ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

甲子園マラソンを歩いた 3

2019年10月31日 20時40分19秒 | ウォーキング

そして、ここが武庫川です。



二級河川ですね。
甲子園マラソンでスタートしてから
7キロくらいの地点ですね。

丹波篠山市を源とし、
瀬戸内海に流れるこの川には
doironもいろいろと思い出があります。

ひとつはとても重大な思い出で、
この川沿いを走っていた
あの宝塚マラソンで
あんな人生最大の大事件があったことです。

あれ以来、doironの人生は
大きく変わっていきましたね。

まあ今にしてみれば、
特に悪い方向ではない
と思いたいですねえ。

もうひとつは、ここで開催される
ウルトラマラソン70キロを
友達が完走したことです。

腰痛を抱えながら
やめるやめると叫びつつ
完走したのはすごかったなあ。

そしてさらに思い出がもう一つ。
あのかつて電車が走っていた
福知山線の配線跡の散策歩きです。

あそこはさすがに気持ち良かったです。
そんないろんな思い出の詰まった
この川を、甲子園マラソンは
コースの後半として迎えます。

一般道からくねくねと道路を曲がって
河川敷に入っていきます。
下に降りると自転車道の
アスファルト道と土の
歩行者道がありますが、
多分最初はこの土の道を行くのでしょう。



風や雨の強い日だったら
走りにくいのですが、
好天だったら気持ちよく
走れる道ですねえ。

阪神電車の武庫川駅の下あたりで
8キロ地点を迎えます。
あ、ここでそろそろ時間はお昼です。
今日の昼飯はといいますと、

・・・じゃーん。



豪華でしょう。
ジダンの走り終わりの宴会のようです。
近所のコンビニで買いこんだビールと、
今日はコンロを持っていなかったので
コンビニでお湯を入れて
500mくらいを、
頑張って河川敷迄運んできた
味噌ラーメンです。

麺をずるっと口に入れたときに、
遠くにいてたカラスが
ちらっと目線を送ってきましたね。

さあ、ではここからあと13キロです。
では頑張て行こうと思ったのですが、
ビール飲んじゃったしなあ。
自分の距離計を見たら
10キロは歩いているしなあ。
とりあえず今日はここまでにしておくかと、
阪神電車の方に向かって行った
doironだったのです。

まあ、こんな日和見な毎日を
過ごしているわけです。
帰り道には阪神電車で
難波経由で帰りましたよ。



難波では、道歩きの格好で
紅葉にはまだ少し早いなあ
とかいいながら御堂筋を眺め、
本屋でぶらぶらしながら
帰宅していったのでありました。

ーーーーーーー

で、さっそくすぐのその翌日ですが、
あまりの天気の気持ちよさに誘われて

「さあではまた今日も武庫川の方に行くかあ」
と出かけていくことにしました。

途中阪神電車の時刻表なんかを
ゲットしながら、この日も
武庫川駅へと向かいました。



さあでは電車を降りて
河川敷へと向かいましょう。



この日も平日ですが、
自転車道にはロードバイクが
歩道にはランナーが
結構たくさん来ています。

ここの自転車道は歩行者の歩きは
禁止なんですねえ。



がんばって漕げますねえ。
でもまあ横切ったりする人も
いるから注意はしないとねえ。

むかし皆生のトライアスロンで、
村中を通るときに
すぐ目の前を高齢のおばあさんが
一人横切ったことがありましたねえ。
渾身のブレーキと華麗なる
ハンドルさばきでよけきったけれど、
大会の時でさえそういうことですから、
平日の一般道なんかは
いつも危険を予知しておかないと
いけませんね。

スマホ自転車で人をはねて
高額な補償を請求なんてことも
ありますからねえ。

トライアスリートなんかは
練習時の自転車事故もあるので、
必ず保険に入っておきましょう。

歩道をひょこひょこと
歩いていきましょう。
右手にはずっと武庫川の川が
流れています。



ところどころに、
鳥なんかもいてますねえ。
そんな観察をしながら
のんびり進みます。

続く


甲子園マラソンを歩いた 2

2019年10月30日 21時19分08秒 | ウォーキング

甲子園から続く道は、
やがて海に向かって突き当たります。



左にある特別養護老人ホームには
足湯なんかもあるようですが、



開いていてもマラソン中に
浸かっていってはいけませんよ。
左に曲がって東向いて走っていきます。

右手は公園のようになっていますねえ。
浜甲子園運動公園で、



その横に鳴尾球場跡
というところがあります。



ここは歴史のある球場で、
もともと高校野球というのは
豊中で始まりました。
でも一面だけの球場で
参加者も増えてきて、
第3回の大会からは
ここで行うようになったそうです。



でもそれもだんだんと規模も大きくなり、
ついに甲子園球場が出来て
今の形の甲子園になったといわれています。
なのでこの球場は高校野球の
基礎を築いたところなわけですねえ。



