には整備された
海岸があります。
夏は海水客なんかで
にぎわったんでしょうねえ。
いまは、小学生低学年のような
子供たちが遠足に来ていますよ。
海辺の遠足なんてきっと
先生たちは大変なんでしょうねえ。
緊張満タンでやってきてるんでしょうねえ。
あの砂浜のような事故が
起こらないように
いっぱい気を使っているんでしょうねえ。
そんな浜辺の横には
江井住吉神社が立っています。
この海岸に出てから
2つ目の住吉神社ですね。
神功皇后が「真住吉」といったことによって
名付けられた大阪の「住吉」。
かつてその地は海に面したところ
だったことから、海の神様として
広く伝わっているわけなんですねえ。
で、このへんは海辺の町の様子が
続いています。
ここには長楽寺という寺が
あることになっていますので、
ちょっと村中の方へと入っていきましょう。
行基菩薩がひらいたお寺で、
地元の人らには
「行基さん」とか「上人さん」
と親しまれていますし、
ここで開かれていた寺子屋が
後に小学校へとなっていった
という地元にはとても大切なお寺です。
で、この頃にちょうどお昼になりました。
この日はdoironは弁当なしで来ています。
そりゃあなんといっても明石の町ですから
「蛸飯」の昼食でも食べてみよう
と思っていたので、
そろそろこの辺で食堂なんかを
探しつつ歩かなくてはなりませんね。
でもなかなかねえ。
こんな店もあるのですが
思うようなところが見つかりません。
三つ目の住吉神社もこえると、
漁村に出ていきます。
おお漁村があるということは
蛸の漁もあるのでしょう。
やがて道は少し出たところで
赤根川の西島橋をこえていきます。
そこで右下にあるのが、
なかがわ明石江井島酒館という施設です。
食堂もあり、蛸飯という
メニューも上がっていますので、
ここに入っていきましょう。
続く
村中をすいすいと抜けていきますと、
何となく海が近くなってきたような気がします。
あ、こんな横断幕が付いていますよ。
「しなやかに舞い、強かに唄え!」
う~ん、これは祭りかなんかでしょうか。
それとも町会のシンボルマーク。
あ、ばあちゃんのカラオケ大会?
ちょっと調べてみたけどわかりませんでした。
その先には神社がありました。
鳥居も、宝篋印塔もあったりしましたが、
神社名がどこにも書かれていません。
この少し先にある住吉神社の
一部なんでしょうか。
よくわかりません。
まあとにかく何でもお祈りしておきましょう。
「今日は気持ちよく歩かせていただきます
とうやうやしく、も、申しまする」
そこから5歩ほど歩きますと、
おお~坂道の下に海が見えてきました。
きょうは風も弱く静かに凪いでいます。
と、のんびり座っている猫が言ってます。
ゆったりと泳げますねえ、
って泳ぎませんけど。
海岸線に出ると、右上に上がっていく
階段があります。
ここが住吉神社ですねえ。
住吉さんは海の神社なので、
今日歩く道沿いには
いくつもの住吉さんがあるようです。
ちなみに、海は住吉さん、
山は八幡さんとこの辺りの人は言います。
確かにリボン通りで
六甲のふちを歩いているときには
八幡さんはいっぱいありましたねえ。
階段を上がっていきますと、
ここはきれいに整備された神社ですねえ。
八木住吉公園という名前で
整備されているようです。
境内は高台の上にあって、
海に向かって鳥居が開いていますねえ。
ここから見える海は、
きれいに整備された海岸線と
明石海峡大橋、淡路島が
ずーっと見渡せます。
再度お祈りして、海沿いにつけられた
こういう道を歩いていきましょう。
今はもう秋、誰もいない海~♪
道にも漁船のとまっているところにも、
人がいません。
静かな海岸線です。
この辺りは、海岸線沿いの道の
すぐ横はかなり急な斜面になっています。
海から見ると大きな屏風が
建っているようだということで、
この辺りは「屏風ヶ浦海岸」と
呼ばれています。
あ、その斜面の一角が
フェンスに覆われてなにか
案内板が立っていますよ。
近づいていきますと、
なんとこの辺りは
「明石原人の腰骨発見地」だそうです。
その腰骨については、
昭和6年に発掘されたんですが、
骨そのものは東京大空襲で
焼失したそうです。
そして残っていた模型等で
研究が進み、最終的には
「アカシエンシス」と名付けられたそうで、
それらが生きていたのは
