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かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

02.吊り橋の少女 その2

2008-03-15 21:39:01 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 どれくらいそのままでいたのだろうか。娘の顔を見つめていた円光は、その目元が苦しげに皺寄り、微かに開いた唇が、何かつぶやいたのに気づいた。
「しっかりされよ! 今、何を、何を申したのだ?」
「・・・」
 円光は思わず耳をその唇に近づけた。すると、微かな隙間から落ちる雫のように、うめきとも、言葉ともつかぬ一言が、円光の鼓膜を震わせた。
「と・・・、ともも・・・り・・・さ、ま・・・」
「とももり? とももりと申されたか!?」
 だが、その後は幾ら円光が呼びかけても、少女の口は再び開かなかった。円光は考えた。とももりとは人の名前だろうか。いや、それ以前に、本当にとももりといったのだろうか。今はそれを確認する術とて無い円光だったが、その言葉は妙に円光の胸に引っかかった。が、そんな物思いに沈む時間は幾ばくも無かった。しばらくして円光の鼻がむずがゆさを覚え、身体がぶるっと震えた途端、大きなくしゃみが円光を襲ったのである。
 円光はやっと呪縛から解けた。このままではすっかり冷え切ってしまう。まずは濡れた着物を脱がさないと。
 円光はそう真っ当に考えて、はたと思考を停止させた。娘の衣装を脱がす? 円光の心臓は、いよいよ口から飛び出す準備にとりかかったようだった。娘を救うためにはそれはやむを得ないことである。だが、そんな真似を果たして自分が出来るのか? 円光は果てしない自問自答を繰り返し、ようやく、これも御仏の与えたもうた試練なり、と強引に結論を下して手をのばした。が、総動員された勇気に支えられていた筈の指は、わなわなと震える先が娘に触れた途端、瞬間凍結したようにはたと固まって動かなくなった。いかなる魔物や妖怪に会おうとも決してたじろぎはしない円光の勇気は、並の男ならわずかの決心で済む事柄に対し、完全に量が不足していたのである。
 円光はしなければいけないことと、やりたくてもできないこととの板挟みに苦しんだ。苦しみ抜いた末、円光はようやく一つの結論をひねり出した。
(そうだ! 火を起こそう!)
 円光は、今度こそようやく呪縛から解き放たれた。生気が蘇る心地で作業にとりかかった円光は、瞬く間に大量の木を少女のかたわらに山と積んだ。端から見れば、少女を荼毘に付すのかと疑われるくらいのうず高さである。が、円光は薪集めに熱中する余り、背後から迫る気配を見落とした。普段なら考えられないことだが、その事実に気づいたとき、心底円光は自分の未熟ぶりに驚かざるを得なかった。よもや自分が、かかる状況にあったとはいえ、身辺の警戒を怠ろうとは、思いも寄らないことだったのである。だが、円光は直ぐに立ち直った。円光にすれば、目の前の少女の衣装よりも、この未知の恐怖の方が遥かに組し易い。実際この国において円光とさしで勝負できる者は少なかろう。例えばこの時期、京にいる大夫判官義経の側近、武蔵坊などがその一に上げられようが、この奥深い山中で、彼に匹敵する者が現れようとはなかなか考えがたいことである。あるとすれば手負いの熊くらいのものだが、それとても本気の円光に敵するのは難しいだろう。
(一体何者か、血の臭いもしないし殺気も乏しいようだが)
 隠そうとしない気配の様子から相手を伺おうとした円光だったが、やがて棒で樹を叩くような騒々しい音がしたかと思うと、突然梢を割ってぬうと一人の男が現れた。
 右手に刃の厚い長さ二尺ほどの山刀を下げているが、いっこうに山男のようには見えない。上背は円光とさほど変わらない長身である。獣道を手にした山刀で切り進んできたと見えて、全身汗と汚れにまみれてはいるが、涼やかな目元、端整な顔立ちに何かしら知性のきらめきを感じさせる風である。男は突然まみえた円光に少し驚いた風だったが、すぐに人なつこい笑顔を浮かべ、円光に言った。
「やあ、御坊はこんな山中で何をなさっておられるのかな?」
 円光は少し緊張をゆるめた。第一印象は悪くない。少なくとも今突然に襲いかかってくるような類ではなさそうだ。だが、依然警戒を解いたわけではない。
(何者だ)
と円光が誰何しようとしたその時、男は好奇の目を円光からその背後に横たわるものへと移していた。
「いかがなされた、その女性は!」
 円光は、いましがたの自己嫌悪に触れられた気がして、思わず耳たぶを赤く染めた。が、男が無造作に少女に近寄ろうとするのを見て、円光はすぐに気を取り直した。たちまち手にある錫杖の金輪がしゃん! と鳴り、男の行く手を遮った。
「何者とも知れぬ者を近づけるわけには参らぬ」
 男の表情は一瞬こわばったが、すぐに柔和な顔に戻ると目の前の錫杖に手をかけた。
「私は薬師の鬼童と申す者。それよりも御坊」
「拙僧は円光と申す」
「では円光殿、この娘、このままでは助からんぞ」
「だから今、火を起こそうと用意していたのだ」
「では一刻も早く火を起こしてくれ。それから、何か乾いた布はあるか?」
「いや。これしかない」
 円光は今しがた水に濡れたぼろぼろの墨染め衣をつまんでみせた。鬼童と名乗った男はそうかとうなずくと、はじめて背中のしょいこを降ろし、綱を解いて一個のふろしき包みを取り出した。

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