電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

各国の歴史と歴史観の栄枯盛衰――平川祐弘さん

2020-01-13 | 04-歴史・文化・社会
 「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
    そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
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温暖化と北極、南極の氷の関係について簡単にまとめておきます――武田邦彦さん
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各国の歴史と歴史観の栄枯盛衰――平川祐弘・東京大学名誉教授
【「正論」産経新聞 R02(2020).01.13 】

各国の歴史とともに歴史観の栄枯盛衰を考えたい。

私はシナ事変(日中戦争)前、幼稚園で、「日英米独仏伊露中」の順で世界の国名を習った。日本は別とし、世界一は大英帝国で、明治以来、海軍も官庁も銀行も、英才を英国に派遣した。中学でもKing’s Englishを習い、つづりは英国式だった。帝国大学も英文学は教えたが、米文学は教えない。そんなだけに、昭和16年12日8日、「米英ニ宣戦ヲ布告」と聞いて「英米」の順がひっくり返ったと驚いた。だが下り坂の英国は、欧州連合(EU)離脱騒ぎで、さらに順位をさげそうだ。

◆中国は党員富裕層の独裁か

第2次大戦後、ソ連は世界第2の超大国として米国と張りあったが、社会主義体制の崩壊で転落、その経済的実力は今は韓国より下というが本当か。ソ連の衰退は、それが依拠した唯物史観の衰退となったが、同じく人民民主主義を奉ずる中国は、国家資本主義に転じ、世界第2にのしあがった。中国流プロレタリア独裁とは党員富裕層の独裁か。

日本の歴史観はどうだったか。米国で苦労した外交評論家、清沢洌(きよさわきよし)は『戦争日記』で昭和18年5月、日本の歴史学について「左翼主義はそれでも研究をした。歴史研究にしても未踏の地に足を入れた。唯物的立場から。しかるに右翼に至ては全く何らの研究もない。彼らは世界文化に一物を加えない」と酷評した。

清沢が思い浮かべたにちがいない歴史学者は、左は羽仁五郎、右は平泉澄だろうが、唯物史観の優位を説き、明治維新を論じ、日本資本主義発達史講座の刊行に尽力した羽仁の方が軍の学校で連日、万邦無比の日本をたたえる平泉東大教授よりもまし、と清沢は見たのだろう。私は敗戦後に大学で学んだが、右翼の国粋主義的歴史観は読まなかった。だが「階級史観を奉ぜぬ者は学者に非(あら)ず」といわんばかりの高圧的な権威主義も嫌いだった。英国の日本史家、ジョージ・サンソムを読んだとき、その文体にほっとした。

戦後、歴史学界を支配した左翼教授も、拠(よ)って立つイデオロギー的基盤が1989年、ベルリンの壁とともに崩壊するや意気消沈した。すると反左翼の威勢があがる。人民中国の偽善の皮が剥(は)げ、監視国家の正体がすけて見える。連合国製の歴史観が戦後日本では、喧伝(けんでん)されたが、そんな日本悪者史観をいまなお言い立てる国が、習近平の中国と文在寅の韓国左翼だから、そんな東京裁判史観こそ怪しいと日本人が思い始めた。健康な発想だ。日本の悪口を言う以外に言論の自由のない国に、公正な歴史観が期待できるはずもない。

◆賛否両論の蘇峰流歴史観

だがここで注意したい。だからといって、戦前戦中にもてはやされた、たとえば徳富蘇峰流の歴史観が正しかった、といえるのか。英国の小説家で詩人、ラドヤード・キプリングは白人の植民地事業を肯定し、西洋人は「白人の重荷」を担(にな)う、と主張した。すると蘇峰は、それは余計なお世話だと反発し、日本は東亜の盟主として「黄人の重荷」を担う、と主張した。だが中国人、朝鮮人の側からすれば、それもまた余計なお世話だったのではないか。しかし日本人は白閥打破の主張に歓呼した。開戦1年、歌舞伎座で開かれた陸軍に感謝する会は超満員。その日、蘇峰こそ大東亜戦争を勃発させるに最も力のあった言論人だと清沢は書いたが、その筆は苦々しげである。私も蘇峰が戦後も書き続けた『近世日本国民史』百巻には敬意を表するが、その戦争観には疑問をもつ。

賛否両論のある蘇峰だが、『徳富蘇峰終戦日記』に対する諸家の反応は興味深い。昭和20年8月19日、蘇峰は4日前の鈴木貫太郎総理の終戦工作成就を「敗戦迎合」と罵倒した。これには小堀桂一郎東京大学名誉教授も同調しかねている。(小堀著『和辻哲郎と昭和の悲劇』第1章)。

◆史観が国家興亡に追いつかず

私はこの目で軍国日本の壊滅、経済大国の復活を見た。だがエコノミック・アニマルも高齢化した。国家の興亡がかくも激しいと、歴史を説明する史観の方が追いつけない。皇国史観もマルクス史観も破産した。羽仁の亜流のカナダの外交官、E・H・ノーマンもそのまた亜流もお蔵入りだ。

空騒ぎに類する皇紀2600年を寿(ことほ)いだ翌年、日本は勝ち目のない戦争に突入した。イラン建国4千年を祝賀したパーレビは翌1979年、国王の座を追われた。中華民族5千年の文明を鼓吹(こすい)して登場した習近平は、一身に権力を掌握(しょうあく)、陰で習皇帝と呼ばれる。思い出されるのは、辛亥(しんがい)革命で中華民国初代総統となった袁世凱(えんせいがい)だ。袁は権力を握るや近代化革命の産物である民主法制を廃止、国民代表によって満票で皇帝に推戴(すいたい)された(1915年)。だが帝政は続かず、四面楚歌(しめんそか)のうちに病没した。その死ほど人々に歓迎された死はないと中国の新聞は報じている。

歴史の次の転換点は、在外華人が声をあげて皇帝統治反対を唱え出す時だろう。

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