縄文時代以降くらいの時代だそうです。
まあ過去の遺物としては
貴重なものだったんでしょう。
でも当時、彼らはこの海辺で
どんな暮らしをしていたんでしょうねえ。
とまあそんな遺物案内を
見ているうちに、前方から
あるいてくる女性や
マウンテンに乗っている
高齢者グループに出会いました。
結構スポーツの盛んな散歩道です。
いや、しかし高齢者の乗っている
マウンテンやロードはびっくりするほど
高級なものがありますねえ。
高齢者バイク雑誌、なんてあれば
面白いかもしれませんねえ。
やがて海岸通りの右側に
広場が見えてきます。
ここが、今回の散歩の目的地
「江井島」の公園です。
ベンチもありましたので、
ここで先ほどコンビニで買って
保温水筒に入れておいた
コーヒーを飲みましょう。
う~ん、優雅なひとときです。
コーヒー飲みながら
海沿いの向こうに見えている
淡路島を見ていたら、
また行ってみたくなりましたねえ。
またじっくり検討してみよう。
この江井島の公園には
兵庫県の県花である
「ノジギク」が植えられていると
資料には書かれているが、
どこかなあ。
今は花の時期だから
すぐにわかるはずなのになあ。
ちょっと見つけられませんでした。
ところで「江井島」は
何て読むかわかりますか?
その答えの書かれてある
江井島の碑がこの先にあります。
行ってみましょう。
続く
今回は「魚住」方面に行ってきた。
六甲アイランド入り口あたりの
「魚崎」じゃないよ。
「魚住」はもっと遠い所だ。
そこは明石も超えてまだ西の方にある。
姫路のちょっと手前当たりね。
今年明石を歩いたときに、
ちらっとこの辺のことも
考えていたんだよね。
しかしこの辺りは海沿いだし、
もう少し風が秋っぽくなってからが
いいかなと思って少し
先延ばしにしていたのだ。
でも、季節はちゃんと廻って来る。
ようやく夏も終わり、
海辺の秋風が気持ちのよい
そんな季節になってきたようだ。
ああ~夏は大勢の人であふれた海も
すっかりさみしくなっただろう。
行く夏を惜しみながら、
ここらで海辺の道を
かんがい深く歩いてみるかと思い立ち、
その魚住方面へと向かうことにした
doironなのでした。
歩いたのはJRの「大久保」という駅から
「魚住」駅までのコースで、
先日の神戸なぎさ海道と同様に
「江井島なぎさ海道」と
名付けられているコースだ。
目標は二つある。
ひとつはさみしげな海を眺めること、
そしてもうひとつはあの明石に近い
海沿いなので、昼食にひとつ
これをと考えているものがあったので、
弁当なしで出かけ、
浜辺の食堂に入ることにしたのだ。
さあ、ではとことこと出かけてみよう。
電車はすべてJRを使って約2時間。
片道1490円の旅である。
ああ~こうして歩くのも
大変お金がかかりますねえ。
年金をもらうようになったら
しっかりと考えていかなくては
なりませんね。
大久保駅には10時過ぎに到着。
さあ、ではナビを入れて
さっそく歩き始めましょう。
ここはかなり大きな駅ですねえ。
駅前には商業施設が結構ありますし、
駅前広場もいろんなモニュメントに
飾られている。
コースはこんな施設のわきを
通りながら、海へと向かってまず
真っすぐに南下していくコースだ。
あ、このローソンのいろは不思議やなあ。
ピンクのローソンとかはあるけど、
こんな無色のローソンは
見たことがなかったなあ。
地域によって色いろあるものですなあ。
あ、ここには建設機器が
いっぱい並んでいます。
おおきな施設でも作るのかなあ、
と思っていたらなんとここは建設機器の練習所、
いわば建設機器操作の学校ですね。
はあこんなのも初めて見ましたね。
うろうろきょろきょろ歩いていると
いろんな知識が入ってきますね。
ここは、神戸製鋼の関連会社です。
このときはまだニュースにも
なっていなかったのになあ。
もう今は、データ改ざんで
大変なことになっているんでしょうねえ。
広い道の横の歩道を進んでいきますと、
下水道処理所があり、
横に池があります。
湖面に見えているのは
「ヒシ」の花ですねえ。
子どものころは近所の池に
丸太舟を浮かべてよく取りましたねえ。
今の子供らは絶対こんな
遊びをしないでしょうねえ。
池に丸太を浮かべていたりしたら
すぐに通報されて
警察がやってくるでしょうねえ。
遊びやすいんだかどうなんだか。
