ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

もうすっかり高齢者です

2021年03月14日 21時00分02秒 | 生活

本日doironは65歳になりました。

マラソンやトライアスロンを
やってた頃には、自分は頑張って
体を若く保っているぞ、
なんて思っていたのに、
ここにきてもう65歳なんて
おとぎの国に迷い込んだみたいです。

歳を取ったら、もっとちゃんといろんなことが
わかるようになるかなあ
なんてことを考えていたのに、
全然バカみたいなことを考えている
高齢者になっていくばかりです。

もっと楽しく、もっと健やかに
元気に生きていくためには
どうしたらいいんでしょうかねえ。

まあまずは65歳になったということで、
このことをいかしていきましょうか。
今まであちこち遊びまわっていて、
65歳以上の方は無料とか
割引とかありますよねえ。
そんなのはどんどん活用しないといけませんね。
少しでも元気で楽しんでもらうことが、
高齢者の医療費補助につながっていく
という社会の仕組みに
うまく乗っていかないとねえ。

そうそう先日「介護保険証」が届きました。

ああ、もうこんな制度に
乗っかる年齢なんですね。
もうなんか変な気持ちです。

2000年からこの制度が進んでいって、
急にふくらむこの制度の利用を、
出来るだけ抑えていこうなんて気持ちで、
自立支援とかいろんな観点で
広報していったのを思い出します。

あの頃は日本には高齢者が多いから
大変やなあとか言ってたのに、
もう自分がそんな年齢になっているんですね。

まだ介護保険には該当しないような
体なんですが、と言ってても、
あっという間に該当してゆく
そんな年代に入っていくんでしょう。

時間の流れは不思議で、残酷で、
でも楽しいです。

そう考えたら人生ってあっという間の
短さなんだよ。
自分の今を精一杯生きていかないとねえ。

とりあえず65歳の高齢者突入
よくぞここまで生きてきました。
そしてまたこれからも頑張って
楽しんでいきましょう。

高齢者、バンザイ\(^o^)/
おめでとうと言っておこう。

 


やりたいことがいっぱいあって

2021年03月13日 21時08分53秒 | 生活

今、してみたいことを
ずらずらっと書いてみよう

1.ぶらぶら歩き
2.お絵かき
3.ブログ書き
4.旅行
5.友達と麻雀
6.小説読み
7.宴会でお酒飲み
8.映画鑑賞
9.温泉めぐり
10.ジム等での運動
11.音楽鑑賞
12.写真撮影

 

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とまあ書き始めるときりがない。

 

これらをきっちりやっているかとなると
なかなかうまくいかないね。
種類が多すぎる。

でもやりたいというジレンマがある。
もう多趣味高齢者のサガのようである。

 

運動しながら小説読んだり

ブラブラ歩きしながら温泉行ったり

読みたい小説の映画を見たり

など、効率よくこなしていってるものの
まだまだもっとああしなきゃ、こうしなきゃと
自分に課していることの方が
山のように多いわけだ。

こういう複合的な暮らしが完成するころには
もう命が危うくなるような超高齢
になっていてもしかたないかな。

まあそれでもいい、
楽しいことはいっぱいしておきたい。
命がよみがえってなんともう10年。
東北の復興と期をそろえている。
なので命をもっともっと満喫しておきたい。

じゃあもう少し重ねてできることはないか
それを考えてみよう。

 

音楽聞きながらぶらぶら歩き

これはまあできそうですね。
以前コロナ化で周辺を歩き回る時
ワイヤレスホンで携帯で
ラジオをずっと聞いてたなあ。

あれを続ければいいんやけど
携帯の使用ギガ数が増えるしなあ。
でもそれくらいの投資は仕方ないかなあ。

あるいはジムで小説読みながら

自転車こいで、ついでに
音楽も聴くとかになると
もういったい自分は何をしているかが
わからなくなってしまうんだよね。
本を読みながら自転車こいでるだけで
若い人には変なおっさんに
見えていたりするくらいだから。

