電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

紫水晶、恋情の化石か――工藤美代子さん

2008-12-21 | 03-自己・信念・努力
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「こころの玉手箱」ノンフィクション作家・工藤美代子

  [1] 西脇順三郎の色紙


[1] 西脇順三郎の色紙――寂しそうな詩人の声の記憶
 ノンフィクション作家・工藤美代子
【「こころの玉手箱」08.12.15日経新聞(朝刊)】

あのとき私は中学2年生だった。国語の課外授業の一環として、同級生とともに教師に引率され、詩人の西脇順三郎を訪ねた。

もともと、この会合は私の父のアレンジによるものだった。父は新潟の小千谷高校出身で、西脇の後輩にあたった。当時、ノーベル賞候補にも挙がっていた西脇は時の人であり、父もこの詩人を深く尊敬し、私淑していた。

だから、幼い頃から、家には西脇の詩集があり、その名前も頻繁に聞いていた。

時に西脇は69歳である。子供たちの訪問などは煩わしかったに違いない。それでも父との親交があるために、時間を割いてくれた。

静かな応接間で、私は英国紳士然として西脇の顔を不思議な想いで眺めていた。

同級生がそれぞれ簡単な質問をした後で、私の番がめぐってきた。今から考えるとまったく赤面の至りだが、私は西脇の眼をじっとみつめて尋ねた。

「先生はどうして詩を書くのですか?」

これには西脇も困ったようだ。無知な小猿みたいな中学生を相手に、詩論など語れるはずもない。ふっと、あきらめたように溜息(ためいき)をついて口を開いた。

「それはね、やっぱり美しいものを書きたいからなんですよ」

そして言葉を続けた。

「詩なんてね、書いたって誰もお金をくれるわけじゃあないし、お嬢ちゃん、ものなんか書くようになったらいけませんよ」

まさか自分が将来、物書きを職業にすることになるとは夢にも思っていなかった私は、ただ頷(うなず)いてから、ちょっと詩人を勇気づけたいと考えた。それで、「でも、先生の『紫水晶、恋情の化石か』っていう詩はなかなかいいと思います。書いてよかったじゃないですか」と生意気にも「批評」をしたのである。

「ほう、あの詩がお好きなんですか」といって西脇は微笑んだ。

思い出すと冷や汗が出る。詩人に対してなんと無礼な発言だったかと。

しかし、西脇は私の言葉を憶(おぼ)えていてくれた。面会から1カ月ほどした頃に、その詩を色紙に書いて、「お嬢ちゃんに上げてください」と父に託してくれたのだ。この色紙を見るたびに、私は今でも詩人のあの寂しそうな声を思い出すのである。

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工藤美代子(くどう・みよこ)
1950年生まれ、カナダ・コロンビアカレッジ卒。91年「工藤
写真館の昭和」で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に「われ
巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇」「快楽」など。
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