電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

◆黄色人種への本能的恐怖

2024-07-11 | 05-真相・背景・経緯
§2-1 日本人移民を受け入れられなかったアメリカ
◆黄色人種への本能的恐怖


日本人は、アメリカよりも強大な陸軍国である白人のロシア帝国の大陸軍に連戦連勝した。難攻不落といわれた旅順の要塞も陥落せしめた。アメリカの海軍全体にも相当するほどのロシアの大海軍を文字どおり撃滅した。ナポレオン軍を完膚なきまでに破ったコサック騎兵も、日本の騎兵には一度も勝てなかったのだ。日露戦争後の日本人はアメリカ人の目には、まったく恐るべき有色人種として現われてきたのである。


◇黄色人種への本能的恐怖

『日本史から見た日本人 昭和編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p158 )

シナ移民が禁止された頃から、日本人のアメリカ移民は本格的になりはじめた。

アメリカは日露戦争の時は日本に対して友好的であったし、また日本はイギリスと対等の日英同盟条約(明治35年=1902年締結)を結び、先進国の仲間入りをしていたうえに、世界最大の白人の陸軍大国ロシアを陸戦で連破し、その大海軍をも全滅させていた。当時の文明国の物指しは近代的軍事力であったから、日本人は白人先進国待遇を受ける権利があると考えたのも当然であった。

ロシアに押さえられているポーランドや、イギリスに押さえられているアイルランドからのアメリカ移民は自由であるのに、そのロシアを敗(ま)かし、イギリスと対等の同盟国である日本からの移民ができない理屈はない。しかし、当時のアメリカの人種差別論者の前には、こういう理屈も通らなかったのである。

ここでもう一度、繰り返して第二次世界大戦前の世界の状況を想起していただきたい。

1492年のコロンブスの新大陸の発見以来、世界は白人による有色人種の支配体制の拡大と強化一筋の展開をしてきていたのである。「新大陸の発見」ということ自体、白人の視点から行なわれている。いわゆる「新大陸」には太古から住民が住んでおり、残された遺跡に関する限りでは、古代ギリシャに劣らぬ、いやそれをはるかに凌ぐ規模の文明があったのであって、コロンブスたちが来る前からの住民にとっては、「新発見」などと言われる筋合いはなかった。

しかし、その後の世界歴史は白人の版図(はんと)の拡大史であった。特にアメリカ合衆国は、有色人であるアメリカ・インディアンの土地を奪い、有色人である黒人を奴隷に使うことが国家成立の前提になっていた。

ヨーロッパの諸国は有色人種の棲息地(?)を侵し続けたが、自国内には社会問題になるほどの有色人種を当時は抱えこんでいなかったから、有色人種国の日本が近代化し、国際勢力として擡頭(たいとう)するのを、多少の余裕をもって見ることができた。

しかし、アメリカは違う。元来が有色人種だけしか住んでいなかった所に最近、白人が入りこんで出来た国であるうえに、大量の黒人奴隷を輸入して、当時の基幹産業である大農場経営をやっていた。こんなところに、白人と有色人種との平等思想が入りこんだら社会が成り立たない。多くのアメリカ人たちは本能的にそう感じた。

20世紀になると、武力抵抗を止めたインディアンは、すでに「敵」ではなくなっていた。黒人に対しては、それが将来の問題になるであろうという懸念を意識の底に持っていた人もいたであろうが、当面の心配はなかった。完全に差別され、その差別された状態を受け容れていたからである。

東から来たシナ人は、はじめは黒人なみに奴隷扱いしたが、意外に頭がよく、能力があって、商売などで成功する者も出てきた。しかし、彼らは必要に応じて弾圧したり殺戮すればよかった。シナ人のクーリーやその子孫たちは概して柔順であり、抵抗はほとんどなかった。彼らの本国の清朝は海外で自分の国民がいかに虐待されようと、ほとんど関心を示さなかった。

しかし、新しく移民してきた日本人は、それとまるで異なるのだ。

日本人は、アメリカよりも強大な陸軍国である白人のロシア帝国の大陸軍に連戦連勝した。難攻不落といわれた旅順の要塞も陥落せしめた。アメリカの海軍全体にも相当するほどのロシアの大海軍を文字どおり撃滅した。ナポレオン軍を完膚なきまでに破ったコサック騎兵も、日本の騎兵には一度も勝てなかったのだ。日露戦争後の日本人はアメリカ人の目には、まったく恐るべき有色人種として現われてきたのである。

黄禍(こうか)論(黄色人種が白色人種の社会・文化に脅威を与えるという主張)を言い出したのはドイツのヴィルヘルム2世(ドイツ皇帝。在位1888-1918)であるが、ドイツの場合、問題は切実でない。だが、アメリカの白人にとっては、自分の国内で新型の人種問題が起こることを意味した。

アメリカに来た日本移民は、貧しいという点や、顔付きや皮膚の色ではシナ人のクーリーと区別がつきにくかったと思われる。しかし、クーリーと日本移民は、まったく異なる人たちだったのだ。どこが違うかと言えば、外側ではなく頭の中である。
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