まあ、もう見た目も変なおっさんやけどね。

でももう少し考えてみよう。

そうやなあ、今一番効率よくやりたいのは
ブログの作成が結構時間がかかるので
もう少し簡略に移動しながら
言葉を文字に変えて行ったり
携帯とかで作成みたいに
うまく行かないかなあとか思っている。
この辺のテクニックはジダンに聞いてみないとね。

そんな風に起きているときは
ああ、あれもしなきゃ、これもしなきゃと
こころ忙しくせわしなく生きている。

もうゆっくりと木陰のベンチに腰掛けながら
周りを過ぎて行く風に
風情を感じてなどという暮らしを
優雅に続けていくのはdoironには無理だろうな。

最近、幸いなことに新聞で
絵を掲載してもらうことが多いので
こういう活動を通じて
心を発信していくのはとても楽しくなっている。
普段の暮らしの中で
ところどころでこれを絵にして
そこにこんな言葉を入れてと
考えたりすることが今は多くなっているのだ。

将来的に体が思うようにならなくなってきたら
この辺の趣味はとても貴重やな
なんて考えたりもするのだ。

 

何も実にならないおっさんの暮らしですが
こんな風に、あーだ、こーだと
ごちゃごちゃ考えながら
余生を楽しんでいたりする毎日。

あした65歳になります。


オーバーオールという服

2021年02月25日 20時49分23秒 | 生活

最近はマラソンなどの大会に
出ることはないので、
参加賞のTシャツが少なくなってきている。

といってもまだ段ボール二つくらいはあるのですよ。

でもねえ、残念ながら大き目のシャツを着ないと、
ぼてぼての体を強調してしまって
この上なく格好悪いのです。

となるともうかなり枚数が減ってくるのだ。
たまに安い服屋さんで380円くらいの
シャツを買ったりもして
来たりしているのだが、
これもねえなんかシャツに
書かれてある字が変だったりする。

「切磋琢磨」なんて書かれてあったら、
ふ~んと感心したりするのだが、
今よく着ているのが「一心不乱」と
書かれたシャツだ。

doironさんらしいねえとか
言われたりするのだが、
いやいやなかなか何事も
一心不乱にはいかないものです。

そういわれたりしたときは
「いやあ、全然『注意散漫』です」
なんて答えて、これって
反対語だろうかと悩みこんだり
してしまいます。

そんな中、若いジムの客が
「あなたならどんな四字熟語を書きますか」
と皆さんに投げかけています。

私は「焼肉定食」かなあとか
私は「一期一会」かなあなどと
意見が出てきます。
若い男の子は「獅子奮迅」とか
言ってました。

ああなんかスポーツウエアに
そんなシャツがありましたねえ。
自転車こぎながら、「穴馬馬券」とか
考えてると、ジムのトレーナーは
「一攫千金」やと。

これもええなあ。

でも漢字がむつかしい。
これを印刷するとなると
テクニックが必要ですねえ。

こんな風に一日のうち多くの日は
ジムで汗をかいているので、
そんな時に着る服には、
色々と思いを巡らせているわけだ。

じゃ、ふだん着というとどうだろう。

実は最近興味のあるのが
オーバーオールだ。
生まれてから間もなく65年。
この間、オーバーオールの服を
一回も着たことがないのだ。

年齢的に今こんな服を着るのが
似合うのかどうかはわからないけど、
まあ出川君がテレビの中で着ているので、
世間的には許され度が
高くなっているんじゃないかと思うのだが、
どうだろうか。

ていうか、いまdoironがそれを着れば
「出川みたいやあ」といわれるかも
しれないけどね。

でもねえ春も近くなって、
あの気軽さには近頃はとても
心ひかれるのだ。

退職したころは、遊びの服を着て
朝の満員電車に乗るのも
少し気を使ったが、
いまはもう全くそんなことはない。
皆さんに遊ばしてもらっています
と心の中でお礼を言いながら、
通勤電車にリュックを背負って
揺られていたりするのだから、
月日の流れは恐ろしい。