え~doironはここで少しだけ休憩です。

浜風の中座っていると
遠くの方から甲子園の球場のような
応援の声が聞こえてくるような気がします。

見ると遠くの方のベンチでは
おっさんが転がって寝ています。
も、もしかしたらかつての
エースかもしれませんな。

マラソンもまだここでは2キロくらいです。
さあここの状態で今日のレース結果が
ぼちぼち見えてくるかもしれません。
doironも続けて歩いていきましょう。



海沿いの道を歩いていくと、
道は左に大きく曲がっていきます。



この先の鳴尾川にそって
曲がっていくのですね。

そして割合に小さな交差点を



右に曲がったら、鳴尾川の
橋のところに出ます。



鳴尾川は海からここまでは
オープンの川なんですが、
ここから上流は地下に
潜っていきます。



ここでスタートしてから3キロ地点。
その橋を渡って右折。
Uターンするように川に沿って
曲がって川沿いを
下流に向かって歩いていきます。



左に大きな団地があるところを
歩いていくと、渡船の案内が出ていますよ。



木で隠された蓋をどけたら、
この先に渡船場があることが
わかります。
武庫川の一文字や
導流堤に出ていく釣り人の
渡船だそうです。

タチウオ、ツバス、
ハマチ、チヌ、キビレの
いい釣り場がありそうです。

昔ねえ、トライアスロンショップの
アンケートで、
自分のスポーツについて
答えたことがあります。

あの時は、トライアスロンや
ウルトラランをやるだけやって、
年をとったら魚釣りなんて
書いたことがありますが、
残念ながらあまりそんな
釣り友達もいないので、
取り掛かれずにおります。

いつかこんな渡船に乗って
釣りに行くこともあるのかなあ。



でももし行くのなら、
地震時の津波対策なんかも
よく聞いておかないといけませんね。

そんな渡船場を過ぎたら
道は左折して東に向いて
進んでいきます。

その交差点で4キロ地点
くらいになるはずです。

この辺はまわりに住宅とかも
なくなってきましたねえ。
応援が少し寂しくなる
ところかもしれません。

そして前方に給水地点が
見えてきたら5キロ地点ですねえ。

そのあたり手前の右手に
大きな建物が見えてきます。



これが「熊野の郷」といわれるところで、



テニススクールや天然温泉が
あったりします。
なぜここで熊野なん?って思うでしょ。

で、調べてみたら
和歌山の建設重機の会社が
経営しているからのようです。

違いますか?違ってたら
また教えてください。

その会社が見えたら道路の下をくぐり、
小学校の横を走ります。



え~この辺りの小学校って
なにかニュースにならなかったっけ?
最近は小学校って聞くと
激辛カレー事件とかを
思い出してしまいます。

そして道が急に細くなる
手前くらいに右折して、



武庫川の高層団地の間の道を
今度は北向いて走っていきます。



途中に6キロ地点がありますねえ。
そこをすぎたら堤防の上へと
道がわずかに登っていきます。



続く。


甲子園マラソンを歩いた 1

2019年10月29日 20時37分45秒 | ウォーキング

昨日はマスキャラの事で
トラッキーが登場しましたね。



阪神タイガースのマスキャラで、
甲子園で活躍しています。
実はそんな甲子園でまもなく
マラソン大会が行われます。

かつては西宮国際ハーフマラソン
という大会が名前を変えて
西宮甲子園マラソンとなり、
今回で3年目を迎えます。

そんな大会にジム友が出るというので
ネットを探りコースを見てみたら、
なかなか歩くのにもよさそうな
コースではないですか。

甲子園をスタートして浜甲子園に行き、
高校野球始まりの地を眺めた後は
鳴尾川をまいて再び浜近くから
武庫川に入ります。

そこからは、武庫川河川敷の
往復コースを走ってゴールの
21.0975キロ。
武庫川はウルトラマラソンも
開かれるランニングコースです。

では一度歩いてみることにしましょう。



まずはJRで西九条まで行って、
そこから阪神電車に乗り換えて
尼崎、武庫川を越えて
甲子園に向かいます。

途中、伝法とか通って
淀川歩きの時を思い出します。

さあ、まもなく甲子園です。



この時は阪神タイガースが
CSでベイスターズに二勝し、
巨人とのシリーズに臨んでいこう
というときです。
きっと甲子園も盛り上がって
いるんでしょう。
電車がついて、駅を降りてみますと、



あれ?なんか静かですよ。
ジャイアンツをやっつけろ~
みたいな感じもありません。



あのリーグ戦の野球開催時には
多くの出店でにぎわっていた駅前も、
今日はガラーンと静かです。

そうかあ、ジャイアンツ戦は
東京で行われるので、
こちらでは盛り上がっていないのかあ。

盛り上がっているのは自販機くらいかなあ。



それとローソンも何となく
色合いがタイガース色だし、



こんなグッズ店も営業しています。



ここはお休みです。



東京に行ってるのかなあ。
まあ盛り上げというよりは
普段の商売の姿ですけどね。



さすがに西宮のマンホールも
甲子園模様です。



球場の南の端には
甲子園歴史館がありますよ。
2010年に資料館から
この歴史館に代わりました。
中には、阪神タイガースコーナー
のほか高校野球コーナーや
甲子園ボウルコーナーなんかも
あるそうです。