道はやがて大きな
高架線路の下をくぐります。
これが山陽新幹線ですね。
その新幹線を痴漢注意を見ながらくぐると、
こんどは山陽電鉄の踏切をこえます。
変則的な線路になっているのは
山陽電鉄の総合事務所の中に
入っていく線路が
ここで分かれているんですねえ。
そう、以前からどうして
山陽電鉄に電車が入っていくのか
考えたら夜も寝られなかったけど、
これでぐっすり眠れます。
その先が八木の村中です。
ここで注目は、村中にある「来迎寺」です。
行基菩薩が創建したお寺で、
等身の十一面観世音菩薩を
奉じたお寺です。
その尊像は残念ながら
消失したそうですが、
その後昭和57年に有名な
大仏師が親子でつくった
三世代観音が収まっています。
過去、現在、未来の願いを
成就させてくれるそうです。
ああ~過去にも願いはないなあ
現在も満足してるし
あとはやはり「健康で長生き」ですかね。
ところがここがなかなか見つからず
村中をあちこちウロウロ歩きながら
ようやく見つけたのですが、
残念ながらお堂は締まっていました。
帰ってきてから調べたら、
お寺の方にお願いすれば
快く開けてくださるんだそうです。
ああ、ここはちょっと残念でしたね。
あらかじめ調べて置いたら
ちゃんと見れたのにねえ。
続く
先月末に、ジムのM上さんが
アフリカのキリマンジャロに
登頂してきたので、
その報告飲み会がジム会員の家であった。
キリマンは標高5800m以上で
アフリカの最高峰の山である。
タンザニアにあるそうだ。
これは盛大にお祝いもしてあげないと
と考え、doironは
キリマンジャロのようなピザを
作って持って行ってあげようと
焼くことにしたのだ。
この際だから、ピザの生地も
手作りで作ってやれと頑張ったよ。
まずは、強力粉、薄力粉を50gずつ。
そこにドライイースト1.5gと
塩、オリーブオイルを少々いれ、
40gの水で固めていくのだ。
これがその材料。
まずは粉をふるいをへながら入れていく。
細かい方がいいしね。
それらが全部まじりあったところで、
小麦粉を入れてた袋に手を通して、
こねていくのだ。
そうやなあ15分くらいで
こんな感じになってくる。
それをさらに中の空気を抜くように、
こねてこねて丸めていき、
そのまま袋を裏返して
約30分間生地を寝かすのだ。
その間に、具材の用意である。
今回はシーフードピザで、
具はちりめんじゃこ、イカ、
そして
たまねぎ、ピーマン
きれいに出来たように見えるように、
サラミソーセージを置いた。
あ、そうそうもちろんトマトもね。
たまねぎ、トマト、ピーマンは
一個の半分くらいの量。
さあでは、生地を伸ばしていこう。
ま、本来ならこんな風に
伸ばしていきたいのだが、
キリマン風にちょっと厚みを
持たせたいのでクッキングシートの上で
くねくねと伸ばしていった。
適度に伸びたら、そこにピザソースを塗り、
全面にちりめんじゃこを置いていく。
これがねえ、またいい塩加減になるのだ。
次に、doiron好物のイカを散らし、
タマネギ、ピーマンを載せていく。
トマトは大きめに切ったやつを
ザクっと乗せ、サラミも置いていく。
まあこれで具は完成だ。
中央部が高くなるように
具の置き方も少しだけ加減したよ。
最後にこれらにチーズと
パルメザンをかけたらもとが完成だ。
これをオーブンに入れ、
170度で30分間焼くと完成。
せっかくだからピザに名前も付けたよ。
「アタママルガリータピザ」
天使も驚く 髪の毛も抜けるうまさ。
いやあ完成です。
ではこれを持っていこうと思ったのですが、
丸まるのまま自転車で持っていくのは
困難なので、結局参加者4人分に分けて
タッパに入れて持って行った。
キリマンジャロどころか、
信太山程度の山の盛り具合だ、残念。
大きなピザを入れる箱も
作っておけばよかったなあ。
食べてみると、というか
他の食材に押されて
結局その場では食べてもらえませんでした
後日いただいたメールでは
評判はまあまあでしたね。
でもまあ若干シーフードピザに
サラミはイランやろとか言われましたが、
まあ許してやってください。
それにしても、doironよりも
数歳上の年でアフリカで
雪だらけの山の登頂とはすごいなあ。
いやあ、きっと一生の思い出に
なったでしょうねえ。
おめでとうございました、M上さん!
