電脳筆写『 心超臨界 』

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永遠に生きるものとして学べ
( マハトマ・ガンジー )

悪魔の思想 《 私が日本共産党で学んだこと――谷沢永一 》

2024-06-26 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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いざ共産党に入ってみると、大阪地方委員会運営の志田重男(しだしげお)をはじめ、党の幹部たちは一人残らず党官僚としての出世に執心しているだけで、理論的には無智、組織活動に熱意なし、という惨憺たる状況に愛想をつかし、学部2年のとき、足掛け4年の党籍を離脱しました。私のような経歴の者を、俗に「ヤメ共」と言います。党の側からすれば、なまじっかの内情を知られているゆえ始末が悪い、という意味です。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p15 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(1) 「悪魔の思想」の誕生

◆私が日本共産党で学んだこと

私事にわって恐縮です。若き日の私は日本共産党に入党しておりました。旧制中学5年のとき、朽木清(くちききよし)という2歳年上の魅力的な人物に出会ったのがきっかけです。この人は当時、大阪商科大学(現大阪市立大学)高商部の学生で、のち大阪市立大学商学部の教授となりましたが、病を得て惜しくも志なかばにして世を去りました。

この朽木清ほど、学生運動の指導者として見事な活躍をした人は他にないと思われます。その理論的な奥行きと巧みな組織力と発想の卓抜は、まことに傑出していました。

同じく学生運動と言っても、後の世のヘルメット、汚い手ぬぐいの覆面、ゲバ棒、スクラム、封鎖、内ゲバなどの劇画じみた時代とはまったく異なり、私たちの世代の学生運動は、理論による説得に専らであったことを強調したく思います。それゆえ、幼い私は年上の兄貴分と肩を並べるべき懸命の努力をせねばなりませんでした。そのため、左翼文献を読解するための“土地勘”を身につけ得たのは幸せだったと思います。

しかし、いざ共産党に入ってみると、大阪地方委員会運営の志田重男(しだしげお)をはじめ、党の幹部たちは一人残らず党官僚としての出世に執心しているだけで、理論的には無智、組織活動に熱意なし、という惨憺たる状況に愛想をつかし、学部2年のとき、足掛け4年の党籍を離脱しました。

私のような経歴の者を、俗に「ヤメ共」と言います。党の側からすれば、なまじっかの内情を知られているゆえ始末が悪い、という意味です。

しかし、今の学制に直して言うなら、高校2年から学部2年に至る経験は、つまり共産党という異国へ留学して、その地の風情を身に体して味わった、まことに貴重な、感謝すべき体験だったと申せましょう。本書を執筆するにあたり、若き日の私の留学経験が多少とも生かされておれば、ありがたいことであると思う次第です。
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