ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 有田に降りた 4

2014年10月06日 21時56分24秒 | ウォーキング

お、「蕪坂王子社」に到着です。



今は公式には「蕪坂塔下王子」と言われています。
いわれは、「鏑矢」からきていることは
先にも書いた通りです。
社の横には



その「鏑矢」事件が詠われた万葉集の歌碑が、
ここに刻まれてありました。



ここでスタートしてから約1時間30分。
急な登りを歩いてきて
汗まみれになってるわりにあまり時間が経っていません。

そして古道はここからはこれまた急な下りが始まりますので、
靴のつま先の紐を締め直し、下っていきます。



下りなのでペースはやはりアップしますので、
すぐにここに到着しました。



「太刀の宮」。

え~、ここで左党の人はピンときましたよね。
この「太刀の宮」はなんと「立飲み屋」と同じ読みなのです。
ここが立飲み屋、いや太刀の宮といわれるのは、
ここまで逃げ延びてきた武士が
(詳細は由緒書にありましたが省略します)、
城を脱出しての道すがら
ここで疲労のあまり寝入ってしまったところ、
追っ手に襲われてしまいました。
身体が動かず、もはやこれまで
と思った時に腰の太刀が自然と抜けて
大勢の相手を切倒したそうです。

それでその太刀を恐れ畏み奉納したのがこの社だった、
とまあそんなことが書かれてありました。
ジェダイの持つライトセーバーのルーツだったというわけですね。

道はさらに傾斜を増して、
カラスウリが実を結び、



アケビが鈴なりの小路を下っていきます。



道案内も何種類かありました。
これは「有田みちくさクラブ」がつけてくれているもの。



最初は「みちくそクラブ」に見えて、
「なんとやけっぱちな名前なんだろう」
とおもったら「みちくさ」でした。

そしてこんな看板もありました。



道案内を親切に建ててくれている割には、
表示がシンプルすぎて悩んでしまいました。

そんな案内に導かれて、到着したのが

「爪書地蔵」です。



かなり手前の沓掛の児童会館のところに説明板がありましたね。
大きな岩に、弘法大師が爪で描いたという
阿弥陀如来と地蔵菩薩が線で刻まれています。



かつて地蔵を信仰することが、
阿弥陀の極楽浄土につながるのだ
という信仰の図式があったそうです。

この線画を詳しく見ると、
地蔵菩薩は足の形などから
歩いている姿を描かれてあるそうで、
広く庶民の救済に回っていると言われています。

doironは歩き回っても何も救済できませんが、
少なくとも自己の好奇心は充足、
救済されているのかもしれません。

道はさらにミカン畑の中を下っていきますと、



おお~有田の町が見えてきました。



見えているのは有田市の宮原の辺りで、
まさしく小説「有田川」の舞台です。

主人公の千代は有田川の増水に流され、
お寺の一本の樹につかまって
一命を取り留めます。

千代は理由あって素性を明かさず、
宮原でミカンの仕事に従事しながら、
接ぎ木、施肥、消毒などの
ミカン栽培に必要な知識を身につけていきます。
その知識は相当なもので、
晩年彼女は「ミカンの小母ん」と言われるまでになってゆくのです。

そんな彼女が一日のほとんどを過ごしたという
山のミカン畑の中を、
熊野古道はくねくねと続いていきます。
おりしもミカンの実がたくさんついてる季節です。





落ちたばかりのきれいなミカンを割って
口に入れると、口の中に
香りと甘さとすっぱさが充満しました。

「まるでミカンのトライアスロンやあ~」

はい、失礼しました。

ミカン畑の中に縦横につけられた道の中から、
道を選んで下っていくので、
ここでもこんなシンプルすぎる案内には往生し、



途中行き止まりの場面に出くわしたりもしましたが



まあ何とか、下りきって街の中に入っていくところで、
今回唯一のスタンプポイントである山口王子に到着しました。



続く。