電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

帰るところがあるから旅は楽しい――松原泰道禅師

2024-07-17 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  帰れるから
  旅は楽しいのである
  旅の寂しさを楽しめるのも
  わが家にいつかは戻れるからである
  だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
  どこにもあるコケシの店をのぞいて
  おみやげを探したりする


『人生をささえる言葉』
( 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p64 )

17 帰去来――『陶淵明』
  帰るところがあるから旅は楽しい

中国の六朝(りくちょう)時代の大詩人陶淵明は、若きころ地方の官吏をしていましたが、世俗の塵にまみれることを嫌い、41歳のときに退官を決意します。そして故郷に帰るときに詠んだのが、「帰去来辞」という詩で、その中の「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす。なんぞ帰らざる」という一節は、六朝第一の名文として有名です。

さあ、帰ろう。故郷の田園が荒れ果てようとしているのに、どうして帰らずにいられようか、という意味ですが、禅語としてこの言葉を考えた場合、帰らなければならない故郷とは、心の故郷、人間の本性・本源です。

本源に立ち返ることを、禅では「帰家穏座(きかおんざ)」といいます。わが家に帰って、どっかりあぐらをかいて穏やかに座ること。私は旅をすることが多いのですが、旅先でどんなにお楽にしてくださいと言われても、やはり自分の家とは違います。住みなれたわが家に帰ってきて、ゆったりとくつろいで座ったとき、はじめて心身ともに安らぐことができるのです。

江戸時代の真言宗の高僧慈雲(じうん)尊者に、「阿(あ)字の子が、ふるさとたち出て、またたち帰る阿字のふるさと」という歌があります。「阿」というのは、サンスクリット語50字の最初の文字で、密教では、阿字はすべての事象の根源、初めです。したがって、「阿字の子」は、「仏の子」ということで、阿字(仏)の子が、ふるさとを出て、あちらこちらとさまよったけれど、やはり故郷は忘れ難いから、また家に帰ってくる、という意味です。

また高見順に『帰る旅』という詩があります。

  帰れるから
  旅は楽しいのである
  旅の寂しさを楽しめるのも
  わが家にいつかは戻れるからである
  だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
  どこにもあるコケシの店をのぞいて
  おみやげを探したりする

この詩は、食道ガンの告知を受けてからの作品です。「帰るところがあるから旅は楽しいのである」。私たちは、帰るべき心のふるさとがあるから、人生の苦しみに耐えることができるのです。
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