電脳筆写『 心超臨界 』

貧困は人格をつくる教師である
( アンティファネス )

自助論 《 精神に「弾力性」を与える読書を――サミュエル・スマイルズ 》

2024-10-09 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「何ごとにつけても下品なばか笑いをする現代の風潮に、世間はいつか嫌気がさすはずだ。少なくとも私はそう願っている。結局のところ、人生には真剣にならざるを得ない部分がある。人生のすべてが人間のこっけいな歴史ではないのだ」( 劇作家ダグラス・ジェロルド )


『自助論』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房(2002/3/21)、p217 )
8章 自己修養――最高の知的素養は一日の仕事から生まれる
3 「真の知識」と「にせの知識」

◆精神に「弾力性」を与える読書を

学問を単なる知的な気晴らしや娯楽の手段に利用すると、教育自体の変節を招きかねない。だが現在では、教育の身売りのお先棒をかつぐ連中が大勢いる。また、手を替え品を替えた軽薄な大衆文学が人の心をみだりに刺激し、世間もそれをもてはやしている。このような大衆の好みに迎合するため、書物や雑誌にはどぎつい表現が盛りこまれ、おもしろおかしい言葉がふんだんに使われ、常識破りの下品な描写がわがもの顔でまかり通っている。かつて劇作家のダグラス・ジェロルドは、この傾向を次のように批判した。

「何ごとにつけても下品なばか笑いをする現代の風潮に、世間はいつか嫌気がさすはずだ。少なくとも私はそう願っている。結局のところ、人生には真剣にならざるを得ない部分がある。人生のすべてが人間のこっけいな歴史ではないのだ」

著述家ジョン・スターリングも同じ趣旨のことを語っている。

「現代人、とりわけ成長期にある若者にとって、雑誌や小説は疫病以上に恐ろしい新たな精神の病だ。それはきれいな水を腐らせ、家庭をむしばむ害虫のようなものだ」

重労働の気休めや息抜きに大作家のすぐれた物語を読むのは、確かに高尚で知的な楽しみである。名作と呼ばれる文学は、老若男女を問わず、どんな読者をも本能的に強く魅了せずにはおかない。適度な読書の楽しみは決して奪われるべきではない。

しかし、寝食を忘れてまで書物にのめり込むのは考えものだ。くだらない本をむさぼり読み、そこに描かれる常識はずれな人生模様に感激して自分の時間の大部分を過ごす人間も多い。だがそれは時間の浪費にとどまらず、人間の精神にも有害な影響を与える。

小説を読みふけり、まやかしの感情に支配されると、健全な心はゆがみ、精神が麻痺する危険性が大きくなる。本を読んであわれみの情をもよおしたからといって、それが実際の行動につながるわけではない。本の中の事件に心を動かされたとしても、それで現実の自分が困るわけではなく、自分が犠牲を強いられることもない。だからフィクションにばかり感動していると、現実に対してしだいに無感覚になってしまう。精神という鋼(はがね)は徐々に磨耗し、弾力性というかけがえのない特性もいつのまにか失われていく。バトラー主教はこう語っている。

「心の中にいくら美徳の絵を描いても、現実に美徳の習慣が身につくわけではない。むしろ心はコチコチに固まり、しだいに不感症となるだろう」
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