昨年の4月25日のこのブログで、
忠岡町の永福寺というお寺にある
「柏槇(びゃくしん)」
という大きな樹の話を書きました。
樹齢1400年というその樹は
強固な意志があるようにねじ曲がり、
長年の風雪にも耐えていました。
小説「有田川」で、
大雨で増水した川に流され、
まるで自らの人生のように翻弄されながらも
最後に主人公千代の命を助けたのが、
宮原にある浄念寺の庭にそびえる柏槇でした。
そのくだりはこうです。
・・・手の先に触れたものがあった。
流れているものでないことは確かだった。・・・
千代は足で水を蹴ってぐいと躰を持ち上げると、
水の上に出ている枝に片手を移し、
螺旋のように渦巻いている木の先に登って行った・・・
その柏槇がそびえている浄念寺が、
熊野古道コースからはずれて
少し西に入ったところにあるというので見に行きました。
熊野古道ふれあい広場を右折します。
と、その交差点の角に
こんな石が建てられてありました。
「昭和二十八年七月十八日大水害最高水位標」。
多分石に刻まれた三角の頂点がその水位なんでしょう。
手を伸ばしても全然届かないほどの高さでした。
有田川の堤防が切れ、
まさに怒濤のように水が流れ込んできたのでしょう。
小説の舞台は今読んでいるところでは
もっと昔の頃なのですが、
こんな水害はたびたびあったと
文中にも書かれてありました。
ミカン畑と住宅が点在する道を西へ進みながら、
浄念寺はどこじゃろと地図と景色を
見比べながら歩いていると、
すぐにわかりました。
家の屋根と屋根の間に大きな樹冠が覗いていたのです。
それを目印に歩いていくと、ありました。
浄念寺です。
そしてその門の横にそびえていたのが
樹齢500年以上の柏槇です。
樹齢1400年といわれる永福寺のビャクシンにはかないませんが、
南国の地ですくすくと育ったこの樹は
樹高でそれを上回っているようでした。
幹は書いてある通り「螺旋のように渦巻」きながら
成長してきた様子がよくわかります。
このビャクシンは有田川の氾濫による
水害のとき何人もの命を救ったことから
「人助けびゃくしん」と呼ばれているそうです。
その樹の横にも、先ほど見た
最高水位標が建てられてありました。
確かに樹高は最高水位を凌駕し、
水の流れにびくともしないような
貫録でそびえていました。
クスノキも巨木になりますが、
枝がさくいのでこうはいかないでしょう。
今にも何か身をよじらせて動き出しそうな
ビャクシンにしばし見とれてしまいました。
では次にその問題の有田川を眺めに行きましょう。
元来た道を戻り、
宮原の街を眺めつつ熊野古道を通って
有田川に出ました。
この日帰宅してから「有田川」の最後の部分を読むと
小説ではまさに水位標に刻まれた
昭和二十八年七月十八日の水害のことが
ラストシーンとなって書かれてありました。
和歌山県内で死者1000人以上の被害をもたらした、
県内史上最大の水害だったそうです。
以来、この災害をきっかけに
治水対策で作られたダムのおかげで
あのような大きな被害は出ていないそうです。
この日の有田川はとても穏やかな流れで、
とてもこの川が氾濫し、街に牙をむいた川とは思えませんでした。
こうして、「熊野古道有田に降りた」は終了です。
次回からはいよいよdoiron未踏の
区間の歩行が始まります。
どんな歩行になるのかワクワクしながら、
宮原の駅から電車に乗り、
帰路についたのでありました。
終わり