入館料は600円ですが、
別途料金で甲子園内の
見学ツアーなんかもあるようです。

まあ今日はマラソン歩きなので
入りはしませんが、
この甲子園マラソンも
長年積み上げてきたら
「甲子園マラソンコーナー」も
できたりしてねえ。

あ、甲子園に関して
こんな話があります。
昔、他市の市長と話を
したことがあるのですが、
その人は高校時代野球部だったそうです。

昔の名門校で甲子園を
目指していたのですが、
結局その時は出場はかないませんでした。

あ~あ、甲子園目指したのになあ
と残念だったそうです。

でもその後その人は市長になり、
なんとこの甲子園で
始球式に出たそうです。

「あの時は、高校時代の夢が
こんな形でかなったかあ」
と感無量だったといっておりました。

人生、どう転がっていくのか
わからないものです。

そんな高校野球の思い出は、
この歴史館の横の高校野球の
モニュメントに残っています。



各大会の優勝校の名前が
印刷されて残っているのです。
もう履正社の名前も載っていましたよ。



出場した人にはうれしいモニュメントですねえ。

あ、そうそう今日は
マラソンコースの取材でしたね。
テーマをそちらに戻しましょう。



この甲子園の駅前、
球場の横くらいが
スタート地点になるのでしょうねえ。

海に向かって真っすぐ続く道です。



若干は下り坂でしょうかねえ。
この道を突き当りまで
1キロと少し走っていきます。

出場者も多い大会なので
結構混雑するかもしれませんね。

でもハーフマラソンですから、
タイムを狙う人には最初から
計算して思い切って飛ばしていきましょう。

続く。


ますキャラに隠れた人間模様

2019年10月28日 21時25分37秒 | 最近の出来事

甲子園といえばいろんな思い出があります。

ホームの後ろでテレビ観戦していたら、
見事にテレビに映ったこともあるなあ。
ビール飲んでたやんと
友達に言われました。

楽しかったなあ。

でももっと楽しい思い出も
あったんです。
その思い出は外野で野球観戦を
しているときに、トラッキーが



観客席に投げたボールが
見事にdoironの前に
飛んできたことです。
あの時は集団でいったので、
みんなに「とったど~」と
自慢したことがありますねえ。



あの時の観客は何人くらいいたのだろう。
5万人くらい?
だったら5万分の一の確率やねえ。



ナンバーズ4で一等をとる確率よりも
5倍は高い確率だ。
それらのことは野球よりも
もっとめちゃ印象に残った出来事でした。

そしてねえ、実はトラッキーとは
その前にちょっとふれあいが
あったのです。

ある保育所にトラッキーが
やってきたことがあります。
それを取材したのです。

喜ぶ園児たちとはしゃぎまわるトラッキー。
なんと園の庭でバク宙をやるのです。
最初はほんとのトラッキーかな
と疑っていたのですが、
それを見て確信しましたね。

これは本物や、とね。

そのあとで係の人に
「今日のトラッキーの中身は
いつもの人ですね」と聞いたら
なんていったと思います。

「トラッキーは人が入っているんではなく、
甲子園に住む不思議な生き物なんです」だって。

はいはい、気持ちはわかりますがねえ、
僕は本当のことが知りたいだけなんです
って言いたかったんですがね。

まあそれにしても立派な付添人でした。

その事件を社内の会報に
書いたことがことがあり、
大変大きな反響をいただきました。

トラッキーとはそんなちょっと
不思議な縁があるのです。

doironがつとめていたところにも、
マスコットキャラクターはいます。
そんなマスコットキャラクターを
選ぶ仕事に少しかかわったことがあります。

インターネットを通じて、
キャラクターを募集したのです。

結構な応募があって、
その応募された中身を見ると
とても面白かったですねえ。

「こ、こんなキャラクターは復元できないぞ」
なんていうキャラクターもいました。

それなりにみなさんいろいろと
趣向を凝らしていましたねえ。

結局選考委員会の中で
選ばれたキャラクターにきまりました。

定期的に開く記者会見の中で
そのキャラクターを発表したら、
記者の皆さんに
「これはdoironさんが着たらいいですやん」
といわれてしまいました。

doironはその記者会見の司会者だったのです。

社長も副社長もいる記者会見で
めちゃ目立ってしまいました。

「こ、これはわが社に住む
不思議な生き物なんです」
と叫びたかったですが、
「えへへへ~」と笑うだけしか
できませんでした。

もう全くどんな人間やと
思われているんでしょうかね。

そうそうマスコットキャラクターというと、
もう一つ関係のあるやつがいます。
それがdoironが住んでいる市の
マスコットキャラクターなんです。

秋にランニングクラブが開催される
3時間走のお手伝いをしているのですが、
そのキャラクターをdoironが
借りに行くわけです。
そこの部署はいろいろと
馴染みのある部署なので、
気軽に行けるのですが、
行くと「中身はdoironさんですかあ」
などとよくいわれます。

