電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

こころのチキンスープ 《 ファントムを探せ――ジョン・シェラー 》

2024-10-16 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  不可能への挑戦を専門とする人々がもっと必要だ。
     セオドー・ロスク


◆ファントムを探せ

『こころのチキンスープ 7』
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社、p129 )

1963年の冬、当時23歳だった私は、アメリカ海軍戦闘情報センター所属の士官として、駆逐艦USSイートン号に乗り組んでいた。

ハッテラス岬を出航すると、われわれはハリケーンに直撃された。荒れ狂う海に艦は3日間にわたって翻弄され、私は波にさらわれそうになるほどだった。3日間、私は吐きに吐いた。やがてハリケーンは去ったが、翌日ファントム機が海上に不時着したという連絡が入った。

私が海軍に入ったのは、ファントムのパイロットになりたかったからだ。だが、訓練4年目に左目の視力が落ちていることがわかって、その夢をあきらめた。

そんなときある人が、「RIOになれば空を飛べる」と教えてくれた。RIO、つまりパイロットのすぐ後ろの席で、攻撃ターゲットを操作する士官のことである。これは名案だと大喜びしたのもつかのま、RIOは無線連絡を一手に引き売けると知ってがっくり肩を落とした。

なぜなら、私にはどもる癖があったからだ。とりわけ、t、b、k、g、といった音で始まる単語になると、どもってしまう。恥ずかしい話だが、私はこれを人に知られまいとビクビクして生きてきた。だからこそ、もっぱらジェット機からの無線連絡をうけるだけであまり喋らなくてもすむ駆逐艦に将来をかけたのだ。

だが、海軍も見るところはちゃんと見ている。私は航空管制官に任命され、新兵の身ながら真夜中の監視当番に立つことになった。

その夜、ハリケーンに痛めつけられて青い顔をした私が、操作台のまえに立っていると突然、神のお告げのような深い声が聞こえてきた。

「ハーミット」と無線の声。「こちらクライマックス本人、どうぞ」

“ハーミット”というのは、私の乗り組んだ艦の暗号名だった。一方、“クライマックス”は艦隊随一の空母、USSエンタープライズ号の暗号名だった。“クライマックス本人”とは、このエンタープライズ号の艦長その人だった。心臓がドキンドキンと音を立てて鳴りだした。

「ハーミット、いましがた、貴艦方面でフォックストロット4を見失った。2名下がって、行方不明」。翻訳すると、ファントム機が不時着したが、墜落の最終確認地点に私たちの艦がいちばん近いので、捜索救助活動をしてほしいという要請だ。つまり、降ってわいたように、この捜索をとりしきっていくのが私の任務となったのだ。

ところがである。私にとって、“クライマックス”以上に発音の難しい言葉もなかった。しかも航空管制学校を出たばかりの私は、実際に飛行機を誘導した経験がなかった。しかし、凍てつく氷の海で漂流している2名の仲間のことを思うと、選択の余地はなかった。私は鉛筆を片手に、ヘッドフォンをかぶり、レーダー操作台の画面の前に座った。

学校では、一度に4機、ないし5機以上誘導することはないと教えられた。だが、いまや20機近い空軍機からの会話が、いっせいに飛び交いはじめた。

インクを流したような黒い夜空から、さまざまな声が私めがけて飛んでくる。海軍パイロットたちからの、さりげない暗号文である。「ああ、ロジャー。ハーミット。こちらクライマックス23。こちらに24と25を曳航している。進路を要請する。どうぞ」。交信はこんな調子で24時間続いた。

この試練に耐えること3、4時間。ふと、われに返ると、自分がどもっていないことに気がついた。いや、どもっていないばかりか、どもることすら頭になかったのだ。

その瞬間、心に湧き上がった驚き、高揚感、感謝の気持ちを私は一生忘れない。2人の人間の生死が私にかかっているこんな状況では、どもることなど“許されなかった”のだ。私は胸がいっぱいになった。これこそ、まぎれもない魂の体験だった。私の人生は大きく変わり、長年自分を縛ってきたものから解放されたのである。そう、まさに新しい自分が誕生した瞬間だった。

小型艦の上で、ただ1人ジェット機を誘導できる管制官として、私は夜が明けて朝になり、また夜になるまで画面の前にはりついていた。

翌日の明け方、捜索機のうちの1機が、救助を求める無線標識をキャッチした。しかし、発見されたのはRIOのヘルメットと補助席だけだった。

ややあって、大波の間で浮き沈みしているパイロットを別の飛行機が発見した。“クライマックス”の艦長がエンタープライズ号からヘリコプターを派遣し、私に呼び掛けた。

「ブラボー、ズル!」。“よくやった!”という海軍用語だった。

私たちの艦も、現場に着いた。パイロットは縄ばしごに助け上げられた際、私たちの艦に向けてメッセージを発したらしく、本艦の艦長の声がスピーカーから流れてきた。

「シェラー士官、フリッジに上がれ! きみに会いたい人がいるそうだ」

昇りはじめた朝日のなかを、私は階段を駆け上がった。ヘリコプターは海上7メートルの低空を舞いつつ、パイロットを機内へと吊り上げるところだった。

間に広がる海をはさんで、彼と私の目と目が合った。私はにっこり笑って手を振り、“やったね”とばかりに親指を突き上げた。

縄ばしごの先にぶら下がったパイロットは、ずぶぬれの身体で機内に消える寸前、いまいちど私の方をしっかりと見据え、やわら挙手の礼をした。

私は揺れるイートン号の甲板に立って、彼に向かって答礼した。涙がこみあげてきた。私は、暗い波間をさすらっていた彼が無事ファントムに戻れるよう手伝った。しかし、彼は知るまい。彼もまた、心の闇でさすらっていた私がついに自分のファントムを見つけるのを手伝ってくれたことを。

     ジョン・シェラー
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