不都合な真実 《 家賃を踏み倒し、立ち退き料まで召しあげた作家に心底腹を立てる――山本周五郎 》

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「実は、もう出ていかれましたが、ある作家にお貸ししたところ、半年たっても一度も家賃を入れてくれないのです。それで催促しましたら、『それじゃ、ひっこすから立ち退(の)き料をくれ』といわれるんです。半年も家賃を払ってくれぬ上に立退き料とは随分とムシのいい話だと思いましたが、ここでひっ返したんでは、家は今まで通りタダで使われるばかりですから、すべてこちらは目をつぶって、むこう様のおっしゃる通りの立ち退き料をさしあげて、やっと家をあけてもらいました。こんな間尺にあわない話がありますか」


◆川端康成の神経

「人間的魅力の研究」
（ 伊藤肇、新潮文庫、p29 ）

「山本周五郎のことなら、木村久邇典(きむらくにのり)に聞けばいい」といわれている木村の著書の一つに『山本周五郎語録』がある。この本は「語録」の面白(おもしろ)さもさることながら、「山本周五郎の人物観」というアングルから見るとひとしお味わいがある。

山本周五郎が、まだ、かけ出し時代、馬込界隈(まごめかいわい)の家を探したことがある。格好な貸家を見つけたので、大家へ交渉にいったら、「あなたの職業は何ですか」ときかれた。「俺(おれ)は小説を書いている」というと、大家は貧乏神でも見るような顔をして、「うちでは小説家にはお貸ししないことにしているのです」と手をふった。

理由をきくと、「実は、もう出ていかれましたが、ある作家にお貸ししたところ、半年たっても一度も家賃を入れてくれないのです。それで催促しましたら、『それじゃ、ひっこすから立ち退(の)き料をくれ』といわれるんです。半年も家賃を払ってくれぬ上に立退き料とは随分とムシのいい話だと思いましたが、ここでひっ返したんでは、家は今まで通りタダで使われるばかりですから、すべてこちらは目をつぶって、むこう様のおっしゃる通りの立ち退き料をさしあげて、やっと家をあけてもらいました。こんな間尺にあわない話がありますか」とこぼした。

そのころ、貸し家は沢山あった。しかし、所得の固定しない若い作家にはなかなか貸してくれなかった。多分、周五郎だけではなく、その男のあとから馬込へ移ってきた小説家たちは家を見つけるのに散々、苦労したことだろう。周五郎は、この行為に対して心の底から腹を立てている。

「おれはそいつを許せない。芸術家の使命は既成道徳への反逆だということはわかる。だからといって、どんな無軌道な行為でも許されるというものではない。その大家が、どんな辛苦をつんで貸し家を建てたか。それを平然と踏み倒し、立ち退き料まで召しあげ、恬(てん)として恥じない神経は常任のものではない。」

木村久邇典と酒席をともにした時「家賃を踏み倒した男というのは、誰(だれ)のことですか」ときいたら、「川端康成です」と答えた。

川端康成はノーベル文学賞を受けた作家で、その作品はかげりをもつ微妙な心の動きや清澄(せいちょう)な詩情を見事に表現し、日本的な美の世界をつくりあげた一級品である。それがガス自殺したのは、いまだ