かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

もうン十年振りに、お盆のお墓参りを致しました。

2010-08-14 23:50:50 | Weblog
 今日は半分仕事、半分プライベートな用事で人と会うため、大阪にでかけました。二週間ほど前に日程調整して決めたため、結局夏コミ参加は断念することになりましたが、いずれ機会を見て上京はしておきたいと考えています。
 まあそれはともかくとして、その人との約束が夕方からだったため、昼間のうちに、幼い頃に亡くなった母方の祖母のお墓参りに出かけました。お墓は大阪のとあるお寺にあって、子供の頃は母親に連れられてお盆には毎年必ず行っていたのですが、いつの間にか行かなくなってしまい、もうン十年振りに訪れることになりました。おかげで、どこの駅で降りればよいか、から記憶になくて、母に駅とお寺の名前を問い合せました。すると、母も駅名とお寺までの道順は記憶しておりましたが、お寺の名前までは覚えていませんでした。母がお寺の名前まで覚えていないのは、そのお寺が駅から五分も歩けば着く場所で、お寺の名前を知らなくても迷わず辿りつけるからでしょう。そこで、googleMAPでその最寄駅を探し、空撮モードに変えて探してみましたところ、駅周辺に3つあったお寺のうち、墓場の敷地を持つのがひとつしかありませんでしたので、まず間違いなくここだろう、と見当を付け、出かけましたら、無事お参りすることができました。
 私自身は基本的に不信心で、ヒトは死ねばそれで全て終わり、と考えてはいるのですが、こうしてお墓を参って敷地の草を抜いたりお花を替えたりしていると、これもそれなりに意味のある行為なのかもしれない、という気分になります。母に尋ねると祖母は一種の霊能者で、イタコのように神降ろしなどして、霊験あらたかと結構信者のヒトも居たらしいのですが、私が四つの時に亡くなっているためか、ほとんど記憶に残っておりません。祖母の生前の写真を見て、なんとなく見覚えのあるおばあちゃんだな、と感じる位です。私自身、霊感などトンと無いありきたりな凡人で遺伝的に資質を継いでいるとは到底言えないのですが、それでも、子供の頃から手相や占星術やタロットに凝ったり、今は易占で日々卦を立てて暮らしているところを見ると、精神的な遺産はある程度引き継いでいるのかな、というふうにも感じられます。そんなことを考えているうちに、果たして私自身は、次世代、更にその次の世代に一体何を残してやれるだろうか、とふと思いました。そんなお盆の一日、お線香の香りに包まれつつお墓に手を合わせながら、心の中に住まう故人と語らい、自身の行く末といずれ必ず訪れる自分自身の最後について、しばし考えに耽りました。

 

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