榊は早朝より美衆に頼み、付近の山を熟知する村人を数人出してもらった。八条は村人総掛かりを主張してやまないだろうが、今、この場に八条の姿はない。八条にとっては夜明けなど深夜と呼ぶに等しく、何も無理に起こしてそのみだりに動く舌をふるわせることはあるまい、というのが、実質指揮官たる榊の判断だった。
さらに榊は、山狩りへの同道を円光に頼んだ。もし昨日のような結界があったりしたら、榊の軍は一戦もせずして全滅しかねない。今、榊が頼める人物の内で、こういう術に対抗できるのは円光の法力だけなのである。円光としては麗夢を置いて屋敷を離れることに不安を覚えずにはいられなかったが、榊たっての願いとあっては断るわけにもいかなかった。
鬼童もまた、榊達よりも早く、独り何処とも知れず門を出た。歩哨として寝ずの番をしていた郎党によると、どちらにとの問いに対して、何、思いもかけず早く目が覚め、もう一度寝付けそうにもないのでちょっと散策してくる、と言い残して出ていったというのだった。榊等一行を送り出した美衆も、八条の世話に僅かな人数を残して、総出で畑仕事に出かけていった。かくして美衆邸には、まだ目覚めぬ八条と、ようやく体力の回復を迎えつつあった麗夢の二人だけが残されたのだった。
八条が目覚めたのは、既に日が中天高くさしかかろうという頃合いである。本来ならこれでも八条には早い「朝」と言えたのだが、まともに入る日の暑さに、いぶり出されてしまったのだった。昨夜の大酒のせいもあって無性にのどの渇いた八条は、世話役に残された年若い下女に水を持ってこさせ、椀一杯になみなみと注がれた水を一息に飲み干した。少し和らいだ二日酔いの頭痛を押さえながら、八条は遅い朝餉を要求した。
「少しで良いぞ、少しで。田舎者はとかく大盛りに盛ればよいと心得ておるようじゃが、椀に半分も盛ればそれで十分じゃ。この様な朝に椀からこぼれる程も持ってきたら、わずかな食欲が萎えてしまおうて」
もう昼じゃと口の中で文句を言った下女は、半時もせぬ内に顔中に文句を表すことになった。何となれば八条は、きっちり椀半分につがれた粥を一口に飲み干した上、替わりを要求すること三度、結局「大盛りに盛った」のとまるで変わらぬ量を平らげたのである。ただ娘は、八条の要求が単に食欲のなせるものではなかったことまでは気づかなかった。八条が何度も頻繁に用を言いつけたのは、忙しさと不満で、つい警戒の弛んだ娘の胸元や裾の乱れにつけ込んで、その奥の肌の白さをのぞき見たいが為であった。
こうして空腹を癒した八条は、先程から刺激された情欲のままに娘を見据えた。
(ふん、しょせんは田舎ものか、日焼けした仏頂面もまた一興かとは思ったが)
娘の表情は仏頂面というよりも既に敵意に近いものがあった。八条はすっかり興ざめして投げるように椀を返し、さっさと下げるよう命令すると、さてどうしたものか、と思案に暮れた。夢現の内に榊が配下を連れて出立したのはおぼろげながらも気づいてはいた。もう一人、天敵とはこう言う奴を言うのだろうと八条をして思わざるをえない男、鬼童も、下女の口から早朝に出ていったことを聞いた。話すだけで腹立たしい屋敷の当主、美衆恭章も、家の子を集めて出ていったきり戻ってこない。こうしてみると八条にとって目障りな連中はこぞっていないという真に結構な状況になってはいるのだが、こう誰も彼もいないというのも、また一種の物足りなさを催させるものであった。
(何とも田舎とは不便なものよ。話し相手もおらん。遊びもない。一体ここの連中は何を楽しみに生きているのじゃろう。この分では、皆一生都の栄華など知ることもあるまい。全く哀れな連中だこと。もし願いかなって国の一つも貰えたとしても、かような田舎だけは願い下げよのう)
八条は、しばらくこの奥まった山村とその住民をあざ笑っていたが、やがて今もっとも哀れなのは、ただ一人こんな田舎で成す術もなく愚痴をたれている、自分であることに気づいた。
(これは何とかせねばならん。何かなかったか、何か・・・。そうじゃ、忘れておったぞ!)