う~ん、どうしてもそういうキャラに
見えてしまうんですねえ。

実際現場での中味はいつも同じ人で、
いろいろと趣向をこらして
遊んでくるひとなんですがねえ。

そういう宣伝もしたいくらいです。

もっとこれらに関して
書くことはほかにもいっぱいあるのですが、
今日はこれくらいにしておきましょう。

いずれにしてもマスコットキャラクターと
doironはそんな意味で
いろんなふれあいがあるわけで、
そんな「マスコット」の陰に
ちらほら見え隠れする人間模様にも、
なかなか面白いものがあるぞ
というのが今日のお話でした。


六地蔵を歩いてきた 4

2019年10月27日 21時07分35秒 | ウォーキング

勧修寺は醍醐天皇を生んだ、
玉の輿といわれる
タカ狩りの一夜に生まれたという
藤原胤子の菩提寺として
創建した寺です。
そんな寺の周りに
様々な鎮守社や施設のある
この辺り一帯から抜けて、
さあでは醍醐寺の方へと
抜けていく道に向かいましょう。

醍醐寺と言えば、そうあの三方院の
庭にあった藤戸石ですね。



庭の中で眼前とその姿を表現していました。
あの石がとれたという
倉敷の現場まで見に行きましたねえ。
とっても存在感のある石でした。



山科川を越えて歩いていきますと、



前方から高校生の大集団が歩いてきます。
これはやはり醍醐寺に行った帰りかなあ。
それにしてもこれだけの集団が、
お寺に行くってどうなんかねえ。

醍醐山の聖域に拡がる密教の聖域に
学習的な価値が、やっぱりあるんですかねえ。
狭い歩道を覆うようにして
大量の学生が前方から歩いてきます。
まあこっちが普通に歩いていれば
よけるだろうと思っているのに、
スマホをしている学生なんかもいて、
こちらも移動が一苦労です。

そんな集団が落ち着いて
ようやくほっと一息です。

それにしてもこの辺りまで来ると、
先程から後頭部にそそいでいた陽光が
とてもきつく感じます。

これからはこれを前に受けて
歩かなければならないので大変です。
まだまだ暑い中、
体調を崩してもいけませんね。
今日はこの先に見えてきた
「隋心院」を訪ねて、ここから
地下鉄東西線で電車に乗って
六地蔵まで引き返すことにしましょう。
片道歩きになりましたねえ。

では最後に随心院です。



仁海を開祖とする真言宗善通寺派の大本山です。

仁海とは弘法大師八代目の弟子です。

ここは平安の女流歌人「小野小町」が
住んでいた邸宅に建てられた寺です。
この小野小町は、あの六地蔵で
地蔵を彫った「小野篁」の孫か
あるいは娘といわれる絶世の美女。

隋心院の中にはその小町に関連する
遺跡があるといいます。

まずは「小野小町化粧の井戸」です。



小町はここの井戸を愛し、
この水で顔を整えていた
といわれています。

古今集のこの歌
「花の色は移りにけりな
いたづらに我が身世にふる
ながめせし間に」は有名で、
その石碑も建てられています。



日本国中を見回すと「小野」と
名前のついた場所がたくさんあり、
なかには小野小町の生まれたところ
といわれていますが、
真実はどうかわかりませんし、
彼女の墓も各地にあって
どこでなくなったのかも
明らかではないようです。

でもまあ絶世の美女としての
名声はどこも変わらずあるようです。

資料によるとこの隋心院のあたりに
そば処があるようになっているのですが、
探したけれども見つかりません。
もうやっていないのかなあ。

時刻もお昼を少し回っていますので、
地下鉄の駅の方に降りていって
昼飯を探しましょう。

もう頭の中がそば一色に
なっていますので、
蕎麦屋さんを探していると
一件ありました。

ざるそばのついたこんな昼定食が
あったのでいただきましょう。





おいしかったなあ。
いつも歩きつつ食べる昼食は
とても幸せなひと時です。

食後はそこから歩いて
地下鉄の駅に向かいます。
駅の名前もなんと「小野駅」。

小野小町に由来しているんでしょう。

六地蔵はそこから続く
地下鉄の終点駅です。
半分うとうとしながら
向かいました。

まあなので次回来る時は
「小野駅」まで来て、
そこから「醍醐寺」や
「一言寺」「法界寺」などを
目指して歩いていくことになりますね。

スーパーの駐車場で
車に乗って帰宅した、
doironだったのでした。

また近々後半に続きます。


六地蔵を歩いてきた 3

2019年10月26日 21時18分30秒 | ウォーキング

doironも小学生の時代には
ちいさな川沿いを歩いて
通学しましたねえ。
蛇がよく出ていたのを思い出します。
川には魚がいっぱい泳いでましたねえ。
休みの日には網で大きな鮒を
捕まえたりして遊んでいたのを
思い出します。