まあ、もう見てくれもそんな感じやしね。
だから、オーバーオールを着て
ウロウロと歩き回っていても、
もう精神的に追い詰められる
こともないだろう。

これはもう購入しに行くしかない。

アウトレットなんかに行って、
製品をいろいろ見てみると、
それなりにいろいろと置かれている。

ジーンズ色のもあるかと思えば、
黄色、茶色、白黒ストライプなどもある。
でもねえ、ちょっと有名な
ジーンズショップとか行くと
高いんだよね。

軽く1万円は超えている。
まあ最初に着るのでそんな
高級なものでなくていい。

大型スーパーのすみっこで
売られているような安いのでいいのです。

とまあそんな風に思いながら、
まだ買えずにいます。
果たしてdoironは今の理想の
オーバーオールは手に入れられるのか。
果たしてそれを着て、
「出川やあ」といわれたりしないのか。

今はそんな具合に着る服の
買い物に興味を示している今日この頃なのだ。

 


最寄りの阪和線3

2021年02月24日 20時50分05秒 | 生活

阪和電鉄に客を呼び込むのに
ほかにも様々な取り組みがありました。

「もみぢ狩り」「ミカン狩り」
「蛍狩り」「潮干狩り」のほか
「松茸刈り」なんかもあったようです。



飯盛山や大福山に登った時に見た
松茸山なんかはきっとその
名残なんでしょうねえ。

展示物の中にはそんなイベントの
関連パンフレットもたくさん
並べられていました。

ほかにも、紀泉アルプスなんかは
「近畿行楽の處女地」
ととらえられたりしていましたよ。



パンフレットもたくさん出ていましたね。



牛滝山、お菊山、信太山



そして浅香山と大和川なんて言う
パンフレットも出ていたそうです。

どこもこれまで何度か歩いたところなので、
当時のなかみが見てみたいですねえ。
浜寺の宣伝なんか「躍動する裸像群」



なんてタイトルで紹介されていましたよ。

あれ?このパンフレットでは
「信太山ゴルフ場」なんて
書かれていますよ。



調べたら、現在府立の青少年野外活動
センターがあるところですね。
世の中の流れに合わせて、
地域の様子もどんどん変わるんやねえ。

こうして沿線沿いの観光とかも
一緒に変わってゆきます。
それに合わせて、鉄道会社は
地域の住宅地の発展にも
大きく貢献してゆきます。

泉ヶ丘の住宅地、



泉北の住宅地なんかが
どんどん進み、駅との接続で
バスを走らせたりし、
地域はどんどん進んでいきます。

そんななかで阪和鉄道は
次の世代を迎えます。

南海本線との合併です。

設立された阪和鉄道は
10年足らずでなくなりました。
この買収に合わせて、
駅名も阪和岸和田が東岸和田になったりと
変更されるなどあちこちで
名称変更があったようです。

阪和鉄道そのものも「南海山手線」という
線路へと変わってゆきました。
当時の世の中は中国との戦争なんかもあり
どんどんと変わってゆくような
状態だったんですね。

そんな南海山手線も4年足らずで幕を下ろし、
ついに阪和鉄道は国の鉄道である
「国鉄」となりました。
国鉄阪和線というのがその名前です。

こうして阪和鉄道は今のJR経営の
線路となってゆきました。
90年という歴史は大変な長さですが、
でもまだまだあちこちに
当時の名残があるそうです。

天王寺駅にあるドーム状のホーム、



富木駅、東佐野駅、長滝駅、
和泉砂川駅なんかはそのままの
形を残したりもしています。



またその砂川には、昭和5年の



記載のあるプレートが
残っていたりするそうです。

この弥生博物館では、
様々な過去のものを展示するとともに、
テーマを4つに分けて講演会もしています。

往復はがきで申し込んで
抽選に当たれば参加できるようです。
doironは今は第3回の講演会である

「阪和電鉄の痕跡をさぐる」

に往復はがきで応募していますが、
当たればいいですね。

痕跡をいろいろ聞いて探りに行く旅を
またしてみたいなあと考えたりしています。

いまや黒潮号や関空への特急なんかも
走る阪和線なんですが、
90年の歴史の中で大きく変わってきました。

地域の状況に合わせて
どんどん変わってゆく電車。
これからもまだまだ変わってゆくのかな。

まあこちらの寿命もさほど
残っていませんから、
どこまで確認できるかわかりませんが、
あと残りの人生を
この線路をまだまだ利用して遊びに
使って行けたらなと考える
今日この頃なのです。



