かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

戦後70年、そろそろ客観的な「歴史」として、政治的な思惑から外れてもいいのではないでしょうか

2015-03-21 22:54:59 | 夢、易占
 さあ今日のブログを書こう、と思ってページを開いてみたら、昨日更新したはずの分が反映されていません。どうやらまたちゃんと投稿ボタンをクリックするのをミスったようです。昨日は職場の飲み会があり、ビール生中2杯と日本酒の熱燗を1合ばかり飲んで気分よく帰ってきたのですが、飲んだ割には頭の中がクリアで記憶していた夢もスラスラ出てきたため、今朝も、昨夜の自分の状態については特段気にもかけていなかったのですが、やっぱり酔っぱらいは酔っぱらいだったようです。夢日記はあんまり根を詰めてやると夢と現実があやふやになって精神的に失調する危険もあるのだそうですが、昨日のミスはまだしっかり現実の話でアルコールに毒されただけ、だと思います。まあ今後も気をつけないといけませんね。

 というわけで今日の夢は、というとごく短い簡単なものしか覚えていません。うちのサボテンの温室で、すみれ丸と黄花すみれ丸がピンクと黄色の大輪の花を10個位絢爛豪華に群れ咲かせているのを眺めている、というだけのものです。もっとも、現実には黄色すみれ丸と言う品種は持っていないのですが、球体を覆い隠すほどの花束状態は、現実も夢も変わらず美しいものでした。

 さて、今日は小笠原諸島の硫黄島で、日米合同の慰霊追悼式が行われたそうです。硫黄島守備隊の組織的抵抗の終了はもう少し後の26日の最後の攻撃の時で、更に生き残り兵によるゲリラ的活動は終戦まで続くそうですが、70年前のことに5日くらいの日のズレをとやかく言うのも野暮というものかもしれません。
 硫黄島の激戦は映画にもなりましたし戦史関係の本やネット上にもたくさん情報が有りますからその気になれば幾らでも詳しく調べることができるものですが、果たして今の日本人でこの事をそれなりに知る人がどれだけいるのか、ちょっと疑問に感じることもあります。少なくとも私の周りにはあまり知っているヒトがいません。理系の職場では歴史に関心を持つ人間は少ないという事はありますが、この生活困難な火山の地で徹底抗戦して、米軍に痛烈な損害を与え、本土決戦前の終戦を米軍に受け入れさせる素地を作り上げたというお話だけでも、日本人なら知っておくべきではなかろうかと思ったりも致します。「技術者が少ないのは日本史のせい」などとのたまう方も中にはいらっしゃいますが、日本側遺族らの「硫黄島協会」の寺本会長が、「悲惨な争いを繰り返さぬよう、戦いの記憶を語り継ぐ責任がある」とあいさつされたように、思いはどうあれ、戦いの様相はきっちり語り継ぎ、国民の共有する記憶としていかねばならないですし、そのために歴史を学ぶことは技術の研鑽と並んで大事なことであろうと思います。
 一方、アメリカ側のスノードン元米海兵隊中将は「憎しみは友情に変わった。式は日米の結束を示す象徴だ」と述べたそうですが、墓を暴いて死体を掘り出し陵辱して恨みを晴らしたり、千年恨むとのたまう国々からしたら、たかだか70年前に血で血を洗う争闘を繰り広げた国同士が、その恨みつらみを昇華させて結束するなんて信じがたい話なのでしょうね。この日本人の一種独特の「過去への淡白さ」は、もちろん美点ではありますが、それで歴史に興味が無いというのもどうかとは思いますが。

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