山科川のこのあたりは
なんかとても田舎な雰囲気がします。



公園や墓地が近くにあって、





大元橋を越えてからも、
ここの道はバイクも通行禁止なので
のどかな感じが残っているんですねえ。



閑林寺橋をこえたら右岸に移動します。



そこからは公園のような
石畳の道が続きます。



ちょうど歩き始めの頃に見ていた
ヒガンバナがここでは目の前で





団体で咲いていてきれいです。

よくもまあ、地面の中から
こんな赤い色が出てくるものです。
昔に描いたヒガンバナの花がこれ。



繊細なヒゲのようなおしべなんかが
書きにくかったなあ。



この時はアゲハ蝶なんかも
乱舞していましたねえ。
そう、この日は、なんかとても
季節外れに暖かかったのですが、
途中はずっと後頭部に
日が差していたようなので
ましだったのですが、
ここからはコース上ずっと前から
お日様をあびるような
形になるので帰り路が心配です。

風呂尻児童公園というのがありますが、
ここのグランドで高齢者が
野球をやっているのが
めにはいりました。
ちょうどdoironくらいの年の人が
多かったですねえ。

大丈夫かなあ、
バットを振ったらぎっくり腰、
一塁に走ったら捻挫、
外野フライでボールと激突
なんて姿を想像してしまいましたね。

でもまあ皆さんとても
楽しそうに騒いでいるようでした。

スポーツができるのっていいですねえ。
東出橋のところに出たところで、
少し山科川から離れて、
西の山の方に歩いていきます。

ここには勧修寺という寺が
あります。



鷹狩に来ていた人と
ここに住んでいた娘との間に
できた娘が宇多天皇の女御となり、
醍醐天皇の生母ともなった
藤原胤子であります。

のちに醍醐天皇がこの家を
お寺にしたという門跡が
ここ勧修寺なのである。

この寺で一夜を共にして
出来た子供が歴史を変えていった
という場所なわけですね。
残念ながらここは有料なので
遠慮しておきましょう。

でも近くにこのお寺の鎮守社である
「古利倶八幡宮」があるので
寄っていきましょう。



立派な鳥居をくぐって
中に入っていきますと、



そこに安産の神という
一角があるので寄っていきましょう。

「またまた元気な孫二人目が
できますように」と
お祈りしておきましたよ。

階段を上っていくと右手に
何か大きな灯篭のような
ものがありますよ。



これが豊臣秀吉が
ここに納めたでかい灯篭で
「太閤灯篭」と呼ばれているものです。
そんな神社がそばにありました。

そしてもう一つ神社があります。
それが「宮道神社」です。



醍醐天皇の生母となった胤子の
一党もあがめられ
その先祖である神を
本尊としている神社です。

オオカミ狩りの日の
一夜で生まれた子供が天皇の生母に。
これは今も「玉の輿」という
言葉に残っているんだと
そこの案内板には書かれていました。

そしてここにはまた
「佛光院」というお寺があります。



勧修寺の小寺なんですが、
義父に両腕をきられた女性が
口に筆を加えて絵を描いたり
書をかいたりしながら、
福祉活動に取り組んだ人がいて、
多くの人々の心のよりどころ
となったそうです。

ここはそんなお寺です。

そういえば口に筆を加えて、
絵や言葉を描いた人って、
今の日本にもおられますねえ。

「星野富弘」さん。

彼もまた口に筆を加えて、
絵を描いたりするそうです。
水彩画のむつかしい絵を
そんな風に書くなんて
信じられませんね。

それにそこに書かれてある言葉も
とても味わいあるものです。

doironにしてみれば将来、
星野神社なんてできるんじゃないか
って思ってしまいます。

続く


六地蔵を歩いてきた 2

2019年10月25日 20時51分02秒 | ウォーキング

全く住宅街の中にあった京アニ。

あんなに悲惨な出来事が
ここであったとは思えません。



人々の叫びが今もこだましているようです。

あの事件以降、レンタルで
京アニのアニメを借りてきて
見たりしましたが、
う~んdoironの琴線には
ぴったしきませんでしたねえ。
でもアニメが好きで、
京アニファンの人たちの心には
ぐぐんと響くんでしょうねえ。

亡くなられた方々のご冥福と
けが人の方々の
一日も早い回復をお祈りします。

さてではdoironはアニメから
歩きの世界へと進んでいきます。

ここがすぐ近くにある
京阪の六地蔵駅です。



ここから山科川に合流する地点からが、



今回の歩きコースとなります。
府道7号線の新六地蔵橋のところから、
山科川沿いを歩いていきます。



この川は淀川歩きをしているときにも
その名前を聞きましたね。

宇治川に合流するので、
水系的には一級河川ですねえ。



ここが合流地点です。

そうそう、最近、NHKの災害関連の
ニュースでも全国の水系の資料が
よく出てきますよねえ。
日本地図に川を印刷した
あの地図ですねえ。

まあ、あれは水系を誇張は
しているんでしょうが
見ていると日本て河川だらけに
みえますねえ。

一級河川の水系だけで、
日本には14000河川ほど
あるそうです。
二級河川も入れると二万本以上の川が
日本は水の国ていう言葉が
浮かんできます。

その一級河川のひとつである山科川を
上流に向かって進んでいきます。



水はまあまあのきれいさですねえ。
BODも5はいかないでしょう。



川面を吹く京都方面からの風を受けながら、
こんな石のベンチも整備された
道を歩いていきます。



まあこんなところは
ランの練習場としても
いいやろねえと思ったら、
案の定次から次へと
ランナーが走ってきます。
こんな平日の午前中に
若い人も走っていますねえ。
まあいろんな人生があるんでしょう。