観音寺から田んぼのふちを通って、
普賢寺川の方へと向かって行きます。
ああこのあたりも彼岸花が
咲いていますねえ。
突き当たりが川でコースは
このまま左の方へと進んでいくのですが、
ちょっと右の方に
特産品屋のような店構えが
ありますので見ていきましょう。
時刻も12時を少し過ぎましたので、
軽く食事をしていくのもいいでしょう。
ここは宇治茶の特産品を
扱っているようです。
食べるところは、
ああ小さい食堂があります。
宇治茶と簡単なおにぎり
というメニューがあったので
注文すると・・・
「おにぎりは売り切れてしまいました」だって。
え~、売り切れるって
どんなおにぎりナンスか。
え~そしたらダンゴ。
は?もう今はない?
じゃ、にゅう麺とかは?・・・
ないんですか。
で、結局ここのお店では
おなかにたまるものはなく、
ショボーンと出ていきました。
まあお茶の名品展ですから、
そんなのは平日なんかは
用意してないんでしょうねえ。
仕方ありません。
がまんして進んでいきましょう。
ここからコースは、
普賢寺川沿いの静かな道を
進んでいきます。
ここにはオオケタデが
豪勢に咲いています。
そして向こうの方に、
道端に白い花が咲いています。
何かなあと思って歩いていくと、
グハー大きなキノコでした。
右側をずっと流れている
普賢寺川は生駒を水源とする、
木津川の支流です。
この辺りではずっと川沿いに
道がつけられていて
散歩にもぴったりです。
途中、ロードバイクがヘルメットも
かぶらずに慣れた道なんですかねえ、
結構なスピードで飛ばしてはりましたが、
まあ散歩の優雅さを乱したのは
あれくらいですかね。
車も全く通らない
気持ちのいい道でした。
新宮橋という橋をこえたあたりからは、
街中の景色になってきます。
ここでも青い空も気持ちがよかったなあ。
やがて道は、あのナナフシと
出合った府道22号線に出たところで、
普賢寺川とはお別れです。
左折して、同志社大学関連の地域へと
歩道を進んでいきます。
ここが大学南門ですね。
そしてこの左側が、中学・高校になります。
そしてここが大学正門ですね。
同志社女子大の交差点を
右折して駅の方へと
下っていきましょう。
まあ女子大となると、
あまりカメラをばしばし触るのは
ちょっと遠慮しましょう。
きれいな女子大生たちが
結構歩いているので、
おじさんは浮きまくりでしたな。
別に悪いこともなんにもしていないのに、
肩身の狭い思いをしてしまいますねえ。
同志社関連の施設入り口あたりには、
こんな立派な看板も立っていますし、
第一駅の名前が「同志社前駅」なんです。
はあやっとここで歩きは終わりです。
ナビを見てみますと・・・
13キロ近く歩きましたねえ。
ここで時刻も午後一時ちかくです。
ぐるりんとあたりを見渡しますと、
ああファミレスがあるようですから、
やっと食事にしましょう。
ちょっと今回は弁当持参じゃ
なかったので変則的な
食事になってしまいました。
季節的にも歩くのに
気候のいい感じになってきましたね。
きれいな青空、おいしい空気の中を
気持ちよく歩くためにも、
ガスコンロやアルコールコンロなんかも
ぼちぼち持ち歩かないといけませんね。
ぶらぶらと歩いた京田辺。
どこもまあぶらぶら歩くと
いろんな遭遇もあったりして
楽しいもんですね。
以上、以前歩いたけど
今日は京田辺でした。
このあと電車で京田辺の駅まで戻り、
置いてあった車で帰った
doironなのでした。
あ、そうそう。
京田辺まで戻って
駐車場まで帰った途中の踏切の名前が
「信楽街道」となっていました。
これについても考えてみなくちゃな
と思いつつ、帰路に就いたのでした。
終わり。
狸化けのようなじいさんと
すれ違った後はもう
全く人の気配がありません。