展示会はまだ来月いっぱい近く
やっていますよ。
駐車場もちゃんとありますので、
阪和線の歴史に興味のある方、
ぜひとも一度訪ねて見られては
どうでしょうか。

月曜日は休みで、参加費は430円となっています。

 


最寄りの阪和線2

2021年02月23日 21時18分13秒 | 生活

最寄りのJRに関する展示会を
しているというので、我が家と
阪和線の間にある

「大阪府立弥生文化博物館」

に出かけてゆきました。



「泉州を貫く軌跡」と題して、
阪和電鉄全通90周年の展示会なんだそうです。

最寄り駅のある線路の歴史を
学びに行ったわけですね。
神社を抜けて裏の公園に行き、



てくてくと進んでいくと、
もう5分くらいで到着します。

市の施設でいただいた無料券を
出して入館します。

入り口で係の人に
「展示は二階です。通常展示と特別展示がありますので、
進んでいってください」と言われました。

まあ今のコロナの時期ですから
人々の交差とかを考慮して
順番付けられているわけですね。
まずは常設展示に入ってゆきます。

弥生時代の事や、このそばの公園の
発掘の事なんかが展示されています。



真ん中に女性の人形が立っていますねえ。



どうも弥生時代の卑弥呼は
ここに住んでいたというような
展示なんでしょう。
もし本当にそうなら、
もしかしたらdoironは卑弥呼の子孫で
あるかもしれませんねえ。



これが卑弥呼の食事の例らしいのですが、
こんなに食べていたらあの人形みたいな
細い女性にはならず、
渡辺直美のような姿だったかもしれませんねえ。

ほかにも、発掘の様子なんかも
展示されています。



こんな大きな木の井戸なんか、
プラスチックで復元されていますねえ。
こんな復元技術の素晴らしさも
驚きのひとつです。

足元には近隣の地図なんかも
貼られてありますねえ。
地元事情には詳しいので、
ここに家がないという事は
2年以上前の写真だとかわかったりします。



ほかにもお墓の写真なんかも出てきますねえ。



doiron
は昔からこの近くに住んでいるので、
もしかしたらご先祖さんのお骨なのかもしれません。
まあ常設展に行ったらいつも
こんな具合にDNAが刺激されたりするわけです。

さあではこの先の今回の特別展である
阪和線の歴史コーナーに
入っていくことにしましょう。

入ったところにまずは挨拶が展示されています。
そのパネルには阪和線の
歴史の概略が記載されていました。
この線路の母体というのは



「阪和電気鉄道株式会社」

という民間会社で昭和5年に
大阪から和歌山の間が全通したので、
令和二年度が開業90年に
あたるということです。

この阪和電気鉄道がのちに南海電車と合併し、
さらに国鉄に買い取られて
阪和線になっていったわけで、
その間の歴史に関することなんかが
ここに展示されているという事です。

では見ていきましょう。

この阪和鉄道の天王寺~和歌山間を見ますと、
海辺を走る南海電車と競合しています。
和歌山に行くなら南海電車という
既定の路線があったわけです。
なのでこの路線を発展させてゆくには、
乗降客を増やしてゆくという
位置づけが必要でした。

まず第一が山手における綿産業との
関連付けです。
以前だったら南海本線まで苦労して
届けた製品を簡単に電車に
乗せることができるようになりました。



次いで、信太山の自衛隊との関連、
国が作ろうとしている紀勢線との関連なんかでした。

またそれに加えて鳳から浜寺までの
支線の開通で、海辺への客も
取り込むようにしていたようです。

そして天王寺から和歌山までの
高速電車の開通も客を増やすのに
役に立ったようです。
直線の多い阪和電鉄はスピード化しやすく、
当時の鉄道の最高速度で
電車を走らせていたようです。

また仁徳天皇陵のことや数多くの自然との
連絡電車にもなったうえに、
白浜などの温泉地などとの
関連も大きな力になりました。

続く

 


