かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

不治の病で余命幾ばく、という診断の時にそれを教えてもらいたいかどうか。

2018-10-21 18:55:52 | Weblog
 昨日はどうも疲れが溜まっていたのかすっかり更新するのを忘れて寝てしまいました。ブログ忘れてた、と気づいたのは今朝起きてから。まあたまにはあることとは思いますが、このままフェードアウトしてしまいそうでなんとなく嫌な感じですね。

 さて、記録忘れていたので一応昨日の分から。昨朝の奈良市の最低気温は12.3℃、最高気温は20.3℃、五條市の最低気温は9.4℃、最高気温は19.3℃、今朝の奈良市の最低気温は8.8℃、最高気温は22.1℃、五條市の最低気温は6℃、最高気温は20.3℃でした。昨日はほぼ一日曇り空で夕方になってようやく雲が切れ日差しが戻ってきましたが、日中は今にも雨が降りそうな塩梅でした。天気予報ではもう少しマシな空模様になるはずだったのに、とせっかくの休日の悪天候に閉口しましたが、今日は打って変わって朝から快晴の上天気。布団を干し、洗濯物を片付け、と週末の休日らしい一日を過ごしました。惜しむらくは風が全然吹かなかったこと。おかげで放射冷却がひどく、今朝はこの秋一番の冷え込みになり寝ていても凍えてしまいましたし、洗濯物も上天気の割には今ひとつ乾きが悪いという結果になってしまいました。なかなか理想通りとはいかないものです。

 さて、乳がんの再発で肺などにも転移し余命1ヶ月と診断されていた大分県の57歳の女性の遺族が、その診断結果を医師から告知されていなかったため、「診療契約に付随する告知義務に違反した」として、病院を訴える裁判を起こしました。
 61歳の女性の夫は「本人は前日にも自分で買い物に行っており、死が迫っているとは考えていなかった。余命が分かっていれば、家族の有意義な時間をつくることができた」と余命告知を行わなかった病院を批判しました。これに対し病院側は代理人である弁護士がコメントを出し、「裁判の中で主張をしていきたい」と争う姿勢を示しました。

 これはなかなかに難しい問題ですね。患者としては、治癒を信じて抗癌剤治療を受け続けていたことでしょうし、告知などされたら心の支えが折れて一気に病状が悪化したり耐えきれずに自殺を選んでいた可能性もあります。実際に不治の病と宣告されて自殺したヒトも過去にはいますし。家族への告知も、無意識に態度に出てしまって患者に悟られたりすることもママありそうに思いますし。でも遺族側の言う主張も十分に肯える真実を含んでいるようにも感じます。
 過去、最高裁では2002年に余命1年の癌の診断を患者や家族に説明しなかった医師が告知義務違反と認定され、癌告知後に患者が自殺し遺族が医師の配慮不足を訴えた裁判では、誰に同説明するかは慎重な配慮が必要とした上で医師に責任はなかった、と判断がなされていたりします。要はケースバイケースになるのでしょうが、今回の場合は、自身の死が近いことを知らずに平穏に日常を過ごすことができたというのを是とするか否とするか、死の直前の時間を特別の意味を持つ貴重なものであると認定するかどうかも問われたりするのかもしれません。
 まあでも、やっぱり遺される家族には心の整理をする時間も欲しいでしょうね。事故などで突然亡くなった時の喪失感というのは筆舌に尽くしがたいものがあると聞きますし、癌の再発で余命幾ばくもないというのは理解しながらも、今日いきなり亡くなる、という事態を迎えては、遺族側にも諦めきれないものがあることでしょう。裁判所がどういう判断を下すかはそれはそれで興味がありますが、何より自分に置き換えた場合に一体自分は何を望むのか、少し考えを整理しておきたいと思いました。

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