電脳筆写『 心超臨界 』

真の発見の旅は新しい景色を求めることではなく
新しい視野を持つことにある
( マルセル・プルースト )

セレンディビティの予感 《 悪魔の「質問力」――齋藤孝 》

2024-08-08 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )
It is not the answer that enlightens, but the question.
( Eugene Ionesco )


◆悪魔の「質問力」

『質問力』
( 齋藤孝、筑摩書房 (2006/3/9)、p226 )

ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫・原卓也訳)の中で(「第五編プロとコントラ」)、主人公のイワン・カラマーゾフが『大審問官』という自作のストーリーを弟のアリューシャに話して聞かせるところがある。

イワンは聖書の『マタイ伝福音書』第4章に書かれているキリストと悪魔の対話についてふれている。マタイ伝には悪魔の試練を受けるため、荒野に導かれたキリストと悪魔の対話がのっているが、それによると悪魔はキリストに3つの問いをしたという。

すなわち「お前が神の子なら、石がパンになるように命じてみろ」「お前が神の子なら、この塔の上から飛びおりてみろ(飛びおりても無事なはずだ)」「お前が私にひれ伏すなら、この世のすべての栄華を与えよう」

これに対してキリストは「人はパンのみにて生きるものにあらず」「神を試みてはならない」「ただ神にのみ仕えよ」と答えた。この答えはキリストの教えとしてあまりに有名である。しかしドストエフスキーが注目したのは、キリストの解答ではなく悪魔が出した3つの問いの方である。イワン・カラマーゾフはこう語る。

「あの三つの問いの出現にこそ、まさしく奇蹟が存してるからだ。一例としてためしに今、もしあの恐ろしい悪魔の三つの問いが福音書から跡形もなく消え失せてしまい、それを復元して福音書にふたたび記入するために、新たに問いを考えだして作る場合を想定しうるとしたら、そしてそのために支配者や高僧、学者、哲学者、詩人など、この地上のあらゆる賢者を集めて、《さあ、三つの問いを考えて作るがいい、だがその問いは事件の規模に釣り合うだけではなく、そのうえわずか三つの言葉、わずか三つの人間の文句で、世界と人類の未来の歴史をあますところなく表現しうるようなものでなくてはならぬぞ》と課題を与えることにしたら、一堂に会した地上の全叡智(えいち)は、はたしてあのとき力強い聡明な悪魔が荒野で実際にお前(キリストのこと)に呈した三つの質問に、深みや力から言って匹敵(ひってき)できるようなものを何かしら考えだせるとでも、お前は言うのか? これらの質問を見ただけで、またそれらの出現した奇蹟を見ただけで、お前の相手にしているのが(悪魔のこと)人間の現在的な知恵ではなく、絶対的な永遠の知恵であることが理解できるはずである。なぜなら、この三つの問いには、人類の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれているからだ」

つまり、悪魔が出した3つの問いがキリストの本性、あるいは人類の未来のすべてを要約してしまった。そういう3つの問いを誰が考え出せるであろうか。その問い自体がすばらしいと言っている。キリストの答えも見事だが、キリストの回答能力以上に、ドストエフスキーは悪魔の「質問力」を評価しているのだ。まさに究極の質問である。
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