こんな釣りするなと書かれたような
池のそばを通っても、
畑の横を通ってもひっそりとしています。
そして自然はますます深くなっていき、
道端にはこんなクズが
いっぱい咲くようになってきました。
そうそう、先日この花も描きましたよ。
じっくり見てたら
かわいい花なんですが、
他の植物を覆いつくすように
いっぱい咲いているので、
ちょっとあつかましい様子が
こんな名前で呼ばれることを
気持ち的に許してしまいます。
ほんとはこの花の根っこからの
でんぷんが粉になり食用になるので、
かつて大和国(現:奈良県)
吉野川(紀の川)上流の国栖(くず)が
産地となり、こんな名前に
なったという花なんですけどね。
道端にはこんな栗の実がなっていたり、
キノコがわさわさ生えていたりする田舎道です。
だからごみの不法投棄も心配ですね。
この電柱に貼られた看板には
一休さんがカメラを構えている絵が
描かれていました。
どこかで撮影しているのかなあ。
doironを見て
おっ、へんなおっさんが
カメラを抱えて不法投棄の
下見に来てるんじゃないか
と思われたりしませんでしょうねえ。
逆に不法投棄監視役の
警視庁捜査本部の天才デカに
見られたりしてねえ。
そういえば、警部と警部補に囲まれて、
不法投棄の証人として丸二日間警察通いを
したことがあったことを
思い出しましたねえ。
怪しそうなおっさんが
ウロウロしてたら顔をしっかり
覚えて置かなくてはなりません。
頭にタオルを巻いて走ってる
おっさんなんかいてたら
じっくり覚えて置かなくてはなりません。
あっ、さっきの90歳くらいの高齢者が、
も、もしかしたら悪の結晶、
デーモン博士の変装した
姿かもしれないなあ。
うう~電子頭脳がオーバーヒート
しそうですがな~
さあ、道はそんな田舎道から
また更に細いもっと田舎道に
入っていきます。
遠くからは、大学のグランドの
練習声が聞こえてきますが、
周りの自然はどんどん深くなってきます。
春先には野イチゴや山菜が
いっぱい取れそうですねえ。
栗もいっぱいなっていますし、
銀杏の木にはぎんなんが鈴なりです。
う~ん季節を間違えなければ、
たくさんの収穫がありそうですねえ。
周りの人の集まりが
こんな状態のままだと、
自然の収穫が全部無駄に
なってしまいそうですよ。
でも採集しに家からはちょっと遠いかなあ。
道はやがて人里の方へと
向かって行きます。
遠くからは車の音も聞こえてきました。
立木の中に広い公園が見えてきました。
ちょうど中央に立派な
トイレがありますよ。
ああ~先ほど大きな栗の木の下に
肥料をやってきましたので
行きませんけどね。
で、公園に出ると右側に
大きなお寺が見えてきました。
大御堂観音寺です。
奈良時代に天皇の勅願で
建てられたお寺だそうです。
ご本尊は国宝の十一面観音
となっている。
ここはどうも桜の名所のようだ。
あちこちに桜が植わっているのと、
池には浮島があり
風情たっぷりのところである。
周りを山と田んぼに囲まれた
のんびりしたところである。
先ほどの一休寺といい、
ここといい豊富な自然と
田畑に囲まれたのんびりした風情が
京田辺の魅力といっても
いいかもしれませんな。
お寺の横には地祇神社も
並んでいました。
また並んでいる公園には
釣鐘堂もありますが、
一つ気になる石が立っていました。
「二月堂竹送り復活の地」
と刻まれています。
そうなんです。
約1200年の歴史を誇る
東大寺二月堂のお水取りの
籠松明、あの火をつけて駆け回る
松明にここ京田辺の竹が
使われているそうです。
そういえばあちこちに
竹林もありましたねえ。
毎年2月11日にここの竹が
東大寺へと運ばれていくそうです。
こんなことを知ったら
お水取りのニュースが
楽しみになりますねえ。
続く