最寄りの阪和線1

2021年02月22日 21時06分34秒 | 生活

doironの最寄り駅はというと二つある。

ひとつは南海本線の松ノ浜駅。

そしてもう一つはJR阪和線の
信太山駅である。

いずれの駅にも距離は大体1キロくらいで、
歩いて15分くらいというのが
我が家の売りです。
売ってないけどね。

南海本線は、子どもの頃はおふくろに連れられて
百貨店の高島屋なんかに
行くのによく使いましたね。
そこで生まれて初めて乗った
エレベーターは感激ものでした。

また小学校の友達で、
お父さんが南海電車の運転手
という子がいたので、子どもの頃は
その子に連れられて、
南海ホークスのファンクラブに入っていました。
大阪球場へ応援に行ったこともあったなあ。

そして高校も、この南海電車沿いだったので、
3年間よく利用しました。
でも子どもの時の思い出は、
やはりJR阪和線のことの方が多いです。
近所の神社の木の上の高い所に作った
秘密の椅子から電車の乗り降りが見えていた。
今よりずっと住宅の少なかった頃です。
子どもの頃というのは恐ろしく目が良くて、
ああ今電車を降りた人は
うちの村の何とかさんやあ
とか言ったりしていたなあ。
今じゃ考えられない楽しい思い出やったなあ。

そして今はそんな仲間と
ビールを飲みながら麻雀してたりするから、
人生はおもしろいもんだ。

doironの親父は和泉府中で働いていたので、
急な雨降りの時には傘を持って
駅まで迎えに行ったりしたなあ。

信太山駅は、むかし駅前に小さな池が
あって少し不気味だったけど、
その池にそそぐ川の上にあった焼肉屋さんからは、
とてつもなくいい匂いが
流れていたのを思い出す。

そして自分が大人になって、
仕事に行くようになってからは、
たいがいは車で通っていたのだが、
飲み会の時は電車でこの信太山駅を
使って通勤していたのだ。
だから今は南海電車とJRの駅の
どちらが馴染みの駅かというと、
やはりこちらのJR阪和線の方になるだろう。

まあやはりあちこち行く時は
この駅を使うことも多い。
近郊区間の割引を使って
クルリンと回ったり、
18切符で遠くは長野の上田まで
行ったこともある。
なので旅情を掻き立てる駅で
あったりもするわけだ。

まあ生きてきてまもなく65年。
その間生活に密着していた駅だから、
いろんな思い出の出発点であり
帰着点でもあったりするわけだけれど、
じゃあそれ以前のこの線の歴史を
知っているかというと、
残念ながらほとんど知らないわけである。

かろうじて覚えているのは、
高校の時に先生が
「阪和線は外国人の設計だから直線が多いんだよ」
って言ってたのを覚えているくらいかな。

それ以上のこの線路の歴史となると
もうほとんどわからない状態だ。

自分の最寄りの駅の線路の歴史かあ。

もう少し知っていた方がいいよなあ
と思い始めた最近、
あの我が家の近くにある府立の博物館で、
この阪和線の歴史について
展示をするという話を聞いたのだ。



あの直線が多い理由のほかにも
いろんな歴史があるんやろなあ。
なにせ開業90周年となる事業の案内である。
これはやはり見に行かなくてはなあ
と大変興味を持ったので、
先日その展示会を見学しに行ったのだ。

入場券は、あまり大きな声では言えないが
市の関連施設で無料券を
配っていたことがあったので、
そこに行ってみると、
「ああ、doironさん。今は配布していないけど、
置いてあるからあげるよ」と言って
もらうことができました。

市の広報で取材をしているという顔が
少し役に立ちましたね。
その入場券を持って
博物館に出かけて行くことにしました。

続く

 


ワクチン接種の影響

2021年02月21日 20時51分47秒 | 生活

新型コロナウイルスに対するワクチン接種が
医療従事者の間で始まっている。

使っているのは米製薬会社
ファイザー社のワクチンだ。

これがどんなふうに我々に効くのか
という情報も流れているが、
メッセンジャーRNAがどうとか
スパイクたんぱく質がどうなんだあ
というようなことを言われても
さっぱりわからない。

