電脳筆写『 心超臨界 』

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悪魔の思想 《 鶴見俊輔――“ソ連はすべて正しい”という説教/谷沢永一 》

2024-11-04 | 04-歴史・文化・社会
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まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した。この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p72 )
日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)への告発状
第3章 「ソ連はすべて善・日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)

  鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)
  大正11年生まれ。ハーバード大卒。京大、東工大助教授を経て同
  志社大教授。日本の経済発展を呪い、日本軍のシベリア抑留を当然
  とした。

  百日の説法、屁ひとつ、という諺(ことわざ)があります。共産主義
  ソ連がいかに美辞麗句を弄しようとも、10年を越す50万余の日
  本人シベリア抑留という理不尽な行為を、わが国びとはけっして忘
  れることができません。それは世界史上に未だかつてない没義道(
  もぎどう)な不埒な暴挙でした。しかし鶴見俊輔は断乎としてソ連
  を弁護します。当時のソ連は労働力の不足に悩んでいたのだから、
  日本人捕虜に強制労働を課すのは、ソ連人の知恵であったと言うの
  です。

3-1 ”ソ連はすべて正しい“という説教

昭和54年9月から翌年4月まで、鶴見俊輔は、国際交流基金の援助を受け、カナダのケベック州モントリオール市にあるマッギル大学で講義をしました。

その講義の目的は、昭和年間の日本国民が、いかに愚かであり、いかに詰まらぬ行ないばかりして、いかに馬鹿な生き方をしたかということを、繰り返し、繰り返し、説明し、強調することでした。

長い講義の全体を通じて、日本人にも、民族としての美しさや立派さがあったという類(たぐ)いの言葉は、ついに一語たりともでてきません。日本国民は実に詰まらぬ、程度の低い、思考力に欠けて、見識のない連中であるという判定だけが、つぎからつぎへと申したてられます。

日本民族は世界で最も愚劣な非難すべき輩(やから)であったという弾劾(だんがい)が、まあ倦(あ)きもせずえんえんと続くんですね。

そこで本人が得意気な筆致で記すところによれば、「これほど手ごたえのある聴衆を前にしたことは、それまでの私の大学の経験にはなかった」ということになります。つまりおおいにウケタという意味でしょうね。ご自分でわざわざおっしゃるまでもなく、まことにもってそりゃあそうでしょう。今やわが国はめざましい技術力による経済発展のゆえに、諸外国からあまり快くは思われておりません。人情の自然として、つまりは妬まれ、ときには憎まれています。

その日本から、わざわざやってきたひとりの日本人が、あしかけ8ヵ月もかけて、日本の悪口ばかりをとうとうと述べたててくれたのですから、聞いていてぞくぞくするほど嬉しいじゃありませんか。そうかそうか、日本人という奴らはそれほど詰まらん愚劣な連中なのか、外国人の聴衆は、気もはればれと胸のすく思いがしたことでしょう。講師としても狙ったとおりの大成功でしたねえ。

さて、その講義を日本語に直したのが『戦時期日本の精神史―1931-1945―』(昭和57年5月24日・岩波書店)1巻です。副題の表記からもうかがえますように、日本の年号なんかけっして使わないぞ、という姿勢がはっきりしています。

反日的日本人の著作は数多いんですけれど、いちばん凝って固まった極端をゆく代表作をあげよと言われましたら、私は即座にこの1冊を指示したいですね。好奇心の強い方はぜひ読んでごらんになるとよろしい。原本はあるいは品切れかもしれませんが、『鶴見俊輔集5現代日本思想史』(平成3年5月15日・筑摩書房)に収録されていますので、閲読に便利でしょう。

ただし、あえてお節介を申しますが、通常の方なら読みすすむうちに胸がわるくなり、吐き気を催すこと確実ですから、あらかじめ手許によく効く薬を用意されておかれるようお勧めします。

この本を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはことごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。

  戦争が終わったとき(中略)ソビエト・ロシア領内に残されている
  はずの60万人が長いあいだ帰ってきませんでした。
                (『戦時期日本の精神史』134頁)

まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した。この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。

しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。

  60万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人
  のあいだに不安と苛立たしさを生み、それが戦前の日本政府によっ
  て長い年月にわたって植えつけられてきた、また戦後新たに米国の
  占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦
  後のひとつの潮流をつくり出しました。
                           (134頁)

つまり「帰ってきませんでした」ことを怨んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうですか、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましょうから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめるべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴(おもむ)いたものですから、そのため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。

それは昔の「赤色恐怖と結びついて」いるイケナイ考え方であるぞよ、と鶴見俊輔は婉曲に説教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、いかなる理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎んではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日本人だけが、ワルイことをしたのですから。

「シベリア抑留の死者5万数千人は本人の責任」という極悪非道へつづく
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