電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昭和12年(1937)7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東(きとう)防共自治政府軍)による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数のコリア人も含む)の2百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。
◆歴史から消された通州(つうしゅう)事件
『「昭和の大戦」への道』( 渡部昇一、ワック、p161 )
シナ事変が日本の一方的な“侵略”でないことを示す、最も象徴的な出来事が「通州(つうしゅう)事件」である。この恐るべき虐殺事件は、盧溝橋の事件の約3週間後に起こった。
この通州事件については、戦後、ほとんど語られなくなった。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。ためしに手元にある歴史書や年表で通州事件のことを調べてみるといい。ほとんどの本には載っていないし、あったとしても、その事件の本質をごまかして書いている。
現在、最も詳(くわ)しい近代史年表とされている岩波書店の『近代日本総合年表』は、8百ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは一行も書かれていない。おそらく、意図的に省(はぶ)いたのであろう。7月28日まで書いてあるのに、翌29日に起きた事件について一言もふれていない。また同年12月14日に、冀東(きとう)政府(北シナに成立した政府)が殺された人の弔慰金(ちょういきん)120万円を払ったことにも一行の記述もない。
岩波書店が『紫禁城(しきんじょう)の黄昏(たそがれ)』(岩波文庫)においても、事実を歪める悪質な改変を行っているのは前述したとおりである。そのようなことを行う出版社が、通州事件のことを年表から省いていても、何ら不思議ではない。
昭和12年(1937)7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東(きとう)防共自治政府軍)による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数のコリア人も含む)の2百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。
東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。この事件に触れると、シナ事変は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまうという判断があったのは、言うまでもない。
ただ、通州事件の目撃者3人の宣誓口供(こうきょう)書だけは受理された。あまりに残虐な内容であるけれども、その一つ、元陸軍少佐の証言をあえて引用したいと思う。
「守備隊の東門を出ると、数間(すうけん)ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家悉(ことごと)く首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦人は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、七、八名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部に箒(ほうき)を押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪(た)えなかった。東門の近くの地では、首を電線で縛(しば)り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家六名数珠(じゅず)つなぎにして引廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如(ごと)く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこここの塵箱(ちりばこ)の中やら塀(へい)の蔭から出て来た」(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』東京裁判刊行会・中巻。読者の便を考え、読点を増やした)
これが人間のやることだろうか。シナの史書には、生きたまま人の皮を剥(は)ぐとか、あるいは手足を切り落とすというようなことが多数、書いてある。日本人からすれば、とうてい信じがたい話であるが、この証言を読むと「あの記述はやはり真実であったのか」と思わざるをえない。
当然ながら、こうした虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂(げきこう)させたし、日本にも伝わって、国民のシナに対する怒りは頂点に達した。
盧溝橋事件はまったく軍同士の衝突であり、それは現地で解決を見た。ところが、この通州事件は明白な国際法違反であるし、その殺し方はまったく狂気としか言いようがない。当時の日本人の反シナ感情は、この事件を抜きにして理解することはできないのである。もしアメリカ人の市民が百人以上もこんな殺され方をされたら、クリントンが大統領だろうが、オバマが大統領だろうが、アメリカがどんな行動を起こすか想像してみたらよい。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昭和12年(1937)7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東(きとう)防共自治政府軍)による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数のコリア人も含む)の2百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。
◆歴史から消された通州(つうしゅう)事件
『「昭和の大戦」への道』( 渡部昇一、ワック、p161 )
シナ事変が日本の一方的な“侵略”でないことを示す、最も象徴的な出来事が「通州(つうしゅう)事件」である。この恐るべき虐殺事件は、盧溝橋の事件の約3週間後に起こった。
この通州事件については、戦後、ほとんど語られなくなった。なぜなら、この事件のことを言い出すと、「中国は善玉、日本は悪玉」という構図が崩壊してしまうからである。ためしに手元にある歴史書や年表で通州事件のことを調べてみるといい。ほとんどの本には載っていないし、あったとしても、その事件の本質をごまかして書いている。
現在、最も詳(くわ)しい近代史年表とされている岩波書店の『近代日本総合年表』は、8百ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは一行も書かれていない。おそらく、意図的に省(はぶ)いたのであろう。7月28日まで書いてあるのに、翌29日に起きた事件について一言もふれていない。また同年12月14日に、冀東(きとう)政府(北シナに成立した政府)が殺された人の弔慰金(ちょういきん)120万円を払ったことにも一行の記述もない。
岩波書店が『紫禁城(しきんじょう)の黄昏(たそがれ)』(岩波文庫)においても、事実を歪める悪質な改変を行っているのは前述したとおりである。そのようなことを行う出版社が、通州事件のことを年表から省いていても、何ら不思議ではない。
昭和12年(1937)7月29日、北京の東方にあった通州で、シナ人の保安隊(冀東(きとう)防共自治政府軍)による大規模な日本人虐殺事件が起こった。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数のコリア人も含む)の2百数十名であり、中国兵は婦女子に至るまで、およそ人間とは思えぬような方法で日本人を惨殺した。
東京裁判において弁護団は、通州事件について外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。この事件に触れると、シナ事変は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまうという判断があったのは、言うまでもない。
ただ、通州事件の目撃者3人の宣誓口供(こうきょう)書だけは受理された。あまりに残虐な内容であるけれども、その一つ、元陸軍少佐の証言をあえて引用したいと思う。
「守備隊の東門を出ると、数間(すうけん)ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家悉(ことごと)く首と両手を切断され、十四、五歳以上の婦人は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、七、八名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部に箒(ほうき)を押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪(た)えなかった。東門の近くの地では、首を電線で縛(しば)り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家六名数珠(じゅず)つなぎにして引廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如(ごと)く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこここの塵箱(ちりばこ)の中やら塀(へい)の蔭から出て来た」(朝日新聞社法廷記者団『東京裁判』東京裁判刊行会・中巻。読者の便を考え、読点を増やした)
これが人間のやることだろうか。シナの史書には、生きたまま人の皮を剥(は)ぐとか、あるいは手足を切り落とすというようなことが多数、書いてある。日本人からすれば、とうてい信じがたい話であるが、この証言を読むと「あの記述はやはり真実であったのか」と思わざるをえない。
当然ながら、こうした虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂(げきこう)させたし、日本にも伝わって、国民のシナに対する怒りは頂点に達した。
盧溝橋事件はまったく軍同士の衝突であり、それは現地で解決を見た。ところが、この通州事件は明白な国際法違反であるし、その殺し方はまったく狂気としか言いようがない。当時の日本人の反シナ感情は、この事件を抜きにして理解することはできないのである。もしアメリカ人の市民が百人以上もこんな殺され方をされたら、クリントンが大統領だろうが、オバマが大統領だろうが、アメリカがどんな行動を起こすか想像してみたらよい。