というわけで、「ホテルワルシャワ」に帰る日まで滞在できることになり、ホテル騒動は一件落着。
ワルシャワの街のお話を少ししましょうかね。
ポーランドという国はみなさんご存知の通り、第二次世界大戦でナチにコテンパンにやられた国です。チェコ人いわく、“チェコスロバキアは比較的すぐにナチに降参したからあまり街を壊されずに済んだ。でも、ポーランドは抵抗したから徹底的にやられた”と。ポーランド人の受けた傷は深かったけど、きっとナチに抵抗したことは誇りに思っているんだろうなぁという印象でした。というわけで、大昔の町並みや建物がごっそり残っているプラハなどに比べてポーランドの歴史的建造物はごっそり消え去ってしまいました。昔の町並みが残っているのはクラコフくらい。だから、そこは観光客は多いみたい。でも、ワルシャワはいまひとつ観光の街にはなれない。ポーランド全体を見てもやっぱりチェコやハンガリーには観光産業では負けちゃうだろうな…
そんなワルシャワも見るとこがないかというと、そんなこともなく一週間ばかしの滞在期間中いろんなところに行った。誰もが歴史で習う偉人が実はポーランド出身だったりするので、博物館とかが結構あるのですよ。ショパン、コペルニクス、キュリー夫人。それぞれの博物館に行ってみた。全体的にどこもチェコの博物館より狭いけど、その小狭ましいところにとっても整頓されて展示物がならんでおり、順路も分かりやすく、いろんな美術館や博物館に行ったけれど、ポーランドの博物館がどこよりも見やすかった。結構、几帳面な人たちなのかな?
そして、ワルシャワの旧市街。そこはナチに壊された歴史的な建物を全部キレイに再現してある街。第二次大戦以前と直後と再建されたあとの現在の写真が飾ってある。大戦直後は一面焼け野原で何もないのに、以前と現在の写真が時代を超えてほぼ同じなのだ。旧市街と言ってもとても規模は小さいがその風景にポーランド人の誇りを感じた。
旧市街だけじゃなくどこを歩いているときもだけど、さすが敬虔なカトリックの国、法王様が来ているというタイミングのせいもあったと思うけど、アイドルよろしく法王ヨハネパウロ2世のブロマイドが露店でいっぱい売っているのよー。今から考えたら記念に一枚買っとけば良かった?
プラハでウロウロしているときよりもワルシャワの街を歩いているときのほうが人々がなんだかゆったりしていて、なんだかeasy goingというか、同じ首都のはずなのにプラハで感じた都会の人間特有のイガイガ感がない印象を受けました。英語圏では「マヌケなポーランド人」ジョークというジャンルがあって、こういうちょっとポケッとしてるところからそういうジョークのネタにされているのかなーとか思ったりしました。(どうして、「マヌケなポーランド人」というのがジョークのいちジャンルにまでなっているのか真相は知りませんが)こんなゆったりした感じの人たちの中にどうしてあそこまで戦うパワーがあったのかと思ったりもしました。(今現在の彼らがナチに抵抗したわけではないけど、国民性としてね。)反骨精神旺盛な映画とかも多いしね。
それと、プラハより英語が断然通じない。チェコでは若い人はお店の人とかだとだいたい英語が喋れたけど、ワルシャワでは若い人もあんまり喋れなかった。それで少し困ったけど、ホテルでは通じたし、基本的にみんな親切で道とかを聞くとなんとか助けてくれようとするので英語が通じなくても不便だけど大丈夫でしたね。帰りの切符を買うときの窓口のおばさんがまーーーーったく英語が話せなくて困っていたら「手伝いましょうか?」と英語で声を掛けてきてくれた子もいたし。彼女も天使に見えたなぁ。
あと、なぜかワタクシが歩いていると時間を聞いてくる人が何人もいたんですよねー。腕時計している人が珍しいのかなー???これは今でも謎のままだなー。
ワルシャワのあと、イタリアのボローニャとスペインのバルセロナに行って、ワタクシの留学生活は終わりました。また他の旅のことも機会が見つけて書きたいと思いますが、6回シリーズになるほどドキドキものだったのはワルシャワだけだった、印象深ーい旅でした。
