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誰が「南京大虐殺」を捏造したか[4]
古荘光一・フリージャーナリスト
【「WiLL」2012年5月号
http://tinyurl.com/77ld5s9、ワック出版、p90 】
◆偽書「田中メモリアル(上奏文)」
◆米人情報委員会の暗躍
◆日本人歴史家の怠慢
◆アメリカによる日本人洗脳
◆西太后を屍姦
◆ソ連空軍の極東進出
◆ソ連の支那包囲網
◆溥儀、日本に働きかける
◆第二次日露戦争を覚悟
◆アメリカと蒋介石の紐帯
◆提案蹴った人物は誰か
◆偽書「田中メモリアル(上奏文)」
張群が言及した「田中上奏文」は、英語版を「田中メモリアル」という。触れ込みでは、田中義一が昭和天皇に提出した文書だといい、支那人が皇居に忍び込んで書き写してきたともいう。最初は支那語で世に出た。しかし、わたしは数種の英語版しか見ていないことをお断りしておく。
でっち上げの「南京大虐殺」は、アメリカ人の間であっという間に知れわたるが、その下地に蒋介石政権がばらまき続けた偽文書「田中メモリアル」が存在した。
《支那を征服しようと欲するならまず満洲と蒙古を征服しなければならない。世界を征服しようと欲するなら、必ずまず支那を征服しなければならない。……これすなわち明治大帝の遺策である》
「メモリアル」が“予言した”満洲事変が起きたことで、アメリカ人はすっかり本物と信じ込み、極東におけるソ連の軍事力増強、日本が支那大陸で兵を動かさざるを得なかった事情などに目を塞(ふさ)がれたも同然となった。
むろん、偽文書である。いまも本物が見つかっていない。
しかし、これを偽書と見る史家でさえ、後世への影響の深刻さとその抜きがたさを見逃している。まず隠された意図に気がつかなかった。
満洲を“担保”に日本人から大金を巻き上げたのは、孫文であった。明治、大正、昭和と進む日本の歴史において、早くから満洲支配の意欲に燃えて行動した日本人は存在したが、それを横目に孫文は「将来、国民党が支那を支配する暁には、満洲は必ず日本に委任する」と繰り返し語った。
第一大戦後、孫文の傍らにいて内地から朝野(ちょうや)の要人が訪れる際は大概同行していたという佐々木到一(のちに中将)が、毎回のように孫文の口からこの台詞を聞いた。孫文に巨額の金を貢いだ日本人は何人かいるが、この言葉を後日に伝わる孫文自筆の誓約書として取っておかなかったことは、国難を招いた。支那人が「田中メモリアル」をばらまいた目的の一つは、孫文のペテンを隠すためであった。
外にも、日本人がいまもって気づいていないことがある。蒋介石政権がアメリカを対日戦争に向わせるため「田中メモリアル」を大量に印刷し、ばらまき続けた事実である。
満州事変が起こった1931年に上海で印刷された英語版は、早くも第十一版に達し、日本は満洲、蒙古だけでなく、アメリカと世界を征服する計画だと述べていた。
1932年には、『日本のマキャベリ 明治天皇が志し、田中首相によって作られた日本の世界征服計画』と題した本がニューヨークで印刷、出版された。「田中メモリアル」の発行は、その後も続く。
「南京大虐殺」捏造(ねつぞう)犯の一人、董顕光は自著『支那と世界の新聞』で、支那事変に際しても「田中メモリアル」を“活用”したと自慢している。
( ◆米人情報委員会の暗躍へつづく )
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誰が「南京大虐殺」を捏造したか[4]
古荘光一・フリージャーナリスト
【「WiLL」2012年5月号
http://tinyurl.com/77ld5s9、ワック出版、p90 】
◆偽書「田中メモリアル(上奏文)」
◆米人情報委員会の暗躍
◆日本人歴史家の怠慢
◆アメリカによる日本人洗脳
◆西太后を屍姦
◆ソ連空軍の極東進出
◆ソ連の支那包囲網
◆溥儀、日本に働きかける
◆第二次日露戦争を覚悟
◆アメリカと蒋介石の紐帯
◆提案蹴った人物は誰か
◆偽書「田中メモリアル(上奏文)」
張群が言及した「田中上奏文」は、英語版を「田中メモリアル」という。触れ込みでは、田中義一が昭和天皇に提出した文書だといい、支那人が皇居に忍び込んで書き写してきたともいう。最初は支那語で世に出た。しかし、わたしは数種の英語版しか見ていないことをお断りしておく。
でっち上げの「南京大虐殺」は、アメリカ人の間であっという間に知れわたるが、その下地に蒋介石政権がばらまき続けた偽文書「田中メモリアル」が存在した。
《支那を征服しようと欲するならまず満洲と蒙古を征服しなければならない。世界を征服しようと欲するなら、必ずまず支那を征服しなければならない。……これすなわち明治大帝の遺策である》
「メモリアル」が“予言した”満洲事変が起きたことで、アメリカ人はすっかり本物と信じ込み、極東におけるソ連の軍事力増強、日本が支那大陸で兵を動かさざるを得なかった事情などに目を塞(ふさ)がれたも同然となった。
むろん、偽文書である。いまも本物が見つかっていない。
しかし、これを偽書と見る史家でさえ、後世への影響の深刻さとその抜きがたさを見逃している。まず隠された意図に気がつかなかった。
満洲を“担保”に日本人から大金を巻き上げたのは、孫文であった。明治、大正、昭和と進む日本の歴史において、早くから満洲支配の意欲に燃えて行動した日本人は存在したが、それを横目に孫文は「将来、国民党が支那を支配する暁には、満洲は必ず日本に委任する」と繰り返し語った。
第一大戦後、孫文の傍らにいて内地から朝野(ちょうや)の要人が訪れる際は大概同行していたという佐々木到一(のちに中将)が、毎回のように孫文の口からこの台詞を聞いた。孫文に巨額の金を貢いだ日本人は何人かいるが、この言葉を後日に伝わる孫文自筆の誓約書として取っておかなかったことは、国難を招いた。支那人が「田中メモリアル」をばらまいた目的の一つは、孫文のペテンを隠すためであった。
外にも、日本人がいまもって気づいていないことがある。蒋介石政権がアメリカを対日戦争に向わせるため「田中メモリアル」を大量に印刷し、ばらまき続けた事実である。
満州事変が起こった1931年に上海で印刷された英語版は、早くも第十一版に達し、日本は満洲、蒙古だけでなく、アメリカと世界を征服する計画だと述べていた。
1932年には、『日本のマキャベリ 明治天皇が志し、田中首相によって作られた日本の世界征服計画』と題した本がニューヨークで印刷、出版された。「田中メモリアル」の発行は、その後も続く。
「南京大虐殺」捏造(ねつぞう)犯の一人、董顕光は自著『支那と世界の新聞』で、支那事変に際しても「田中メモリアル」を“活用”したと自慢している。
( ◆米人情報委員会の暗躍へつづく )
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