電脳筆写『 心超臨界 』

影は光があるおかげで生まれる
( ジョン・ゲイ )

潜在意識が働く 《 想が逃げる――山田耕筰 》

2024-08-01 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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  誰もがアラジンの魔法のランプを持っている。ランプをこすれば、
  強力な召使が現われ、願いを叶えてくれる。それを知る人は成功し、
  知らずに過ごせば平々凡々たる生涯を送ることになる。魔法のラン
  プの正体は潜在意識。仏教の唯識(ゆいしき)では阿頼耶識(あらやし
  き)ともいう。潜在意識が働くのは、あなたが自分の願いをどれだ
  け強く具体的にイメージしているかによる。


耕筰氏は音楽学校に進む前、神戸市の関西学院中等部で学んでいました。ここは私の母校でもあり、私は氏が創設したグリークラブに所属していました。私が初めて氏を往診したのは50年ですが、実はこれも、グリークラブOBで私の親友の佐藤慈郎君の紹介でした。当時、氏が住んでいた田園調布の家の玄関には「目下作曲中」の木札がかけられていました。夫人が部屋にお茶を持っていっても、「想が逃げる」と入室を断られたとのことです。( 日野原重明 )


◆想が逃げる

「山田耕筰さんの思い出」
94歳・私の証 あるがまま行く 日野原重明
( 05.11.26 朝日新聞 be on Saturday e-ntertainment )

「赤とんぼ」や「からたちの花」の作曲者として知られる山田耕筰さんが亡くなられてから40年。東京・成城の自宅で永眠されるまでの15年間、私は彼の主治医を務めました。

今年に入って記念イベントがいつくか開催され、11月23日にも神奈川県茅ヶ崎市で「『山田耕筰』を讃(たた)える音楽祭」が開かれました。茅ヶ崎は彼が一時期を過ごし、「赤とんぼ」や「この道」を作曲した土地です。

彼の残した歌曲作品は、日本語の語感をいかしたという特徴があります。詩人の北原白秋との付き合いは深く、今でも愛唱される歌曲の数々を共に生み出し、日本語詩と音楽の融合に成功しました。白秋ら詩人との親交は、作曲のモチーフ探しを助けました。友人の存在が彼の仕事を成就させた一つの要因といえるでしょう。また、日本初の交響楽団を組織するなど、ヨーロッパ音楽導入に尽力した第一人者でもあります。

耕筰氏は音楽学校に進む前、神戸市の関西学院中等部で学んでいました。ここは私の母校でもあり、私は氏が創設したグリークラブに所属していました。私が初めて氏を往診したのは50年ですが、実はこれも、グリークラブOBで私の親友の佐藤慈郎君の紹介でした。

当時、氏が住んでいた田園調布の家の玄関には「目下作曲中」の木札がかけられていました。夫人が部屋にお茶を持っていっても、「想が逃げる」と入室を断られたとのことです。

氏は60歳の時に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、左半身にまひが残りました。それでも精力的に作曲を続けられ、時にはオーケストラで指揮することもありました。

一方で、赤坂の料亭で毎晩、ビールを何本も飲み、夜半に帰宅すると、すぐ自室にこもり、翌日の正午まで作曲し続けたという逸話も残っています。聖路加国際病院入院中も、模範的とは言いがたい患者でした。「お水をもっと飲んでください」と頼んでも、耕筰氏は「24歳の時にドイツ留学して以来、水分はすべてビールからとっている。水は飲んだことがないから飲めない」と主張され、やむなく看護師を納得させてビールを水代わりに処方したこともあります。病院を抜け出すこともしばしば、外出許可をとっては、運転手に命じて愛車デボネアで高速道路を猛スピードで走らせたそうです。

入院中はよく利き手の右手で病室のスケッチや自画像を描いておられました。私が「先生は絵が上手ですね」と声をかけると、「画家になろうと思ったことがある」とのこと。画家の東郷青児が作曲の弟子入りを耕筰氏に申し入れた時に「君はむしろ絵の方に行きたまえ」と答えたこともあるそうです。診察の時に耕筰氏から直接聞いた話です。どうやら彼は人を見抜く才能もあったようです。
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