電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

韓国でも客観的に歴史を見る人が増えてきたのであろう――北岡伸一さん

2009-11-02 | 04-歴史・文化・社会
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日韓歴史共同研究――東京大学教授・北岡伸一
【「あすへの話題」09.10.29日経新聞(夕刊)】

2002年5月から2年間、日韓歴史共同研究に参加した。近現代部会の最初に、まず時代区分をすることになり、当然ながら、日韓併合以前、植民地時代、独立以後、ということになった。それぞれの時期に名前をつけようということになって、韓国側から植民地時代について、「〈開発〉か〈搾取〉か」という名称が提案された。

これは驚きだった。留保つきとは言え、日本統治下で発展があったということを認める発言だったからである。それまで、韓国の学者が植民地時代について肯定的なことをいうのは、ほとんどが聞いたことがなかった。1920年代の統治は相対的に文明的だったと言うと、それは家畜を太らせて高く売るのと同じだ、という返事だ、という返事が返ってきたし、国際会議では、日本の朝鮮支配は世界でもっとも過酷な植民地支配だったという、まったく根拠のない発言を、何度も聞かされた。

しかし、韓国が発展して自信を持ち、民主化が進み、また韓国の学者も米英などで研究するようになると、客観的に歴史を見る人が増えてきたのであろう。

日韓歴史共同研究は、かなりの成功をおさめたと思う。三谷太一郎(東京大学名誉教授)座長は、この共同研究を通じて、「学問はナショナリズムの防波堤にならねばならない」という意識を共有するアカデミック・コミュニティが生まれたと指摘しておられる。

たしかに、元来、学問は国境を越えるものであり、大学はもともと近代国家成立以前から存在したものである。私は今、日中歴史共同研究の日本側座長をしているが、これは韓国以上に難しい。しかし学者が果たすべき役割は同じだと思う。

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