川沿いにはこんな桜や



カリンなんかも植えられており、



近隣の人たちの憩いの
散歩道でもあるのでしょう。



木陰で猫ものんびりしていますよ。



向こう岸の河川敷には彼岸花が
咲いていますねえ。

あんな種もない植物が流されもせずに、
こんなところにうまく
繁殖できるものです。
やがて両岸に小・中学校があるこの辺りに、
小栗栖人道橋というのが
かかっています。
子どもたちの通学路に
使われているそうです。



そしてその先には「新小石橋」です。

次から次にかかる生活用の橋が、
川沿いの単調な歩きに
アクセントをつけてくれます。

ん?この先の川の中に
大きな石が置かれているぞ、
と思ったら、どうやらこの石が
人を渡すための橋の役割をしています。

ウワー滑りそうやなあ
と思ったらそんなこともなく
快適にわたっていけます。
これはタイマー写真撮影ですね。



これが渡っていく方角。



これが後ろを振り向いた方角。
河川には石段が付いて
降りていきやすそうになっています。
そこに立ってた案内板でも、
ここで水遊びをする
子どもたちも多いようです。
そのわたる石も、ぽんとそこに
置かれただけでなく、
カニの姿をしているのも
面白かったです。



そこからこんな石段を登って



左岸の方に入っていきます。



このあたりは田んぼなどが
きれいにたがやされています。



ヒガンバナもきれいだし、
曽爾高原や青山高原みたいに
すすきもたっぷり咲いています。



畑で動いているじいさん
ばあさんたちも大きな笑い声を
あげて楽しそうにしています。
楽しいんでしょうねえ。
古都ののどかな暮らしを
想像させてくれます。

河川敷の道はいろんな
歩いている人とも前後して
進んでいきます。

高齢者ものんびりのんきに
doironと同じように
楽しんで歩いているようです。



そしてこの先の橋もまた
左岸にある栗栖中学校への通学路で、
「池田通学橋」という名前になっています。

続く


六地蔵を歩いてきた 1

2019年10月24日 21時40分07秒 | ウォーキング

JRの駅をスタート、ゴールにして
歩くという参考資料があります。
たまにこういう資料をみてコースを選び
歩くのですが、これはとても活用しました。
まあかなりのここでの紹介場所を歩きましたねえ。

大阪府内版などはほぼ全部歩いているから、
最近は少し離れた滋賀県や
兵庫などの場所も選んで
出かけていってるのだ。

今回選んだのは、

「醍醐・山科の古刹を歩く」

というコースだ。
JR六地蔵駅から山科川沿いを歩き、



醍醐寺の少し向こうで
山手に入って引き返してくる
というコースだ。

全体的には13キロくらいのコースなのだが、
六地蔵という名前の元になったお寺や、
最近あった悲惨な事故である
京アニの施設なんかもそこにありますねえ。
あんな悲惨な事故の現場ですので、
追悼の気持ちで訪ねていってみましょう。

この日は車で出かけました。
このあたりには、以前に西国三十三所の
醍醐寺を訪ねたときに行きましたね。
そんな感じを思い出しつつ
向かって行きます。

高速道路を降りて、六地蔵の駅に
近づいて行ったら駐車場を探しましょう。
まあでもこの辺は大きなスーパーがあるので、
簡単です。そのうちの一つに駐車です。

では歩き始めますよ。

まずはこのあたりが

「六地蔵」

といわれるのには訳があります。
そもそも六地蔵はここにあるお寺
「大善寺」にあの小野篁が
六地蔵を造立し、当初はここに
6体が納められていたが、
今はここに1体を納めているのです。

小野篁とはあの京都の「六道珍皇寺」で
冥土通いの井戸であの世とこの世を
行き来したというあの人です。

なのでこのお寺は
「六地蔵さん」と呼ばれ、
そこからここの駅も六地蔵
という名になっているそうだ。

ちなみにこの六地蔵は、
疫病退散のため京都の街道口
6か所に納められています。
まずここの大善寺は奈良街道としておかれ、
鳥羽の浄善寺は大坂街道、
桂の地蔵寺は丹波街道、
常盤の源光寺は周山街道、
賀茂の上善寺は鞍馬街道、
山科の徳林庵は東海道
としておかれている。

