電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのよう
ユーモアは一瞬にして
大地と空気とあなたを洗い清めてくれる
( L・ヒューズ )

活眼 活学 《 他事と自分自身のこと――安岡正篤 》

2024-09-14 | 03-自己・信念・努力
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和尚非常に御機嫌が悪くて、いろいろ意見を言うと、それは駄目だ。これはなっておらんと、もう頭ごなしにやられる。そこで楚材は、今までお師匠さんは何事によらず私を許してくれたが、今日はどうも頭から否定される。どういうわけですかと聞いてみたら…


『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p88 )

◆他事(よそごと)と自分自身のこと

世界歴史の中でも類(たぐい)まれな大宰相といわれた耶律楚材(やりつそざい)という蒙古の大宰相がある。五十幾歳のジンギスカンが二十そこそこの耶律楚材に一見して惚れこんだという大人物である。蒙古建国はほとんどこの人に依った。あの剽悍な蒙古の君臣を三十年にわたってしっかり把握して指導した人だ。

この人がまだ若い時、北京におった頃、禅に没頭して、澄公という非常に優れた和尚さんに参学しておったが、いろいろ自分の意見を言うと、うんうんといってしきりに同意してくれる。その頃、彼はまだ遼という国(満州)の王族であったが、蒙古の侵略を受けて自分の王国は没落する。国家の没落の危局に臨んで彼は煩悶懊悩した。そういう深刻な状態になってくると、それまでの観念の遊戯などというものは実は気分の満足なんで、いわゆるムードなんていうものでは片がつかん。えらく自分が参禅してできたつもりでおったけれども、何やら怪しくなった。それでその行き詰まった気持ちで澄和尚の所へ行った。

すると、和尚非常に御機嫌が悪くて、いろいろ意見を言うと、それは駄目だ。これはなっておらんと、もう頭ごなしにやられる。そこで楚材は、今までお師匠さんは何事によらず私を許してくれたが、今日はどうも頭から否定される。どういうわけですかと聞いてみたら、今まではお前の参禅も遊戯であった。貴族の道楽だった。だからどうでもいいから、うんうん言っておったのだ。今日のお前は真剣らしい。真剣に聞くなら、実はなっておらんという。それでハッと悟ったということがある。

人間というのはそいうもので、少し調子を下げればどうでもいい。大抵のことは、うんうんでいい。しかし真剣に命がけで取り組むということになったら、それこそ簡単にはゆかん。議論もそうなんで、今の要するに三原則(註*)というものを、よく諸君は心得ておいて研究でも協議でもやらなければならん。そういう前提を知らないで、よくやみくもに突入して、両方とも要領を得ないということがよくある。あるいは両方とも要領を得たつもりで、突っ込んで言えば、実はなっておらんんということもあり得る。ということもよく知っておくが宜しい。

  (註*)三原則=1長い目で見る、2多面的に見る、3根本的に見る。

それから、今まで何度も話したことがあるが、問題を自分のつきつめた実践の問題、当為の問題、我いかになすべきかという、自分の問題として取り扱う場合と、人の問題として取り扱う場合とでも、非常に趣が違ってくる。例えば農村問題にしても、農村に生きる自分としていかにあるべきかという場合の心得や考え方と、一般の農民、つまり他人としての農民のことを考え論ずる場合とでも、これは非常に違う。その点も混同すると話が合わぬことになる。

今農村の青年に娘が嫁に行きたがらん。これは実に困ったことである。いかにして農村の青年男女というものの悩みを解決すべきかというようなことは、これは一般農民の問題として論ずる場合と、そういう環境の中にある一人の青年である自分がこの現実に対していかに処すべきかということでは、心得が非常に違ってくる。考え方も非常に違ってくる。そういう大前提もあるわけです。
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