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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍田古道を歩いてきた7

2021年03月16日 21時04分19秒 | ウォーキング

龍田大社の末社である
神奈備神社を過ぎてきました。



たいていは山の端にあるという
数々の神奈備神社。
漢字では「神南備」「神名備」「甘南備」と
いろんな字が書かれています。

でもどれも「かむなび」と読みます。

閉鎖されていて残念でした。
そしてそこからまだまだ急な安村坂を登って、
ようやく到着したのが「龍田大社」です。



この道が「龍田古道」と
いわれるようになった原因の場所ですね。
この大社の祭神は
天御柱命(志那都比古神)と国御柱命(志那都比売神)。
祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、
社伝によると、崇神天皇の御代に
凶作が続いたとき、
夢でこの風神のお告げをうけて
創建されたということです。

前回、竜田古道の里山公園から
大和三山を眺めつつ
登った山に奥宮がありました。
ここに風神が降臨したんだ
という御座峰がありましたね。



風の神様として古くから
信仰を集めてきました。

奈良方向から、大阪の方へと人々が向かうとき、
この龍田大社で無事を祈って別れたそうです。
第10代崇神天皇の時代に
天皇が夢で見たご神託で
築いたといわれる官幣大社です。
難波の宮と大和を結ぶ大切な場所にあり、
この最古の官道の
名前にもなっている由縁の深い所。

「龍田古道」の根幹部分となる大社です。

では中に入ってゆきましょう。



まず最初に目立つ鳥居は
「両部鳥居」ですね。
密教の金剛・胎蔵の両部を表す
稚児柱が付いています。

わずかに神仏混淆の思いを
残している鳥居なんですが、
そんな意味も含んでいるのかなあ。



あれ?その鳥居の前の
神社境内ではない側に
小さなほこらがありますよ。

これは「安村家邸内社」と
書かれてあります。

三郷駅と龍田大社の間の坂道を
「安村坂」と言いますが、
その安村氏の庭にあった社だそうです。

安村氏は龍田大社を管理していました。
一方で、大和川の亀の瀬より上流で
「魚梁船」で水運業もしていました。

魚梁(やな)というのは
龍田大社で使う魚を捕る場所のことを
言うそうです。

幕府はその水運で儲けたお金を
龍田大社にそそぐようにと命じており、
龍田大社と安村家の関係は
公認されていたようです。

そんな地域の有力者の社が、
大社の鳥居前にでんと
置かれてあります。

ではそこにお参りして
大社の鳥居をくぐってゆきましょう。

先ず左手に伊勢神宮の遥拝所があります。



この神社は伊勢神宮の二十二ある
明神大社のひとつ。
こうして遥拝所が設けられています。



そしてここが本殿。

もともとこの地は和泉山脈が途切れ、
西からの風が強く吹くところ。
なのでそんな風を神のように
見立てて祈るところです。

風のまにまに旅を続け、
風にあらがってというより
風に便乗してブラブラ生きている
doironは風神ではなくて
風人と呼んでやってください。

さあこれで龍田古道の中心部にもお祈りです。
ここは紅葉も素晴らしく
きれいなところだそうです。
なにせ神紋が八枚羽の楓紋。
秋にも来てみたいものです。

あ、楓で木へんに風って
書くんやね。
さすがに風神の神社ですなあ。

そして本殿の横には高橋虫麻呂の
歌碑がありました。



桜の花を散らす風が吹かないようにと、
風の神のことをうたった歌です。
こんな歌ってあまり形のないモノでも
しっかり残っていたりするんですね。

さあではこれで龍田大社の
お参りも終わりです。
ここではほかにも風鎮祭りとか
行われたりするんですね。
神社の一角にはこんな立派なおみこしが
しまわれていたりしました。



季節を変えてここにやってくるのも
また楽しいのかもしれませんね。

続く


いよいよ別のブログが始まります。
このブログはもうすぐ終わり。
新しいブログをはじめていこうと
思っています。

新しいブログに届くかな?



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