筋肉の中に打った注射液が
どうして全身に回り感染を
阻止していくかってかんがえたら、
製薬技術ってほんとにすごいものやねえ。

早くこれで、コロナ騒ぎが落ち着いて、
いろんなことが元に戻ってくるといいよねえ。

今は医療従事者への投与だけど、
4月頃になったら65歳以上の
高齢者への接種も始まるという。

もうその頃にはdoironも対象年齢に
なっているから、順番が
回ってくるんでしょうねえ。

まあでも常備の薬を飲んでいる身にとって、
それはいいのかどうかは
次の定期診察の時にでも、
医者に確認しておく必要があるかもね。

でもねえ、じつはもう影響が
doironの生活の中にも出ているんです。
今飲んでいる薬の中には
血圧に関する薬があるのですが、
それが変わるんです。
成分的には同じなので影響ない
といわれるんですが、
何種類かの薬を飲んでいると、
一回ごとの飲む薬を
チェックしないといけません。

ましてや、今日は薬飲んだっけ?
と忘れてしまうような状況が多く、
ミセスには百均で薬のチェック表を
買ってこないといけないなあ
と言われたりするくらいなのだから、
薬に関して越えていかねばならないことは
意外に多い。

で、なんでワクチン作業が
doironの薬を変えたかというと、
これまで飲んでいた薬が
ファイザー社製だったんです。
でも薬局の人が曰く、
ファイザーがこの血圧の薬を作らなく
なったんだそうです。

なので、今回からこれに変えますねえ
と確認してきはりました。
まあ成分同じやし、これがないと
生きていけないという薬でもないので、
これはもう即、了解です。

ファイザー社はワクチン製造に
力を入れないといけないので、
この薬の製造をやめたというか
中止したようなんですね。

ああ、これでまた薬を飲むときの
種類分けをしばらくは
意識していかないといけませんね。


コロナはいろんなところに
影響してゆきますね、というお話でした。

 


六回目の味噌づくり

2021年02月13日 21時23分36秒 | 生活

仕事を引退してから、
最近は味噌を自分で作っている。

2015年から味噌づくり一筋だ。

手作り味噌に名前も付けている。
その名も「マルナゲ味噌」。

地下収納庫に眠っている我が家の味噌麹菌と、
地元の大豆を使い、麴に製造を
一切マルナゲしたお味噌である。

たくさん作った年もあったので、
何年かは空いたが今年で
6回目の味噌づくりとなる。

まあこういう作業は嫌いではないが、
あまり性格的にこういうことに
マメではないので途切れがちに
なりそうなところ、
こうして作った味噌が半端なくうまいので
それを思い出しつつ、
ついつい頑張ってしまうのだ。

今年は、少し変わったことをしてみた。

と言っても大したことではない。

豆を和泉市産ではなく
北海道産の鶴の子大豆を使ってみた。

大豆生産量日本一の北海道でとれた高級豆だ。

そして麴は味噌づくりにこだわる
和泉の製粉業者の生麹だ。

ここへ明石の塩とか入れてみたかったのだが、
一気にいろんなことを変えるのも
無理があると判断し、今回は
いつも通り普通の食塩での生産だ。

巻きずしを作ったその日つまり節分に、
まず1kgの豆を水につけておく。

そして翌日の立春にそれを煮るのだ。

これは少しこだわって煮る。
かたさを見ながら煮てゆくのだ。
だいたい親指の硬さ具合と思っているが、
その辺を微妙に確認しつつ煮てゆく。

いい具合に煮あがったら、
その茹で水を100ccほど残して
容器にとり、豆はざるに入れて
水分を切っておきます。

そして数分後、その豆が触っても
熱くないくらいになったら、
さあいよいよ味噌づくりの
本番が始まります。



固めのビニール袋にその豆を入れ、
おろし棒でつぶしてゆきます。



固めのビニールと言っても、
力の入れようで破れてしまいますから、
用心して進めていかないといけません。

地道にコツコツとゆっくり進めてゆき、
ようやく丸い粒が目立たなくなったら、
今度は足で踏んでゆきます。



ごつい足ですが、やはり人間の感覚は
優れていますねえ。
固い所や残っている丸い粒なんかは
微妙に感じ取ることができます。



そしてようやく硬さを感じなくなったら
容器にあけて、先にシオを混ぜていた麴を
まぶしてゆきます。



あ、そうそう今夏は塩の量も
いつもの三分の二くらいに減らしました。
塩分控えめのお味噌にしたかったのです。
麴をまぶしつつも、
細かくチェックしてゆきます。
残っている粒なんかもこの時に