ワルシャワの街のお話を少ししましょうかね。
ポーランドという国はみなさんご存知の通り、第二次世界大戦でナチにコテンパンにやられた国です。チェコ人いわく、“チェコスロバキアは比較的すぐにナチに降参したからあまり街を壊されずに済んだ。でも、ポーランドは抵抗したから徹底的にやられた”と。ポーランド人の受けた傷は深かったけど、きっとナチに抵抗したことは誇りに思っているんだろうなぁという印象でした。というわけで、大昔の町並みや建物がごっそり残っているプラハなどに比べてポーランドの歴史的建造物はごっそり消え去ってしまいました。昔の町並みが残っているのはクラコフくらい。だから、そこは観光客は多いみたい。でも、ワルシャワはいまひとつ観光の街にはなれない。ポーランド全体を見てもやっぱりチェコやハンガリーには観光産業では負けちゃうだろうな…
そんなワルシャワも見るとこがないかというと、そんなこともなく一週間ばかしの滞在期間中いろんなところに行った。誰もが歴史で習う偉人が実はポーランド出身だったりするので、博物館とかが結構あるのですよ。ショパン、コペルニクス、キュリー夫人。それぞれの博物館に行ってみた。全体的にどこもチェコの博物館より狭いけど、その小狭ましいところにとっても整頓されて展示物がならんでおり、順路も分かりやすく、いろんな美術館や博物館に行ったけれど、ポーランドの博物館がどこよりも見やすかった。結構、几帳面な人たちなのかな?
そして、ワルシャワの旧市街。そこはナチに壊された歴史的な建物を全部キレイに再現してある街。第二次大戦以前と直後と再建されたあとの現在の写真が飾ってある。大戦直後は一面焼け野原で何もないのに、以前と現在の写真が時代を超えてほぼ同じなのだ。旧市街と言ってもとても規模は小さいがその風景にポーランド人の誇りを感じた。
旧市街だけじゃなくどこを歩いているときもだけど、さすが敬虔なカトリックの国、法王様が来ているというタイミングのせいもあったと思うけど、アイドルよろしく法王ヨハネパウロ2世のブロマイドが露店でいっぱい売っているのよー。今から考えたら記念に一枚買っとけば良かった?
プラハでウロウロしているときよりもワルシャワの街を歩いているときのほうが人々がなんだかゆったりしていて、なんだかeasy goingというか、同じ首都のはずなのにプラハで感じた都会の人間特有のイガイガ感がない印象を受けました。英語圏では「マヌケなポーランド人」ジョークというジャンルがあって、こういうちょっとポケッとしてるところからそういうジョークのネタにされているのかなーとか思ったりしました。(どうして、「マヌケなポーランド人」というのがジョークのいちジャンルにまでなっているのか真相は知りませんが)こんなゆったりした感じの人たちの中にどうしてあそこまで戦うパワーがあったのかと思ったりもしました。(今現在の彼らがナチに抵抗したわけではないけど、国民性としてね。)反骨精神旺盛な映画とかも多いしね。
それと、プラハより英語が断然通じない。チェコでは若い人はお店の人とかだとだいたい英語が喋れたけど、ワルシャワでは若い人もあんまり喋れなかった。それで少し困ったけど、ホテルでは通じたし、基本的にみんな親切で道とかを聞くとなんとか助けてくれようとするので英語が通じなくても不便だけど大丈夫でしたね。帰りの切符を買うときの窓口のおばさんがまーーーーったく英語が話せなくて困っていたら「手伝いましょうか?」と英語で声を掛けてきてくれた子もいたし。彼女も天使に見えたなぁ。
あと、なぜかワタクシが歩いていると時間を聞いてくる人が何人もいたんですよねー。腕時計している人が珍しいのかなー???これは今でも謎のままだなー。
ワルシャワのあと、イタリアのボローニャとスペインのバルセロナに行って、ワタクシの留学生活は終わりました。また他の旅のことも機会が見つけて書きたいと思いますが、6回シリーズになるほどドキドキものだったのはワルシャワだけだった、印象深ーい旅でした。