電脳筆写『 心超臨界 』

真の発見の旅は新しい景色を求めることではなく
新しい視野を持つことにある
( マルセル・プルースト )

舌をなくさなければ落語にならない――三遊亭円朝

2024-07-16 | 04-歴史・文化・社会
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明治時代の落語家三遊亭円朝は、山岡鉄舟から「おまえは舌でしゃべるからいけない。舌をなくさなければ落語にならない」といわれ、以後、禅の修行に励みます。ある日、西山禾山和尚から「円朝」と呼ばれ、「ハイ」と答えるままに、豁然省悟します。「円朝が『ハイ、ハイ』でなく、『ハイ、ハイ』が円朝である」と。

哲学者の井筒俊彦先生は、瞑想を通してある静寂な意識状態に入っていくと、すべての感覚は消えて、最後はただ存在しているとしかいいようのない状態になるそうです。そこでは自他の区別がなくなり、例えば一般の人は『ここに花が存在している』というが、井筒先生は『存在が花している』といった方が合っているような気がすると書かれています。


◆舌をなくさなければ落語にならない

『禅の本――無と空の境地に遊ぶ悟りの世界』
( NEW SIGHT MOOK Books Esoterica―3、学研プラス (1993/4/1)、p20 )

《 造る 》

禅では、釈迦の教えの真髄は文字に表せない「不立文字(ふりゅうもんじ)」だとしている。体験上のことは文字に表せない、暑い寒いは、それを体験したものでなければわからない。冷暖自知(れいだんじち)の世界である。その冷暖自知の世界を、まるごとひっつかまえ、ドンとそこに放りだすこと、あるいは、書けないものを書き、見えないものを見えるようにすること――これが禅の「造(つく)る」ことになる。「造る」というのは「生きる」というのと同義語だから、禅の芸術には、すべて説明抜き、象徴抜きの、一個の達磨(だるま)が端的に坐っている。また、そうでなければ禅芸術の存在する意味がない。

明治の三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)といえば、並ぶ者なき名人と謳(うた)われた希代(きだい)の落語家である。この円朝が、一日、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の前で一席しゃべった。ところが鉄舟は気に食わない。「おまえは舌でしゃべるからいけない。舌をなくさなければ落語にならない」といわれ、以後、熱心に参禅し、明治の大禅師、西山禾山(にしやまかざん)にもついて学んだ。この禅修行から、大名人・三遊亭円朝がうまれたのだが、その円朝の落語の枕の一節はこうだ。

「ある日、大和尚(禾山)が急に禅室へ召(め)されますので、とりあえず参(まい)りてみますれば(略)威たけだけしく『円朝』と呼ばれるので『ハイ』と答えましたところ、『分かったか』とおおせられますゆえ、『わかりませぬ』と申し上げますと、大和尚は例の目をむき出して『汝、返事をしながら分からぬか』と一喝され、また『円朝』といわれるので、『ハイ』と答えますままに、豁然省悟(かつねんしょうご)いたしました。わたしは初めて円朝が『ハイ、ハイ』でなく、『ハイ、ハイ』が円朝であると合点しました。それよりこのかたの小生は舌無(したな)しにお話をいたしますので、おのおの方も耳無(みみな)しにお聴き取りを願います」

鉄舟が円朝に与えた居士号(こじごう)を無舌(むぜつ)という。
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