発見されたりするので、
それをつぶしつつ行います。

そんな感じですから、豆つぶし、
麴混ぜもいつもよりしっかりと
時間をかけて行います。



最後の方で、豆を茹でたときに
残した水を追い出ししてゆきます。
そして豆と麴が混ざってきたら、



今度はそれらを団子にして



空気を抜いてゆくのです。



だいたいこんな団子が15個できます。

今度はそれを、大きな入れ物
(今回は大鍋にしました)に
ぶちまけてゆきます。
これも空気を抜いて行くように
押し付けて入れてゆくわけです。
あ、このときはまたビニール袋で
包むようにしてゆきます。



団子15個がすべてが入ったら、
カビが来ないように表面に
少し塩をかけて、サランラップで
軽く蓋をします。ビニールを閉め、
そしてさらに小さなビニールの押さえふたを置いて、
遠近の山で取ってきた石を
軽い重しにして置きます。



これで完成です。

これを地下の物入の中に入れて終了です。
6回も味噌を育ててきた物入ですから、
doiron家の麹菌なんかも生きているんでしょう。
これでもうすべて麹とdoiron家の
床下の大自然にお任せして、
半年くらいで完成するはずです。



さて今年は少しずつ手法を
変えて行った味噌づくりです。
そこがミソですね。

どのような味噌になるか
とても楽しみなのであります。


立春から新しい年まわり始まる

2021年02月03日 21時02分03秒 | 生活

昨日は節分でした。

という事は今日は立春という事ですね。

124年ぶりに2月3日が
立春という事になります。

この立春というのは、
太陽の黄経が315度の瞬間のある日を
そう名付けています。

今年はなんと2月3日の23時59分に
315度になるのでこの日が
立春という事になります。

ウワー珍しいですねえ。

でもねえ、その123年間が
全部2月4日だったかと言いますと、
そんなことはないんです。
1984年や1980年などは
2月5日だったんです。

地球の動きと人々が決めた日にちとの間には
微妙なずれがありますねえ。
まあ当然なんですけどね。

で、節分は立春の前日という事で、
まあ今年は少し珍しい2月2日が
節分になったんですね。

でもねえ4年後の2025年も
2月2日になる予定です。

太陽の動きが変わらなければね。

そんな節分ですが、
この頃は海苔巻きを作って、
それをかぶるという風習があります。
お寿司屋さんが計画したんやろねえ。
でもまあどんなんでもいいんです。
そういう計略に乗っかって
日々を楽しみましょう。