ちみにこの六地蔵の根本道場が、
ここ伏見の大善寺なのだ。

これらの配置を地図で見ると
こんな感じで、六地蔵めぐりという
信仰も続いている。

doironも是非これらを訪ねる
旅もしてみたいものだと思っている。

さらにもう一つ六地蔵について
書いておきますと、六地蔵とは
衆生がその業の結果として
輪廻転生する6種の世界を表します。

天道(てんどう)、人間道(にんげんどう)、
修羅道(しゅらどう)、畜生道(ちくしょうどう)、
餓鬼道(がきどう)、地獄道(じごくどう)
となっていますね。

駐車場から5分くらい歩くと、
その六地蔵の大善寺に到着します。



入り口には大きな看板が立っていますねえ。
門から中に入っていきますと、





本堂と六角形の形をした地蔵堂があります。
この地蔵堂の中に六地蔵がいるんですね。
これはネットからいただきました。



いやあきれいな地蔵ですねえ。
お化粧してるのかなあて感じですねえ。
まあ今日の歩きも人間らしく
いけますようにと祈っておきました。

ちょっと変かなあ。

さあ、六地蔵の根本に触れてきました。
ここから歩きを本格的に始めましょう。
まずはスタート地点である
六地蔵駅を目指しましょう。

住宅街を歩きつつ、
このあたりがあの悲惨な事件があった
京アニの辺りかなあとおもいつつ、
ふと右側を見ますと、ありました。

あの社屋です。



目に入ったとたんに震えがきましたよ。
窓から噴き出す黒鉛の型も
そのまま残っていますねえ。
まわりは住宅です。
近づいて行ってみましょう。



一階の部分にはボードが
張られていますねえ。
もう建物も壊していいと思うのですが、
犯人がまだ病院なので
現場検証ができていないんでしょうねえ。



ボードの中はそのままの形で
残されているようです。

天道、人間道、修羅道で
せっせとアニメを作っていた場所に、
畜生道、餓鬼道、地獄道が
やってきたわけですねえ。

犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りします。

続く


メダカとの日々

2019年10月23日 21時33分39秒 | 自然

我が家ではメダカを飼っている。



最近どうもこのメダカ飼いが
ややこしいことになっているようだ。

品種改良だか何だか知らないが、
色合いの珍しいメダカが
超高額で売られていたりしている。

まあそれだけこのメダカそのものの
飼い方なんかが進化してくるのは
いいことかもしれないが、
まあ不自然な飼い方は
やめた方がいいんでしょう。

人にメダカ飼ってるねんなんていうと、
面白い色とか高額そうなやつとかいる?
と聞かれたりするんだよね。
でもねえ、doironが買っているのは
純粋日本種の黒メダカだけなんです。

大き目のカメに四つに分けて
勝っています。
うち一つは子どものメダカ入れね。
我が家で生まれて、
我が家で育ち始めている奴です。
これがねえ、意外に警戒心もなく
飼いやすいねえ。
それに大きくなってくるのが
なんかとても可愛い。

親はたまに近所の奴のと交換したり
和歌山実家近くの川で
生息してたやつを補足して
それを足したりしている。

同じ血の系統は良くないからね。
だいたいメダカがいきるのは
3年間ぐらいが標準。
個体の入れ替えはやはり重要なのだ。

そんなメダカのカメの水を
最近大きく入れ替えた。

実は今回の水替えの目的は
カメの水の清浄化とともに
もう一つあった。

以前にカメの中に水草を入れたときに、
底の方に動くフナのような
大型の魚を見つけたので、
それの排除だ。

カメの水を杓子ですくいつつ様子を見ていくと、
おおいました、いました。
底の方に長さで言えば
7cmくらいのフナです。

網ですくってバケツに入れ替えます。

よしと思いつつまたメダカを
排除しつつ水を触っていると、
まだいましたよ。
同じくらいのフナが二匹。
これも慎重に捕まえて
バケツに移動です。

う~ん三匹もいたかあ。

これだったらメダカも
肩身の狭い思いをしただろうなあ。
これを機会に楽にしてあげましょう。

結局最後にもう一匹フナを見つけて、
合計4匹のフナを確保しました。

うちのメダカちゃんに
プレッシャーを与えよって、
と怒ったりはしませんよ。
もともとメダカだと思って
捕まえてきた中に小鮒が
混ざっていただけですから、
フナにしてみれば、
こんな狭いところに放り込みよって
と不満なんでしょう。

