24年を経て、事故当時のものと見られる残骸が発見されたそうな。救命胴衣や酸素マスクと見られる残骸らしいですが、本当によく見つかったものだと思います。それにしても御巣高山の日航123便墜落事故、もう24年も経ってしまったんですね。当時はなんとなく圧力隔壁の修理ミス、という説に疑問もなく納得していたのですが、その後、圧力隔壁が破壊し、尾翼が吹っ飛ぶほどの急減圧が起こった、というには不可解すぎる数々の状況を知るにつけ、このような謎をそのまま放置しているのがいかにももどかしい限りに感じています。でも事故当時なら色々な利害関係やら何やらで公にはできなかったことも、そろそろ四半世紀になろうという今なら明らかにできることもあるだろうし、今こそ純科学的に事故の有様を徹底究明しておく時期だろうと思うのですが、「寝た子を起こすな」がモットーのわが国では難しい話なのでしょう。事故調査委員会も、4年前、再調査はしないと正式に表明していますし、もはやそれらの謎が明らかになる日が来る見込みは無さそうです。
それでも、NTSB(アメリカ国家運輸安全委員会)あたりが、そろそろ真相究明してみましょう、と言い出してくれないか、ボーイング社の偉いサンが退職するに当たって、実はあの真相はこうだったんです、などと真相暴露するとかいうような話があったりしないものか、というかすかな期待がぬぐえずにいます。
我らが公営放送も、埒もない偏向台湾特集番組流して集団訴訟なんて事態を招いている暇とお金があったら、こういう本当の謎を解明することを目指すような特集番組をヒトと時間とお金をかけてやったらどうか、と思います。
それでも、NTSB(アメリカ国家運輸安全委員会)あたりが、そろそろ真相究明してみましょう、と言い出してくれないか、ボーイング社の偉いサンが退職するに当たって、実はあの真相はこうだったんです、などと真相暴露するとかいうような話があったりしないものか、というかすかな期待がぬぐえずにいます。
我らが公営放送も、埒もない偏向台湾特集番組流して集団訴訟なんて事態を招いている暇とお金があったら、こういう本当の謎を解明することを目指すような特集番組をヒトと時間とお金をかけてやったらどうか、と思います。
ああ 俺が19の時の事故か
行ってみるかなとバイクを走らせその駐車場から慰霊の碑の方に登っていきました
途中何本か細い道が続き分かれていたので
本道とは違う道を進んでいくと
雨で崩れたのか少し斜面が崩れた場所に出て
そこに錆びてどこのお店か解りませんがスチール製の箱が地面から顔を覗かせていたのでその辺の枝で掘り起こし箱を取り出しました
何かのひものようなモノでグルグル巻きにされておりましたが ひもは恐らく服を引き裂いたものです
簡単にひもをはずし中を見て驚きました
乗っていた乗客の方が書き残した家族への遺書と機内のポラロイド写真
髪の毛や名刺などがたくさん詰まっていました
箱は座席のシートベルトの注意書きみたいなシールの付いているかなり大きな部品にも繋がっており
残したかったんだなと想いが伝わりました
俺はこれを どうすればいいのだろう
あるいは日本航空へ、それと判るように品名を記載して、着払いで宅配便で送りつけるとか。
ちなみに8・12連絡会事務局の連絡先は、公式サイトによると以下の通りです。
〒146-0084 大田区南久が原2-31-6
電話(FAX) 03-3756-6852
郵便振替 00280-3-61327 8・12連絡会
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-8.12.htm