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不都合な真実 歴史編 《 日本軍の住民自決命令はなかった!――曽野綾子 》

2024-06-22 | 04-歴史・文化・社会
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曽野氏は赤松大尉をはじめ、その部下たちや集団自決を目撃した渡嘉敷島の住民から丹念に取材した。その結果、集団自決は起きたものの、赤松氏が自決命令を出したという証言は得られなかった。その取材経過をまとめたものが、『ある神話の背景』である。曽野氏がとった手法は、時間と労力を要する足を使った取材だ。今も昔も、ジャーナリストの常道とされる。だが、当時の新聞記者たちは、ほとんど赤松隊の元隊員や渡嘉敷島の住民に会っていなかった。『鉄の暴風』の記述をうのみにし、赤松氏ら旧軍関係者を糾弾し続けたのである。


◆日本軍の住民自決命令はなかった!

『沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実』
( 曽野綾子、ワックBUNKO、p330 )
解説――産経新聞論説委員・石川水穂

先の戦争末期、住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄戦(昭和20年3月~6月)をめぐり、さまざまな悲劇が語り継がれている。慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で起きた住民の集団自決もその一つだ。いずれも、旧日本軍の命令によって自決を強いられたと伝えられてきた。今も、多くの教育現場では、そう教えられている。

この“定説”に初めて疑問を投げかけたのが、曽野綾子氏の『ある神話の背景』(昭和48年、文藝春秋)だった。二つの島のうち、渡嘉敷島の集団自決に着目し、徹底検証したノンフィクションである。改めて読み直し、取材力のすごさに驚かされる。

当時、渡嘉敷島に駐屯していた日本軍は、赤松嘉次大尉が指揮する海上挺身隊第三戦隊だ。ベニヤ板製の小型舟艇(長さ5メートル、幅1.5メートル、深さ0.8メートル)に爆雷を積み、敵艦に体当たり攻撃を行う特攻部隊だったが、出撃の機会がないまま、終戦を迎えた。“定説”では、赤松大尉の命令により住民329人が集団自決したとされていた。

曽野氏は、このことが書かれた多くの資料や本を調べ、いずれも、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された『沖縄戦記 鉄の暴風』の記述から孫引きされていることを突き止める。沖縄タイムスの当時の担当者や取材協力者にもあたり、『鉄の暴風』の記述が集団自決の直接の目撃者ではない二人の伝聞にもとづいて書かれたことを知る。

さらに、曽野氏は赤松大尉をはじめ、その部下たちや集団自決を目撃した渡嘉敷島の住民から丹念に取材した。その結果、集団自決は起きたものの、赤松氏が自決命令を出したという証言は得られなかった。

その取材経過をまとめたものが、『ある神話の背景』である。曽野氏がとった手法は、時間と労力を要する足を使った取材だ。今も昔も、ジャーナリストの常道とされる。だが、当時の新聞記者たちは、ほとんど赤松隊の元隊員や渡嘉敷島の住民に会っていなかった。『鉄の暴風』の記述をうのみにし、赤松氏ら旧軍関係者を糾弾し続けたのである。『鉄の暴風』にはこんな記述がある。

「(昭和20年3月)27日、地下壕内において将校会議を開いたがそのとき、赤松大尉は『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食糧を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えなければならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」

曽野氏の取材を受けた知念朝睦元少尉は、地下壕や将校会議の存在を否定した。曽野氏はこう書いている。

「神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない」「現実は常に語り伝えられたり書き残されたものほど、明確でもなく、劇的でもない」「現実が常に歯ぎれわるく、混沌としているからこそ、創作というものは、そこに架空世界を鮮やかに作る余地がある」「歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、誰にも許されていない」

十分な裏づけを取らずに書く日本の一部ジャーナリストらに対する痛烈な批判である。

曽野氏の批判は、『鉄の暴風』の記述に基づいて集団自決を書いた大江健三郎氏らにも向けられる。

大江氏は『沖縄ノート』(昭和45年、岩波新書)で、集団自決の責任者(赤松氏)を「自己欺瞞と他者への瞞着の試み」「あまり巨きい罪の巨魁」などと指弾していた。曽野氏は「このような断定は私にはできぬ」としたうえで、「私はそこ(集団自決の現場)にいあわせなかった」「私は神ではない」という二つの理由をあげる。

旧文部省による教科書検定の違法性を訴えて故家永三郎・東京教育大学名誉教授が国に損害賠償を求めた「第三次家永教科書訴訟」では、沖縄戦での集団自決が「軍の命令によるものか」(家永氏側主張)か「住民の自発意思によるものか」(国側主張)も、争点になった。曽野さんは昭和63年4月、国側証人として東京地裁に出廷し、『ある神話の背景』の執筆経過について「できる限り直接資料にあたり、ご存知の方がいればお目にかかるやり方をとった。推論や断定を避け、矛盾した証言があっても、統一は図らないことを心がけて執筆した」と証言した。

私自身、産経新聞で歴史問題や教科書問題に携わる記者の一人として、肝に銘じなければならない言葉である。
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