バケツに捕まえたフナをいれて、
自然の中に逃がしてやりましょう。

近所の汚れた川に流すのは
少しかわいそうです。
なので、大津川に放流しに
行くことにしました。

場所は3時間走の折り返し地点。
板原の墓場の近くあたりに
出かけていきます。

車をとめてバケツを持って
河川敷に降ります。

「ここなら幸せになれるかなあ」
と思いつつ、水辺でいっきに
放してやりました。
流れの中にビューンと泳いで
行ってしまいましたね。

「もうこれで夕方に食えそうな
えさがばらまかれたりしないからね」

「お気に入りの配偶者を見つけて
子どもを増やしてね」という感じです。

来年の三時間走でゴール地点くらいで、
川の中から巨大なフナが
「おとうちゃ~ん」と言って
さけばないかなあ。

まあそんなわけで、我が家で育ったフナは
とりあえず自然の中に帰っていったわけです。

フナはそれでいいのですが、
じゃメダカは自然に帰さなくて
いいのかといわれると
むつかしいですねえ。

そんな自然も近所にないし、
捕獲した和歌山の川も開発が
進んでいつまでメダカが
住めるかどうかわからないしなあ。

こうして知り合いに
メダカ飼いをすすめることが、
今の空前のメダカブームに
つながっていった一因に
なっているんなら、
こうして広まっていけば
よりもっとメダカが生きていける
自然も大切にされるんじゃないかなあ
と気長に期待してる次第です。

空前のブームがメダカの
より一層の保護につながっていけば
いいですがねえ。


すすき旅 青山高原

2019年10月22日 20時42分57秒 | ウォーキング

さて次のすすきの旅に出かけましょう。

曽爾高原からの帰り道に
思いついたのが「青山高原」です。
ここには、義父母が三重県に
住んでいたころにはよく行きました。
実家からは車で30分くらいの
ところにありましたからねえ。
若くて元気なころで、
一度はここに走りに来ないとなあ
なんて考えてました。

そういえばここには珍しく
マツムシソウが咲いていたなあ。
すすきがたくさん咲き誇る山々の
道路沿いに紫の花がたくさん咲いていた。



ちょうどこんな季節じゃ
無かったかなあ。
すすきとともに、今年一年の
自然の姿を最後に見せつけて
誇らしく咲いていたって感じ。

そんなことを考えつつ、
前回すすきを見にいったのが
曽爾高原だったので、
その少し北側のこの高原に
出かけていくことにしました。

そうそう、ここは最近は
化粧品会社のリゾート施設や
温泉があることで
よく知られていますねえ。

青山高原という名からすると、
なんか明るくてさっぱりした
景色のようなイメージが
あるのですが、実際は結構な
山の中です。

以前マラソン帰りに
ここの温泉に行きました。
これがねえとても田舎の道で、
これであってるのというような
感じがしていたのを思い出します。

あの時は大雨だったなあ。

でもまあ温泉はとっても
いい所でしたねえ。
お風呂がゆったりしていて
リラックスできました。

今回も帰りにはあの施設の方にも
寄ってみましょう。

さあ、では行きましょう。
天気のよさそうな日を
選んで出かけていくことにしました。

まずは西名阪で上野東を目指し、
そこから伊賀鉄道沿いに
国道を南下、近鉄電車の
西青山駅を目指します。

まあ今はナビがあるから、
山道も悩むことはないですね。
近鉄西青山駅は、昔は
ロードバイクでここまで走ってきて、
日帰り遠征訓練をしたことが
ありましたねえ。

まわりに家もあまりなく、
ここは青山高原を訪ねる人用の
駅なんですかねえ。

その駅の先から、青山高原の
スカイラインコースに入っていきます。

しかしここは静かですねえ。
車もほとんどすれ違いません。
今は結構さびれているのかなあ。

どんどんと登っていったところに
「勝地村」の三角点が
あるとの案内がありました。

では車をとめて歩いて行ってみましょう。

しばらく行くと右手に
大きな食堂がありましたが、
いかにもさびれた雰囲気です。

ああもうやっていないんだろうなあ
って感じです。

山道を木の階段を上ったりしていくと、
おお見晴らしのいい所に出てきました。



遠くに見えているのは
津市から松阪市の方でしょう。
なかなか見通しもよく、
ここには二等三角点もありました。



まあ日本中で5000点くらいある
三角点のひとつです。



でもねえ、ここへきて驚くのは
そんなことじゃないのです。
目の前に広がる山の林立に立つ、
風力発電機の数です。



これはすごいですよ。



パッと見た目で数えても
50本は立っています。



計画的には将来的に100本くらい
建つそうです。
いやあ、圧巻でした。



まあそれくらいここは
風が強いってことですねえ。

さあ、ではここでお弁当を食べましょう。
ちょっと量が多いのですが、
ヘルシーなおかずに
低カロリーヌードルですから~。



ご飯を食べて山をうろうろと歩きました。
でもねえすすきも高原の花も
ほとんどがない状態。
高原の雰囲気がだいぶ薄れたなあ
って感じです。

景色は遠くまで見えて
広々してるので、そういうのを
望む人にはいい所ですね。

さっき見ていた食堂も
営業しているらしく、
メニューを書いた旗なども
並べていましたから気軽には行けそうです。

山を下りて、メナード青山の
施設なんかも見て回りましたが、
まあここもまたかなり山の中でした。
温泉に入ってのんびりしたい人には
いい所でしたね。

いずれにしても、
山歩きというよりは、
自然に囲まれた地域の
プチ旅行にはおすすめの
地域でありました。

さあて、また来年もすすきの
場所を探して出かけようかなあ
と思っているdoironです。

ここはこれでおしまい。