どちらも得体の知れない「アレ」が襲ってくる、というような話だ。
あらすじだけでみれば過去にもあったような筋だし、他愛のない陳腐化されたようなストーリーにも関わらず、「見せ方」をよく考えて工夫することで成功を収めた映画であると思う。
『クローバー・フィールド』は(出演者)本人が持つ視点、みたいな斬新さがあって、見づらく疲れるのだけれどもユニークだ。早い話が、日本の30分もの「怪獣ドラマ」を編集なしで撮影すると、多分こんな事件・ドキュメンタリー映像になるんだろうな、と。「ウルトラマン」のドラマ中に登場する、逃げ惑う東京都民のエキストラ#15番、みたいなものだ。
個人の撮影したビデオを長時間見せられたりして、これと似たような気分を味わったことがある人はいるかもしれない。テレビニュース映像で、個人の撮影したビデオ映像が入手された場合にも、同じような感じの映像感覚を生じたことがある人は割りと多いんじゃないかと思う。難点を言うとすれば、最後の方になればなるほど、あそこまで映像を撮り続けようとする「動機」がよくわからない。というか、撮影しようとする意思を持続させる方が難しいような気がする。落としたカメラ、というような固定的視点であれば、違和感はもうちょっと少なかったかもしれない。あの状況で「友人が持っていたカメラ」をわざわざ戻って拾いに行かねばならない、というのがやや難あり、と思った。
現実世界での人間の持つ視点というのはこの記録映像のようなものに近くて、実際にウルトラマンと怪獣が戦っているかどうか、とか、関係がないのだ。そういうマクロ的な視点を持って物事を見れば、何がどう起こっているのかという全体像が把握できるし、もっとよりよく考えることもできるかもしれない。だが、そういう「事件の全体像をマクロの視点から眺めて判断する」という状況は、現実には殆どないのだ、ということに気づかされるのである。多くは、「逃げ惑うエキストラ」の目を通してしか、見ることができない・把握できない、のだ。物事を理解しようとする時には、そうなりがちなのだ、ということ。
新鮮かつ意欲的な映画。実験的と言ってもいいかも。
『ミスト』は、一昔前の『ピッチ・ブラック』っぽく、闇の中に何かがいるか、霧の中に何かがいるか、という違いでしかないようにも思われた。極端に言えば、「アレ」の存在自体は、恐らく何だっていいのだろうと思う。
が、この映画の良いところは、「大衆」や「ヒーロータイプ」というような、人間の反応や行動をうまく描いていることである。限定的な状況下では、どう行動するか、どのような反応をするのか、というようなことだ。或いは、極限状態に置かれてしまうとどうなるか、ということもある。絶望が果たす役割も興味深い。
『クローバーフィールド』と比較するべき映画というわけではないが、どちらかと問われれば『ミスト』の方が人間描写に優れていると思う。人生では、「良かれと思って」やることとか選択なんかはごく普通にあるが、事後的にみれば正しかったかどうかは判らないのだ。良くない結果を生むことだって多い。一生懸命やったってダメな場合も多々あるし、失敗することもある。
どんな人生、選択をするのか、ということが常に問われているのだと思う。母の帰りを待つ子どもの下へ、たった1人で帰ろうとする母の決断、みたいなことだな。
エンディングロールを眺めている間にも、ずんずん沈鬱な気分になっていく、良作である。
あらすじだけでみれば過去にもあったような筋だし、他愛のない陳腐化されたようなストーリーにも関わらず、「見せ方」をよく考えて工夫することで成功を収めた映画であると思う。
『クローバー・フィールド』は(出演者)本人が持つ視点、みたいな斬新さがあって、見づらく疲れるのだけれどもユニークだ。早い話が、日本の30分もの「怪獣ドラマ」を編集なしで撮影すると、多分こんな事件・ドキュメンタリー映像になるんだろうな、と。「ウルトラマン」のドラマ中に登場する、逃げ惑う東京都民のエキストラ#15番、みたいなものだ。
個人の撮影したビデオを長時間見せられたりして、これと似たような気分を味わったことがある人はいるかもしれない。テレビニュース映像で、個人の撮影したビデオ映像が入手された場合にも、同じような感じの映像感覚を生じたことがある人は割りと多いんじゃないかと思う。難点を言うとすれば、最後の方になればなるほど、あそこまで映像を撮り続けようとする「動機」がよくわからない。というか、撮影しようとする意思を持続させる方が難しいような気がする。落としたカメラ、というような固定的視点であれば、違和感はもうちょっと少なかったかもしれない。あの状況で「友人が持っていたカメラ」をわざわざ戻って拾いに行かねばならない、というのがやや難あり、と思った。
現実世界での人間の持つ視点というのはこの記録映像のようなものに近くて、実際にウルトラマンと怪獣が戦っているかどうか、とか、関係がないのだ。そういうマクロ的な視点を持って物事を見れば、何がどう起こっているのかという全体像が把握できるし、もっとよりよく考えることもできるかもしれない。だが、そういう「事件の全体像をマクロの視点から眺めて判断する」という状況は、現実には殆どないのだ、ということに気づかされるのである。多くは、「逃げ惑うエキストラ」の目を通してしか、見ることができない・把握できない、のだ。物事を理解しようとする時には、そうなりがちなのだ、ということ。
新鮮かつ意欲的な映画。実験的と言ってもいいかも。
『ミスト』は、一昔前の『ピッチ・ブラック』っぽく、闇の中に何かがいるか、霧の中に何かがいるか、という違いでしかないようにも思われた。極端に言えば、「アレ」の存在自体は、恐らく何だっていいのだろうと思う。
が、この映画の良いところは、「大衆」や「ヒーロータイプ」というような、人間の反応や行動をうまく描いていることである。限定的な状況下では、どう行動するか、どのような反応をするのか、というようなことだ。或いは、極限状態に置かれてしまうとどうなるか、ということもある。絶望が果たす役割も興味深い。
『クローバーフィールド』と比較するべき映画というわけではないが、どちらかと問われれば『ミスト』の方が人間描写に優れていると思う。人生では、「良かれと思って」やることとか選択なんかはごく普通にあるが、事後的にみれば正しかったかどうかは判らないのだ。良くない結果を生むことだって多い。一生懸命やったってダメな場合も多々あるし、失敗することもある。
どんな人生、選択をするのか、ということが常に問われているのだと思う。母の帰りを待つ子どもの下へ、たった1人で帰ろうとする母の決断、みたいなことだな。
エンディングロールを眺めている間にも、ずんずん沈鬱な気分になっていく、良作である。