八条は、さっそく手を叩いた。二、三拍おいて、今は危うく八条の選択肢から逃れた仏頂面が現れた。明らかに今度は何の用だと言わんばかりな不機嫌ぶりだが、八条はさして気にすることもなく、娘に向かって問いただした。
「まろが連れて参った女があろう。いかが致しておるか? 話はできそうか?」
娘は、どうやら面倒なことではないらしいと思ったか、少し表情を和らげた。
「もうとっくに起きて、ガキ共の相手をしてくれているよ」
そうか、と八条はその返事に満足した。続けていよいよ本題に移った。
「で、・・・?」
「はあ?」
「だから、ど・・・」
「何言ってるのかさっぱり判んねえ。もっと大きな声でしゃべりなよ」
ええい、この田舎者め! 八条は毒づきながらも、少し声を大きくした。
「だから! どうなんだ、その娘は!」
「ああ、元気に跳ね回っているよ」
「だから!」
さらに榊は、山狩りへの同道を円光に頼んだ。もし昨日のような結界があったりしたら、榊の軍は一戦もせずして全滅しかねない。今、榊が頼める人物の内で、こういう術に対抗できるのは円光の法力だけなのである。円光としては麗夢を置いて屋敷を離れることに不安を覚えずにはいられなかったが、榊たっての願いとあっては断るわけにもいかなかった。
鬼童もまた、榊達よりも早く、独り何処とも知れず門を出た。歩哨として寝ずの番をしていた郎党によると、どちらにとの問いに対して、何、思いもかけず早く目が覚め、もう一度寝付けそうにもないのでちょっと散策してくる、と言い残して出ていったというのだった。榊等一行を送り出した美衆も、八条の世話に僅かな人数を残して、総出で畑仕事に出かけていった。かくして美衆邸には、まだ目覚めぬ八条と、ようやく体力の回復を迎えつつあった麗夢の二人だけが残されたのだった。
八条が目覚めたのは、既に日が中天高くさしかかろうという頃合いである。本来ならこれでも八条には早い「朝」と言えたのだが、まともに入る日の暑さに、いぶり出されてしまったのだった。昨夜の大酒のせいもあって無性にのどの渇いた八条は、世話役に残された年若い下女に水を持ってこさせ、椀一杯になみなみと注がれた水を一息に飲み干した。少し和らいだ二日酔いの頭痛を押さえながら、八条は遅い朝餉を要求した。
「少しで良いぞ、少しで。田舎者はとかく大盛りに盛ればよいと心得ておるようじゃが、椀に半分も盛ればそれで十分じゃ。この様な朝に椀からこぼれる程も持ってきたら、わずかな食欲が萎えてしまおうて」
もう昼じゃと口の中で文句を言った下女は、半時もせぬ内に顔中に文句を表すことになった。何となれば八条は、きっちり椀半分につがれた粥を一口に飲み干した上、替わりを要求すること三度、結局「大盛りに盛った」のとまるで変わらぬ量を平らげたのである。ただ娘は、八条の要求が単に食欲のなせるものではなかったことまでは気づかなかった。八条が何度も頻繁に用を言いつけたのは、忙しさと不満で、つい警戒の弛んだ娘の胸元や裾の乱れにつけ込んで、その奥の肌の白さをのぞき見たいが為であった。
こうして空腹を癒した八条は、先程から刺激された情欲のままに娘を見据えた。
(ふん、しょせんは田舎ものか、日焼けした仏頂面もまた一興かとは思ったが)
娘の表情は仏頂面というよりも既に敵意に近いものがあった。八条はすっかり興ざめして投げるように椀を返し、さっさと下げるよう命令すると、さてどうしたものか、と思案に暮れた。夢現の内に榊が配下を連れて出立したのはおぼろげながらも気づいてはいた。もう一人、天敵とはこう言う奴を言うのだろうと八条をして思わざるをえない男、鬼童も、下女の口から早朝に出ていったことを聞いた。話すだけで腹立たしい屋敷の当主、美衆恭章も、家の子を集めて出ていったきり戻ってこない。こうしてみると八条にとって目障りな連中はこぞっていないという真に結構な状況になってはいるのだが、こう誰も彼もいないというのも、また一種の物足りなさを催させるものであった。
(何とも田舎とは不便なものよ。話し相手もおらん。遊びもない。一体ここの連中は何を楽しみに生きているのじゃろう。この分では、皆一生都の栄華など知ることもあるまい。全く哀れな連中だこと。もし願いかなって国の一つも貰えたとしても、かような田舎だけは願い下げよのう)
八条は、しばらくこの奥まった山村とその住民をあざ笑っていたが、やがて今もっとも哀れなのは、ただ一人こんな田舎で成す術もなく愚痴をたれている、自分であることに気づいた。
(これは何とかせねばならん。何かなかったか、何か・・・。そうじゃ、忘れておったぞ!)
八条は、さっそく手を叩いた。二、三拍おいて、今は危うく八条の選択肢から逃れた仏頂面が現れた。明らかに今度は何の用だと言わんばかりな不機嫌ぶりだが、八条はさして気にすることもなく、娘に向かって問いただした。
「まろが連れて参った女があろう。いかが致しておるか? 話はできそうか?」
娘は、どうやら面倒なことではないらしいと思ったか、少し表情を和らげた。
「もうとっくに起きて、ガキ共の相手をしてくれているよ」
そうか、と八条はその返事に満足した。続けていよいよ本題に移った。
「で、・・・?」
「はあ?」
「だから、ど・・・」
「何言ってるのかさっぱり判んねえ。もっと大きな声でしゃべりなよ」
ええい、この田舎者め! 八条は毒づきながらも、少し声を大きくした。
「だから! どうなんだ、その娘は!」
「ああ、元気に跳ね回っているよ」
「だから!」