電脳筆写『 心超臨界 』

他者の働きによるのではなく
自ら他者に尽くすことにより成功をつかめ
( H・ジャクソン・ブラウン Jr. )

自分を鍛える! 《 私の一生を決定づけた「すばらしい本」との出会い――渡部昇一 》

2024-05-03 | 03-自己・信念・努力
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ジョン・トッド『自分を鍛える!』( Todd’s Student’s Manual )の翻訳を世に送るにあたって、この本を私に紹介し、かつ本自体を私に贈ってくださった上智大学の故神藤克彦教授(教育学)の記憶から始めたいと思う。( 渡部昇一 )


『自分を鍛える!』
( ジョン・トッド、三笠書房(2002/02)、p235 )

訳者解説――渡部昇一
私の一生を決定づけた「すばらしい本」との出会い

ジョン・トッド『自分を鍛える!』( Todd’s Student’s Manual )の翻訳を世に送るにあたって、この本を私に紹介し、かつ本自体を私に贈ってくださった上智大学の故神藤克彦教授(教育学)の記憶から始めたいと思う。

ちょうど私が上智大学に入学した頃はまだ東京は焼野原で、今の上智大学ソフィア会館のあるあたりにはカマボコ型兵舎の寮と教員宿舎が十棟ぐらい建っていた。そこに何人かの先生方が住んでおられたのであるが、神藤先生も戦後間もなく関西から上京されてそこに住んでおられた。学生寮の生徒たちは、夕食後よく同じキャンパスの中にある神藤先生のお宅をお訪ねしたものである。先生はいつでも快くわれわれを迎えてくださった。田舎にいた時は、私は英語の恩師である故佐藤順太先生のところにしょっちゅう出入りしていたが、東京ではそれと同じように神藤先生のお宅にお伺いしていた。神藤先生は佐藤先生と同様、いわゆる旧制中学から旧制高校、旧制大学というスムーズなコースをとらずに、独学の期間を有するコースをとって教職に就かれた方であった。

今から考えると、一口に先生と言っても、スムーズに、いわゆる規定のコースを通った先生方の人生の悩みというものは、どこか私の持っている悩みと波長が合わないところがあったように思われる。ところが、佐藤先生にしても神藤先生にしても、独力で学び、独力で道を切り開くというプロセスを持たれた方々であったので、私が悩むようなことをかつて悩みとされたご経験があり、そのさり気ない片言隻語(へんげんせきご)が、若い私にとって天来の指針となる思いのすることがしばしばあった。神藤先生のお宅には多くの学生がおしかけていたから、私一人が特に親しくしていただいたとは言えないと思うけれど、やはり何か特別な共感(ジンパティー)あるいは親和性(アフィニテート)が働いていたのではないかと思う。

たとえば私が大学3年生の時(昭和27年頃)、ヒーリー教授という方が、パブリック・スピーキングのコースをお持ちになった頃のことである。この方はアメリカでは学長も務められた偉い先生とのことであった。その授業でヒーリー先生は、デール・カーネギーの How to Win Friends and Influence People(『人を動かす』創元社刊)を参考書として紹介された。この1冊さえ読んでよくわかればそれで充分であると言われた。デール・カーネギーは、どちらかと言えば通俗的な本である。戦前の大学のアカデミックな気位の名残りをとどめていた当時の大学の雰囲気においては、参考文献として出されるような種類の本ではなかったと思うが、そこは本場のアメリカ人の先生だけあって、パブリック・スピーキングはこれに限る、とわれわれにすすめてくださったのである。

私はさっそくその本を神田で見つけて読んでみたのだが、非常におもしろかった。それで神藤先生を訪ねた折に、こういうおもしろい本があるということを話題にした。すると、学部の学生と教授という関係を離れて、神藤先生は目を輝かせて「その本はおもしろそうだな」とおっしゃった。そして、しばらく経ってからまたお会いした時、先生は「私もあの本を買って読んだけれども、実にいい本だった」と言われた。それから先生と私の間ではデール・カーネギーとその人生観、またアメリカのこうした本のよさなどを称えるような会話がよく交わされたものである。

当時、日本で出版されていたカーネギーの翻訳は簡約版であって、全訳ではなかった。そこである時、神藤先生と私の間で、「こんないい本が全訳でないのは惜しいですね」というような話になり、「ひとつわれわれで全訳を出しましょう」ということになった。私は先生の代理としてデール・カーネギーに手紙を書いた。すると、さっそく返事がきた。それによると、翻訳権はカーネギーと昔から個人的関係のある某氏に与えてあるので、その方と交渉されたい、ということであった。そこで先生が出版社にその旨を問い合わせたところ、出版社のほうでは、確かにその人と関係があるので簡約版を出しているわけだが、今のところは全訳を考えていないと答えてきたので、そのままになってしまった。

しかし、その数年後、カーネギーの全訳が出て、今でも広く読まれているようである。カーネギーの本は、それを最初にすすめてくださったヒーリー先生、および一学生から名前を聞いたその本をさっそく取り寄せて読み、一緒になって訳そうかとおっしゃってくださった神藤先生とともに、懐かしい思い出である。

また神藤先生には幸田露伴の『努力論』(『運が味方につく人 つかない人』)や『修省論』(『得する生き方、損する生き方』〈共に渡部昇一編述、三笠書房刊〉)の価値を教えていただいた。先生が「おもしろい」とか「これはよい本だ」というものは、私はたいていすぐに読んで、次にお訪ねする時はそれを話題にした。このようにしていつの間にか、先生の愛読書の多くは私の愛読書にもなった。まことにありがたい個人的な読書指導であった。

そのようなわけで学部の頃から大学院を通じ、神藤先生およびそのご家族とは、単なる教師と生徒の関係を越えて親しくしていただいていたと思う。
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