電脳筆写『 心超臨界 』

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( マハトマ・ガンジー )

◆世紀の愚将・山本五十六

2024-09-12 | 05-真相・背景・経緯

§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆世紀の愚将・山本五十六


ハワイを占領したところで補給が続かないのなら、最初からハワイ攻撃をやるべきではありませんでした。逆に、どうしてもハワイに行くなら占領しなければいけません。単に叩いて帰ってくるだけなら、いったい何のためにハワイまで行ったのか。アメリカを怒らせてあげただけです。


◇世紀の愚将・山本五十六

『大間違いの太平洋戦争』
( 倉山満、ベストセラーズ (2014/7/16)、p225 )

1941年12月8日、山本五十六が率いる帝国海軍連合艦隊は真珠湾を攻撃しました。事前に敵に察知された場合は非常に危険な作戦なので軍令部は反対でしたが、それを押し切って山本の主張が通りました。奇襲そのものは成功し、アメリカ軍の艦艇や航空機に大損害を与えました。

もともと帝国海軍はそれまでの40年間、日米もし戦わば、フィリピンを落としてそこで待ち構え、太平洋をはるばる横断してやってくる米海軍を迎え撃つのが基本戦略でした。米内内閣の段階でもそうです。しかし、山本が強硬にハワイ作戦を主張したので、41年9月の段階で、いきなりハワイを攻めることになったのです。

軍令部に危険視された真珠湾攻撃作戦を山本が強硬に主張したのは、アメリカと全力で艦隊決戦をした場合は日本が不利であり、一撃でアメリカの艦船を叩き潰す必要があったからだということになっています。

そもそもアメリカに売られたケンカを買ったという時点で大間違いなことは、これまで述べた通りですが、それを別としても山本のハワイ攻撃作戦には大きな問題がありました。

ハワイ作戦のプランは、戦力比では日本が不利な中でどうすればいいかというので出てきたものです。もともとは黒島亀人(くろしまかめと)という連合艦隊の参謀の作戦案で、黒島案ではハワイを占領することになっていました。しかし、山本案では、ハワイ占領は物理的に不可能だから、最初から占領しないという前提です。こんな中途半端な案を山本は強引に通しました。「ハワイを攻撃させてくれなかったら、連合艦隊長官を辞める」と軍令部を脅迫してまでです。

ハワイを占領したところで補給が続かないのなら、最初からハワイ攻撃をやるべきではありませんでした。逆に、どうしてもハワイに行くなら占領しなければいけません。単に叩いて帰ってくるだけなら、いったい何のためにハワイまで行ったのか。アメリカを怒らせてあげただけです。

また、ハワイ攻撃では航空機を使ってアメリカの艦隊を爆撃して沈めています。当時、イギリスの戦艦がイタリアの飛行機には沈められなかったという結果が出ていたのに、日本の飛行機がアメリカの戦艦を沈めてみせたことによって、それまで不可能とされた「飛行機で船は沈められる」という実験結果を作ってあげたことになります。

次に、山本は、自分が航空機を重視してハワイ作戦を立てたにもかかわらず、空軍創設には徹底的に反対して最終的に潰しました。人員や航空機の数で陸軍が海軍を大幅に上回っていたので、もし統合して空軍を作ったら陸軍にいいようにやられてしまうのが嫌だったからです。国益より、戦争に勝つより、海軍の省益優先です。

だから、『聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実』のように、山本を悲劇の名将として描く映画など作ってはいけません。ミッドウェーで多くの部下が死んでいるのに将棋を指している場面だけは本当という映画です。

東郷平八郎なら絶対にありえない光景です。東郷は細かい仕事は加藤友三郎参謀長や秋山真之(あきやまさねゆき)参謀に任せましたが、要所では決断し、常に直立不動で、誰からも見える位置にいます。戦闘中なのに部下が見えない所でゲームなど絶対にしません。明治天皇の名代だからです。

その後の展開も併せて考えると、真珠湾攻撃の意味不明ぶりがさらにはっきりとわかります。ハワイを占領せず、しかし、アリューシャンからガダルカナルまで、太平洋の半分を占領していきました。絶対国防圏と言いながら実際には点が並んでいるだけで、線になっていません。何をしたいのか意味がわかりません。

これを言い訳するのが軍オタクと呼ばれる人々ですが、彼らは「頭がいい人たちが立てた作戦が間違っているはずがない」と思い込みがちです。

ハワイ作戦には意味はまったくありません。世紀の愚策でした。

奇襲攻撃そのものがどんなに成功しても、戦略的に間違っているものは戦術的にどんなに成功してもダメなのです。

日本人は戦術の方はすぐ直します。細かいことは直すのですが、大きなことは直さない。大戦略がないからです。

要するに陸海軍が無能な官僚機構になっていたのです。現場は有能なのに上が全員バカだったということです。そして、戦術はすぐ直しても戦略は絶対に直さない。大戦略がないのですから直しようがありません。先輩批判を許さないのですから、戦略を直せるわけがありません。こういう状態では、スパイがやりたい放題できてしまいます。

もし「山本はスパイだった」と説明できたら、一番筋が通る説明になってしまいます。

明治時代には、大山巌(おおやまいわお)が日露戦争の奉天海戦で勝った瞬間、「これで外務省が話をつけてくれなかったら、もうウチじゃ無理だから」と言うことができました。「もう弾がないから戦えない」と、メンツより国益できちんと話をしたのです。1932年の上海事変でもそれは残っていて、海軍の大角岑生(みねお)が陸軍の荒木貞夫のところに「助けてくれ」と頭を下げに来る。それができたときの日本は強かったのです。しかし、もはやできなくなっていました。

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