なのでこの日はdoiron
巻きずしを作りました。

毎年節分には作っています。
先日S経新聞に載ったのは、
昨年の巻きずしの絵でした。



では今年も頑張りましょう。

巻きずしのネタと言えば、



かにかま、高野豆腐、卵、



キュウリ、三つ葉、かまぼこかな。



そして今年はdoiron分だけ、
明太子イカを加えました。



炊き立てのごはんには酢を入れて
冷やしてあります。



では握ってゆきましょう。



まずは海苔の上にご飯を置いてゆきます。



この時は手前側のごはんを多くします。

そして具を並べて、



そろったら巻いてゆきます。



できるだけ具が真ん中に来るように
意識して巻きますよ。



そうしてできたのが、
doiron巻きずしです。



ウワー、うまそう。

でも我慢しないといけませんよ。
ジムいって汗をかいてきた後で
豆まきをし、その後お寿司をかぶります。

あ、豆まきでのこった豆は
袋に入れて神社にお供えに行きます。
まあ神主はこれを処分するんでしょうが、
神社に住む野鳥の餌とかに
するんでしょうねえ。

そしていよいよ海苔巻きです。

今年は南南東の方を向いて食べます。
我が家からだとジム方向になりますかね。

一口かぶった後は、切ってゆきます。

断面はこんな感じ。



やわらかいのと切るのに手間取って、
部分的にクチャッとなりましたが
まあまあうまく巻けています。

今年くわえたイカ明太の味も
じんわりとしてていい感じです。

イカはやはりうまいですねえ。

まあこうして今年の節分も
無事終わりました。

え?いわしはとかいう声も
聞こえてきそうですが、
御心配なく。

昼ごはんのときにいただきましたからね。

占いをしていた義母さんに言わせたら、
この立春の日から運勢が変わるようです。

今年はどんな年まわりになるかなあ。
まあ今程度の幸せが続いてくれたら
いいんやけどなあなんて思いつつ
立春を迎えたdoironだったのでした。

 


そして今日は大寒

2021年01月20日 21時28分50秒 | 生活

寒いねえ、本当に外を歩いていても
背中が凍りそうになる今日この頃。

で、今日はというとdoironの
カレンダーを持っている人は
見てくださいよ、
24節気で「大寒」という日です。

一年で最も寒さが厳しい期間といわれています。

こういう季節の移り変わりを
言葉にするって、面白いねえ。
中国が元の考え方なんやろね。

寒い季節でもこの季節が終わったら、
春が目覚め始めるともいわれています。
近所の公園じゃもう梅が咲いているけどね。



え~地球物理学的にこの
「大寒」を分析すると、
太陽の黄経が300度のときを現します。

日にちでいうと1月19日から21日。

でもまあ20日であることが多いかな。

ここからどんどん春に
向かって行くんだよねえ。
辛い時には暖かい日々への
月日の流れがもう始まっている
というわけですね。

辛くても、さあここから
頑張らないととしっかり
生きて行かないとね。

寒さを楽しむ方法は
まだまだ他にもいろいろありますよ。
外を歩くのは寒くて勇気がいるけど、
歩いてみたら意外に楽しい
ってこともありますし、
日常生活の中でもそうです。

例えばこのころに生まれた卵は
「寒卵」と言われています。

今は品種改良でいつでも
卵を産むみたいですが、
昔は鶏が卵を産み始める時期
という事だったそうです。

24節気の中の72候で
「鶏始乳」と言われています。
なのでまあ、この時期に
炊き立てご飯で卵飯を作る
というのもいいんじゃないですかねえ。

季節を味わう卵ご飯、
そう考えただけで
おなかがすいてきますねえ。

そうそうそういえば72候では
「款冬華(ふきのはなさく)」
ともいわれています。

これまで歩いた地域を振り返りつつ、
フキノトウという春の恵みを
いただきに行くことも
考えていくのもいいですねえ。

ほかにも、このころの水は
「寒の水」と言われています。
コロナ対策でアルコールまみれで
いたんだ手指には冷たい水は
こたえますねえ。
でも洗わないといけませんね。
それどころか手洗いに加えて
うがいもきっちりしないとね。

そんな冷たい水なんですが、
この寒の水を使ってお酒の
仕込みをするといいともいわれています。

「寒仕込み」のお酒はおいしいらしいです。

あまり酒の味はわかりませんけどね。

そしてそれは味噌に関してもそうです。
寒の水を使って作るお味噌で
あったかい味噌汁。
ふむふむ、季節を越えた味ですなあ。

という事なのでこのころを基準に
今年も味噌を仕込んでみよう
と思っています。
そのためにも大豆、麴を
仕入れに行かないとねえ。

季節のものは、その時期に地元で
撮れた野菜で作るのがいい
ということで、味噌づくりには
ずっと和泉の豆を使っています。

うちの「マルナゲ味噌」は
泉州の味なのです。



そのためにも大豆は山手の市場へ
買いに行かないといけませんねえ。
そしてもう一つの大事な材料である
麴は味噌づくりに非常に
興味を持っている麴屋さんを
見つけてあるのでそこへ行きましょう。

いろいろあるでしょ。

そんな季節に応じた遊びを、
毎日寒いけど心まで凍らせないように
しっかり楽しんでいかないといけませんねえ。