電脳筆写『 心超臨界 』

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( エドマンド・バーク )

歴史を裁く愚かさ 《 近代国家の生みの苦しみが書かれていない――西尾幹二 》

2024-05-06 | 04-歴史・文化・社会
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明治の初めから反政府の話ばかりが並ぶわけだが、それならなぜ明治政府はそれらの反対にも拘らず前進しつづけることができたのか、つまりなぜ日本国家は今日までに一定の成功を収めたのか、その理由はまったく書かれていない。民衆の敵対する姿勢だけが語られ――この点はほんとうに徹底している――敵対される側の国家の意思も目的も説明されないから、歴史の半分しか分からない。つまり歴史がわからないことになる。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p12 )
第1章 教科書問題を考える前提
1 歴史の分からない歴史教科書

◆近代国家の生みの苦しみが書かれていない

問題が教科書執筆者の歴史叙述の姿勢そのものにあることはどうやら疑いをいれない。常識のある日本人なら誰でもおかしいと気がつくような簡単な欠陥だ。

執筆者は何時も何かに抵抗し、何かを敵視している。明治から平成まで、日本のどこかにいる何かに石を投げている。教科書には石を投げている姿勢だけが書かれている。そしてそれにつごうのよい題材だけが、歴史の中から拾い出され、強調されている。

けれども不思議なことに、石を投げて相手が具体的に誰であるかははっきりとは書かれていない。相手はそのときどきによって変わる。あるときは明治政府であり、やがて日本の資本主義であり、戦後の場合にはアメリカ帝国主義であるらしい。

小さなものが善で、大きなものが悪である。これが大原則である。民衆、弱者、少数民族、朝鮮人は善で、日本政府はいつの時代にも例外なくつねに悪である。

だから明治の初めから反政府の話ばかりが並ぶわけだが、それならなぜ明治政府はそれらの反対にも拘らず前進しつづけることができたのか、つまりなぜ日本国家は今日までに一定の成功を収めたのか、その理由はまったく書かれていない。

民衆の敵対する姿勢だけが語られ――この点はほんとうに徹底している――敵対される側の国家の意思も目的も説明されないから、歴史の半分しか分からない。つまり歴史がわからないことになる。

例えば明治の初期に特権を奪われた士族が、不満のため反政府的になった話は当然語られてしかるべきだが、そこには士族から特権を奪って得をした側の人々が必ずいるはすである。

つまり四民平等は少しは進んだ。ところが教科書はそこは書かない。逆に、それにも拘らずもっと虐げられた不幸な人々はまだまだ後をたたなかった、という書き方をする。士族も不満、百姓も不満、日本国中みな不満、ということしか書かない。

もちろん農民などの苦労が当時いっぺんに解消したなどと私はまったく考えていない。けれども明治4年、田畑勝手作は許可され、5年、土地売買の禁が解かれ、同年、人身売買も禁止された。物事には順序がある。半歩ずつの前進がある。

ところが教科書はそういうことは書かない。近代国家の生みの苦しみを書かない。この点がどうも私の世代の習った教科書よりも、さらに一段と内容が片面的になっている証拠ではないかと思われる。

子供がこれを読むと、明治の初めから日本の体制のどこかに巨大な力を持つ悪魔がいて、貧しき民、アジアの民を苦しめているという風にしか読めないだろう。しかるにその悪魔の名は書かれていない。教科書の執筆者が何か名のないものを目がけ絶え間なく砲弾を投げている姿ばかりが目に映るのである。

じつに不思議な印象を与える文章――それが私が目を通したこれら歴史教科書の文章である。恐らく子供は狐につままれた思いがするばかりであろう。
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